88話:白亜宮廷魔術学園入学手続きと制服
【平民執事の出発前夜】
「まさか、あの武闘大会の優勝者がそのまま我が家の専属執事になるなんてね」
豪華な調度品に囲まれた執務室。優雅に紅茶のカップを傾けながら、リゼット侯爵家の長女は、目の前で深々とため息をつくアレンを面白そうに眺めていた。
平民の出でありながら洗練されたマナーを身につけ、庭仕事の手際も完璧。その上、木剣一本で並み居る猛者をあしらうほどの腕っぷしを持つ謎の男・アレン。気品漂うお嬢様にとって、どこか世俗離れしたこの男の存在は、これから始まる退屈な学園生活の絶好の「暇つぶし」になりそうだった。
「明日からは学園都市への移動よ、アレン。私の専属として、せいぜいしっかり励みなさい」
「……仰せのままに、お嬢様」
表面上は恭しく礼を執りながらも、心の中では頭を抱えるアレン。
(……はぁ。やっぱりこうなるのか)
その日の夜、与えられたふかふかの自室のベッドに倒れ込み、アレンは天井を見上げて本日何度目かの大きなため息をついた。
朝は適当に庭木の剪定をし、シェフ特製の美味しいまかないを満喫し、夕方には仕事を終えてぐっすり眠る――そんな完璧なスローライフは、あえなく露と消えたのだ。
これから待っているのは、権謀術数が渦巻く名門魔術学園での激務とお嬢様のわがままへの対応、そして次々と舞い込むであろう厄介ごとからの防波堤という「最高に面倒くさい日常」である。
「……まぁ、美味しい食事と温かい寝床を維持するためだ。割り切って従うしかないか」
自分の置かれた境遇を半ば諦め気味に受け入れ、アレンはゆっくりと目を閉じた。
白亜宮廷魔術学園。
各国のエリートや名門貴族が集う最高学府で、果たしてアレンは「目立たず、穏便に、極上メシにありつく」というささやかな野望を達成できるのか。
波乱と脱力感に満ちた平民執事の新しい日常が、いよいよ静かに幕を開けようとしていた。
【手持ちの服と不本意な注目】
「……着ていく服がない」
自室のベッドの上で、アレンは再び頭を抱えていた。
リゼット侯爵家のお嬢様の「白亜宮廷魔術学園」編入に先立ち、まずは事前の手続きと紹介状の提出のために学園の事務局へ向かわなければならない。
しかし、アレンのクローゼットにある手持ちの服といえば、一ヶ月間使い古した泥臭い「庭師の作業服」か、侯爵家に仕えるためのビシッとした「執事服」の二択しかなかった。
(執事服で一人で手続きに行くのも変だし、かといって作業服で行ったら門前払いだろうしな……)
思案の末、アレンは旅の荷物の底から一着の制服を引っ張り出した。
それは、彼がかつて通っていた「城塞都市中央第一魔法学園」の制服だった。
◇
学園都市への出発を翌日に控えた、ある日の午後。
アレンは一通り庭仕事の道具を片付けると、自室で例の「城塞都市中央第一魔法学園」の制服に着替え、お嬢様の滞在する執務室の前へと向かった。
コンコン、と控えめにドアを叩く。
「お嬢様、アレンです。失礼いたします」
室内からの「お入りなさい」という鈴の鳴るような声を確認し、アレンは扉を静かに開けた。
部屋の奥、日当たりの良いテラス席で紅茶を楽しんでいたお嬢様が、アレンの姿を一目見るやいなや、驚いたようにその美しい瞳を見開いた。
「あら……? アレン、その格好は一体……?」
普段の庭師の作業服でも、侯爵家の執事服でもない。最高級の生地で隙なく仕立てられた、どこか異国の高貴な気品を漂わせる完璧な制服姿。
アレンは教え込まれた通りの洗練された所作で深々と一礼すると、落ち着いた声で告げた。
「お嬢様の『白亜宮廷魔術学園』への編入に伴い、まずは私が代理として、学園事務局へ事前手続きと紹介状の提出に行ってまいります。留守の間、何かございましたら他の給仕にお申し付けください」
お嬢様はアレンの完璧すぎる立ち振る舞いと、その身に纏う圧倒的な「只者ではないオーラ」にしばし呆然としていたが、すぐに面白そうに唇の端を吊り上げた。
「……ええ、行ってらっしゃい、アレン。手続き、楽しみに待っているわ」
(なんでそんな面白がりそうな目で見つめられてるんだ……?)
一瞬だけ背筋に不穏な寒気を覚えつつも、アレンは「では、行ってまいります」と恭しく礼を執り、目立ちすぎる制服の襟を少しだけ気にしながら、静かに執務室を後にするのだった。
◇
クレイズ神聖王国において「白亜宮廷魔術学園」といえば名門として通っているが、大陸全体、とりわけ技術と魔法の最先端を走る魔法帝国から見れば、正直なところ「まぁ、二流程度」の規模と歴史に過ぎない。当然、白亜宮廷魔術学園の生徒たちが着ている制服も、どこか野暮ったくデザインが少し古臭いのが否めなかった。
だからこそ――アレンは目立ちすぎていた。
ゼノリス王国の最高峰であり、大陸一と名高い「城塞都市中央第一魔法学園」の制服。それは最高級の生地で隙なく仕立てられ、裏地には魔力を効率よく巡らせる特殊な絹が使われている逸品だ。
それに加え、アレン自身の整った容姿と、無意識のうちに身に付いている隙のない立ち振る舞いや洗練された姿勢が合わさっている。目立たないように歩こうとすればするほど、逆に「どこかの高貴な特別生か?」と周囲の目を引いてしまうのだった。
学園の敷地に入った瞬間から、すれ違う生徒たちの視線が次々と驚愕の表情で固まっていく。
(……なんでみんなそんなに見てくるんだ? この国の流行りは、やっぱり俺にはよく分からないな……)
本人は単に「自分の服のデザインが古臭いと思われるのが恥ずかしい」程度にしか思っていなかったが、周囲から見れば「異次元の気品を纏った謎の美青年」にしか見えていなかった。
【校長室での快諾】
生徒や教師たちの好奇の視線を全身に浴びながら、アレンはどうにか事務局を経て、案内されるまま最上階にある校長室の扉を叩いた。
「失礼いたします。リゼット侯爵家より参りました、アレンと申します」
重厚な部屋の中で待っていた校長は、アレンが身にまとっている制服を一目見るやいなや、驚きでメガネをずり下げた。
「そ、その制服は……城塞都市中央第一魔法学園の……!?」
「あ、はい。以前通っていたものでして。本日はこちらの紹介状をお納めにあがりました」
アレンは胸ポケットから、リゼット侯爵領へ入る前に縁のあった辺境伯から預かっていた紹介状を差し出した。
校長は受け取った手紙を恭しく開くと、そこに書かれた内容を目にしてさらに息を呑んだ。
『拝啓
本状を携えしアレン・ノアは、大陸最高峰たる城塞都市中央第一魔法学園において極めて優秀な成績を収め、同学園の理事長自らが強く推薦する逸材である。
貴校への編入に際し、何らの懸念もなきことを保証する――』
内容には、国境を守る有力貴族である辺境伯からの力強い推薦、そして何より大陸一と称される城塞都市中央第一魔法学園の理事長からの直筆の推薦文が添えられていたのだ。
白亜宮廷魔術学園にとって、このような超規格外の人物が編入してくる(しかも侯爵家の護衛兼執事として)など、断る理由などあるはずがなかった。むしろ学園の格が上がるレベルであり、「ぜひともお願いしたい」というのが本音であった。
「す、素晴らしい……! 実に素晴らしい! 手続きはすべて即座に完了させましょう!」
校長の態度は一変し、揉み手をしながら即日承認のサインを書類に走らせた。
手続きが終わると、校長自らが部屋の外まで出てきて、恐縮するアレンをこれでもかと丁寧に見送るのだった。
【何食わぬ顔のスローライフ再開】
「ふぅ……疲れた」
無事に用件を済ませたアレンは、ほうほうの体でリゼット侯爵邸へと戻ってきた。
学園でのあの熱い視線と校長の過剰な持ち上げられぶりにすっかり気疲れした彼は、邸宅に着くやいなや、素早く慣れ親しんだ「庭師の作業服」へと着替えた。
スコップと剪定ばさみを手に取り、中庭へ出ると、いつものように雑草を抜き始める。
(よし、これで学園が始まるまでは、また静かで平和な毎日が送れるぞ……)
校長室でとんでもない存在感を見せつけてきたことなどおくびにも出さず、アレンは何食わぬ顔で草むしりに精を出し、シェフが作る夕方の美味しいまかないに思いを馳せるのだった。




