87話:一ヶ月の庭仕事を経て、とお嬢様との対面
【一ヶ月の庭仕事を経て】
あれから一ヶ月。
アレンは文句ひとつ言わず、朝から晩まで広大なリゼット侯爵家の庭園の手入れに黙々と勤しんでいた。
広大な敷地に蔓延る雑草を抜き取り、伸びすぎた植え込みの枝葉を美しく揃えて刈り込み、荒れていた花壇には四季折々の鮮やかな花を丁寧に植えていく。その手際と仕事ぶりは驚くほど無駄がなく、流れるような美しさすら漂わせていた。
「おいおい……お前、本当にただの冒険者じゃないな……」
最初は「どうせ剣しか振れん血生臭い野郎だろう」と疑いの目を向けていた頑固な老練の庭師も、アレンの手際を見るやいなや態度を一変させ、今ではすっかり彼を信頼してすれ違うたびに感心したように深く頷いていた。
(ふぅ……真面目に働いてさえいれば、シェフ特製の美味しいまかないも毎日お腹いっぱい食べられるし、清潔で暖かい寝床の心配もない。まさに最高じゃないか)
アレンにとって、この穏やかで適度に体を動かす毎日は、何物にも代えがたい理想的で平和なスローライフそのものだった。
しかし、そんな平穏で穏やかな日々は、そう長くは続かなかった。
ある日の夕刻、一日の作業を無事に終えて道具を手入れしながら片付けていると、背後から重々しい足音が近づいてきた。振り返ると、眉間に深いシワを刻んだ厳めしい顔つきの老執事が立っており、冷徹な声でこう告げたのだ。
「アレン、お前の一ヶ月間の真面目な働きぶり、しかと見届けさせてもらった。――明日、当主様、そして我がリゼット侯爵家の長女様にお前を直接引き合わせる。くれぐれも失礼のないよう、身なりを整えて準備しておけ」
(……あーあ、やっぱり面倒なことになってきたな)
心の中で盛大にため息をつきつつも、せっかく手に入れた極上の食事と最高の寝床を今さら失うわけにはいかないアレンは、しぶしぶその指示に従うことにしたのだった。
【お嬢様との対面】
翌日。
磨き上げられた大理石の床と、天井に輝く巨大なシャンデリアが眩しい大広間の中央で、アレンは緊張した面持ち(を完璧に装いながら)で背筋を伸ばして直立していた。
彼の目の前、豪華な意匠が施された革張りの椅子には、格式高い上質なドレスに身を包んだ、気品あふれる息をのむほど美しい少女が優雅に座っている。彼女こそが、このリゼット侯爵家の長女であった。
(ふむ……いかにも箱入りで高貴なお嬢様って感じだな。ここで余計な印象を残さず、機嫌を損ねないように無難な挨拶でやり過ごすとしよう)
アレンは静かに一歩前に踏み出し、昨夜執事から教え込まれた通りの洗練された美しい所作で、深々と優雅に一礼してみせた。
「はじめまして。アレンと申します。平民の出ではございますが、基本的なマナーなどは一通り勉強しておりますので、どうぞご安心ください」
静まり返った豪奢な大広間に、アレンの落ち着いた通る声が静かに響き渡る。
完璧な挨拶と所作。しかし、その言葉を聞き、アレンの顔を見上げた瞬間、お嬢様は驚いたようにその大きな目を見開き、ハッと息を呑んだのだった。
【思わぬ辞令と絶望】
「――さて、今回お前を召し抱えた募集の理由は、至極単純明快であった」
挨拶が終わるや否や、執事の口から告げられた真実は、アレンにとってまさに青天の霹靂と言えるものだった。
なんと、この侯爵家のお嬢様、ローゼ・フォン・リゼット が名門「白亜宮廷魔術学園」に入学することが正式に決まり、そのための諸準備がすべて整ったというのだ。
本来であれば春の新学期からの入学が通例であったが、護衛の選定が大幅に遅れたという切実な事情があった。そのため、侯爵家は学園側と慎重に調整を行い、やむなく期分け制度を利用した「後期入学」という特例措置をとるに至ったらしい。あの大規模な武闘大会や庭師としての選考試験は、すべてこの入学のタイミングに合わせるための急務だったのだ。
そして、不気味な笑みを浮かべた執事からアレンに直接下された命は――
「お前を我が家の専属執事兼、お嬢様の護衛として任ずる。共に学園都市まで同行し、その身を不測の事態から完全に護るべし」というあまりにも非情なものであった。
(は……? 学園の護衛兼執事だと……!?)
アレンの脳裏に、これまでの穏やかで素晴らしい平穏な日々が走馬灯のように駆け巡る。
朝起きて適当に庭木の剪定や草むしりをこなし、シェフが作る極上のまかないを味わい、夕方には仕事が終わってぐっすり眠るという完璧なスローライフ。それが一転、これから彼を待ち受けているのは、権謀術数や貴族たちの意地が複雑に渦巻く名門魔術学園での激務、お嬢様のわがままへの対応、そして次々と舞い込むであろう厄介ごとからの護衛という「最高に面倒くさい日常」ではないか。
「あ、あの……大変恐縮なのですが、お断りしてもよろしいでしょうか。僕、どちらかといえば庭で雑草を抜いている方が適正があると思うのですが……」
「何をバカなことを言っている。お前の一ヶ月間の完璧な働きぶり、そして武闘大会で見せたあの底知れぬ圧倒的な実力を見込んでの抜擢だ。辞退など金輪際認めん」
執事の冷徹で容赦のない一言によって、アレンのささやかな抵抗はあっさりと木の葉のようにかき消されてしまった。
美味しい食事と温かい居場所を維持するためには、このあまりにも面倒な「お嬢様の護衛兼執事」という大役を受け入れるほかない。アレンの波乱に満ちた(そして脱力感に溢れた)学園生活へのカウントダウンが、こうして刻一刻と始まりつつあったのである。




