86話:まさかの決勝、そして失態
「メシを食う……絶対に夕食を食い損ねるわけにはいかない……!」
執念の炎を胸中で猛烈に燃やしたアレンの勢いは、もう誰にも止められなかった。
二回戦の俊敏な槍使いも、三回戦の変幻自在な二刀流の剣士も、準決勝の重厚な魔法戦士すらも、彼は相変わらず足元で拾った適当な木剣一本と、流れるようなカウンターの足払いだけで完封し続けたのだった。
相手がどんなに華麗で強力な大技や魔力を纏わせた斬撃を繰り出そうとも、アレンは紙一重の差で余裕をもってかわし、つんのめった背中をトンと軽く後押しするか、足元にすっと足を差し出すだけ。その光景はまるで、熟練の達人が幼子と無邪気に戯れているかのような、圧倒的で絶望的な実力差を感じさせるものだった。観客席からは一戦ごとに地鳴りのような驚嘆の歓声が巻き起こり、実況のアナウンスも興奮のあまり喉を枯らして叫び続けている。対戦相手たちは、何が起きたのか理解できないまま地面に伏し、アレンの異常な強さにただただ呆然とするばかりであった。
気付けば、会場を揺るがす大歓声と周囲の興奮したどよめきを背に、アレンは決勝戦の舞台となる中央リングへと脚を踏み入れていた。
「いよいよ本日最大の山場、武闘大会決勝戦だ――っ!」
「見事この激闘を制した優勝者には、本大会の主催者であるリゼット侯爵家への優先仕官権、そして莫大な金額の褒賞金と、栄誉ある長女様の近衛の地位が約束される!」
実況の熱狂的なアナウンスが広大な場内に響き渡り、観客席からは地鳴りのような大歓声と拍手が沸き起こる。周囲の熱気は最高潮に達していた。
しかし、リングの中央にポツンと立つアレンの顔は、みるみるうちに血の気が引き、土気色に青ざめていた。
(……待て待て待て、やばい。このまま勝ったら本当に優勝しちまうぞ……!?)
当初の目的は「負けたら飯抜きで即刻路上に追い出される」という脱落者即飢餓状態のデスルールを回避し、今日の夕食と温かいベッドを確保することだった。
侯爵家に正式に仕官するなど、面倒な雑務や厳格な貴族の規律、政治的なドロドロとした権力闘争に巻き込まれる未来しか見えない。日々のんびりと平穏に暮らしたいアレンにとって、近衛への抜擢など最大級の罰ゲームであり、災難以外の何物でもなかったのだ。
「あ、あの! すみません! やっぱり僕、持病の激しい腰痛が急に再発したんで……棄権します! 降参です、参りましたー!」
アレンは青ざめた顔で観客席や審判に向かって大声で手を振り、必死のギブアップ宣言を試みた。しかし、時すでに遅し。
「ハハハ! なんと奥ゆかしく爽やかな若者だ! 圧倒的な勝利を目前にしても決して奢らぬその謙遜の心、実に見事だぞ!」
司会者の威勢の良い声がアレンの悲痛な叫びを完全に押し流し、客席からは「おおーっ!」「素晴らしい男だ!」「謙虚な英雄だ!」と割れんばかりの拍手喝采が巻き起こる。抗議の声を上げる隙すら与えられず、アレンは興奮した審判たちによって強引に表彰台の頂点へと押し出されてしまったのだった。観客たちの惜しみない喝采と歓声を受けながら、アレンは心の中で盛大に涙を流し、己の軽率な行動を深く後悔していたのだった。
【素性を確かめる庭師の試験】
「――というわけで、優勝者には早速面談を受けてもらう」
熱狂の表彰式が終わり、気がつけばアレンはきらびやかな貴族の豪華な応接室……ではなく、なぜか広大で緑豊かな侯爵邸の中庭のど真ん中に立たされていた。
澄み渡る秋晴れの青空の下、目の前には眉間に深いシワを寄せた厳格そうな老執事と、使い込まれたスコップを手にして不敵に笑う頑固そうな老庭師が控えている。あまりに想定外のロケーションに、アレンは目をパチクリとさせた。
「君、名前はアレン=ノアと言ったね。……しかし、先ほどの戦いぶりを見せてもらったが、君の素性が全く読めん」
執事が冷徹な眼光でアレンを射抜くように告げる。その鋭い視線は、まるで獲物の価値を細かく査定する猛禽類のようだった。
「いくらAランク冒険者とはいえ、適当な木剣一本で名のある戦士たちをあのようにあしらうなど、只者ではない。我が侯爵家に仕える者として、正体や底の知れぬ者をいきなり屋敷や、命に代えてもお守りすべきお嬢様のお側に入れるわけにはいかないのだ」
「はあ、ごもっともです。僕自身も心からそう思います。ですので、僕みたいな怪しい奴は不採用ということで、約束の豪華な夕飯だけいただいて即刻帰らせていただければ……」
「ゆえに!」
アレンの必死の辞退の言葉をバッサリと遮り、執事は胸を張って朗々と宣告した。
「君の人間性と『底』を見極めるため、まずは一ヶ月間、我が邸宅の庭仕事を手伝ってもらう! 庭師としての真面目な仕事ぶりと、その手際の良さから君の根性を見極めさせてもらうぞ」
「……はい? 庭仕事、ですか?」
アレンの手には、ズシリと重い巨大な剪定ばさみとスコップが無理やり握らされた。
隣に立つ老庭師は、「へっ、お前みたいな若い冒険者に職人の庭仕事が勤まるかな」と言わんばかりのニヤリとした挑戦的な笑みを浮かべている。
負けたら即飯抜きで路上に放り出され、勝ったら勝ったで棄権すら許されず、なぜか侯爵家の広大な庭木の手入れをさせられることになったアレン。
(まあ、面倒な護衛任務や貴族のドロドロしたお付き合いよりは、庭仕事の方があれこれ考えずに済んで平和だしな……美味しいまかないもしっかり出そうだし)
そう無理やり自分に言い聞かせながら、平穏を愛する男の波乱に満ちた(しかしどこか脱力した)新生活が、こうして幕を開けたのだった。どんな困難が待ち受けていようとも、まずは目の前に広がる広大な庭の草むしりから始めるアレンであった。




