82話:『校長室の報告と、尾ひれがついた伝説』
全四校に及ぶ怒濤の他校視察を終え、王都の『中央第一魔法学園』へと帰還したアレン。
(ふぅ……途中で色々と大変なこともあったけれど、無事に全校を巡り切ることができたぞ。大急ぎで報告書をまとめて……)
ホッと胸を撫で下ろしながら校門をくぐったアレンを待っていたのは、生徒会室の仲間たち——ではなく、学園の最高責任者である校長からの「至急、理事長室へお越しいただきたい」という呼び出しであった。
重厚な校長室の扉を叩き、中へと足を踏み入れる。
執務机の奥に座る校長は、額に青筋を浮かべ、頭を抱えながら大量の書簡と対峙していた。
「……おお、理事長。お戻りになられましたか。まずは無事のご帰還、誠にお疲れ様でございます」
「はい、校長先生。各校の視察メモをまとめてまいりました。正式な報告書はこれから作成いたします」
真面目に羊皮紙の束を提示するアレンに対し、校長は深々とため息をつくと、デスクの上に並べられた各校からの「緊急報告書」と「感謝状」を指し示した。
「……うむ、報告書はありがたいのですがね。すでに理事長が訪れた各校から、凄まじい内容の連絡が王都へ届いております。……一体、各地で何をしてこられたのですか?」
「えっ? 何って……各校の優れた点や改善点を観察し、少し手本をお見せしてきただけですが……」
アレンは首をかしげた。
しかし、校長が読み上げる「各校から王都に広まりつつある噂と評価」は、アレンの意図とは完全に乖離した、恐ろしい内容に変貌していたのである。
「まず、『ヴェルタリア騎士養成高等学院』でございます。あそこは武闘派の聖地だったはずなのですが……理事長の視察後、彼らの間で当校の評価がこう変わりました。『中央第一には体術だけでもやばい上、剣を握らせたらなんでも切っちまう化け物の集まりがいる』と。バルガス君をはじめとする猛者たちが、戦う前から完全に戦意を喪失しておられます」
「ええっ!? ただ手首を流して、危ないから真剣を細かく突いただけですよ!?」
「次に、『聖シルフィア女子精霊学院』でございます。男子禁制の園に理事長が足を踏み入れられた結果、あそこは今、『精霊の王子様がいる学園』として国中の女生徒たちの間で大騒ぎになっております。理事長を拝むための聖地巡礼の申請が、当校に殺到していて対応しきれません」
「そんなの俺のせいじゃありません! 精霊たちが勝手に集まってきただけで……!」
「さらに、『聖ゼノビア対魔闘技高等専門校』でございます。理事長が書き残されたメモについて『伝統の家宝として永久保存する』と連絡がございました。そしてあそこでは今、『中央第一の魔術はやばい。初見以外には対応され、一度技を見られたら即座に対処されてしまうレベルの化け物がごろごろいる』と恐れられております」
「ごろごろっていませんよ! 俺はただ術式の結び目を解いて見せただけで——」
「最後に、『地方連携・男爵領立アカデミー』でございます。理事長が脱力と力ずくの手本を見せられた結果、あのアカデミーの基準が崩壊いたしました。『あの学園の生徒は、素手で岩を割るのは効率が悪く落第生らしい』という凄まじい誤解が地方全体に広まり、生徒たちが血反吐を吐きながら岩を素手で叩き割る訓練に励んでいるそうです」
「落第生!? 俺、そんなこと一言も言ってませんよ!!」
頭を抱えて叫ぶアレンに、校長は遠い目をしながら告げた。
「……理事長。理事長が真面目に視察を行われたことは重々承知しております。承知しているのですが……理事長の『普通』が、各地に壊滅的な伝説を残してしまったのです。全校対抗トーナメントを前に、他校はすでに我が学園に対して恐怖と戦慄しか抱いておりませんよ」
(そんな……! 俺はただ、平和に視察をして、美味しいものを食べて、報告書を書こうとしていただけなのに……!!)
校長室を後にしたアレンは、あまりに重すぎる手ごたえ(と勘違いの嵐)にガックリと肩を落とした。
だが、悲劇はこれで終わらなかった。
生徒会室の扉を開けると、そこには各地から届いた「アレン様へのファンレター&弟子入り志願書」の山を前に、般若のような笑顔を浮かべたヴィクトリアとシャルロットが待っていたのである。
アレンの「平和な学園生活」への道のりは、まだまだ遠そうであった。
◇
【姉の苦情と、妹の暴走】
校長室からの帰り道、すっかり落ち込んだ足取りで生徒会室の扉を開けたアレンを待っていたのは、デスクの前に腕を組んで立ちはだかるヴィクトリアだった。
いつもなら優雅で余裕のある笑みをたたえている彼女だが、今日ばかりは額にぴくぴくと青筋を立て、あからさまにイライラとしたオーラを全身から放ちまくっている。
「……おかえりなさい、アレン。校長先生から色々と『ありがたいお話』を聞いてこられたのかしら?」
「うっ……ヴィクトリア。いや、あの、俺は本当に真面目に視察をしてきただけで……」
アレンが後ずさりしながら弁明しようとすると、ヴィクトリアはハァと深いため息をつき、一通の優美な装飾が施された封筒をアレンの目の前に突きつけた。
「あなたの『真面目な視察』のせいで、我がグランヴェル家が今どうなっているか分かって? ……特に、妹の暴走がもう手がつけられない状態なのよ!」
「えっ……エレノアさんが?」
ヴェルタリア騎士養成高等学院の食堂で、ステーキ丼を食べていたアレンに勝負を挑んできたあの少女のことだ。転びそうになったところを咄嗟に支えて逃げてきた記憶がアレンの脳裏によみがえる。
「あの子、ヴェルタリアから帰ってくるなり『お姉様! 私、運命の人に出会ってしまいましたわ!』なんて叫びながら屋敷に飛び込んできたのよ。それ以来、家じゅうが大騒ぎよ!」
ヴィクトリアは眉間を押さえながら、頭痛に耐えるように言葉を続けた。
「『今すぐ中央第一魔法学園に編入させなさい!』『お姉様、アレン様へのこの愛の手紙を今すぐ渡してきて!』……挙句の果てには『お姉様、どうせアレン様とまだ恋人繋ぎすらしていないんでしょう? なら私にその彼氏を譲りなさいよ!』なんて生意気なことを言い出す始末なのよ!?」
「か、彼氏って……俺たち付き合ってすら……」
「黙りなさい!」
ヴィクトリアの鋭い一閃に、アレンは思わず口を噤んだ。
「だいたい、あなたが食堂で無駄に格好よくあの子を受け止めたり、魔力流を指先ひとつで固定なんてするからでしょう! グランヴェル家の人間は直感力と勘違いの速度が異常なのを知っているでしょうに!」
(いや、それを俺に言われても……! 転びそうだったから助けただけだし、だいたいヴィクトリアも似たようなものじゃ……)
もちろん、そんな心の声を口に出せるはずもない。
隣で話を聞いていたシャルロットは、扇子で口元を隠しながらフフッと愉しそうに笑っている。
「あらあら、ヴィクトリア様。ご妹君にアレン様を横取りされてしまいそうですわね? 妹さんに『お譲り』になられたらどうですの?」
「余計なお世話よ、シャルロット! あの子にアレンを渡すくらいなら、私が今すぐこの手で——」
「ちょっと待って! 話がどんどん物騒な方向に進んでるから!」
二人の間に割って入り、慌てて手を出して制止するアレン。
「とにかく! 視察報告書の作成は手伝ってあげるけれど、エレノアからの大量の手紙と編入申請書の処理は、あなたが責任を持ってなんとかしなさいよね!」
ドサッとデスクの上に投げ置かれたのは、ピンク色の可愛らしい(そして怨念のような熱量が込められた)手紙の束だった。
(避難先を探して旅に出たはずなのに、なんで前より被害が拡大してるんだ……!?)
アレンは頭を抱え、遠い目をしながら、山積みの手紙と報告書の山に向き直るのだった。
「ローゼンベルク公爵家の力で何とか、ならないかシャル?」
「あら、アレン様ったら。ついにわたくしの実家、ローゼンベルク公爵家の権力をお頼りになりますの?」
扇子で口元を隠し、シャルロットは待ってましたとばかりに妖艶な笑みを深めた。
「ええ、もちろん可能ですわよ? ローゼンベルク家の影の総力を結集すれば、エレノア様の編入願を『誤ってシュレッダーに巻き込まれた』ことにするのも、各校からの合宿申請を『王都の魔導結界の定期メンテナンス(※架空)』を理由に一年延期させることだって、造作もないことですわ」
「本当かシャル!? 頼む、今すぐその権力を——」
すがりつこうとしたアレンの前に、シャルロットは白く細やかな人差し指をすっと立てて制した。
「ですがアレン様。公爵家の『力』を動かすとなれば、それ相応の対価をいただかなくては筋が通りませんでしょう?」
「た、対価……? 報告書なら俺が全部書くから!」
「ふふ、そんな可愛いものではありませんわ。……わたくしが欲しいのは、アレン様ご自身からの『特別な誠意』です」
シャルロットはアレンとの距離をすっと詰め、その耳元に甘い吐息を吹きかけるように囁いた。
「この件を無事に揉み消して差し上げたら……次の休日、わたくしと二人きりでローゼンベルク家の別邸にて、一泊二日の『お礼のお茶会』にお付き合いいただきますわ。当然、他の誰も立ち入れない、二人だけの秘密の時間ですけれど?」
「っ……!? 一泊二日!?」
「嫌なら結構ですわよ? 今すぐエレノア様がこの生徒会室になだれ込んで、ヴィクトリア様と血みどろの『アレン様争奪戦』を繰り広げるのを、特等席で見物させていただくだけですので」
「シャルロット、貴女……私に黙って公爵家の力でアレンを囲い込もうなんて、いい度胸じゃない」
背後から立ち昇る、絶対零度の殺気。
振り返ると、ヴィクトリアが完璧な笑みを浮かべつつ、手元のペンをバキリと音を立てて真っ二つに折っていた。
「あら、ヴィクトリア様。アレン様のご負担を減らすための『公爵家の正当な外交手腕』ですわ。文句がおありなら、グランヴェル家でも同じように揉み消してみせてはいかが?」
「いいわね。ならグランヴェル家の権力でエレノアを実家に監禁しつつ、ついでにシャルロット、あなたのお茶会計画も『国家安全保障上の理由』で差し止めにして差し上げますわ!」
「まあ! やれるものならやってごらんなさい!」
「あわわわ……アレン様、二人の魔力が激突して生徒会室の壁に亀裂が……!」
膝をガクガクさせながらアレンの服の裾を掴むニーナ。
(ローゼンベルク公爵家の力で解決するどころか、さらに巨大な国際問題レベルの修羅場に発展しそうなんだけど……!?)
「あの……やっぱり公爵家の力は大丈夫です! 自力で報告書、書きますから、二人とも落ち着いてぇぇぇっ!!」
アレンの悲痛な叫びも虚しく、生徒会室は今日も今日とて、世界平和とは程遠い狂熱に包まれていくのだった。




