80話:聖ゼノビア対魔闘技高等専門校『対魔の極致と解かれた魔法』
古びた石造りの重厚な門をくぐった先に広がるのは、他校のような華やかさとは一線を画す、無骨で張り詰めた空気だった。
「……以上が、我が『聖ゼノビア対魔闘技高等専門校』の特別訓練場の概要となります、アレン殿」
広大な全天候型室内訓練場を見下ろす観覧席の最前列。アレンのすぐ隣では、案内役を務めるゼノビア校の生徒会長が、誇らしげに胸を張りながら語っていた。
ゼノビア校は、対魔法戦闘および魔力遮断・相殺技術に特化した伝統ある専門アカデミーである。ここに通う生徒や教官たちは皆、一般的な魔法使いのような流麗な法衣ではなく、魔力を削ぐ特注の革鎧や金属補強の装備を身に纏い、実戦さながらの厳しい鍛錬に明け暮れていた。
(よし……ヴィクトリアやシャルロットたちには学園に残ってもらい、視察の事前書類や事務作業の取りまとめを頼んである。あいつらに任せておけば安心だ。相手校の生徒会長の案内もちゃんと受けているし、俺も視察担当として中途半端な仕事はできない。)
アレンは手元の厚い羊皮紙に目を落とし、静かに思考を走らせた。
王都の学園代表として派遣されている以上、相手校の指導方針や技術的価値を正確に記録し、正当に評価することが自分の役割だ。アレンは一切の油断なく、真剣な眼差しで眼下の訓練風景を見つめていた。
訓練場の中央では、ゼノビア校の精鋭とされる上級生徒と、実技指導を担当する大型の教官による激しい模擬戦が行われていた。
「甘いぞ! その程度の『魔力散らし』で、上位陣の防壁が破れると思っているのか!」
「くっ……! ならば、出力を上げて叩き割るまでです!」
生徒が両手に構えた大剣に限界まで強固な魔力を纏わせ、地を蹴る。地響きと共に跳躍し、教官の目前へと肉薄した生徒は、その渾身の力で肉厚な魔法障壁へ刃を叩きつけた。
ズドォンッ……!!
強烈な金属音と爆発的な魔力の余波が訓練場全体に吹き荒れる。しかし、教官の障壁はビクともしない。それどころか、叩きつけられた魔力と同等以上の高密度な魔力が障壁から一気に逆流し、生徒の体を強烈に弾き飛ばした。
「ぐはっ……!?」
「ふむ……当校の対魔術は、相手の魔力と同等以上のエネルギーをぶつけることで『相殺』することを基本としております。力と力のぶつかり合いですが、これこそが我が校の誇る最も確実な魔法封じなのです」
隣のゼノビア校生徒会長が、胸をたたきながら説明を添える。彼らの表情には、自校が築き上げてきた歴史と、圧倒的な防衛技術に対する絶対の自信が満ち溢れていた。
アレンは頷きながら、観察した内容と自身の考察を羊皮紙へ記録していく。ただ、アレンは「なるほど」と頷きつつも、内心では(すごく効率が悪そうだなぁ……)と感じていた。
相手の魔力を正面から受け止め、それ以上の魔力をぶつけて相殺する手法は、確かに概念としては分かりやすく確実に見える。しかし、それは圧倒的な魔力量を持つ者だけに許された強者の理論であり、一回の防御における魔力消費量が異常なまでに大きい。どれほど鍛錬を積んだ猛者であっても、実戦で数回この相殺を行えば、あっという間に魔力切れを起こしてしまうだろう。
『対魔相殺の手法としては完成度が高いが、魔力の消費効率に著しい課題あり。魔法障壁の術式も織物と同じであり、力で破るのではなく、構成する術式の「結び目」に少量の魔力を介入させて解く方が、はるかに少ない負荷で無力化が可能と思われる』
アレンにとっては、目の前の訓練を見て気づいた純粋な観察記録であり、改善点についての素朴なメモのつもりだった。自らの卓越した魔力操作技術を前提とした考察であることなど、本人には一切の自覚がない。
その時だった。
「たた、大変です! 障壁の反発で魔力が乱反射しました!」
訓練場の中央から、切迫した教官の叫び声が響いた。
先ほど弾き飛ばされた生徒の過剰な魔力と、教官が相殺のために展開した高密度の魔力が不完全な形で衝突し、制御を失って巨大な高圧の魔力塊へと変化してしまったのだ。暴走した衝撃波は凄まじい旋風を巻き起こしながら、軸を大きく外れ、アレンたちのいる観覧席へ一直線に飛来した。
「しまっ……! アレン殿、危ない!!」
隣のゼノビア校生徒会長が顔色を変え、アレンを庇おうと身を乗り出す。
しかし、アレンは顔すら上げなかった。
視線を手元の羊皮紙に向けたまま、アレンは咄嗟に、持っていたペンの先を迫り来る魔力の塊へと向け、人差し指をクイッと持ち上げて魔力を解体し、吸い込んでしまった。
(また余計な魔力を吸い込んでしまったな。少し吐き出すか。)
スッ……。
発音も、打撃音も、衝撃波すらも起きなかった。
観覧席をまるごと呑み込むはずだった猛烈な勢いの魔力の塊は、アレンの指先が一動した瞬間、つなぎ目を失った砂の城のようにふわりと霧散し、ただの心地よいそよ風となって周囲を吹き抜けて消え去った。
「「「…………え?」」」
訓練場全体が、まるで時間が凍りついたかのように静まり返った。
隣でアレンを庇おうとして必死に手を伸ばしていたゼノビア校生徒会長も、訓練場で武器を構えていた生徒たちも、指導教官も、全員が目を見開いたままアレンを凝視している。
「あ、アレン殿……今、何を……? 障壁で防いだのではなく……魔力そのものを『解体』されたのですか……!?」
声を震わせる生徒会長に対し、アレンはペンを握り直すと、至極当然といった様子で首を傾げた。
「あ、はい。力で相殺しようとすると危険ですし、周囲にも迷惑がかかりますから。魔素の流れを見て、構成を少し解いたんです」
「構成を……解いた……!?」
アレンが平然と答えると、ゼノビア校生徒会長の視線が、アレンの手元にある羊皮紙——そこにびっしりと記された詳細な分析メモへと注がれた。吸い寄せられるようにその羊皮紙を覗き込んだ生徒会長の眼球が、驚愕のあまり大きく見開かれる。
「こ、これは……!? 我々が長年行ってきた相殺術の構造分析と、術式そのものを最小限の負荷で無力化するための解体理論……! 我々が何世代にもわたって研究し、いまだ到達できていなかった『対魔の極致』の答えが、すべてここに書かれている……!?」
生徒会長の手がワナワナと激しく震える。
アレンが視察のわずかな時間の中で見抜き、手記として書き残した内容は、ゼノビア校の数千年に及ぶ歴史と常識を根底から覆すほどの世紀の大発見だったのだ。
静寂は一瞬で打ち砕かれ、訓練場は割れんばかりの歓声と熱狂に包まれた。
先ほどまで模擬戦を行っていた生徒も教官も、目を輝かせながら観覧席のアレンのもとへ雪崩のように一斉に駆け寄ってくる。
「アレン師範! ぜひ我が校の特別講義をお願いします!」
「このメモを、我が校の至宝として永久保存させてください!!」
「一目見ただけで我々の限界を見抜き、指先一つで無力化してみせるなど……!!」
熱意あふれる指導要請と弟子入り志願の嵐に、アレンは完全にタジタジになった。自分としては真面目に報告書の下書きをしていただけなのに、なぜこれほど興奮されているのか理解が追いつかない。しかし、純粋な瞳で教えを請う彼らの熱意を突っぱねることも、アレンの性格上できなかった。
「仕方ありませんね。視察を受けていただいたお礼に、少し所感をお教えいたしましょう」
アレンはため息を呑み込み、観覧席から降りて訓練場の中央へと一歩を踏み出した。その立ち姿一つ取っても無駄な隙がなく、ただそこに立っているだけで周囲の空気がピンと張り詰める。
「先ほどの防衛陣を、このように展開します。……では、先ほどの方、遠慮なく打ち込んでみてください。これをこのように圧縮し、小楯ほどにしてください。慣れた方はもっと小さくする方が効率がいいですよ。はい、どうぞ」
アレンの手元に、ごくごく僅かな魔力によって生み出された手のひらサイズの小さな光の盾が形成される。
アレンに促され、先ほどの精鋭生徒は戸惑いながらも、大剣に全魔力を注ぎ込んで撃ち込んだ。
ドゴォン!!
猛烈な一撃がアレンの掌上の小楯へと叩きつけられる。しかし、打ち込まれてもアレンは動じることなく、素早く小楯で防ぐ。素早い腕だけの最小限の防御でありながら、アレンは直立不動のままで上半身すら微動だにしない。生徒の威力を一点で受け止め、そのまま綺麗に側方へと受け流してしまったのだ。大剣の勢いを殺された生徒は、己の威力を殺しきれずに前へとつんのめり、呆然と立ち尽くす。
「魔法の場合、このメモの通りこうです」
さらに、それを見かねた教官が放った本格的な攻撃魔法に対しても、アレンは直立不動のまま佇んでいた。迫り来る苛烈な火炎の束に対し、アレンが指先をわずかに滑らせると、魔法はその瞬間に構造を失い、心地よいそよ風へと変わって訓練場の空間へと消えてしまった。
周囲が完全に固まった。
だれひとりとして言葉を発することができず、ただ眼前に突きつけられた次元の違う光景を前に、呼吸することすら忘れて固まっていた。
これがあの学園の生徒会長の実力……。自分たちが血のにじむような努力と年月を積み重ねて研鑽してきた対魔術を、一目見ただけで完璧に対処し、あまつさえ見本として次元の違う領域で見せつけられてしまったのだ。
どれほど厳しい訓練を積もうとも、どれほど魔力を高めようとも、この青年の領域には届かない。自分たちが「極致」と信じて疑わなかった相殺理論が、彼の前ではただの手習いに過ぎなかったのだという圧倒的な事実が、訓練場にいた全員の心に深く刻み込まれた。
(しまった……真面目に視察メモをまとめていただけなのに、大ごとになっちゃった……!)
あまりの静寂ののち、地鳴りのような歓声と崇拝の叫びが訓練場を包み込み始めた。アレンは内心で激しく青ざめながら、手元の記録用の鞄を急いで抱え直した。このままこの場に留まれば、質問攻めと弟子入り志願で今日中にここを出ることなど不可能になってしまう。
アレンは熱狂する猛者たちに向かって丁寧におじぎをした。
「あの、素晴らしい訓練を見せていただきありがとうございました! メモはお譲りしますので、本日の正式な視察報告書は後ほどお送りします!」
ゼノビア校生徒会長に丁寧にお礼を言うと、アレンは圧倒的な熱量から逃れるように、身を翻して大急ぎで校門へ向かって走り出したのだった。背後から聞こえる「アレン師範!」「お待ちください!!」という叫び声を背に受けながら。




