第61章:勘違いの飽和点
カチャカチャと賑やかな音が響く酒場の扉を開けると、肉の焼ける香ばしい匂いと共に、見知った顔が視界に飛び込んできた。
「あ、アレンさん!……って、ええっ!? その隣の女の子は誰ですか!?」
真っ先に声を上げて立ち上がったのはミアだった。その横には、なぜか空の小瓶を握りしめて虚空を睨んでいた鍛冶屋の親父も座っている。二人の視線が、アレンのコートの裾を必死に掴んでいるエルエルに集中した。
「……知り合いか? アレン。お前、そんな年端もいかない娘を泣かせて連れ回す趣味があったのか」
カウンターの奥からボア肉を切り分けていた酒場の親っさんまでが、ゴミを見るような目で此方を見てくる。
「違う。これはその、俺の……」
弁明しようとしたアレンの言葉を遮り、エルエルがふんぞり返って胸を張った。
「フフン、怪しい者じゃないわよ! 私はアレンの『上』に立つ者、言わば彼の『すべてを管理する運命のパートナー』よ! 今日という今日は、こいつにうんと言わせる(これまでの労働の対価支払わせる)ために実家(天界)から来たんだから!」
ドヤ顔で言い放たれた「運命の人」「返事を待ってる」「実家を出てきた」という言葉(勘違い)の羅列に、ミアの顔が急速に青ざめていく。
「すべてを管理する、運命の人……。まさか、アレンさんがいつもブツブツ言っているあの奇妙な言葉や、変な行動って、この人のため……!?」
ミアの脳内で「少女との関係を歪めるアレン」と「自分に告白した」三角関係の構図が完璧に出来上がっていく。
「いや、ミア、それはなんか違くないか――?」
「違わないわよ! あなたが昨日、私の許可(認可プロセス)もなしに勝手に(巨岩をすり抜けた)せいで、もう後戻りできないところまで来ちゃったんだからね!」
(実家の親(上層部)にどれだけ怒られたと思ってるの!?)
エルエルは距離を詰め、アレンの胸ぐらを両手で掴んでグイグイと詰め寄る。その必死な顔には「既成事実を作って逃げ場をなくそうとする本気の女」にしか見えなかった。
「あ、アレンさんが、実家の親御さんにまで挨拶を済ませるほどの深い関係……。しかも、許可なくって、それは一体どこの一線を越えたんですか……!?」
ミアはショックのあまりガタガタと震え、手にしたスプーンを落とした。
「おい、アレン。お前、いつの間にそんな大人の階段を音速で駆け上がってたんだ……。男として、落とし前はきっちりつけろよ」
親っさんがボア肉を包丁で叩きつけながら、ドスの利いた声で追及してくる。
「……待て。みんな落ち着いてくれ。まず言語の定義から整理しよう」
アレンは冷汗を覚えつつも、脳内の思考をフル稼働させて誤解の収束を図ろうとした。
「エルエルが言っている『すり抜けた』とは、一般相対性理論に基づく局所的ワームホール、つまりアインシュタイン・ローゼン橋を形成して空間幾何学的な経路をショートカットした物理現象のことであって、倫理的な一線を越えたという意味では――」
「ほら、またそうやって難しい言葉で煙に巻いて誤魔化そうとする! いつも勝手に時空間を私物化して、私のキャパシティを限界突破させておいて、いざとなったら理論で逃げるなんて最低男よ!」
「ちょ、エルエル、主語と文脈を正確に繋げろ。周りの人間の認知の歪みが飽和している」
「うるさいわね! とにかく私を満足(お腹いっぱい)にさせるまで、絶対に実家(天界)には帰らないんだから!」
腰に手を当てて言い放つエルエル。その横では、鍛冶屋の親父がエルエルの髪から漂う微かな熱の残滓を凝視し、「……あの熱量。間違えねぇ、あのお嬢ちゃんは鋼の組織を鍛造できる、白い粉の『精錬聖女』だ……!」と、これまた完全に別方向の狂気へ走り始めていた。
(……ダメだ。この空間の全観測者の脳内エントロピーが増大しすぎて、対話によるバグ修正は不可能(フリーズ状態)に近い)
アレンは諦めてため息をつき、カウンターへ銀貨を滑らせた。
「親っさん、特上ボアステーキを二つ、それと冷えたエールを。これ以上話すと世界の秩序より先に俺の胃壁が破れる」
「へいへい、修羅場特注ステーキ一丁。しっかり責任とって食わせなよ」
天界の管理端末室では、ルカが「あ、先輩が自爆発言を連発したせいで、現地の人間関係のフラグが回復不能なレベルでバグってます……」と虚無の表情で画面を見つめていたが、エルエルは運ばれてきたエールのジョッキを奪い取り、「ぷはーっ! これよこれ!」と、自らが引き起こした人間関係の崩壊をすべてゴミ箱へドラッグ&ドロップしていた。




