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小説の先にある世界  作者: 藤咲玲


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7話 オルフェリアへの道

 アレンの愛剣は、先日の坑道におけるコボルトとの死闘によって刃がボロボロに欠け、すでに実戦では使い物にならなくなっていた。


 あの閉ざされた坑道での泥臭い戦いを通じて、アレンは己の致命的な未熟さを痛いほど痛感させられていた。自分の攻撃は狙った急所に確実に当たらないし、剣を振るった後はその勢いに任せるだけで、次の動作へ移行する余裕なんて微塵もなかったのだ。


(俺には、まともな剣術の基礎が根本から欠けている。だからこそ、力任せではなく冷静な知識や計算でそれを補う必要があるんじゃないか? ……それに、当座を凌ぐための新しい武器も絶対に必要だ)


 アレンはこれまでの任務で稼ぎ出した全財産である銀貨15枚と銅貨40枚をしっかりと握りしめ、街の一角にある古びた武具店へと足を向けた。


 だが、店内に所狭しと並ぶ新古の剣は、どれもこれもアレンの手にしっくりと馴染まないものばかりだった。全体的に重心が偏っていて扱いにくく、まるでただの鉄の棒を無理やり振り回しているような不快な違和感があった。


(……どれが自分にとって最適な道具なのか、全く分からないな)


「おっちゃん。安くて扱いやすい剣はないかな?」


「はん! そんな虫のいい代物が安くで転がってたら、俺たち鍛冶屋はとうに商売上がったりだぁ。どうしても安いのが欲しけりゃ……そこの端にある樽の中の奴ぁ、どれでも一律で銀貨1枚でいいぞ」


 店主は無造作に顎をしゃくって、店内の片隅にある無数の武器が無造作に突っ込まれた樽を指し示した。


「ちなみに、その隣の樽にある奴は駄目だ。ヒビ割れや刃こぼれが酷くて、全部廃棄処分にするか溶かして再生材にする代物だからな。今こっちの樽に指した奴は、これ以上研ぎ直しができねぇくらい刃が減っちまったやつか、あるいは錆がヒデェやつだ。……まぁ、根気よく錆さえ綺麗に落とせば、まだ何とか実用として使えるかも知んねぇがな」


 見た目はぶっきらぼうだが、店主は案外と親切に内情を教えてくれた。


 アレンはその店主のアドバイスと自身の直感を頼りにしながら、樽の一番隅っこに埋もれていた、余計な装飾の一切ない極めて簡素な鉄の剣をそっと手に取った。


 無骨なつくりではあったが、不思議と全体の重心のバランスが絶妙に整っている気がした。少なくとも、あの廃坑で戦ったときに感じた「重すぎて扱いにくい」というストレスはほとんどなさそうだった。


「これにする。銀貨1枚でいいんだな?」


 アレンがそう店主に確認を取ろうとしたその時、すぐ隣で品定めをしていた客の一人が、呆れたような、どこか見透かしたような声をふと挟んできた。


「それ、鋼自体の質は悪くないけれど、柄の木部が湿気をものすごく吸い込みやすい粗悪な素材よ。今の生乾きのままの状態で使っていたら、泥の中で振るうたびに手元で重心が狂って使い物にならなくなるわ。私なら、柄の裏側に薄い布をしっかりと巻きつけて、徹底的な湿気対策を施すけどね」


 振り返ると、そこに立っていたのは新人らしい小柄な身なりの女冒険者、エルエルだった。


 彼女はこれまでの豊富な冒険者としての実戦経験からその弱点を見抜いているのか、あるいはもっと別の底知れない視点から語っているのか。


「……なぜ、そんな泥臭くて実用的な手入れの方法を知っている?」


 アレンがわずかに警戒心を滲ませて問うと、彼女は不敵で悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「冒険者なんて稼業は、無駄死にしないために日頃から必死で知恵を絞っているだけよ。……あなた、さては昨日あたりに坑道帰りでしょう? そのブーツの底や鞘の装飾の隙間に、独特の湿った泥がしっかり溜まっているわよ」


 ハッとしてアレンは自分の足元に視線を落とした。確かに、言われるまで全く気づかなかったが、彼は道具の「管理や保守」という基本的な前提を完全に疎かにしていたのだ。


 使いこなす以前に、道具を道具として維持する準備すらできていなかった――アレンは自身の未熟さと視野の狭さをまざまざと突きつけられ、返す言葉を失ってその場で押し黙った。


 古びた武具店を後にして、夕暮れに染まり始める街路を歩きながら、アレンはつい先ほど購入したばかりの簡素な鉄の剣の柄に、手元にあったあり合わせの布をしっかりと巻き付けていた。あの謎の女――エルエルが残した手厳しい忠告の言葉が、今でも重くアレンの脳裏に何度も反芻していたからだ。


 ――『道具の手入れもできないようじゃ、そんな甘いやり方ではあっさり死ぬわよ』


 ただ闇雲に力を求めて剣を振り回すだけでは、この冷酷で理不尽な世界で長く生き残ることはできない。まともな戦闘技術の基礎もないくせに、肝心の道具の管理すら満足にできていなかった己の甘さと未熟さを痛いほど痛感したアレンは、そのまま足取りを早めて真っ直ぐに冒険者ギルドへと戻り、いつもの受付のカウンターに立つエレナの姿を探した。


「すまない、エレナ。ちょっと今いいだろうか、聞きたいことが……」


「あら、アレンさん! お疲れ様です」


 カウンター越しにアレンの姿をとらえたエレナは、パッとその表情を華やかに輝かせ、いつも変わらない優しく親しみのある微笑みを向けた。


「……ああ。ちょっと今後のために切実な事情があってね、いくつか教えてほしいことがあるんだ」


 アレンは努めて冷静に、感情を殺したトーンで言葉を選びながら切り出した。


「実は、自分の未熟さを痛感してね。ちゃんとした剣術の基礎、そしてあわよくばこの世界における『魔法の理屈や体系』そのものからしっかり勉強し直したいんだ。どうやら独学だけでは、早晩限界が来ると思ってね」


 その意外すぎる相談内容に、エレナはわずかに驚いたように美しい目を丸くし、それからクスリと柔らかく苦笑した。


「魔法に剣術の基礎ですか? それはまた……非常に意欲的ですね。冒険者としての基本とはいえ、どちらも一朝一夕で身につくものではありませんし、本気で取り組めば一生をかけても完全に極めることなどできない険しい道ですが……?」


 彼女はそう言いながらも、アレンの真剣なまなざしに何かを感じ取ったのか、カウンターの下をごそごそと探り、一枚の古びた、しかし丁寧にファイリングされた羊皮紙のパンフレットを取り出してそっと差し出した。


「ギルドでも、新人の方向けに定期的な講義や簡単な実技指導は開いていますが……もし本気で知識を深めたいなら、あまりここでの簡易的なものは個人的にお勧めしません。ここではどうしても初歩的な内容に留まってしまいますし、時間も一〜二時間程度の短いものばかりですから」


 エレナは少しだけ声を潜め、まるで秘密を打ち明けるかのように親身になってアドバイスを続ける。


「本当に一から本気で学ぶつもりなら、ここから馬車で二日ほどの距離にある、この地方最大の城塞都市『オルフェリア』の学園都市区画へ行くのが一番確実ですよ。あそこでは一般向けの公開講座や、身分に関わらず誰でも受講できる科目等履修生の制度が充実しています。平民の身分であっても、条件さえ満たせば問題なく利用可能ですから」


 彼女は少しだけ思わせぶりな笑みを浮かべ、さらに続ける。


「受講料は内容によって有料のものもあれば、無料のものもありますし……これはここだけの話ですが、熱心な若者には特別に免除の枠もあるんです。アレンさんだけに、こっそり教えてあげましたね」


「……あ、ありがとうございます……助かるよ」


 アレンは恭しくその羊皮紙を受け取り、書かれている詳細なカリキュラムと都市の構造に素早く目を走らせた。


(城塞都市オルフェリア……ここから馬車で二日か。今の俺に決定的に欠けている『体系的な知識と理論』を最短で手に入れるなら、確かにあの街の学園を経由するのが最も合理的で、確実な最短ルートだ)


 エレナが向けてくる含みのある好意的な視線や探るような気配はあえて無視し、アレンの醒めた脳内では、すでに次の行動プランが完璧に構築されていた。彼にとって今必要なのは、その先にある学園の具体的なカリキュラムの把握と、そこへ安全にたどり着くための確実な移動手段、そしてそれを支えるための資金だけだった。


「……本当にありがとう、エレナ。いい参考になった」


 アレンは静かに礼を言うと、懐から財布を取り出して軽く重みを確認し、ギルドの壁面にずらりと貼り出された高難度の依頼や移動に関する掲示板へと、迷いのない視線を移した。


 オルフェリアまでの馬車代、学園での登録料、そして当面の生活維持費。今日から先の自分のすべての行動は、「あの都市へたどり着き、知識と権限を手に入れるため」の準備に完全に集約されていくのだった。


 アレンは宿の自室で、最後の手入れを終えた剣を鞘に収めた。


(馬車代で銀貨2枚。学園では無料の講義枠を徹底的に利用する。これで手元には銀貨13枚と銅貨40枚が残る)


 大部屋は安上がりだが、装備を盗まれるリスクや、疲労を蓄積させる騒音は回避したい。個室で確保する静寂と防犯は、彼にとって妥協できない条件であった。


 彼は窓から差し込む朝の光を見つめた。


 無料の講座には、相応の制限や質の差があるはずだ。行って確かめるしかない。


「まずは、移動だ」


 アレンは部屋を出て、鍵をフロントに返すと宿を後にした。


 街のメインストリートへ出ると、早朝の空気に馬車の蹄の音が響いている。


 目的地であるオルフェリアまで到達し、学園の門を叩くこと。今の彼にとって、それがすべてだ。


(出来る限り戦闘は控えたい。余計な体力を削る必要もない)


 街道の先から馬車が近づいてくる。アレンは懐の銀貨を指で確認し、目的地へ意識を集中させた。


 学園での生活費、数ヶ月の食費、そして知識への投資。


 現在の所持金だけでは確実に底を突く。オルフェリアに到着次第、すぐに次の『効率的な金策』を組み立てる必要があるな。……馬車を待つ間も、彼の思考は止まない。


 無用な争いや寄り道を避け、ただ自分の未来のために歩む。


 アレン・ノアの旅は、極めて静かに、そして確実にオルフェリアへと向かっていた。


 ガタゴトと音を立てて荒れた街道を揺れる馬車の乗り心地は、かつて自分が暮らしていた静寂な現代の六畳間で過ごした日々とはあまりにも対照的だった。


 すり減った木製の車輪が固い石畳を規則正しく叩く単調な響き。狭い車内に充満する、隣り合わせた他の旅人たちの汗と古い革の匂い、そして微かな寝息やいびきが混じり合う独特の空気感。アレンはそんな喧騒の真ん中に身を置きながらも、どこか冷めた意識でぼんやりと窓の外を流れていく景色を眺め、その右手の指先を誰にも気づかれないように小さく動かしていた。


(……あの日。あの部屋で目を覚ましたとき、確かに何かが自分の体の中に直接流れ込んできた感覚があった)


 この不条理な世界に放り出された瞬間に網膜の裏へと浮かび上がってきた、あの青く光るステータスウィンドウの文字列の数々。それらは今でもアレンの脳裏に焼き付いて離れない。


 特に、数ある項目の中でも【空間操作】と【時間減速】という見慣れない記述は、彼がかつて理想の世界を思い描くために自らの手で設定した、いわば絶対の「切り札」に他ならなかった。


 だが、今の現実の彼には、その眠っているはずの莫大な力をどうやって身体の内側から引き出せばいいのか、その具体的な手順すら全く分からなかった。指先に全神経を集中させ、意識を研ぎ澄まして魔力を練り上げようと何度試みても、そこにあるのは手応えのない空虚な徒労感だけだった。


(……そもそも、この世界の人間にとって魔力とは『誰しもが生来持つ当たり前の力ではないのか?』――あの設定資料のなかに、たしかそう書き殴ったはずだ)


 だが、現実の自分のステータス画面に表示された魔力の項目は「測定不能」という不可解な文字のまま止まっている。


 力の源泉が一体自分の肉体のどこに隠されているのかも分からず、ただスキル欄に並ぶLv.0という無機質な数字だけが、自分の圧倒的な無力さと未熟さを突きつけてくる。


 もし、この先目指す学園でこの『切り札』の力を満足に引き出せなければ、自分はただ少し頭が回るだけの、文字通りの「知識を持つだけの脆弱な平民」に過ぎない。この過酷で暴力に満ちた剣と魔法の世界を生き抜くには、知恵だけではあまりにも脆く、一瞬で踏みにじられてしまうだろう。


 アレンは窓ガラスの表面にうっすらと映り込んでいる、醒めた光を宿す端正な自分の顔の輪郭をじっと見つめ返した。


 もしこれが転生前の、ただ流されるままに生きていた「佐藤」という平凡な人間だったなら、こんな不確かな状況に直面した時点でとうに絶望し、諦めていたに違いない。だが、今の冷静な合理主義者としての彼には、そんな弱音を吐く余裕も、あるいはその必要すらなかった。


(学園という組織のなかには、この世界で長年培われてきた体系化された高度な魔術の知識があるはずだ。他ならぬ、自分の訳の分からないこの力を『正しく定義』し、それを『現実のものとして信じ込む』ための確固たる理論がな)


 窓の外を流れる風景が、徐々に険しい荒野から開けた石造りの巨大な街並みへと姿を変えていく。目的地である城塞都市オルフェリアが、もうすぐ目の前まで迫っていた。


 自分が手に入れたこの規格外の力は、もしかしたら神界のシステムにおける致命的な「バグ」やエラーの産物なのかもしれない。ならば、なおのこと他人に任せるのではなく、自分自身の手で完全に制御し、思い描いた通りの物語の結末を書き上げてみせる。


 まだ完全には目覚めない理不尽な力に対する焦燥感やいら立ちは確かにあった。だが、それ以上にアレンの胸のなかでは、これからその街で手に入れるであろう「絶対的な力と知見」に対する強烈な渇望が、静かに、しかし確実に燃え盛っていた。


 ガクン、と車体が大きく揺れ、馬車が速度を落とし始める。


 車内の空気がざわめき立つ中、アレンは静かに目を細めた。


 ――目的地への到着だった。


 馬車が長旅の途中にある小さな中継街に到着したのは、空の広がりが茜色の鮮やかなグラデーションに染め上げられる夕暮れ時だった。


 アレンは街道沿いの手頃な一泊の宿を取り、荷物を下ろすと、階下の薄暗い食堂の隅の席へと腰を下ろして夕食を注文した。ほどなくして運ばれてきたのは、ざっくりと切られた根菜をじっくりと煮込んだ熱々のシチューと、香ばしく焼かれた猪肉の生姜焼き風の肉料理だった。


(猪肉特有の獣臭さを、現地の生姜のような香草ですっきりと消し、加熱によって脂の旨味を最大限に引き出しているのか……)


 フォークで一口分をすくい上げて口に運ぶと、素朴ながらも重層的で深い味わいが口いっぱいに広がった。自分の予想を超えたその素朴な美味さに、アレンは驚いて小さく目を見開いた。前世の現代世界で日常的に食べていた無機質な冷凍食品やコンビニ弁当などとは到底比較にならない、食材そのものの生命力をダイレクトに感じる確かな味だった。


 胃袋を満たした適度な満腹感が肉体の旅の疲れを心地よく癒やし、彼は早々に自分の部屋へと戻った。


 ギシギシと音を立てる固い木製のベッドに横たわり、薄暗い天井の木目を見つめながら、アレンは明日からの思考を巡らせる。


(魔術、あるいは魔法……。この世界における現象は、既存の物理法則の単純な拡張なのか。それとも、個人の強靭な精神が外界に干渉した結果なのか)


 かつての元世界で執筆していた未完の小説の設定資料の断片が、次々と脳裏をよぎる。しかし、それらはあくまで頭の中で勝手に作り上げた創作の中の概念に過ぎず、現実の理屈とは違っていた。


 何もない空間のなかに突如として火を燃え上がらせ、淀んだ水を自在に操る。そんな科学を無視した不可思議な現象が、この世界ではごく当たり前の日常として起きている。自分がチートとして持っているはずの【空間操作】や【時間減速】という破格のスキルも、突き詰めればこの世界の魔術体系のどこかに組み込めるはずだった。


(もし、この世界の魔法が単なる個人のイメージの具現化なのだとしたら……俺がかつて書き殴った設定は、ただの身勝手な『願望』に過ぎなかったのか? それとも、実際に世界を書き換えるための基盤になり得るのか……)


 いくら考えても、決定的な答えはまとまらない。疲労した脳の思考回路が徐々に鈍り、重い瞼がゆっくりと下りていく。


 彼は「魔法の本質とは一体何なのか」という答えの出ない問いを深く抱えたまま、長い旅路の初日の夜を、静かな眠りへと預けたのだった。

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