第7章:信用という名の道具
硬い石畳の感触を足の裏でしっかりと踏みしめながら、アレンは街の中枢エリアへとそびえ立つ『冒険者ギルド』の頑丈な建物へ向かって足を進めていた。
この世界において、個人の口頭による信用や過去の実績ほど脆く儚いものはない。路地裏の泥水を啜って生きる覚悟があるなら話は別だが、アレンがこの混沌とした世界で望んでいるのは、より高く、そしてより遠くへ駆け上がるための盤石な「社会的足場」だった。冷静かつ合理的に考えれば、冒険者ギルドが発行する公式の「冒険者証」という公的な身分証こそが、今後のあらゆる活動においてコストパフォーマンスが最も優れた最強のパスポートといえる。
重厚な木の扉を押し開けると、中はまるで荒くれ者たちの集まる賑やかな酒場のような、熱気と酒と汗が入り混じった独特の空気に包まれていた。
無骨な体つきをした男たちがそれぞれの武器を乱雑に磨いたり、大声で昨日の狩りの戦果を自慢し合ったりしている中、アレンはその場に足を踏み入れた瞬間から異彩を放っていた。激しい戦いの汚れや旅の煤で汚れているはずなのに、陶器のように滑らかで端正な彼の肌と圧倒的な美貌は、むしろその退廃的な雰囲気を引き立てる最高のスパイスとなっていた。
周囲にたむろする冒険者たちの間に、思わず息を呑むようなヒソヒソとした視線が次々と走る。だが、アレンはそんな好奇の視線などまるで空気であるかのように一切気に留めず、淡々とした足取りで受付のカウンターへと歩み寄った。
「……新規の登録を頼む」
アレンが静かに声をかけると同時に、カウンターの向こうで書類をめくっていた受付嬢が顔を上げた。次の瞬間、彼女の瞳は驚愕に見開かれ、言葉を失う。彼女はそれまでの事務的で退屈そうな表情を瞬時に崩し、その整った頬をわずかに赤らめながら、思わずといった様子で華やかな笑みを浮かべた。
「冒険者登録ですね、もちろんです! 初回の登録・発行手数料は銅貨が五枚となります。こちらの専用の羊皮紙に、その……お名前をハッキリと書いていただけますか?」
アレンは手際よく必要最低限の硬貨をカウンターに置き、慣れた手つきで署名を済ませた。それを確認した受付嬢の手から、真新しい木札の冒険者証が丁寧に手渡される。
「私はこの受付を担当しております、エレナと申します。アレン様、ですね……。これから何か分からないことや、お仕事で困ったことがあれば、いつでも気軽に私を頼ってくださいね」
「ああ、よろしく頼む、エレナ」
(――これで、まずはこの街の『正式な市民・住民』と同等の法的権利と身分が得られたわけだ)
アレンは受け取った木札を大切に懐へとしまい、そのすぐ隣に先ほど手に入れたフォレスト・ウルフの魔石が収まっていることを確認した。
「次に、この魔石の買い取りと換金をお願いしたい」
彼が懐から、まだうっすらと血と泥に汚れたままの魔石を取り出し、トレイの上にコトリと置くと、エレナは思わず小さな悲鳴を上げた。その鋭い光を放つ魔石を見た瞬間、それまでガヤガヤと騒がしかった周囲の喧騒が、嘘のようにピタリと止まる。
これは、フォレスト・ウルフの魔石……!? こ、これを一体、あなたがたった一人で狩ってきたのですか……?
ギルド内の空気が一瞬で一変した。先ほどまで向けられていた「珍しい容姿の新人を見るような興味本位の視線」は、圧倒的な実力を目の当たりにした者だけが抱く「底知れぬ驚愕と畏怖の念」へと綺麗に塗り替わっていく。
「……たまたま運が良かっただけさ」
アレンは少しだけ困ったような、いかにもか弱い少年らしい無害な表情を作り、短い言葉で周囲の詮索を巧みに遮った。その言い分はあながち嘘というわけではないが、今の彼には、その「運」を確実に「実力という確かな実績」へと変換していくための足がかりがしっかりとできていた。何より、親切な受付嬢であるエレナという非常に便利な情報源を、この瞬間に完全に手中に収めることに成功していたのである。
今回の討伐報酬として支払われたのは、ずっしりと重みのある「銀貨5枚」だった。ここでこの世界の経済価値と金銭感覚を整理しておく必要がある。大体の目安として、
銭貨1枚が約100円、
銅貨1枚が約1,000円、
銀貨1枚が約10,000円、
金貨1枚ともなれば約1,000,000円ほどの価値に相当する。
一般の宿屋の相場は、まともな食事1食付きでおよそ銀貨1枚程度。これは現代日本のビジネスホテルに泊まるのとほぼ同等の感覚と言い換えてもいいだろう。つまり、今回の報酬だけで当面の生活費や宿泊費には十分すぎるほどの余裕ができたわけだ。
しかし、冒険者証を手に入れた今のアレンにとって、目的は魔物の討伐や素材集めだけにとどまらなかった。彼にはもう一つ、どうしても手に入れておかなければならない重要な目的があった。それは、過酷な暴力の世界ではなく、もっと平穏で、しかし確実な裏の社会の安全を請け負うための別の資格だった。
アレンは視線をギルドの外へと向け、街の反対側の端にある、鉄格子で守られた整然とした佇まいの重厚な建物――『傭兵ギルド』の看板へと静かに視線を走らせた。
冒険者として自身の牙を鋭く磨き上げ、同時に傭兵として組織や個人の絶対的な信用を金で売る。この巨大で危険な街で泥臭く生き抜くための二つの強力な車輪が、いまようやく、音を立てて完璧に揃おうとしていたのだった。




