第6章:灰色の境界線
背後に残したフォレスト・ウルフの生々しい死骸の重みを感じながら、アレンはひたひたと静かな歩みを進めていた。
鬱蒼とした森の木々がまばらになり、周囲の景色が開けてくると、それまで鼻腔を満たしていた湿った土の匂いや草木の香りが徐々に消え失せ、代わりに砂埃の舞う乾いた街道特有の気配が混じり始める。そして視線の遥か向こう、地平線の境界にそびえ立っていたのは、屈強な男たちでも容易には破れない堅固な巨石の壁で囲まれた街――あらゆる者が行き交う「境界の街」の姿だった。
高い石壁の向こう側からは、アレンが生まれ育ったあの小さな村とは比較にならないほど、無数の人間が織りなす圧倒的な喧騒や怒号が、波のように漏れ聞こえてくる。
アレンはふと足を止め、自分の惨めな姿を下へと見下ろした。
先ほどの戦いであちこちが引き裂かれたボロボロの衣服、露出した肌にこびりついた乾いた泥と生々しい返り血。この浮浪者のような風体のまま何の準備もなく門をくぐれば、街の治安を守る衛兵たちの格好の的となり、不審者として一発で連行され、牢屋へ放り込まれるのは火を見るより明らかだった。
「……流石に、このままでは門前払いだな」
アレンは小さく呟くと、街道の脇を流れる浅く冷たい小川のせせらぎへと向かった。冷たい水を手ですくい、顔や手足にこびりついた血の汚れをあらかた綺麗に拭い去る。さらに、敵の爪で引き裂かれてひどくほつれた袖口を、道端で見つけた適当な布切れで縛り上げ、少なくとも「ただの旅の少年」に見えるよう最低限の応急処置を施した。
やがて、街の正面入口である巨大な検問ゲートへと辿り着く。
鉄の鎧に身を包んだ屈強な門番たちは、ひっきりなしに街へ出入りしようとする人波を、鋭い猛禽類のような眼光で一人ひとり厳しく検閲していた。周囲の人間が威圧感に気圧される中、アレンは平然とした面持ちでその列の最後尾に静かに並ぶ。
そして、ついにアレンの検査の番がやってきた。
「……おい、止まれ。名前は」
「アレンだ。旅の者でね」
「旅の者か。……ふむ。入域料は銅貨が二枚だ。何か大がかりな商いや素材の売買をするなら、あっちの特例用の別の門へ行け。ここは一般の出入り口だ」
アレンは先ほどの商人との取引で手に入れた財布から、わずかに残された貴重な硬貨を音を立てないようにそっと差し出す。門番は硬貨を受け取ると、投げやりな手つきでアレンに薄汚れた通行証を押し付けた。
重厚な鉄のゲートの敷居をまたぎ、足を踏み入れた瞬間――アレンの視界は、それまでの灰色の日常から色鮮やかな色彩の奔流へと一気に塗りつぶされた。
所狭しと立ち並ぶ活気にあふれた露店の数々、人々の食欲をそそるスパイスと焼き肉の濃厚な匂い、そして森の奥で聞いた魔物の咆哮とは全く異なる、鉄と馬車の車輪の軋み、職人たちの金床が奏でる生活の音。これまでの世界を支配していた静寂が嘘のように感じられるほどの圧倒的な騒音に、アレンは一瞬だけ軽い眩暈を覚えた。
だが、その耳障りですらある雑踏こそが、彼が閉塞した村を捨ててまで求め続けた、新たな世界の始まりの入り口にほかならない。
懐の奥にしまい込んだ魔石が、まるで彼の鼓動に呼応するかのように、微かな熱を帯びているような感覚が全身を駆け抜ける。
村という狭い檻の中で植え付けられた「運のない男」という忌々しい呪縛は、この街を埋め尽くす膨大な雑踏の波に飲み込まれ、まるで朝霧のように跡形もなく霧散していった。
「……さて」
アレンは一呼吸置くと、広場の中心に掲げられた街の全体図を示す大きな地図看板へと冷徹な視線を向けた。
冒険者や素材の売買を司るギルド、様々な品が並ぶ雑多な商店街、そして旅の疲れを癒やすための安宿のエリア。
彼は感情を押し殺した淡々とした足取りで、新たな世界の一歩を踏み出した。まずは、この泥と血にまみれた汚れを完全に落とす場所と、これからの生存戦略を組み立てるための「正確な情報」を買うことができる手頃な宿を見つけなければならない。




