第8章:二つの天秤
冒険者ギルドを後にしたアレンは、夕暮れに染まり始める街の中央大通りを抜け、その端に堂々とそびえ立つ重厚な石造りの建物へと向かって歩みを進めていた。外壁に掲げられたよく磨き上げられた鉄の看板には、鋭い剣と頑丈な盾を美しく組み合わせた、厳格な紋章が深く刻み込まれている。
そこは『傭兵ギルド』。
個人単位の野蛮な暴力や一攫千金を狙う者たちが集まる場所ではなく、この街の治安と人々の平和な日常を組織的に維持するための、最も規律正しく管理された武力の拠点だった。
(冒険者という稼業は、どこまでいっても己の圧倒的な強さや個人の武勇を証明するための集団だ。しかし、傭兵という存在の本質は『他者の平穏と安全』を契約のもとで請け負うプロフェッショナルにほかならない)
アレンの思考回路はどこまでも冷徹で合理的だった。冒険者ギルドで獰猛な魔物と対峙して自身の戦闘技術を極限まで磨き上げ、同時に傭兵ギルドで要人の護衛や街の警備といった手堅い依頼をこなすことで、社会的信用と確実な報酬を同時に積み上げていく。性質の異なる二つの巨大な組織に同時に身を置くことによって、彼はこの不条理な世界における自身の生存確率を盤石なものに高めようとしていた。
ギルドの重厚な観音開きの扉を押し開けると、そこには先ほどまで居た冒険者ギルドの喧噪とは一線を画す、ピンと張り詰めたような整然とした空気が流れていた。
ガサツに騒ぐ者など一人もおらず、身なりを正した革鎧姿の男たちがそれぞれの任務に関する情報を静かに共有し合い、真剣な面持ちで次の任務の予習や打ち合わせに余念がない。正面の受付カウンターには、背筋をピンと伸ばした凛とした表情の女性が立ち、依頼人からの深刻な相談に一つひとつ丁寧に耳を傾けていた。
アレンが静かな足取りでカウンターへと近づくと、受付の女性はふと視線を上げ、その瞬間、わずかに息を呑んだ。
激しい戦いや長旅の汚れが外套のあちこちにまだ残っているというのに、それらをすべて覆い隠してしまうほどに、彼の容貌の美しさは隠しようがなかった。血と泥をくぐり抜けてきた荒くれ者たちですら一瞬で惹きつけてしまうような、冷徹で、それでいてどこか退廃的なまでの端正な美貌。女性はわずかに目を見開いて硬直したが、さすがは規律を重んじる傭兵ギルドの職員だ。彼女は即座にその動揺を飲み込み、プロフェッショナルとしての引き締まった表情へと見事に立て直してみせた。
「……新規の登録を頼む」
「……承知いたしました。当ギルドへようこそ。私はここの受付を務める、カレンと申します。当ギルドは『街の盾』として何よりも規律と信頼を重んじます。そこで、当ギルドの一員となるための絶対の誓約として、こちらの契約書に署名をお願いできますか?」
カレンが差し出した厳かな羊皮紙の契約書を一瞥し、アレンは淡々と頷くと、慣れた手つきでそこに自らの名前を記した。
「魔物討伐だけが戦いのすべてではありません。時には無力な誰かを守り、この街の日常の平穏を維持することにも、確かな矜持と高度な技術が求められます。それが、傭兵という過酷にして誇り高き道です。……アレン様、ですね。ご登録の手続き、無事に完了いたしました」
彼女の手から恭しく手渡されたのは、銀色に鈍く輝く円形の小さなバッジだった。そこにはかつての歴戦を物語るかのような、古びた『守護』を意味する美しい文字が繊細に刻み込まれている。
アレンはそれを、先ほど手に入れた冒険者証とは別の、より取り出しやすい内側のポケットに丁寧に収めた。
冒険者の木の札が「自らの手で獲物を狩り取るための資格」であるならば、この銀色のバッジは「社会の一員として他者を守るための確かな権利」に他ならない。
カレンは真面目な瞳をアレンに向け、さらに淡々と告げる。
「当ギルドでお任せする主な依頼は、街の治安維持に直結する夜間の警備や、街を訪れる貴族や富裕な商人たちからの厳重な護衛が中心となります。もちろん、新人であるアレン様には、まずは基本に忠実な守衛任務を通じて、その実力と誠実さを証明していただきます」
アレンはカウンター越しに街の広がる方角へと視線を走らせた。
魔物を狩り立て、血生臭い金を稼ぐ冒険者。組織に属して街を守り、社会的な信頼を稼ぎ出す傭兵。アレンにとって、それらの二つはどちらも自身の掲げる究極の目標へと至るための、数ある手段の一つでしかなかった。しかし、その利用する手段が洗練され、強固であればあるほど、彼という存在はこの危険な街の深層へとより深く、確固たる根を張っていくことができる。
(……まずは、地道な守衛の任務を通じて自身の基礎的な実力を証明し、この街の上層部からの信頼を確実に勝ち取るか)
彼は踵を返し、活気にあふれる人通りの多い大通りへと再び歩み出した。胸元のポケットには、二つの異なるギルドの紋章がそれぞれの重みを持って収まっている。アレンは人々の喧噪の波に自然に身を任せながら、自らの知略と手足でこの世界に確かな居場所を築き上げていくのだった。




