第59章:その距離、ゼロセンチメートル
土砂崩れエリアを抜けた先、森の最深部。俺たちの前に立ち塞がったのは、ギルドの魔道具が警報を感知した真の原因――ではなく、ただの「めちゃくちゃ巨大な岩」だった。
先ほどの地滑りで崖の上から転がり落ちてきたのだろう。直径十メートルはあろうかという巨岩が、V字状になった谷の狭路を完全に塞いでいる。
この岩のせいで、奥へと続く一本道が完全に遮断されていた。
「うわぁ……完全に道が塞がってますね。アレンさん、これ、迂回するとなると隣の尾根まで回らなきゃいけないので、丸一日かかっちゃいますよ?」
ミアが観測器を抱えながら、絶望的な顔で溜息をつく。
丸一日。それはつまり、今夜の定食屋の仕込みの時間に間に合わないということであり、キンキンに冷えたエールとボアのステーキを味わう権利が、俺の手から滑り落ちることを意味する。
(……避けて歩くなんて結構な距離になる、そんなの絶対に御免だ。目の前に目的地があるなら)
「直線距離で進めばいい」
「え? でも、この大岩を壊すんですか? そんなことをしたら、また衝撃で上の崖が崩れて――」
(壊す? いや、そんな脳筋な真似はしない。質量を破壊すればその分の運動エネルギーが周囲に霧散して二次災害が起きる。それはスマートじゃない。)
(要するに、この岩のせいで「俺のいる位置(座標A)」から「岩の向こう側(座標B)」までの距離が、物理的に遠回りさせられているのが問題なのだ。)
ならば、答えは一つ。
(光を曲げて、重力を逃がして、慣性を相殺できたんだ。だったら、空間そのものの『進路』を歪めて、ここと向こう側の距離をゼロに縮めればいい)
これまでの実験で、俺は魔素を使って空間の幾何学的構造に干渉する術を学んだ。
アインシュタインの一般相対性理論において、空間は平坦な紙ではなく、エネルギーによって伸縮するゴムシートのようなものだ。
俺は体内の魔力(現在一千兆(1.12e15)の臨界点で一時ロック中)から、ごく微量――しかし極めて高密度な魔素を抽出し、俺の目の前の空間座標と、岩の向こう側の空間座標の二点にそれぞれ「アンカー」として打ち込んだ。
そして、その二つの座標の間に存在する空間の曲率を、局所的に最大化する。
二点を結ぶゴムシートを、指先でギュッとつまんで密着させるイメージだ。超ミクロな簡易版ワームホール――アインシュタイン・ローゼン橋の局所形成。
「ア、アレンさん……? なんだか、岩の周りの空気が、ぐにゃぐにゃに歪んで……ひゃっ!?」
ミアの悲鳴。
俺たちの目の前にある巨岩の表面が、まるで熱した飴細工のようにドロリと歪み、その中心に「向こう側の景色の断片」が万華鏡のように映り込み始めた。空間の位相が狂い、光の経路が完全にショートカットされている証拠だ。
「よし、位相結合。座標の距離、ゼロセンチメートル」
俺はミアの手を掴み、目の前の「歪み」に向かって、ただ普通に一歩を踏み出した。
感覚は全くなかった。
ただ足を前に出した、それだけだ。
しかし、次の瞬間。
「え……? あれ……?」
ミアが呆然と声を漏らす。
振り返ると、そこには先ほどまで目の前にあったはずの「巨大な岩の裏側」があった。
俺たちは岩を破壊することも、登ることも、迂回することもなく、文字通り空間の隙間を『すり抜けて』、一瞬で岩の向こう側へと移動していたのだ。
「す、すり抜けた……!? 壁抜けの魔法……!?」
ミアが観測器の数値を二度見、三度見しながらガタガタと震え始める。
俺は「やれやれ、これで今夜のステーキには間に合うな」と一安心したが、俺の脳内はそれどころではなかった。
視界の端で、過去最大級の真っ赤なエラーログが、大音量のアラート(脳内幻聴)と共に爆発した。
【⚠️Critical Error: Thread "Spatial_Geometry" split detected.】
【空間操作:Lv.0】 ―― 認可条件「世界律の段階的理解」を満たしていません。
【Warning: Authorization bypass detected. Character "Allen_Noa" has forced write access to absolute coordinates.】
【警告:システムエラー。該当スレッドの強制終了を試みます――】
世界の根幹である「空間」を力技で折り畳んだのだ。システムの防衛プログラムが牙を剥くのも無理はない。
だが、その冷徹な警告文を、斜め上からの「物理的な暴力(神権)」が力ずくで叩き潰した。
【Error: Debug-thread was completely deleted by Administrator "L_L".】
【ログ文言:「もう無理!システム止まったら私の査定が死ぬ!エラー吐くな!!実質Lv.1ってことで処理通すから!!お願いだから大人しくしてアレン!!」】
【――処理を変更します】
【空間操作:Lv.0】 → 【空間操作:Lv.1】
【システムは正常に(涙目で)処理を継続します】
「……うん、やっぱりエルエルは優秀な管理者だな」
裏でどんな血尿もののデバッグが行われたのかは知らないが、無事に【空間操作】がLv.1としてシステムに正式認可された。
これで、空間を「切り取る」理論的基盤は全て揃った。
「よし、ミア。用事は済んだ(岩を抜けた)し、暗くなる前に街に戻ってエールを飲もう」
「え、えええ!? 森の奥の調査は不問ですか!?」
混乱するミアを促し、俺は再び空間をちょいと歪めて帰り道をショートカットする計算を始めながら、足早に歩き出すのだった。




