第54章・幕間:監視者とストーカー
ギルドホールに併設された、どこか薄暗く活気のある一室の酒場。
「ウィッ、くぅ~、やっぱりこれに限る……。やっぱ、うめぇなあ~」
アレンはいつもの安物のエールを目の前にし、ジョッキを大切に両手で包み込みながらチビチビと舐めるように飲んでいる。おい、喉越しを味わうだと? バカを言うな。一気飲みなんて贅沢な真似ができるほど、現在の彼の懐事情は温かくないのだ。ふふふ、と乾いた笑いを漏らしながら、慎重に液体を口に運ぶ。
「……ジッ」
「……ジロリ」
「……ジィィィィ……」
テーブルの向こう側と横から、背中に突き刺さるような異様な三つの視線。まるで背中をナイフで抉られるかのような、まさにザックザクの殺伐とした空気である。しかし、他人の目を気にするほど繊細ではないアレンにとって、視線に痛みなど一切感じられない。彼は相変わらずビールを一口含むと、まるで高級な赤ワインであるかのように口の中でコロコロと転がし、その独特な苦味と香りを入念に楽しんでいた。(――いや、お前が飲んでいるのはただの安いエールだ、ワインではないぞと誰かが突っ込みを入れたくなる光景だ)
そんな奇妙な膠着状態の中、周囲のテーブルに座る三人の影が、それぞれ心の中でひそひそと言葉を交わし始める。
「『なぁ、あんた達も、あいつのことが気になって仕方ないのか?』」
「『当たり前だろ……。俺は一刻も早く、あいつの作り出すあの魔法の粉が欲しいんじゃ。あれがないと俺のハンマーが完全に腐っちまうんだよ』」
「『ちょっと、二人とも静かにしなさいよ! 私はこの一件で次こそ昇進がかかってるのよ! あんた達のくだらない執着と一緒にしないで、私にとっては一大事なの、まったく……!』」
ミア、あの狂気じみた鍛冶屋の親父、そして厄介事の元凶である駄女神エルエル……だろ、これらは。頭の中でそれぞれの顔を思い浮かべながら、アレンは冷めた目を向けつつも自分の世界に浸っている。
俺はぼんやりと意識を自分の内側に戻しつつ、先ほどから頭から離れない不可解な現象について深く思考に耽っていた。さて、あのダンジョンの最奥で起きたシステムのバグ、あれはいいったい何だったんだ? 鮮明に覚えている、あの表示は確かに『Error』だったな。
エールを一口飲むごとに、アレンはポソポソと独り言のように呟き続ける。
「……あの時起きたErrorの件だが、そもそも俺がミアたちを助けに行ったことで、何か世界のシステムに干渉してしまったか? それとも、あの時こっそりアルミナを生成したあの特製粉の影響なのか……? いや、そんなことより目下の問題は、この酒場の飲食代だな。今の俺の財布の残り金が、どう考えても本気で心配になってきたぞ……」
アレンの冴え渡る脳内では、ドライな利害関係と、極限まで逼迫した残金計算が猛スピードで回転を始めていた。ミアという無駄な荷物の干渉、狂った鍛冶屋の親父からの技術的・物質的な協力、そして神界から勝手に干渉してくる女神の加護(という名の単なる迷惑行為)――それらの複雑な要因をすべて投げ捨てて、今すぐに俺の寂しい財布を潤すための最も確実な方法は何か……。それは紛れもなく、喫緊に解決するべき唯一の最適解だった。
「……そうか! 要するに、さっさと昇進させればいいんだ!(俺自身がCランクの冒険者にさっさと上がっちまえば良いんだ)」
「よくやった俺、無事に救助達成だ! おいミア、お前のためにこの酒を乾杯してやるよ!」
「(このエール、やっぱりうめぇ~な!)俺はこういう金のかからない平穏が大好きだーっ!」
アレンが何の気なしに、しかし妙な確信と清々しい笑顔を持って酒場の真ん中で盛大に叫ぶと、その言葉をきっかけにしたかのように、酒場全体の空気が一瞬にしてガラリと変異した。
その言葉を自分に向けられたものと勘違いしたミアは、顔を真っ赤に染めて恥ずかしそうに頬を緩め、一方でエルエルはどこか悪だくみをするような不気味な目でニヤつきながら、最高潮の歓喜に震えている。
『へへへ……あいつ、ついに私に全面協力する気になったんだ。私をこの泥沼から救い出して、さらに上のランクへ昇進(神格化)させるなんて言うんだから……今度こそルカに思いっきり自慢しよ!』
アレンの「自分の懐の寒さを守るための現実的な計算」と、女神の「自分への愛の告白、あるいは昇進なのだと勝手に受け取った盛大な勘違い」が完全に交錯し、その場の酒場はなんとも言えない、言いようのない気まずい冷たい空気にすっぽりと包み込まれてしまった。
しかし、そんな周囲の複雑な思惑や痛い視線など露知らず、アレンは今日も今日とて、二杯目の安いエールを追加注文するために、懐から汚れた小銭入れを取り出して必死の形相で中の数少ない小銭を数え続けるのであった。




