第52章:闇への適応
さて、いつもの見慣れた定食屋のカウンター席に、俺はどっかりと腰を下ろしている。
今日の食卓に並んでいるのは、いつもの硬いパンやスープではなく、どこか哀愁を漂わせる生野菜のサラダと――真っ黒に炭のように焦げた川魚だ。
なんでも店主が焼き加減を盛大に失敗して捨てようとしていた代物らしいが、「もったいない精神」を発揮した俺がタダ同然で譲り受けたものだ。見た目は完全に炭だが、塩気さえあればタンパク質には違いない。
そんな焦げ魚をつつきながら、俺は今、箸を止めて真剣な眼差しで一つの物理現象について考えに耽っていた。
……「闇」についてだ。
一般的に、闇は光と対をなす正反対の存在だと思われている。だが、魔素の挙動を直接いじれる今の俺からすれば、その正体はもっと複雑で、物理的な干渉現象に近い。
イメージしにくいかもしれないが、理屈はこうだ。
もし光が、水面を伝う「波」のような性質で出来ていると仮定しよう。その光の波の頂点に対し、ちょうど180度位相をずらした逆向きの波――つまり「反転した光」を重ね合わせれば、波と波が打ち消し合って光は消滅するはずだ!
「……ふむ。理屈の上では完璧だな」
これで漆黒の闇が生まれると思っただろう?
だが、現実はそう甘くなかった。
実際にやってみると、ただ光が消えた空間が真っ黒な影として浮き彫りになるだけで、肝心の「闇」という物質的な実感が湧かない。
首を傾げた俺は、検証のために自分の右手を目の前に差し出した。
体内の魔素濃度を微調整し、手のひらの周囲で光の屈折率を意図的に狂わせてみる。
手のひらの中心には、完璧に屈折した光が複雑に入り交じる。だが、その周囲には屈折しきれなかった通常の光も容赦なく当たっている。これでお互いの光の波が干渉し合い、完璧な光学迷彩(闇)が完成する……はずだった。
しかし、実際に目の前で起きた現象は、そんな理路整然としたものじゃない。
「……あれ?」
そこにあったのは、周囲の空間から完全に浮き上がった、不自然でギトギトした黒い物体――まるで目の前にある「さっきの焦げた川魚」と同じような、グロテスクに歪んだ黒光りする手が、ただ空間にぽつんと不気味に浮いて目立っているだけだった。
「……光の干渉実験、大失敗だなコリメート値ミスったか?」
俺は苦笑いを浮かべ、黒く歪んでしまった自分の右手をもそもそと動かしながら、気を取り直して真っ黒な川魚に箸を伸ばすのだった。




