第47章・幕間:天界、デバッグルームの悲鳴
遥か上空、世界の理を司る天界。その中枢に位置する管理監察局の執務室。
普段は絶対の静寂と、冷徹な計算音だけが響く冷静沈着なはずの管理モニタールームに、似つかわしくない絶叫が轟いた。
「ぎゃ〜ぁぁぁっ!」
部屋全体をけたたましく真っ赤に染め上げる激しい警報音と共に轟く、後輩女神ルカの悲鳴。
「……ありえない。ルカ、ちょっとこれを見て。下界のあのアレンが、またとんでもないことをやらかしたわ!」
「ぐぬぬぬ……っ! あたしの来期の昇進どうすんのよぉ!」
先輩女神であるエルエルが、余裕と狂気の入り混じった笑みで巨大なホログラムモニターを指先でなぞる。
そこには、世界の理として本来なら『不動』であるはずの、個人のステータス数値が映し出されていた。しかし今、その数字と文字の羅列は、強風に煽られた砂漠の砂の如くサラサラと音を立てて崩れ落ちている。その光景はまるで、悪質な『ウィルス』に侵され、致命的なバグを引き起こした哀れなPC画面のようだった。
崩れ落ちては、デタラメな数値として再構築され、そして再び強固に固定化されていく様子が克明に映し出される。
「ひ、ひぃぃぃーっ!? 先輩、あれは何ですか!? 彼自身の魔力ステータスの上限値が……私たちが設定した管理プログラムの自動補正を完全に無視して、足し算じゃなくて乗数で際限なく増殖してます!」
ルカがホログラムのコンソールに泣きつき、青ざめた表情で絶叫する。
「指数表記すら超えて『1.1258990e15』なんて、私たちの管理外の数値に突入しているじゃないですか!」
「しかもこれ、ただの表面的な数値改変じゃないわ。彼、さっき泥に刻んだあの雑な魔法陣を、自分のステータスに直接付与したのよ。我々神族が持つ管理システムの『読み取り専用』権限を、『書き換え可能』な状態に強引にアップグレードしているわ!」
世界崩壊の危機。しかし、エルエルは慌てる様子もなく、むしろ手にした極上のワイングラスを揺らしながら、その不敵な笑みを深めた。
「面白いわね。ただの酔っ払いが、道端で下品に泥遊びをしているのだと思っていたけれど。まさか彼……自身の『魔力上限』という世界の絶対変数を、その辺の木の枝によるペンの残影だけで、直接書き換えるなんてね」
「お、面白がっている場合ですか!? 先輩!」
ルカは神聖な大理石の床をバンバンと叩いて、子供のように地団駄を踏む。
「このままじゃ世界がパンクします! 今のうちに特例の次元剥奪処分を執行して、彼ごと証拠隠滅するしか〜っ!」
「うぁぁぁん! 始末書じゃ済まないですよぉ!」
「いいえ、絶対に消去はしないわ」
エルエルは冷徹に、しかし極上のエンターテインメントを見つけたように言い放ち、画面の中で薄汚れた路地裏の壁に手をつき、「オェェェ……」と情けなく弱音を吐いているアレンを見下ろした。
「あの規格外の『生ける筆記具』が、この先どうやって私の寂しい『財布』を豊かに熟してくれるのか。今の彼に宿ったこのデタラメな権限が、下界にどう作用するのか……その結末を、誰よりも最前列で見届けてあげたいのよ」
「……先輩、さっきから自分の欲ばかりで、なに言っているのか意味が分かりません!」
ルカは涙目で震える手を伸ばし、コンソールを激しく操作した。そして、せめてもの対策として、アレンの異常な数値を隠蔽する『付箋』を貼り付けた。
「とりあえず、上層部や監査局のお偉いさんたちに気づかれる前に、この付箋でログだけ隠蔽します! ……あぁ、もう! ダメだ、何をやっても付箋の隙間から勝手に新しい数値が書き換わって溢れ出してくる! まるで彼という存在そのものが、世界の法則を真っ白に塗りつぶす『修正液』みたいじゃないですか!」
天界の管理者たる二人が、アレンのあまりに杜撰で、しかし神の権限すら凌駕する強力すぎる「デバッグ作業」に振り回され、絶叫と狂乱の渦に飲まれているその間。
当の本人である人間界のアレンは、自分の腹に刻み込まれた危険極まりない魔法陣を優しく撫でながら、ただ平穏に、そしてひどく満足げな顔で大衆酒場の席に座り、酒を飲み続けていた。
「……へへへ、やっと耳鳴りが静かになったぜ。さて、次はもう一杯、キンキンに冷えた美味い酒を飲もうかな」
彼がたった今、自分の気まぐれで世界設定の根幹を致命的に書き換えているなどとは露知らず。
遥か頭上では、エルエルが悪女のような笑みを浮かべて年代物のワインを傾け、ルカは責任の重圧と、次々と剥がれ落ちる付箋の山に頭を抱えて崩れ落ちている。神界の厳格なはずの管理システムは、今日も「ただ美味い酒が飲みたいだけの泥酔した一人の冒険者」の無意識の手によって、着々と彼に都合の良い形へと最適化(改悪)され続けていた。




