50話:クレイズ神聖王国の動揺
ゼノリス王国の名門学園から、一本の魔導通信とともに届けられた無記名の最高級招待状。
それが王城の執務室へと持ち込まれた瞬間、クレイズ神聖王国の首脳陣は凍りついた。
「――なんだと? あの黒曜龍を単身で討伐した伝説の男、アレン・ノアからの直接の招待状だと!?」
羊皮紙を握りしめる国王の手に、じっとりと冷や汗が滲む。
クレイズ神聖王国は、先の黒曜龍討伐において国際同盟の一角として名を連ねていたものの、アレン自身が直接足を踏み入れたことは一度もない国であった。それゆえに、このタイミングで届いた「学園の式典への招待」という報せは、あまりにも唐突であり、そしてあまりにも不気味に響いた。
「無記名で数枚……これは一体どういう意図だ? 我らの忠誠や姿勢を試しているのか?」
「あるいは、同盟国としての踏み絵……立ち回りを誤れば、我が国もあの黒曜龍と同じ運命を辿るということでは……!」
重臣たちが青ざめた顔で交わす議論は、瞬く間に最悪の誤読へと加速していく。
「他国はどう動いている!?」
「はいっ! 報せによりますと、バルツァー辺境伯はもちろんのこと、レムリア法皇国は法皇猊下が直々に第一王子殿下を伴ってご出席の模様! さらにはアルカディア魔法帝国も、帝王陛下自らが全権を携えて乗り込まれるとのことです!」
「な……なんだと!? 世界の覇権を握るトップたちが、こぞって一斉に集うというのか!?」
報告を受けた国王はガタリと椅子を蹴って立ち上がった。
ただの学園の祝賀会などではない。世界の超大国や宗教の頂点が、一人の男のもとに結集する前代未聞の「世界首脳会談」へ変貌を遂げていたのだ。もしここでクレイズ神聖王国だけが名代の使節でお茶を濁そうものなら、世界の勢力図から一瞬で蚊帳の外へと弾き飛ばされかねない。
「冗談ではない! 名代などという生ぬるい対応で済むか! すぐに第一王子と、国内最強の聖騎士団を総動員させよ! 私自身も直接向かう!」
「は、陛下自らご出席されるのですか!?」
「当たり前だ! これは式典などではない、我が国の存亡を賭けた国際外交の最前線だぞ!」
国王の叫びとともに、クレイズ神聖王国は全軍緊急配備に匹敵する大パニックと、国を挙げた最上級の献上品選定作業へと突入していった。
当のアレンが「黒曜龍の時の同盟国だし、誰か暇な奴が顔でも出してくれればいいな」と、気楽にお茶でも奢る感覚で送った一枚の紙切れが、また一つ国家を丸ごと狂乱の渦へと叩き落としたことなど、知る由もなかった。
【魔法帝国アルカディアの動揺】
魔法帝国アルカディアの中枢――重厚な石造りの議事堂に、一通の無記名な招待状がもたらされた瞬間、帝国の政治を動かす者たちの間に激震が走った。
「――な、何だと!? あの『アレン・ノア』様から、直々に祝賀会の招待状が届いただと!?」
羊皮紙を掲げるオクタヴィウス宰相の手は、珍しく微かに震えていた。
かつて事務的な手紙一通で帝国の魔導インフラの脆弱性を鋭く突き、今や時価総額四兆円超を誇る巨大プラント『株式会社バルツァー・ラボ』の総帥として君臨する男。そして、帝都の地下迷宮や大霊脈の乱れを一瞬で修正してみせた絶対的な存在。
「宰相閣下! これは一体どのような意図なのでしょうか!? 我ら帝国に対し、何か暗黙の警告でも……!?」
重臣たちがおののく中、オクタヴィウス宰相は深く息を吐き出し、鋭い眼光を走らせた。
「愚か者め、考えろ。あのお方が無意味な催しに我らを招くはずがなかろう。これは『世界の主要勢力を一堂に会させ、新たな秩序を提示する』という、絶対者からの召喚命令に他ならん!」
「な、なんですと……!?」
「あのお方は、表向きは単なる学園の祝賀会という形を取ることで、他国との摩擦を最小限に抑えつつ、世界規模の外交ラインを一本化しようとされているのだ。なんという緻密……なんという深遠な計算……!」
宰相の過剰な深読みと誤読は、一瞬にして会議室全体へと感染していった。そこへ、騒ぎを聞きつけたベルンハルト侯爵と、その令嬢エレーナが姿を現す。
「オクタヴィウス宰相、その報せはまことか! アレン様が我がベルンハルト家にもお声をかけてくださったと!?」
エレーナは胸の前で手を組み、その美しい瞳を憧憬と歓喜で輝かせた。アレンの作った特製の美容液によって長年の不調から救われて以来、彼女にとってアレンは単なる恩人を超えた絶対的な信仰の対象であった。
「ええ、エレーナ様。アレン様は貴女様の健勝をも気にかけておられるご様子。……アンド、この件はすでに帝王陛下のご耳にも入っております」
宰相の言葉に、その場にいた全員が息を呑んだ。
魔法帝国の頂点に君臨する帝王本人が、一冒険者であり一企業の総帥に過ぎない青年の招待に対し、どのようなリアクションを見せたのか。
「陛下は……何とお仰せに?」
「『あのお方が席を用意されたのであれば、断る理由など万に一つもない。全権を携え、自ら足を運ぶ』……とな」
「帝王陛下自らがご出席を……!?」
室内が言葉もない衝撃に包まれる。一国の学園の小さな祝賀会に、帝国の絶対君主が自ら赴くなど、帝国の長い歴史上あり得ない異例中の異例であった。
「良いか! この祝賀会は、我が魔法帝国の未来を左右する最重要局面となる! 最高級の献上品と、考え得る限りの特級護衛陣を編成せよ! 遅れを取ることは断じて許されんぞ!」
「ははっ!!」
宰相の大号令のもと、アルカディア魔法帝国は国を挙げた最優先任務として、学園の式典への出席準備を開始した。
当のアレンが「あの美容水の顧客の令嬢と、いつも丁寧な手紙をくれる宰相さんたちだな。せっかくだから帝国のトップにも一応声をかけておくか」と、近所の顔なじみをパーティーに誘う程度の気楽さで送った招待状が、また一つ大国を丸ごとパニックと歓喜の渦に巻き込んだのだった。
【ゼノリス王国の動揺】
「……おい、もう一度言ってみろ。我が国の王立学園から、一体何が発信されたと……?」
ゼノリス王国の王城・謁見の間。国王は報告に訪れた外務大臣の言葉が信じられず、固まった顔で問いただした。
「は、はい……! オルフェリア王立学園の最高理事長に就任したアレン・ノア氏より、各国の首脳陣へ向けて『学園の定期祝賀会』への招待状が送付された模様です。……なお、その宛先なのですが……」
外務大臣が震える手で差し出した報告書を目にした瞬間、国王をはじめとするゼノリス王国の重臣たちの顔から、一斉に血の気が引いた。
「バルツァー辺境伯はもとより、レムリア法皇国の法皇猊下と第一王子……! アルカディア魔法帝国の帝王陛下と宰相、さらにはクレイズ神聖王国の国王陛下まで……!? ば、馬鹿な! 世界の主要国家の頂点すべてに、単一の学園から直接の招待状が叩きつけられたというのか!?」
「しかも、各国とも『あの絶対者からの召喚である』と解釈し、国王や帝王が自ら全権を携えてゼノリス王国へ乗り込んでくる構えを見せております! すでに国境付近には各国の超一流の護衛部隊や国賓級の車列が集結しつつあり……!」
静まり返る謁見の間に、大臣たちの悲鳴に近い報告が次々と響き渡る。
ゼノリス王国にとって、アレン・ノアは「黒曜龍の脅威から世界を救った英雄」であり「国家の予算すら凌駕する莫大な資産を動かす怪物」であった。だが、まさか自国の王立学園の理事長に就任した途端、国を丸ごと通り越して『世界の首脳会談』を勝手にセッティングしてしまうなど、誰が予想できただろうか。
「ひ、一学園の祝賀会に、世界を統べる王や帝王が勢揃いするなど前代未聞だぞ! 開催地である我がゼノリス王国が知らぬ存ぜぬで通せるはずがないではないか!」
「警備はどうするのだ!? 万が一、我が国の領内で他国の元首に何かあれば、即座に世界大戦に発展するぞ!」
「そもそも、アレン殿は一体何を企んでおられるのだ……!? 我が国を飛ばして世界の勢力図を直接塗り替えるおつもりか、それとも新たな国際機構でも立ち上げられるというのか……!?」
王国の中枢は、かつてないほどの過剰な誤読と大混乱に包まれていた。
自国の領内で行われる「ただの学園行事」が、一夜にして「世界の運命を決める超国家規模の頂上会談」へと変貌を遂げてしまったのだ。国家の威信と存続をかけ、ゼノリス王国は全軍および全暗部を動員した過去最大の国賓警備体制を強制的に敷かざるを得なくなった。
一方その頃、理事長室で静かに本をめくっていた当のアレンは、外の騒がしさなど露知らず、呑気に思考を巡らせていた。
(よし、これで顔なじみへの近況報告と学園の宣伝はバッチリだな。まあ、十億円分の元くらいは取れるだろう)
自分が飛ばした数枚の「軽い挨拶の手紙」が、自身の母国をも破滅寸前のパニックへと叩き落としたことなど、彼はやはり微塵も気づいていないのだった。




