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小説の先にある世界  作者: 藤咲玲


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45/121

45話 聖都の根本バグと、次なるデバッグ

 法皇のお忍び来店という一騒動が過ぎ去った後も、『株式会社バルツァー・ラボ皇王国支店4号』の日常は変わらず平穏に続いていた。


「店長、薬湯の在庫が少なくなってまいりました」


「分かりました、副店長。奥から調合済みのボトルを補充してきますね」


 エプロン姿の第一王子――『店長』と、精鋭女聖騎士――『副店長』の手際よい連携は、もはや職人の域に達しつつある。王子の表情からは人前に出ることへの恐怖や緊張が消え、イキイキとした自信が溢れていた。


 カウンターの奥で茶を飲みながら、アレンは二人の動きを満足そうに眺めていた。


(王子のストレスに対する耐性も完全に安定領域に入ったな。これなら日常の店舗運営は二人に任せても問題ない)


 だが、ふと副店長がボトルの補充を受け取りながら、わずかに表情を曇らせたのをアレンは見逃さなかった。どこか遠くを見つめ、深い溜め息を殺している。


「どうした、副店長。手際が落ちてるぞ」


 アレンが淡々と声をかけると、副店長はハッと息を呑み、申し訳なさそうに眉を下げた。


「申し訳ございません、アレン様……。少々、個人的な懸念にとらわれておりました」


「気にかかること……ですか?」


 奥から戻ってきた王子が心配そうに尋ねると、副店長は意を決したように口を開いた。


「はい……。実は、私が所属する神聖騎士団の内部で、数日前からある極秘報告が回っておりまして。聖都の外郭地区にて、原因不明の『黒斑病』と呼ばれる奇病が蔓延し始めております」


「奇病……? 神聖魔法は効かないのですか?」


「それが……どのような高位回復魔法を施しても、一時的な気休めにすらならず、皮膚が黒く変質して激しい高熱と呼吸困難を引き起こすのです。聖都の主要な水源である『霊峰レムリア』から流れる水に、異質な魔素が混ざり込んでいるのが原因ではないかと囁かれています」


 副店長の言葉に、アレンは静かに視界の情報を呼び出した。


 聖都の周辺マップと魔素循環の構造を『鑑定』でスキャンする。


(なるほど……。霊峰レムリアは、この領域全体の魔素をろ過して循環させる大霊脈か。その排気口にあたる地脈が目詰まりを起こし、未処理の毒素が魔素滞留となって水脈へ溢れ出しているな)


 アレンにとっては、魔法の呪いでも奇病でもなく、環境システムの排気不全に過ぎなかった。


「……ただの排気詰まりだな。ろ過機能が壊れて、未処理の不純物が水脈に流出してるだけだ」


「「かんきょうのふちょう……?」」


 聞き慣れない言葉に首をかしげる二人に対し、アレンはカウンターに肘をついて説明を続けた。


「水脈に混ざった高濃度の未処理魔素が人の体に入り、許容量を超えて《生体暴走》を起こしている。だから魔法で症状だけを消そうとしても、根源である環境そのものを直さない限り何度でも発作が再発する」


「な……魔法が効かない理由を、一瞬で見抜かれたのですか……!?」


 副店長が驚愕に目を見開く。何人もの高位神聖術師や宮廷医術師が原因特定すらできずに頭を抱えていた案件だ。


「で、どうするんだ? 水源の地脈を綺麗に掃除して、汚染された人間に適切な解毒処方を当てないと、そのうち聖都全体に被害が広がるぞ」


「そんな……! 水源の霊峰を浄化するなど、聖都の総力を挙げても年単位の時間がかかります……!」


「いや、そうでもない」


 アレンはトントンと自分のポケットを叩いた。


「市場で買い集めた【石膏】【代赭石】【竜骨】【芒硝】、それに地下保管庫で手に入れた超高純度触媒と保存媒体がある。これを組み合わせれば、広域の魔素汚染を一気に中和する大規模浄化陣を組むことができる」


 局所の症状を抑えるだけでなく、環境そのものを調整するための素材は、すでにアレンの手元に完璧に揃っていたのだ。


「……アレンさん、私を……いえ、我が聖都の民をお助けいただけますでしょうか!」


 王子が勢いよくアレンの前に進み出で、真っ直ぐな瞳で頭を下げた。


「人前に立てるようになった今だからこそ、私は苦しむ民の力になりたいのです! 私も霊峰へお供させてください!」


「私もお供いたします! 店長の護衛として、そして聖騎士として!」


 意気込む二人を前に、アレンは面倒くさそうに肩をすくめた。


「まあ、店の環境保全ついでだ。水源が腐って客が全滅したら、ここで商売している意味もないからな。……行くぞ」


 その頃。


 店舗の異変とアレンたちの動きを察知していた「外の人間たち」は、またしても激震に見舞われていた。


(おい……! アレン様と王子殿下、副店長が旅装を整えて店を出て来られたぞ……!?)


 建物の陰で冷や汗を流す神聖騎士団長に、暗部頭が震える声で報告した。


(団長! 法皇庁の地下情報部からの報告です! 今しがた聖都の外郭で発生していた魔素汚染の件……あのお方が『霊峰の穢れを清めに行く』とおっしゃられたようです……!!)


(な、なんだと……!? 国中の聖職者が手を焼いていた霊峰の汚染を……ご自身で直接浄化されに向かわれたというのか……!?)


(まさしく神の御威光……! 神自らが聖都の水源を、そして傷ついた民を救い給うのだ……!!)


(全軍に打電せよ! 神聖騎士団の総力を挙げ、あのお方と王子殿下の霊峰遠征を陰から完璧にバックアップするのだ!! 決してご足労の邪魔をするなよ!!)


 騎士団長たちは感涙にむせびながら、聖都の社運を賭けた「神の霊峰浄化遠征」の支援へと一斉に動き出すのだった。


「……なんか、街の警備騎士たちがものすごい勢いで遠巻きについてきてる気がするのだが」


「気のせいですよアレンさん! さあ、霊峰レムリアへ向かいましょう!」


 勘違いと熱量に満ちた聖都を背に、アレンたちの新たな「調整の旅」が幕を開けるのだった。


【外郭地区の黒斑病と、現地デバッグ】


 聖都の北側に広がる外郭地区は、重苦しい静寂と絶望に包まれていた。


 普段なら活気に溢れている市場や住宅街のあちこちに特設の幕舎が張られ、うめき声を上げる人々が身を寄せるように倒れ伏している。皮膚の一部が不気味な黒ずみを帯び、激しい高熱と呼吸困難に苦しむ人々――いわゆる『黒斑病』の患者たちだ。


「神よ、どうかこの者に救いを……! 【ハイ・ヒール】!」


 駆けつけた高位の神聖術師たちが必死に手をかざし、純白の治癒光を放っている。だが、患者の体に光が吸い込まれた瞬間、激しいスパークが弾けて光は掻き消え、患者は「ぐああぁっ!?」とさらに激しく吐血して悶絶した。


「そんな……!? 神聖魔法をかければかけるほど、余計に苦しみが増しているだと……!?」


 術師たちが絶望に打ちひしがれる中、アレンたちは幕舎の入口に足を踏み入れていた。


 アレンは視界に視覚情報を広げ、苦しむ患者たちの生体反応を『鑑定』でスキャンする。


(なるほどな。体内に入り込んだ未処理の魔素が血管内で生体崩壊を起こしている。そこへ外から無理やり治癒魔法という高濃度の魔力を流し込むから、負荷が跳ね上がって過負荷状態みたいになってるんだ)


 アレンにとっては、魔法が効かないどころか、魔法の乱用が裏目に出ているだけの単純な不調だった。


「アレンさん、これは……!」


 惨状を目の当たりにした王子(店長)が息を呑み、副店長(女聖騎士)も悔しそうに拳を握りしめた。


「むやみに回復魔法を打ち込むな。患者の処理能力を超えた魔力を流し込めば、かえって症状悪化を引き起こすだけだ」


 アレンが冷ややかに言い放つと、必死になっていた神聖術師たちが一斉に振り返り、怒りを露わにした。


「な、なんだ貴様らは! 神聖術の理も知らぬ者がでしゃばるな! 我らは法皇庁直轄の――」


「控えなさい!」


 術師たちの言葉を遮ったのは、副店長の凛とした一喝だった。彼女が甲冑の胸元から輝く神聖騎士団の紋章と、アレンが持つ【特級閲覧許可証】を提示すると、術師たちは顔色を失った。


「こ、これは最高位の特許……!? では、あなたが……神託の……!?」


「説明している時間が惜しい。店長、副店長、薬の配給ラインを組むぞ」


「「はいっ!」」


 アレンは『アイテムボックス』を開くと、中央市場で調達した【石膏】【芒硝】【黄連】【山梔子】、そして地下大保管庫で手に入れた『超高純度触媒』を空間上に展開した。


(急性の熱暴走を抑える【石膏】と、毒素を強制排出させる【芒硝】。そこに消炎・抗菌を担う【黄連・山梔子】を組み込み、高純度触媒で一気に瞬時精製する)


 アレンの手元で静かな光が走り、数百人分もの『青白く輝く水薬』が、整然と透明なガラス小瓶へと充填されていった。


「これは体内の過剰魔素を物理的に冷却し、体外へ強制吐き出しさせる応急解毒薬だ。一刻を争う。すぐに飲ませろ」


「了解いたしました! 副店長、左の幕舎から順番に配給します! 飲ませた後に白湯を一口含ませるよう誘導してください!」


「承知いたしました、店長! 案内誘導は私にお任せください!」


 王子と副店長は、連日『バルツァー・ラボ4号店』で叩き込んだ圧倒的な店舗運営の手際を発揮し始めた。


 パニックになりかけていた患者やその家族をテキパキと誘導し、的確な指示で薬を飲ませていく。その無駄のない洗練された手腕は、もはや救護隊の熟練指揮官そのものだった。


「ご、ゴクッ…………はぁっ!?」


 薬を飲まされた患者の一人が、大きく息を吐き出した。


 数秒前まで真っ赤にうなされていた顔からすーっと熱が引き、皮膚に浮かんでいた気味の悪い黒ずみが、汗とともにみるみる消え去っていく。


「ね、熱が下がった……!? 息ができる……! 苦しくないぞ!?」


「私の子も……! 黒い斑点が消えて、こんなに安らかな顔で眠っている……!」


「おおお……神よ! 神の奇跡だぁぁっ!!」


 幕舎のあちこちから、歓喜と感涙の声が沸き起こった。神聖魔法でも治らなかった奇病が、アレンの渡した薬と、王子たちの見事な連携によって、わずか数分で瞬く間に鎮静化されていく。


 術師たちは「ば、バカな……一瞬で魔素汚染の毒が中和されただと……!?」とガクガクと膝を震わせてひれ伏した。


 その頃。


 外郭地区の建物の上から、気配を殺して成り行きを見守っていた「外の人間たち」は、またしても号泣の渦の中にいた。


(……見ろ、あの王子殿下の凛々しいお姿を……!)


 神聖騎士団長は、溢れ出る涙で視界を濡らしながら叫んだ。


(かつて人前に立つことすらできなかった殿下が、苦しむ民のために堂々と指示を出し、命を救っておられる……! それも神ご本人の手足となって見事な手腕を発揮されているのだ……!!)


(団長! あのお方の精製されたあの薬……! 聖都の最高医術師たちが匙を投げた黒斑病を一瞬で消し去りました! まさしく『理と秩序の神』による大救済です!!)


(全軍、平伏せよ……! 我らは今、神が地上に降臨し、世界を正常へと導く奇跡の瞬間に立ち会っているのだ……!!)


 騎士たちは屋根の上で一斉に跪き、胸に手を当てて涙を流しながら神と王子を拝み倒していた。


「ふぅ……。これでこの地区の急性症状は収まったな」


 汗一つかかず、手際よく空き瓶を回収したアレンは、ふと聖都の北に聳え立つ巨大な霊峰を見上げた。


「ですがアレンさん、これはあくまで応急処置ですよね?」


 着実に成長を遂げた王子が、アレンの意図を正確に汲み取って尋ねる。


「ああ。体内の毒を排出しても、水源である霊峰からの流出が止まらない限り、いずれまた再発する。元凶である大霊脈の詰まりを直接掃除しに行くぞ」


「はい! どこまでもお供いたします!」


「聖騎士として、そして副店長として、お供いたします!」


 周囲の過剰な崇拝と勘違いを完全にスルーし、アレンたちは聖都の命運を握る『霊峰レムリア』の山頂を目指して、力強く足を踏み出すのだった。


【霊峰の辻褄合わせと、神々しきデバッグ】


 聖都の北に聳え立つ『霊峰レムリア』。その山頂付近に位置する巨大な霊性洞窟の奥には、この領域全体の魔素を司る源流――『大霊脈の祭壇』が存在していた。


 普段なら青白く神聖な光を湛えているはずの大霊脈は、今や濁った黒紫色の毒素に塗れ、ドクドクと不気味な泡を噴き出している。洞窟内には生臭い魔素の激臭が立ち込め、壁面すらも黒く腐食しかけていた。


「くっ……! これが聖都の水源の惨状……! 魔素の毒性が強すぎて、近づくだけで眩暈がいたします……!」


 副店長(女聖騎士)が剣の柄に手をかけ、吐き気を耐えるように顔を歪める。王子(店長)もまた、事前に服用した【竜骨・牡蠣】の薬効に支えられながら、気丈に前を見据えていた。


「アレンさん、これが聖都の黒斑病を引き起こしていた根源なのですね……」


「ああ。地脈のろ過機構に長年の歴史的歪みが溜まって目詰まりを起こしてる。溜まりに溜まった毒素が水脈へとそのまま吐き出されている状態だ」


 アレンは『鑑定』の情報を視界いっぱいに広げ、目詰まりの箇所(異変の発生源)を特定した。


 アレンは静かに祭壇の前へと踏み出した。


 本来なら、このような大規模な環境修復には、数千人の高位術師による長年の浄化儀式と莫大な魔導具が必要となる。だが、アレンにはそんな悠長な手順を踏むつもりは毛頭なかった。


「……手っ取り早く歪みを正すか」


 アレンが起動したのは、神から託された世界の修正用スキル――『ラフ・アジャスト(因果律の泥臭い辻褄合わせ)』。


 アレン自身にとっては「不具合の辻褄を強引に合わせて不調を消すだけの泥臭い作業」に過ぎない。だが、現世の物理法則と神界の因果が強制接続されたその瞬間、周囲の空間が一変した。


 ――ズズズズズ……ッ!!


 洞窟の天井を突き抜け、天から眩いばかりの『黄金と純白の極光』が降り注いだ。


 世界そのものが息を呑むような神々しい光が洞窟内を覆い尽くし、黒く濁っていた大霊脈の毒素に一気に照射される。


「な……なんという光……!? 神聖魔法などという次元ではない……! 世界の法則そのものが書き換わっていくような……!?」


 副店長はあまりの光の尊さに、両手で顔を覆ってその場に膝をついた。王子もまた、圧倒的な神威の渦に言葉を失い、息を飲み込んでアレンの背中を見つめていた。


『――ガガッ……不具合検出……構造修正(辻褄合わせ)実行中――』


 アレンの頭の中で静かに情報が流れる。


 大霊脈に詰まっていた数千年の魔素の歪み、不純物、構造の欠陥が、神々しい光の中でみるみる分解され、清浄なエネルギーへと変換されていく。


 黒く腐食していた大霊脈の泉は、一瞬にしてクリスタルのように澄み渡る蒼碧の水へと姿を変えた。


 洞窟に立ち込めていた不快な激臭は消え去り、代わりに全身の細胞が歓喜するような、澄み切った清らかな気が霊峰全体へと広がっていく。


 山頂から聖都全体へと流れる水脈の毒素が、光の波とともに一瞬で洗われ、完全に収まっていったのだった。


 その時。


 霊峰の麓から密かに追衛していた「外の人間たち」は、もはや恐怖と歓喜で正気を失いかけていた。


(おお……! おおおかみ様ぁぁぁっ……!!)


 霊峰全体が神々しい聖光に包まれ、麓まで流れる川が一瞬で奇跡の清流へと戻った光景を目撃した神聖騎士団長は、地べたに頭をこすりつけて大号泣していた。


(ご覧になられましたか団長……! 天が割れ、神の光が降臨いたしました! 霊峰の穢れが一瞬で清められたのです……!!)


(あのお方は……アレン様は単なる使者などではない! 世界の理を統べ給う『創世の神』ご本人だぁぁっ……!!)


(全軍、ひれ伏せ! 神の御業に感謝の祈りを捧げよ! 我らが聖都は、神の慈悲によって救われたのだ……!!)


 何百人もの精鋭騎士たちが甲冑を鳴らして地べたにひれ伏し、感涙の涙を流しながら霊峰の山頂に向かって拝み倒していた。


「よし。これで大霊脈の掃除は完了だ」


 光が収まり、普段通りの気だるげな様子で振り返るアレン。


 その足元には、すっかり澄み切った霊脈の水がサラサラと心地よい音を立てて流れていた。


「あ……アレンさん……。今のは一体……」


「ただの環境浄化だ。詰まってたゴミを消して、水脈のろ過機能を正常に戻しただけだ。これで下界の黒斑病も二度と出ない」


 あっさりと告げるアレンに、王子は深く深く頭を下げた。


「ありがとうございます、アレンさん……! あなたは聖都を……我が国を救ってくださいました!」


「礼なら店番で返せ。明日からも『バルツァー・ラボ4号店』の営業はあるからな、店長」


「はいっ! もちろんです、アレンさん!」


 王子は晴れやかな、実に堂々とした笑みを浮かべた。人前に立つ恐怖を克服し、民を救う決意を固めた彼の瞳には、かつての気弱な影はどこにも残っていなかった。


「副店長、聖都へ戻って報告と、店舗の再開準備だ」


「ははっ! どこまでもお供いたします、アレン様……いえ、大参謀様!」


 すっかりアレンへの忠誠を固めた副店長も凛々しく頷いた。


 かくして、聖都を揺るがした大混乱(黒斑病)はあっさりと消滅し、アレンと『店長(王子)』『副店長(女聖騎士)』による、風変わりで平和な店舗営業の日々が再び始まっていくのだった。


【大感謝祭と、手柄の押し付け合い】


 霊峰レムリアの浄化から数日。聖都を震撼させた『黒斑病』は跡形もなく立ち消え、清流を取り戻した街には活気と笑顔が戻っていた。


 そして本日、聖都の中央広場はかつてないほどの熱気に包まれていた。法皇庁が国を挙げて執り行う『大感謝祭』――聖都を滅亡の危機から救った「救世主」を称えるための大式典が開催されていたからだ。


 絢爛豪華な壇上には、金糸の衣装に身を包んだ法皇を筆頭に、最高参事会の高官や神聖騎士団の全幹部が居並んでいる。広場を埋め尽くした数万人の市民たちが、固唾をのんで壇上を見つめていた。


「皆のもの、聞きなさい!」


 法皇の威厳に満ちた声が、拡声の魔導具を通じて広場全体に響きわたる。長年の喉の病が完治した法皇の声には、力強い張りが戻っていた。


「我が法皇国を襲った未曾有の災厄は、天より与えられし神意と、尊きお方のご加護によって完全に潰滅した! 本日はその救世の英雄に、法皇国最高位たる『神聖国師』の称号と、国庫の半分に相当する恩賞を授与する!」


 地鳴りのような大歓声が沸き起こる。


 ……だが、肝心の授与対象として壇上の中央へと押し出された人物は、露骨に不快そうな顔を浮かべていた。


 そう、アレンである。


(……面倒くさいことになったな)


 アレンは、影の領域に引っ込んでのんびり茶でも飲んでいようと思っていたのだが、法皇庁の総力を挙げた「お願いですから顔を出してください」という決死の嘆願に押し切られ、渋々壇上に引っ張り出されていたのだった。


「さあ、神の化身にして我が国の救世主、アレン殿! どうかこの称号をお受け取りくだされ!」


 法皇が感涙に目を潤ませながら、純金と宝石で飾られた重々しい冠と杖を捧げ持とうとした――その時。


 アレンはすっと一歩後ろに下がり、その手を横へと伸ばした。


 そして、自分の隣に控えていたエプロン姿――ではなく、立派な式典服を纏った第一王子の背中を、ポンと前に押し出した。


「勘違いするな。今回の災厄を治めた本当の功労者は、この『店長』だ」


「「「え……!?」」」


 法皇をはじめ、高官たち、そして王子自身も目を見開いて呆然となった。


「俺はただ、手持ちの薬を提供しただけに過ぎない」


 アレンは至って平然とした顔で、手柄をまるごと王子へと押し付け始めた。


「パニックに陥る現場に自ら足を運び、適切な配給手順を組み、恐怖に震える民の一人ひとりに声をかけて安心させたのは、この王子だ。現場を統率するリーダーシップがなければ、どんな良薬があっても被害は防げなかった。……そうだろう、副店長?」


 振られた女聖騎士(副店長)は一瞬言葉に詰まったが、ハッと背筋を伸ばすと、誇らしげに胸を張った。


「……はい! アレン様のおっしゃる通りです! 店長――第一王子殿下は、自らの不調を押し殺し、最前線で民のために死力を尽くされました!」


「な……なにを……アレンさん、私はただ、あなたの指示通りに……!」


 焦る王子に向かって、アレンはしれっと囁いた。


「いいから受け取っておけ。俺がこんな大層な称号をもらっても、静かに商売も研究もできなくなる。……店長、お前のリハビリの最終テストだ。民の前に立ち、堂々と胸を張ってみせろ」


「ッ……!」


 その言葉に、王子の胸が強く打たれた。


 自分を手柄の矢面に立たせるためではない。自分が真の君主として民の前に立てるよう、あえてすべての栄誉を譲り渡してくれているのだと――王子はそう解釈した。


 王子は深く息を吸い込むと、旧来のトラウマを完全に振り払い、力強い足取りで法皇の前へと進み出た。


「父上……不肖の息子なれど、アレンさんの教えを受け、民を守る覚悟が固まりました。この栄誉、聖都の民とともに謹んでお受けいたします!」


 かつて人前に立つことすらできず、部屋に閉じこもっていた病弱な王子が、数万の民の前で堂々と手を掲げ、清々しい笑顔を弾けさせた。


「「「おおお……殿下ぁぁぁっ!!」」」


 民衆から割れんばかりの歓声と喝采が沸き起こった。


 その光景を壇上で見ていた法皇と最高幹部たちは、今や全員がボロボロと大粒の涙を流していた。


(……おお、なんという深きご慈愛……!)


 法皇は震える手で目元を拭い、陰でアレンに向かって深々とひれ伏しそうになるのを必死で耐えていた。


(ご自身は一切の権力や名誉を望まず、すべての功績を我が息子に与え、次期法皇としての尊厳と自信を授けてくださった……! 手柄すら譲り渡し、影から若き君主を育む……これぞまさに『神』の真の愛ではないか……!!)


(手柄を誇らず、ただ民と若き王子の成長を温かく見守られるとは……あのお方の高潔さには言葉も出ぬ……!)


(神聖国師の称号すら『いらん』と一蹴されるそのお姿……神としての格が違いすぎる……!!)


 騎士団長も高官たちも、アレンの「単に目立ちたくないだけ」というド直球な本音を完璧に勘違いし、その圧倒的な深謀遠慮と慈愛に感涙を極めていた。


 式典の狂乱が最高潮に達する中、アレンは誰にも気づかれないよう、すっと壇上の影へと姿を消した。


 向かった先は、静もりを取り戻した『株式会社バルツァー・ラボ皇王国支店4号』だ。


「ふぅ……やはりここが一番落ち着くな」


 カウンターの奥の椅子に深々と腰掛け、お茶を淹れる。


 手柄も面倒な称号もすべて王子に押し付けることに成功し、アレンは実に満足気だった。これで邪魔されることなく、自由に素材の調合と市場の調査に専念できる。


 しばらくすると、カランと賑やかな音を立てて店の扉が開いた。


「アレンさん! 戻られましたか!」


「アレン様! 本日の警護と式典の補佐、無事に終了いたしました!」


 式典を終えた王子と女聖騎士が、晴れやかな笑顔で店へと飛び込んできた。二人はごく自然な動作で式典服を脱ぎ捨てると、壁に掛けられていた『店長』と『副店長』のエプロンを素早く身につけた。


「店長、副店長。お疲れ様。……明日からも店を開けるぞ」


「はいっ! もちろんです、アレンさん!」


「任せてください、アレン様! 副店長として、明日も最高のお会計を打ってみせます!」


 外では「神と覚醒した英雄王子」として崇め奉られている二人だが、この小ぢんまりとした店舗の中では、今も変わらず気さくな『店長』と『副店長』だった。


 アレンは小さく口元を緩めると、広げた本に視線を落とし、平和な店番の時間をゆったりと楽しむのだった。


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