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小説の先にある世界  作者: 藤咲玲


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41/120

41話:事務的チェックインと、誘導されたバグ

 レムリア法皇国の国境検問所。白亜の石材で組み上げられた重厚な門の前には、国境を越えようとする巡礼者や商人たちの長蛇の列が出来上がっていた。厳格な宗教国家らしく、周囲には聖印を掲げた警備兵たちが鋭い視線を走らせ、入念な手荷物検査とおごそかな祈祷の儀式が整然と執り行われている。


 その退屈な列の中で順番を待っていたアレンは、周囲の威圧的な雰囲気に一切気を呑まれることなく、無言で影の領域の『鑑定』を起動させた。


 脳裏に青白い情報が走り、待ち時間を利用して引き出した「レムリア法皇国」の統治システムと身分構造が、アレンの思考へと展開されていく。


 信仰の対象は『理と秩序の神』――あの無責任な管理者エルエルの上司にあたる超越存在だ。世界や社会のルール、階級、魔導の法則そのものを司り、「調和と安定」を至上命題とする厳格な神。その教義と法でガチガチに固められた国家システムは、権限レベルごとに美しく整理されていた。


 最高権限を持つ頂点が、神の代理人にして絶対的君主たる『法皇』および最高参事会だ。その言葉はそのまま不可侵の国家法となり、神聖官僚機構が実務を完璧に回している。

 その下に位置する上層が、全国の聖堂を統括する『聖貴族・主席司祭』。領地や財産を「神からの預かりもの」として管理・運用する彼らは、高い信仰心と優れた政治手腕を併せ持つ宗教的エリート層だ。

 中層を固めるのは、信仰と武を一体化させた武闘エリート『神聖騎士団』。治安維持と対外防衛を担う強力な防衛部隊である。

 そしてシステムを支える下層が、労働と生産に従事する『一般信徒・民衆』。彼らは定められた納税――いわば制度利用料を納めることで、国から手厚い生活保障と完璧な安全を約束された安定した暮らしを享受していた。

 最後が、教義に従わず秩序の外側に置かれた『異端者・無宿者』。制度上の保護を一切受けられない、文字通りの階級外(出入り拒否)の存在だ。


(……なるほど。権限割り振りと治安方針が完璧に設計された管理社会か)


 ルールの内側にいる「正当な市民」には手厚い保障を与え、規律を乱す「害悪」は即座に階級外へ弾き出す。極めて堅牢で洗練された統治構造だと、アレンは脳裏の情報を閉じた。


 思考を整理し終えると同時に、アレンの順番が巡ってくる。


 アレンはバルツァー・ラボのCEOが事前に完璧に手配していた正規の「商用・研究用通行許可書」と、規定通りの出入国税として銀貨3枚を淡々と差し出した。検問官は提出された書類の羊皮紙に刻まれた複雑な魔法印章を確認し、脇に置かれた鑑定魔導具の針が正常値を指しているのを見届けると、何の疑いもなく通行許可のスタンプを押す。


 所要時間はわずか45秒。どれほど厳格で威圧的な統治体制であろうと、法と仕組みが整備されている場所であるならば、正当な書類と税の納付という「正解の証明」を提示しさえすれば、手続きは極めて合理的かつスムーズに処理される。


 無事に検問を突破し、法皇国の第一都市へと足を踏み入れたアレンは、情報収集と市場調査を兼ねて中央広場に広がる官製市場へと足を向ける。高い防壁に守られた都市の内部は、法律と税制によって徹底的に治安が維持され、整然とした街並みが広がっていた。しかし、その賑わう市場の熱気の中に混じる「ある不要な雑音」を捉え、アレンは静かに眉をひそめた。


 この街では、以前帝都で爆発的なヒットを記録した「全粒粉クッキー」や「美容水」が流れていた。これらは純粋な栄養学と科学的アプローチで作られた一般流通品であり、正規の関税を支払って法皇国へ輸入されていたものだ。


 しかし、法皇国内に正規の直営店舗が未だ確立されていない隙を突き、一部の闇商人や転売ヤーたちが暗躍していた。彼らは他国の商人が持ち込んだ在庫を片端から買い占め、民衆に対して正規価格の10倍以上という異常なプレミア価格を乗せて売りつけていたのだ。それは、市場の流動性を著しく害する、不当な悪徳業者に他ならなかった。


 アレンは自身の固有スキル「鑑定」を無言で起動させ、市場でやり取りされる金銭と在庫のデータ数値を千分の一秒単位で解析しながら、広場の雑踏へと紛れ込んだ。


 そして、人ごみの中でさも一理ある噂話のように、静かな声でひとつの品薄情報を流した。


「――聞いたか? 近いうちに帝都の高級クッキーと美容水が、法皇国では完全な独占制限供給になるらしいぞ。今ある在庫を出回っている分だけで買い押さえなければ、二度と手に入らなくなるそうだ」


 その噂は、瞬く間に欲に目がくらんだ転売ヤーたちの間に駆け巡った。不当な利益に味をしめていた彼らは「今ある在庫をすべて買い占めれば、さらに10倍、いや20倍の価格で民衆に売り抜けられる」と狂喜乱舞した。闇商人たちは手持ちの資金をすべて吐き出し、さらには高利貸しから大量の借金まで重ねて、他国の商人が持ち込んでいた全粒粉クッキーと美容水の全在庫を限界まで買い漁り始めた。


 買い占めが完了し、転売ヤーたちが市場の在庫を独占して有頂天になっていたその瞬間、アレンの差し出した左腕の上に、空から一羽の伝書鳥が静かに舞い降りた。


 アレンは鳥の脚に括り付けられていた小さな竹筒から極薄の羊皮紙を取り出し、熟練の手つきで広げる。そこには、道中の馬車から打診しておいた指示(価格修正案内)に対し、帝都のCEOが完璧な手腕で応えた報告が、緻密な極小文字で記されていた。


『第一都市中央広場における店舗施設の確保、および初回大量在庫の搬入はすべて完了いたしました。アレン様の指示通り、新店オープン記念の目玉として、全商品を帝都の正規価格のさらに半額(特売セール)で市場へ一斉供給する体制が整っております。ご命じいただければ、ただちに開店いたします』


 書簡の文章を最後まで読み終えると、アレンの手の中で羊皮紙は微かな魔力の熱で跡形もなく燃え尽き、灰となって風に消えた。


 買い占めた大量の在庫を前に、これで巨万の富が得られると下品な笑みを浮かべている転売ヤーたちを遠目で見下ろしながら、アレンの口元に冷徹な対抗策としての笑みが浮かぶ。


「素晴らしい物流管理だ、CEO。……奴らが自己資金と借入金の100%を在庫に変換したこの瞬間こそが、最も効果的なタイミングだな。ただちに直営支店を正式オープンさせ、対抗措置を実行させるとしよう。買い占めた高額な在庫を抱え込ませたまま、一瞬で市場から淘汰してやる」


【不具合のパージと、市場のデバッグ】

 アレンが小さく指を鳴らすと同時に、中央広場の一角で動きがあった。


 これまで固く閉ざされていた一等地の建物から重厚な扉が開かれ、バルツァー・ラボの鮮やかな紋章が刻まれた看板が掲げられる。それとほぼ同時に、店頭へ巨大な木製看板が叩きつけられるように設置された。


『バルツァー・ラボ 法皇国第一支店 本日堂々オープン! 帝都話題の全粒粉クッキー&特別美容水――新店開設記念として、正規価格のさらに【半額】で緊急一斉供給!』


 その文字が目に入った瞬間、広場を埋め尽くしていた買い物客たちの動きが止まり、直後に雷鳴のような歓声が上がった。


「は……半額!? 帝都のあの高級クッキーが、直営店の正規価格のさらに半分だって!?」

「おい見ろ、美容水もだ! 闇商人が十倍の値段で売りつけてた本物が、格安で山積みされてるぞ!」


 怒涛のような人波が、あっという間に新店舗の前へと押し寄せる。

 CEOの手によって完璧にトレーニングされた現地のスタッフたちが、精緻な手つきで商品を次々と捌いていく。事前に搬入されていた膨大な在庫は、圧倒的な供給量となって市場の需要を一瞬で満たしていった。


 ――そして、その隣で繰り広げられたのは、目を覆うばかりの残酷な現実だった。


「な……なんだと……!? 冗談だろ、おい!?」


 買い占めたばかりの大量の在庫を前に、特注の露店で高みの見物を決め込んでいた転売ヤーたちの顔から、一瞬で血の気が引いていく。


「ぜ、全財産をはたいて……高利貸しから大量の借金まで重ねて買い占めたんだぞ!? なんでこのタイミングで本物の直営店が、しかも半額で開店するんだよ!?」


 彼らが十倍のプレミア価格で売り抜けようとしていた商品は、すぐ隣の直営店でその二十分の一の価格で無限に供給されているのだ。買う人間など世界に一人もいるはずがなかった。


「ま、待て! こっちはその半額のさらに半額で売る! 頼むから買ってくれ!」


 焦り狂った闇商人たちが血眼になって投げ売りを叫んだが、集まった民衆は冷ややかな視線を送るだけだった。完璧な品質保証と美しい接客がついた直営店の正規品と、道端で怪しげな男が叫んでいる抱え落ち在庫。どちらを選ぶかなど、比べるまでもなかった。


 ほんの数分前まで「市場の独占」と「巨万の富」を確信していた男たちは、一瞬にして返済不能な破産宣告と、誰も買わないクッキーの山と共に市場の真ん中に取り残された。


 雑踏の陰からその崩壊劇を冷徹に見下ろしながら、アレンは静かに思考を巡らせる。


(自己資金と借入金の100%を在庫という固定資産に変換させた直後での、急激な供給過多による価値の暴落……市場における最も古典的で、最も効く一括排除手法だ)


 投げ売りすら失敗し、頭を抱えて地面に突っ伏す転売ヤーたちの前に、やがて重厚な金属音が響いた。

 広場の入口から進み出てきたのは、白銀の甲冑を纏い、胸元に聖印を刻んだ一隊――先ほど鑑定で確認した身分階層、中層『神聖騎士団』の警備隊だった。


「――不当な買い占めによる市場流動性の阻害、および無許可の高利貸付けに関与した容疑だ。全員身柄を拘束する」


「ひっ……!? き、騎士様! 俺たちはただ商売を――」


「教義と法律において、社会の調和を乱す悪質な投機行為は重罪である。言い訳は裁判で立て」


 隊長の冷徹な一言と共に、膝から崩れ落ちていた転売ヤーたちが次々と拘束されていく。

 彼らが買い占めた在庫と不当な資産はすべて没収。法皇国の秩序を著しく乱した「害悪」として、彼らは身分を剥奪され、制度上の保護を受けられない階級外『無宿者』へと格下げされた上で、最下層の強制労役施設へと送られることになる。


 一方で、正式な手続きを踏み、適正な関税を納め、民衆に安価で高品質な品を提供したバルツァー・ラボの直営店には、騎士団の隊長から「健全な市場の維持に貢献された」と丁寧な感謝の言葉すら贈られていた。


(不当な割り込みを行った悪徳業者が瞬時に検知され、システム側の自治機能によって速やかに消去されたか……)


『理と秩序の神』が構築し、法皇と神聖官僚機構が運用するこの社会システムは、ルールを守る「正当なユーザー」にはどこまでも手厚いが、秩序を乱す不具合に対しては徹底して冷酷だ。


「完璧な後処理だな、CEO」


 アレンは通信用の魔導具へ短く労いの言葉を吹き込むと、平和な熱気を取り戻した市場を背にして歩き出した。


 第一都市における市場の正常化はこれで完了だ。買い占め業者が一瞬で消滅したことで、この街の経済システムは正常な循環を取り戻した。


「さて……次は法皇国の心臓部――『理と秩序の神』の教義が最も色濃く反映された、聖都レムリア・グラードの中央魔導市場を目指すとしよう」


 アレンの足取りはどこまでも軽やかで、その視線はすでに、次なる目的地、聖都の白亜の街並みへと向けられていた。



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