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小説の先にある世界  作者: 藤咲玲


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40/109

40話:温泉宿の夜と、無自覚なデバッグ作業

 神の間から現実世界の森へと戻ってきた俺は、異世界人の悲惨な歴史と神の身勝手な愚痴に軽くため息をつきつつ、元の木漏れ日が差す『ささやきの森』の小道に立っていた。


 目指すは、ささやきの森の深部にある温泉村(国境防壁手前の宿場町)の宿だ。


「……ふう。要するに、あそこの世界構造がガタガタになってるから、俺に歪みを直せってことか。まったく、どいつもこいつも他力本願なこった」


 影の領域で、かつての転移者「サトオ」の遺産である『万物鑑定』の残影が、うるさい音声出力を遮断されたまま、ジジジと静電気のようなノイズを立てて収まっている。

 俺はそれを無視して、数日間の長旅で凝り固まった肩を回した。


「ま、いい。まずは予定通り、あの村の温泉で汗を流すのが先だ」


 足早に森を抜け、俺は国境防壁の手前にひっそりと佇む小さな温泉村へと足を踏み入れた。

 辺境の村とはいえ、湧き出る温泉を利用した宿場町はそれなりに活気があり、硫黄の香りが心地よく鼻腔をくすぐる。


 旅人向けの古びた宿屋の戸を叩くと、人の良さそうな宿の親父が顔を出した。


「おや、珍しい旅の御仁だねぇ。空いてる部屋は……っと、一番奥の湯治用の離れならあるよ」


「そこでいい。一泊と、あと晩飯を頼む」


 銀貨を数枚放り投げ、俺は鍵を受け取ると、さっそく湯気立ち込める温泉へと向かった。

 板張りの浴室には、白濁した湯がトクトクと湯船を満たしている。服を脱ぎ捨て、ドブンと肩まで浸かった瞬間、全身の筋肉に溜まっていた疲労が一気に溶け出していくのを感じた。


「ふあぁ……生き返る……」


 理の書き換えだの、神の間の茶番劇だので酷使していた頭や神経が、温熱効果によってゆっくりとほぐれていく。

 だが、リラックスしている最中も、俺の頭の片隅では無意識の魔力制御が走り続けていた。


(この温泉、湯量の割に源泉の温度が妙に一定すぎるな。地下の地熱脈が熱源になっているのか……いや、構造的に熱の逃げ道が多すぎる。ちょっといじるか)


 職業病というか、目の前の非効率な構造を見るとどうにかしたくなる悪癖だ。

 俺は湯船に浸かったまま、右手の指先で微量の魔力を宙に走らせ、浴室の地下深くを流れる熱源の魔導回路へこっそりと調整を加えた。


 ガチッ、と微かな歯車の音が地下から響いた直後。


「――っぶねえ!?」


 ドバッ! と、湯船の底から一瞬だけ沸騰したような激しい熱湯が噴き出し、危うくゆでダコになるところだった。


「おっと、魔力の流しすぎか。出力を少し落として、っと」


 慌てて出力を絞り込むと、湯船の温度は絶妙な「41度ジャスト」の極上コンディションに固定された。

 その結果、この村の温泉は翌日から「入るだけで疲労物質が消え去り、古傷まで治る奇跡の霊泉」として、大陸全土から観光客が押し寄せる一大リゾートへと変貌を遂げることになるのだが、今の俺はただ、極上の湯加減に目を細めて「ふふ、完璧な温度管理だ」と一人満足していただけだった。


 風呂から上がり、宿の食堂で出されたのは、素朴な塩焼きの川魚と、ほかほかの雑穀スープ……ではなく、いつもの硬い黒パンと乾燥肉だ。


「まあ、文句は言うまい」


 俺は黒パンをスープに浸してかじりながら、窓の外に広がる星空を眺めた。

 神の間にいた「神」の言葉が、脳裏によみがえる。

 ――世界の崩壊を防ぐために最小限の歪み修正を外注された。


(俺のやっていることは、あの神の仕事と本質的に変わらないわけか。面倒なところを見つけて、勝手に直して、誰にも感謝されないまま日常に戻る……と)


 一口のスープを飲み込み、俺は苦笑した。


「泥臭い職人仕事より労働環境が酷いじゃないか。……ま、報酬のアイテムボックスが手に入るまでは、付き合ってやるとするか」


 漆黒の夜の帳の下、聖都や神界の連中がどんなに頭を悩ませていようとも、俺は目の前の硬いパンを淡々と咀嚼し、明日の調査に向けた体力の回復に集中するのだった。


【ささやきの森の帰還と、合理主義の再計算】

 神の間での邂逅と「サトオの轍」という教訓を経て、アレンの意識はふたたびささやきの森の夜気の中へと戻ってきた。


 目前には、先ほど自らの手で完璧な温度管理のもと焼き上げた極上のボアステーキが、香ばしい湯気を立てている。アレンはそれを一口放り込み、咀嚼しながら冷徹に思考を巡らせた。


(……あまりの効率主義は危険だと悟った。サトオのように文明のバランスを完全に破壊し、世界の根幹にまで手を加えれば、性格の悪い神は容赦なく世界の理ごと巻き戻しの介入をしてくるだろう)


 神の間で聞いた先駆者の末路は、合理性を至上とするアレンにとっても無視できない警告だった。直接この世界を管理しているのはエルエルの上司である「あの神」だが、サトオの文明を理不尽にリセットしたもう一人の「性格の悪い神」がどの階層に潜んでいるのか、その所在はいまだ不明のままだ。あれが別次元の神なのか、あるいは同じ世界の別の管理領域にいる高位存在なのか――データ不足のまま過剰な干渉を行うのは、世界構造の不具合を引き起こす最大のリスクとなる。


「……無理な過剰な効率化は、長期的には最大のロスを生む。今回の件は、あくまで仕様の範囲内で収めるのが得策だな」


 アレンは小さく息を吐くと、目の前の国境線沿いの調査任務へと意識を切り替えた。

 警備兵から得た情報や、これまでの森の踏査データを脳内で高速で照合させる。


「さて、この国境線沿いの調査は、適当に『特異点なし、異常なし』の定型書式でまとめてギルドに提出しておけばいいか」


 実質銀貨数枚の塩漬け依頼にこれ以上リソースを割くのは非効率の極みだ。問題は、アレンの影の領域に静かに収納された、あの面倒な固有スキル――「鑑定」の残影である。


(問題は、今すっかり沈黙しているあの鑑定さんだ。音声出力は強制ミュートしているが、内部の記憶基盤や過去の履歴が今後どう振る舞うか、完全に予測しきれていない)


 神から半ば押し付けられる形で引き取ったその厄介なデータを抱えたまま、アレンは今後のルートについて冷徹に計算を弾き出す。


 このまま国境沿いを引き返して帝国領に戻るか、あるいは、いまだ未踏の領域であるレムリア皇国へと足を踏み入れるか。


「……帝国に戻るのも手だが、皇王国側の経済圏や魔素データのサンプルも一度回収しておきたいところか」


 特上ボアステーキの最後の一切れを口に運びながら、アレンは次の移動先を決めるべく、静まり返ったささやきの森の闇へと冷ややかな視線を向けた。


【法皇国への進路と、影の鑑定結果】

 ささやきの森の温泉村で一晩を過ごし、心身の回復を終えた俺は、次の目的地をどこにすべきか脳内でルートを再計算していた。


 帝国の南端に長居する義理はない。神の間の件や、あの性格の悪い――以後、心の中で「悪神」と呼ぶことに決めた無責任な管理者の依頼の件もある。


「次に向かうは、隣の『レムリア法皇国』とやらにするか」


 国の情報や魔導市場の動向、そして今後の拠点拡大のための市場調査を兼ねて、足を延ばす価値はある。今回の調査任務の報告も、どうせなら皇国内にあるギルド支部で行うとしよう。


 俺は歩きながら、影の領域に収めた『万物鑑定』の残影――いや、今は単に「鑑定」と呼んでいる雑用データに意識を飛ばし、法皇国に関する詳細なデータを引き出させた。


 脳裏に、帝国とはまた異なる威圧感を放つ巨大国家の輪郭が浮かび上がる。


 名称: レムリア法皇国(自称法皇を名乗り、ヴェストルム大陸内での面積は堂々の第1位)

 位置: アルカディア魔法帝国の南東に隣接する、広大な土地。

 政治体制: 神聖政体(法皇を頂点とする宗教独裁・神権国家)

 最高権力者: 第七十三代法皇 『レグナード・ベネディクト』

 信仰対象: 始まりの女神、および神界の管理体制(※為政者たちはそれを「絶対の神託」として政治利用している)

 首都: 聖都レムリア・グラード(幾重もの白い高壁と、天を突く巨大な大聖堂がそびえる芸術と信仰の都)


 数々の周辺小王国を「教義の庇護下」という耳当たりのいい名目で実質的な属国として従えており、大陸全体の政治、経済、そして魔導技術において圧倒的な影響力を誇っている。

 国教である「レムリア正教」の教えが絶対であり、法皇の言葉はそのまま国の法律となる。表向きは慈悲深い神の教えを説く平和な国だが、その裏では異端審問や厳格な思想統制が徹底されているきな臭い国家だ。


(ほう……「神界の構造」に最も近い古代遺跡やオーパーツを独占している、か)


 鑑定データを読み進めながら、俺は小さく鼻を鳴らした。

 法皇直属の「神聖魔導院」では失われた古代の文字や術式研究が盛んに行われており、俺が路地裏の泥や魔導回路でやっているような「理の書き換え」の片鱗に、歴史上最も近づいてしまった国家らしい。


 もっとも、連中はあくまで「神から与えられた構造を正しく神聖に運用・解釈する」という立場だ。俺のように数値を狂わせたり、仕組みを勝手にいじくり回したりする不敬は、一発アウトで異端認定されるに違いない。


 さらに厄介なのが、その防衛・治安体制だ。


 常備軍のほかに、過激な信仰心と高い戦闘力を誇る「聖騎士団」、そして国家の脅威や都合の悪い存在を闇に葬る「異端審問官」が組織されている。

 特に異端審問官たちは、魔力の隠蔽や特殊な魔法技術を暴くことに特化している。


(……ふっ。俺の隠蔽スキルや理の改変がうっかり公の場で露呈しようものなら、真っ先にあの面倒くさい連中の標的になるってわけか)


「悪神」のせいでただでさえ面倒な調整作業を押し付けられているというのに、今度は厳格すぎる宗教国家の検問まで潜り抜けなければならないらしい。


 だが、リスクが高いということは、それだけ美味い魔導データや未知のオーパーツが眠っているということでもある。

 俺は馬車の座席に深く体を預け、異端審問官の影におびえるどころか、新たな「研究素材」の予感に冷徹な笑みを浮かべながら、レムリア法皇国への国境へと馬車を進めさせるのだった。


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