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小説の先にある世界  作者: 藤咲玲


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37/120

37話 多忙な日々、それぞれの隠し事

 神から託された「理の歪み」のデバッグ作業、帝国貴族たちからの途切れない社交の要請、そしてバルツァー社が叩き出す膨大な売上データの確認。


 アレンの日常は、効率を極めたスケジュール管理によって完全に埋め尽くされていた。


「……やるべきタスクが多すぎるな。これではまるで、ブラック企業のプロジェクトマネージャーだ」


 自らが放任主義を貫いているはずのバルツァー社や、世界規模のトラブルシューティングに追われる日々。もはや「気ままな人生」からは程遠い激務の日々に、アレンは小さく溜息をつく。


 だが、いつまでもデスクワークとデバッグ作業に閉じこもっているわけにはいかない。


(……そろそろ、基礎的な魔導理論の収集フェーズは一通り完了したか。次は、より深層の迷宮や未開拓領域に眠る高純度の魔素データ、そして最高難度の報酬が必要だな)


 アレンはペンを置き、ギルドの掲示板に貼り出されたまま放置されていた「最上位の大口依頼(ハイランク・クエスト)」に目を向けた。


 帝国の理を揺るがす根源に触れるため、そして新たな知的好奇心を満たすため――アレンはついに、冒険者としての本格的な大口依頼を受ける決意を固めるのだった。


 その頃。


 アレンが多忙を極める陰で、第4倉庫の一角にある安宿の一室……ではなく、帝都の片隅にある賑やかな大衆酒場では、全く別の「隠密プロジェクト」が進行していた。


「お待たせいたしました! 冷えたエールと、特製の塩もつ煮込みになりまーす!」


 威勢の良い声を上げながら、テキパキとテーブルの間を駆け抜けるウェートレスの姿。


 金髪をキュッと結び、可愛いエプロン姿でグラスを運んでいるのは、ほかならぬ元エリート天使・エルエルその人だった。


 そして、そのカウンターの奥で、真剣な眼差しでジョッキにエールを注ぎ続けているのは、相方のルカである。


「エルエル先輩、こっちのテーブルも追加のエールお願い!」


「はいよー! ……って、なんで私たちがこんな下界の酒場でバイトなんかしてるのよ!」


 ジョッキを洗いながら、ルカが小声で叫ぶ。


 それもそのはず。最高神から下された処分により、エルエルに支給されている月給は「銀貨20枚(生活ギリギリの最低限の予算)」のみ。


 バルツァー社の莫大な利益の恩恵は、CEOや社員にしか行き渡らず、一介の「派遣社員(専属助手)」に成り下がった彼女たちの財布は常に氷河期だったのだ。


「しょうがないでしょ! あのクソアレンのせいで、お小遣いは常にカツカツ、安宿の硬いベッドは腰が痛い、たまには美味しいものを食べたいの! ここで内緒でお金を稼いで、いつか絶対においしい高級スイーツを爆食いしてやるんだから!」


 エルエルは涙ぐましい動機を早口でまくし立てると、注文の入ったトレイを軽快に持ち上げ、再び客席へと笑顔で飛び出していく。


 天界の管理官から、帝都の酒場の看板ウェートレスへ――。


 過酷な労働と貧困に耐えながら、天使たちはそれぞれの方法でこの理不尽な世界を生き抜こうと必死にもがいていた。


 アレンが新たなる大口依頼へと踏み出すその裏で、元天使たちの隠し事は、まだ誰も知らない新たな「トラブルの種」を密かに育み始めていたのだった。


【ささやきの森と、塩漬けの調査依頼】


 アレンは帝都をあとにし、南へと座標を移した。


 目指すは、アルカディア魔法帝国の南端に広がり、隣接するレムリア皇王国との国境を形成する「ささやきの森」である。


 その森の規模は途方もなく広大だった。


 魔法帝国の総国土の約三割以上を覆い、隣接するレムリア皇王国に至っては領土の半分――約五割をも占めている。広大な原生林そのものがそのまま巨大な国境線となっているため、双方の国家にとって厳重な警備は物理的に困難を極め、長年の懸案事項となっていた。


 今回のギルドからの依頼は、まさにその国境線の調査である。


 だが、依頼のランクと実態には大きな乖離があった。


 本来、広大な森の踏破や生態系調査であれば、DランクやCランクの若手冒険者に数でこなさせるべき内容だ。


 それを、単独行動が基本のBランクやAランクの精鋭に依頼するなど予算の無駄遣いであり、誰も手を付けないままギルドの奥底で放置されていた――いわゆる「事実上の塩漬け依頼」である。


 依頼書


 題名: ささやきの森国境線の調査


 内容: ささやきの森国境線の現状を報告せよ。特に魔素濃度や魔物の種別出現率のデータを提出すること。


 依頼書を受け取ったギルドの受付嬢は、申し訳なさそうに、しかしどこかホッとしたような複雑な表情でハンコを押した。


「アレン様、こちらの依頼ですが、移動コストを考慮し、交通費のおよそ半額として前金に銀貨15枚をお支払いしております」


 受付嬢の言葉に、アレンは脳内で瞬時に計算を弾く。


「つまり、全額で銀貨30枚分(約30万アーチェ)のうち、半分の15万は交通費や食費、道中の宿代などで相殺され、残りの15万は実質的な建て替え払いになるというわけか……」


 塩漬けになっていた理由もこれで完全に納得がいった。危険な国境地帯を長期間調査させられる割に、実質的な手元に残る報酬は少なく、下手をすれば赤字になる。


 アレンとて、無駄なリソースの垂れ流しは好まない。だが、引き受けた以上は最短ルートで効率的に片付けるしかなかった。


(俺もそんなに懐が潤っては居ないんだがな)


「俺も最短ルートで行きたい。詳細な資料を頼む」


 アレンの要求に、受付嬢が慌てて差し出したのは「極秘(マル秘)」と赤字でスタンプが押された一冊のファイルだった。


 そこには、ささやきの森へ至る各経路上の方角、点在する小さな町や村の位置が細かく記載されている。さらに、ギルドと提携している安全な宿の情報なども網羅されていた。


 ただ、資料の端にはこう付け加えられている。


 ――『経路上の町村にあるギルド出張所には、途中経過の都度報告が義務付けられています。できれば……ですが』


「できれば、ね……」


 アレンは資料をパタンと閉じ、やれやれと小さく息を吐いた。


 実地調査のデータ収集そのものは、魔導回路やセンサー代わりの簡易魔法陣を使えば一瞬で終わる。


 だが、問題はそこではない。ギルドへのこまめな中間報告の提出、旅費の煩雑な精算書類の作成、そして役人どもを納得させるための形式的な文章の構成――。


「……俺は戦闘や理論構築より、この無駄に形式的な事務手続きの最適化に一番頭を悩ませることになりそうだな」


 旅費精算の書式にどう言い訳を書くべきか、脳内でフォーマットを組み上げながら、アレンはささやきの森へ続く深い木漏れ日のなかへと足を踏み出していくのだった。


【馬車の雑談と、転売という名のノイズ】


「エルエル、ここでの神からの依頼はお前たちに任せる。俺はささやきの森へ行ってくる」


「え! バイトしてて良いってこと?」


「ふぅ~、お前な……後で今の3倍こき使うからな」


 天界の業務端末を抱えたまま目を輝かせる自称・管理者に対し、アレンは呆れたように一瞥をくれると、さっそく帝都を後にした。


 本当であれば、空間魔法による座標移動を用いれば、ささやきの森など数秒で到達できる。だがそれをやると、天界の面倒くさいエルエルの上司(システム監査官)が「次元の不正歪曲だ」と騒ぎ立ててエラーログを吐き出すのは目に見えている。


 何より、ギルドから支給された交通費の帳尻を合わせるためには、道中の町村を経由した「宿泊施設」の領収書が不可欠だ。経費精算という官僚的なシステムに縛られている以上、ケチ臭くとも馬車に揺られるしかない。


 ゴトゴトと単調な振動を立てる相乗り馬車の中、アレンは窓の外を流れる景色を眺めながら、斜め向かいに座る初老の商人がごそごそと荷物を改めているのを目にした。


「いやぁ、兄ちゃんも隣国との国境へ向かうのかい? ……っと、これを見てくれよ」


 商人は声を潜め、いかにも珍しそうに二つの品物をテーブルの上に並べた。


 一つは、貴族の娘たちの間で爆発的なブームとなっている全粒粉のクッキー。そしてもう一つは、エレーナの肌を一瞬で変貌させた「天使の涙」入りの高級美容水(化粧水)の小瓶だった。どちらもアレンがほんの気まぐれと実験で作った代物である。


「知っているか? 今、帝都ですごい勢いで流行ってるらしいんだがね、『全粒粉のビスケット』と『特製の奇跡の化粧水』というらしいんだ。


 これをですねぇ、お隣のレムリア皇王国まで持って行って現地の貴族どもに高値で転売したら、そりゃもうウハウハで大儲けできると思わないか?」


 商人は目をギラギラさせながら、鼻息荒くアレンに語りかけてきた。


 アレンはそれを冷めた目で眺め、心の中で淡々と分析する。


 ――なるほど。需要と供給の歪みを突き、適正な流通コストを無視して中間マージンを不当に釣り上げるだけの存在。いわゆる「転売ヤー」か。


 こうした無駄なノイズが市場に介入すると、価格構造が崩壊し、最終的な購入者(あるいは研究に必要な実データの収集)に余計なコストと混乱が生じる。極めて非効率、かつ不快なエラーだ。


「……ふむ」


 アレンは腕を組み、わずかに思考を巡らせた。


 こういう輩を駆逐し、市場の価格統制と物流の最適化を図るにはどうすればいいか。答えは単純だ。


 個人による買い占めや高額転売が入り込む隙間すらなくすよう、皇王国側に自前の正規販売ルート(支店)を直ちに直結させ、適正価格で大量供給すればいい。


 アレンは手帳を取り出し、サラサラとペンを走らせた。


『ゼノリス(CEO)へ。


 レムリア皇王国との国境付近、および主要都市に「転売防止対策」兼ねた小規模な直営支店を急ぎ設立せよ。全粒粉クッキーと美容水の正規流通網を現地で直売し、不当な中間マージンの発生余地を物理的に抹消する。詳細は追って。――アレン』


 このメモを即座に伝書鳥の足に結びつけ、馬車の窓から大空へと放り投げる。


 数分後、隣で夢見がちに「これで大金持ちだ……」とほくそ笑む商人の横顔を一瞥しながら、アレンはぼそりと呟いた。


「……ま、正規の流通網を敷くついでだ。ついでに皇王国での直売も軌道に乗せれば、数百万(アーチェ)くらいの利益は勝手に転がり込んでくるか」


 本人は「市場のバグ取り(最適化)」をしただけのつもりだったが、結果的に隣国での大商会グループをまるごと出し抜く巨大ビジネスの種を、旅の道中で何気なく撒いてしまったのであった。


【伝令と、化学的に解剖された「天使の涙」】


 アレンが飛ばした伝書鳥は、驚異的な速度で帝都の裏社会(アレンのビジネスインフラ)を牛歩の如く裏から支えるCEOの元へと舞い降りた。


 CEOが受け取った書簡には、先日何気なくビーカーへ放り込まれた「天使の涙」に関する、極めて冷徹かつ現実的な分析データが記されていた。


『天使の涙の成分分析結果について。


 水分:約98%


 無機塩類:ナトリウム、カリウムなど


 有機成分:タンパク質・酵素(リゾチーム等の抗菌成分)、脂質(微量の油分)


 ――以上だ。


 いくら天使だからといって、物理的構成要素に特別な神聖物質が含まれているわけがない。あいつの本質はただの怠惰と労働拒否のデータエラーにすぎないのだからな。


 したがって、わざわざ本物の「涙」を回収せずとも、水分を除いたナトリウム、カリウム、各種酵素(抗菌成分)、および微量の油分を適切な比率で配合・添加すれば、完全に同等の効能を持つ代替溶液が生成できるはずだ。


 今後はそのレシピで量産体制に入れ。――アレン』


 CEOは手紙を読み終えると、わずかに遠い目をしながら、日夜アレンの理不尽なこき使いに耐えている女神エルエルの姿を脳裏に思い浮かべ、そっと合掌した。


 ――神の涙すら「ただの塩分とリゾチームの混合物」として切り捨てるこの男の下で働く同僚(女神)に、心からの同情を禁じ得ないCEOであった。


 一方その頃、アレンはささやきの森へ向かう道中、国境の手前にある古びた地方都市へと到着していた。


 日も暮れかけ、これ以上馬車を走らせるのは非効率であると判断したアレンは、馬車を降りて宿場町へと足を向ける。


 案内されたのは、その街で一番――と言っても地方都市の基準では古びた、木造の年季が入った宿の「角部屋スイートルーム」だった。


 ギルドから支給された交通費の範囲内での宿泊費を計算しつつ、アレンはカウンターで宿泊代を支払う。


「一泊、大銅貨7枚で」


 ずっしりと重い大銅貨を正確な枚数だけカウンターに置き、鍵を受け取る。


 あてがわれた部屋の扉を開けると、築年数の経った木造建築特有の、どこか湿ったようなかび臭い空気がふわりと鼻腔をくすぐった。


「……ふむ。多少の湿気とカビ臭さはあるが、空気の循環を考慮すれば許容範囲内だな。寝るだけの空間としては十分だ」


 アレンは環境エンカウントの低さに満足げに頷くと、荷物を無造作に置き、明日のささやきの森への侵入ルートと魔素濃度の測定シミュレーションを頭の中で組み始めるのだった。


【路上でのトラブルと、極めて効率的な応急処置】


 翌朝。


 宿の窓から差し込む朝日に目を覚ましたアレンだったが、やけに外が騒がしいことに眉をひそめた。窓の外からは、商人の慌てふためく怒声や、群衆のざわめきが波のように押し寄せている。


「……朝からノイズの大きい環境だな」


 小さく舌打ちをしながら階下に降り、宿の目の前の路上へ目をやると、一機の荷馬車が立ち往生しており、その脇に一人の少女がぐったりと横たわっていた。


 どうやら、荷物の積み下ろし中に不手際があったか、あるいは足元を掬われたかで、荷馬車に脚をひかれてしまったらしい。荷馬車の持ち主である男は顔面蒼白になり、どうしていいか分からずただおろおろと汗を流している。


 周囲の野次馬は遠巻きに見守るだけで、誰も手を出そうとしない。


 この辺りの地方都市ともなれば、高度な治療を行える医者や、治癒魔法の使える神官が常駐するような教会など存在しない。下手に動かせば障害が残るか、最悪の場合は壊死して命に関わる。


 かといって、荷卸しのタイムリミットが迫る中でこのまま放置するわけにもいかない――男が冷や汗を流して絶望しているその現場に、アレンは無言で歩み寄った。


 ――全人類を救うほどの慈善精神など持ち合わせてはいない。


 だが、自分の目の前で不条理なトラブルにより発生している非効率な苦痛や、処理不能な事態を放置するのは、前世の記憶を持つ日本人としての倫理観、そして何より「目の前のエラーを放置して先へ進むのは美しくない」というエンジニア的思考に反する。


 アレンは倒れた少女の傍らにしゃがみこみ、的確に患部を観察した。


「……ふむ。腫れの度合いと変形からして、脛骨の開放骨折、あるいはそれに準ずる複雑骨折の可能性が高いな」


 本来であれば、長期間の安静とギプス固定が必要なフェーズだ。しかし、一刻を争うこの路上でそんな悠長なリソースを割くわけにはいかない。このままでは現場の交通も滞るし、何より自分の朝のスケジュールに狂いが生じる。


「仕方のない。最小限の工数で、物理的に修復するか」


 アレンは淡々と呟くと、即座に応急処置のプロセスを脳内で構築した。


 まずは、周囲に落ちていた手頃な硬さの木片――その辺にあった枝を適切な長さに削り、骨折しているであろう患部を挟み込むための「副木(接ぎ木)」を瞬く間にこしらえる。


「痛むかもしれないが、構造計算通りの位置に戻すだけだ。じっとしていろ」


 少女のわずかなうめき声を無視し、アレンは正確無比な力加減で骨の位置を元の座標へと整復する。


 次に、患部の消毒。不衛生な路上での処置による感染症(バクテリアの侵入)を防ぐため、アレンは指先を軽く掲げ、精製された【水魔法】を微細な高圧ジェット状に放出して傷口の泥や汚れを完璧に洗い流した。


「最後に、これか」


 ポケットから取り出したのは、この世界の特異な魔素を蓄えた「不思議な薬草」のエキスを染み込ませた包帯代わりの布だ。それを患部に巻きつけると同時に、アレンは自身の魔力を一定の周波数でその中へと流し込んだ。


 ――【生体組織の結合・加速プログラム(治癒魔導の簡略応用)】。


 パアァッと淡い光が包帯の下で明滅し、すさまじいスピードで細胞分裂と骨の癒合が引き起こされる。


 数秒後、アレンが手を離すと、先ほどまで骨折して動かなかった少女の脚は、接ぎ木された副木の支えと薬草の相乗効果によって、すでに自重を支えられるレベルまで急速に再生・固定されていた。


「……よし。骨の結合コードは正常値に復帰した。これなら自重歩行に支障はない」


 呆然と一部始終を見ていた荷馬車の持ち主と、起き上がり自分の脚を恐る恐る動かして信じられないといった表情を浮かべる少女を尻目に、アレンは汚れを払うと、何食わぬ顔でその場を立ち去り、飯を食いに行くのだった。


 この時、株式会社バルツァー社の『奇跡のポーション』という商品が誕生するとは思いもしないのであった。


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