33話:(幕間)エンド崩壊:神々の残業代は出ない
三ヶ月に及ぶ地獄の強化計画――第一軍の強制強化任務は、これ以上ない形で完了を迎えた。
バルツァー辺境伯の執務室。俺は「納期遵守」という条件を完璧に満たした証として、指導レポートを机に置いた。辺境伯と近衛騎士長ラインハルトは、軍の変貌を目の当たりにして、もはや言葉を失っている。
「……信じがたい。あの軍が、わずか三ヶ月でこれほどの精度になるとは。貴殿は一体、何者なのだ」
「単なる指導員だ。……さて、決済を頼む。ここにサインしてくれ」
辺境伯のサインと共に、ギルドを通じて俺のギルドカードに報酬が直接書き込まれる。
【リワード獲得】:
大金貨10枚、金貨50枚(1億5,000万円相当)
さらに、ボーナスとして領地内での特権利用権および、半年後の黒曜龍討伐における「兵站確保の優先権」が付与された。個人報酬だけで1億5,000万円相当。以前獲得した4,500万円と合わせ、総資産は2億円に達した。銀貨数枚で死にかけていたあの頃が、遥か遠い過去に思える。
「フッ……妥当な処理能力だ。これにて本件、完了とする」
俺は辺境伯を静かに見据えつつ、内心ではガッツポーズをキメていた。
ギルドへ戻ると、俺は酒場のカウンターへ大金貨を「ドンッ」と叩きつけた。
「おい、店主! 全員に酒を振る舞え! バルツァー領での特級任務完了記念だ!」
酒場が爆発的な歓声に包まれる。俺はニヤニヤが止まらない。これぞ成功した冒険者の代名詞。漆黒羽織を翻し、カウンターでグラスを傾ける俺の背中には、英雄としてのオーラが宿っているはずだ。
「さあ飲め飲め! 今日という日は俺の懐が最高に潤っている日だ!」
冒険者たちが狂喜乱舞し、ジョッキを受け取っていく。しかし、店主が全員に行き渡らせようとした瞬間、俺はすかさず手を挙げてブレーキをかけた。
「――ストップだ。……いいか、1人1杯までだ。それ以上は各々の自己資本で賄え」
一瞬、酒場がシンと静まり返る。
「……あ、アレンさん、2億近く稼いでこれですか?」
「聖金貨の男の奢りなのに、つまみも無しですか?」
俺はふっと鼻で笑い、追加の指示を出す。
「……ん~~そうだな。つまみも必要だな。……全員に、めざしを一匹ずつつけよう!」
「めざし!?」
ざわめく冒険者たちをよそに、俺は満足げにうなずく。
「無駄な銭を投下するのは俺の財布への負担が増えるだけだ。必要なのは『祝杯』という形式であって、お前たちの二日酔いの嘔吐の跡を残すことではない」
そう言い放ち、俺は一番安い水で割ったエールを満足げに啜った。
周囲の冒険者たちは、この「圧倒的な実力」と「底なしのセコさ」を併せ持つ漆黒の英雄を前に、尊敬と困惑が入り混じった複雑な視線を送るしかない。
ふふふ、この微妙なケチり方こそ、資産運用における最も重要な自己防衛策。贅沢に溺れれば、すぐにまた死の危険水域(銀貨数枚)へと逆戻りすることになるのだから。
【クエスト進捗】:
バルツァー辺境伯軍強化任務:報酬全回収
【現在の総資産】:
大金貨10枚、金貨83枚+銀貨数枚約(1億8,300万円)
【中二病充足率】:
165%
(金持ちの英雄を演じつつ、しっかり節約する黒の管理者)
【標本回収】
酒場でいつもようにエールを煽る。
この世界に来てから休む暇などなかった。休んでもすることなどないが、今なら休むことができる。
いざ休むとなると困るものだな。
以前の俺は売れない小説家だったわけだが、本業というわけでもない。仕事の合間にネタを考えることの多い人生だったせいで、無駄に雑学が豊富なんだ。
改めて思う。この世界の医療技術についてだが、正直遅れている。いや、全てがそうではないようだ。傷なら不思議植物である程度は癒せるし、それ以上なら神殿で祈れば再生する。まさにゲームみたいな世界だ。
だが、病気はどうだろう?
確か、成人するまでに凡そ三割は病気で亡くなるそうだ。信じられるか? 欠損ですら神殿で治るこの世界で、病気への免疫という概念が欠落している。
俺の目標は決まった。自衛のため、手持ちの知識をかき集めて病気に対処する。そう決めた。
翌朝、俺は北方山間部へと足を向けた。
目的のものがあるかは分からない。いちかばちかの賭けだ。寒風が吹き荒れ、視界は一面の雪化粧と化した。
指先が氷点下の風に晒される。岩肌のわずかな隙間を探り、俺は声を上げた。
「あった」
岩の裂け目から採取した細い根を小瓶へ収める。
「麻黄、非常に状態が良好だ。凍結ストレスによる二次代謝産物の蓄積が、計算値と合致する」
寒さで硬化したこの根は、極めて高い生理活性を秘めている。続いて、その近くの極低温の土壌から黄連の根を抉り出す。過冷却に近い状態で根を張るこの植物こそが、炎症という異常を強制的に鎮めるための唯一の薬だ。
麻黄を五株、黄連を二株採取し、それぞれ一株ずつは残す。再生が遅いからだ。
俺は採取したそれらを持ち帰り、陰干しという悠長な工程は飛ばして、水魔法で強引に水分を大気中へと放出した。
さらに翌日。南部原生林の湿地帯へ。
有機物の分解臭が立ち込める腐朽の回廊を、足元のぬかるみに気を配りながら進む。
「茯苓、発見。水分バランスを正常に保つための要だ」
湿気と腐敗が同居するこの地で、俺は体内の不要な水分を排出するための、最適化された菌核を切り出した。
密林を抜けた先には、硫黄の匂いが鼻を突く熱泉エリアが広がっていた。地熱で常に高温に保たれた赤土を掘り返す。そこに育っていた生姜は、過酷な環境を代謝へと変換しきった逸品だった。
「吸収効率の最適化には、これが必要だ」
「薬草の成分を、身体に効率よく無駄なく吸収させるための触媒だと言っている」
脳内で響いた翻訳の無機質な声に、俺はつい毒づく。
「……お前、俺を宇宙人だと思っているだろ」
俺は植物の皮を剥ぎ、切り出し、熱泉の蒸気で乾燥を試みる。
一度宿に帰り3日目の朝。
強烈な陽光が降り注ぐ乾燥地帯で、俺は最後の素材を採取していた。
砂礫混じりの土地に根を深く張る甘草を掘り出し、その乾燥具合を確認する。
「甘草、他薬草の副作用を抑える中和剤。全身の調子を安定させるための不可欠な存在だ」
これで、手元にはリストアップしたすべての素材が揃った。
俺は採取した植物の山を見つめ、静かに思考を巡らせる。
「さて、あとはこれらを調合し、自身の身体で最終的な試験を実行するだけだ」
俺にとって、植物とは癒やしではない。異世界という不確定な環境に対する、精密な調整・修復の道具であり、自身の身体を最強の機能へと書き換えるための処方箋に過ぎなかった。
【貴族の晩餐会と、最適化された栄養摂取】
届いた招待状は、銀色のインクで縁取られた高級な羊皮紙だった。
バルツァー辺境伯からの公式招待。軍の強化という任務を完遂したことへの、言わば「報酬の追加のチャンス」だ。
「……社交界という名の不確定な人間関係に飛び込む時間か」
俺は報酬で買った新品の漆黒の外套を羽織り、鏡を見る。完璧だ。一見すれば、資産を築いた英雄冒険者にしか見えない。
会場のバルツァー城は、金と権力が飽和した過剰な場所だった。
豪奢なドレスを纏った貴族たちが群れをなし、場内には無駄に高カロリーな料理が並んでいる。
「……フッ、金の無駄遣いだな」
俺は会場の端、最も視界を確保しやすい位置に陣取った。
辺境伯が俺の姿を見つけ、満足げに頷いている。だが、俺の目的は彼の顔色を伺うことではない。
俺は給仕から皿を受け取ると、そこに並べられた料理を静かに見渡した。
「(砂糖の過剰摂取による血糖値スパイクの誘発、脂質の不必要な堆積……この世界の貴族は、揃いも揃って自律神経系を破壊するような食事をしている)」
俺は給仕が持ってきたローストビーフから「余分な脂肪」を注意深く切り落とし、内ポケットから取り出した『生姜』の粉末を極少量だけ振りかけた。
「……吸収効率の最適化、開始」
一口。舌の上で溶ける肉の旨味と、生姜の刺激が融合する。
直後、体内に潜ませた薬草の成分が回路を駆け巡る。代謝が活性化し、この高カロリーな栄養が毒ではなく「最強のエネルギー源」へと強制変換されていくのが分かる。
――その時だった。
「……君が、軍を鍛え上げたという冒険者か」
背後から静かな声がした。振り返ると、そこには辺境伯の側近と、その横で不機嫌そうに扇子を弄ぶ令嬢が立っている。
側近は周囲の注目を避けるように、一歩踏み込んで俺に視線を向けた。
「……辺境伯の招待客だ。最低限の作法は弁えていただきたい」
側近は、俺の皿の上で行った作業を揶揄するでもなく、淡々と、しかし毅然とした態度で警告を放った。周囲を騒がせたくないという彼の配慮は理解できる。俺もこの場で目立つつもりはない。
だが、その横に立つ令嬢の顔色が、俺の目に警告のように焼き付いた。
「……忠告は聞き入れよう」
俺は簡潔に答え、皿を置いた。
だが、俺の視線はもう側近にはない。異変を告げ続けている、隣の令嬢の「様子」へと向いていた。
首元のリンパの腫れ、浅い呼吸、末梢血管の収縮。
この宴に相応しくない、致命的な代謝の乱れの予兆だ。
「――その顔色の悪さは、単なる疲れではないな」
俺は側近の言葉を無視する形で、令嬢本人に向かって淡々と告げた。
「半年以内に心臓が限界を迎える。……放置すれば、致命的な破綻を招くぞ」
会場の騒音が、一瞬だけ引いた気がした。
令嬢が扇子を止め、驚きに目を見開く。
「……何、を……?」
「少し待ってくれ。薬の調剤がしたいのだが、何処か落ち着ける場所はないか?」
俺は執事の案内に従い、医療室のような部屋へと案内された。
黄連: 強力な抗炎症作用を持つ成分だ。俺は成分抽出にアルコールを用いずに、魔素と水魔法を用い特定の成分のみ抽出する。
茯苓: 体内の水分代謝を整える。心臓に負担をかけている余分な水分を排出させ、循環負荷を減らす作用がある。
山査子: 血流を改善し、心臓の働きを助ける。
これらの薬草有効成分の純度を高める黄金率配合。純度99%以下の純水と魔力の雫を攪拌させ、飲みやすくする。魔力の雫は甘みがあり薬草の繊維と絡み合い、少し冷やすと極上のスムージーと化す。グラスに取り分けて飲むように勧める。
「……君の身体は、炎症による炎症性サイトカインの暴走で自律神経が焼き切れている。この『調整剤』は、それを強制的にリセットして定常状態に戻すためのものだ。ただし、成分の純度が高い。心臓が弱い今の君には、投与量を一滴単位で管理する必要があるな」
令嬢は一口口に含むと、驚きのあまり目を見開いた。これまでの人生、贅沢の限りを尽くしてきた自負はある。だが、これほどまでに洗練された「生命の源」を口にした記憶など、どこを探しても存在しなかった。
冷涼な喉越しと共に、喉から胸の奥へ、静かに力が満ちていく。
先ほどまで、まるで軋む歯車のように不快だった心臓の鼓動が、嘘のように滑らかにリズムを取り戻していく。
「……信じられない。何をしたのですか? あなたが先ほど混ぜていたのは、ただの薬草のはず……」
令嬢の問いかけを、俺は体調の変化を確認しながら軽く流した。
「ただの薬草だ。違いは、成分の精製精度と配合の理論だけだ。……代謝が安定したな。心拍の揺らぎが収束している」
俺は空になったグラスを机に置き、立ち上がった。
この令嬢の生体反応が正常化したことで、俺の頭の中で警告のように光っていた異変の兆候は消滅した。これで十分だ。これ以上、この社交界という場で時間を浪費する理由はどこにもない。
「……待って! あなた、名前は?」
背後からかけられた声に、俺は振り返ることもなく外套を翻した。
「アレン。……名前などどうでもいい。その『調整剤』の経過は一週間ごとに追跡しろ。もし異常が出たら、再調整の報酬を支払えばまた対応してやる」
俺は医療室の扉を開け、再び喧騒の渦巻く晩餐会場へと戻る。
背後で令嬢が呆然と立ち尽くしている気配を感じながら、俺の意識はすでに次のこと――今夜の摂取カロリーに対する、明朝の身体機能の予測――へと完全に切り替わっていた。
貴族たちの下らない笑い声が耳を通り抜ける。
だが、今の俺の身体は完璧だ。薬草の成分が神経回路を整え、細胞の一つ一つが最高効率で稼働している。
俺はグラスを片手に、静かに会場の闇へと溶け込んでいった。
驚きの表情のまま時間は止まる。
背後の医療室。
手にしたグラスを見つめたまま、令嬢の時間は完全に止まっていた。
自分を支配していたはずの苦痛が消え去り、代わりに身体を駆け巡る「完璧な調和」。
彼女がこれまで「贅沢」と呼んでいたすべてが、目の前の男が示した「調整」の前では、あまりに低質な勘違いに過ぎなかったことを突きつけられたからだ。
彼女の世界は、今この瞬間から不可逆的に書き換えられた。
【最適化された「至高の贅沢」】
晩餐会から数日。バルツァー城の社交界は、奇妙な熱狂に包まれていた。
中心にいたのは、あの夜、俺の『調整剤』を口にした令嬢だ。
彼女の劇的な回復は、顔色の悪さに悩む貴族たちの間で瞬く間に噂となった。だが、貴族たちが食いついたのは「疾患の完治」という健康的な事実だけではなかった。
令嬢の口から語られた「人生で味わったことのない、洗練された至福の喉越し」という証言だ。
噂は尾ひれをつけて膨らみ、今やそれは「口にするだけで心身が浄化され、美しさが際立つ至高の媚薬」として神格化されていた。
「アレン殿……いえ、アレン様。何卒、我が娘にもその『生命の源』を授けていただけないか」
俺の宿には、連日、山のような招待状と莫大な金貨を積んだ使者が訪れるようになった。
彼らは一様に、俺を「凄腕の錬金術師」か「伝説の美食家」のように崇めている。
「……話が違う」
俺は届いた依頼書を溜息とともに見渡した。
依頼のほとんどが「美容のため」「宴の目玉として」という、俺からすれば極めて優先度の低いリクエストばかりだ。
「……私の目的は、栄養素の吸収効率を向上させ、代謝を最適化することだ。決して、飽食の貴族たちの『グルメ体験』のために成分を精製しているわけではない」
だが、合理的に考えればこれはチャンスだ。
彼らが払う莫大な対価は、希少な薬草や、俺の身体をさらに鍛え上げるための高度な研究設備への投資に変換できる。
俺はペンを執り、使者たちへ事務的な返信を書き始めた。
「……わかった。ただし条件がある。私の提供する『調整剤』は、一滴たりとも粗末にしないこと。そして、私の提示する『食事管理計画』に従うこと。……これを守れない者に、私の技術は提供しない」
噂を聞きつけた貴族たちは、俺の出す厳しい条件を「天才ゆえの気難しいこだわり」と解釈し、むしろ熱狂を加速させた。
彼らは俺の提供するスムージーを、まるで聖水のようにグラスに注ぎ、一滴も残さぬよう慎重に口に運ぶ。
そしてその一口を味わうたびに、彼らは恍惚とした表情で、俺の「技術」を賞賛するのだ。
「ああ……なんという芳醇な魔力の雫……。これこそが、神が与えし生命の祝福か……!」
俺は彼らのそんな様子を、成果を眺めるような冷ややかな目で見ていた。
貴族たちが俺の『調整剤』を飲み干し、健康になっていく。
その対価として積み上がる金貨で、俺の研究環境は飛躍的に整っていく。
――皮肉なものだ。
俺が求めたのは純粋な生物学的な効率性だったはずなのに、結果として社交界の頂点に君臨するような形で、最強の資源を回収してしまっているのだから。




