第113章:不具合のパージと、市場のデバッグ
アレンが小さく指を鳴らすと同時に、中央広場の一角で動きがあった。
これまで固く閉ざされていた一等地の建物から重厚な扉が開かれ、バルツァー・ラボの鮮やかな紋章が刻まれた看板が掲げられる。それとほぼ同時に、店頭へ巨大な木製看板が叩きつけられるように設置された。
『バルツァー・ラボ 法皇国第一支店 本日堂々オープン! 帝都話題の全粒粉クッキー&特別美容水――新店開設記念として、正規価格のさらに【半額】で緊急一斉供給!』
その文字が目に入った瞬間、広場を埋め尽くしていた買い物客たちの動きが止まり、直後に雷鳴のような歓声が上がった。
「は……半額!? 帝都のあの高級クッキーが、直営店の正規価格のさらに半分だって!?」
「おい見ろ、美容水もだ! 闇商人が十倍の値段で売りつけてた本物が、格安で山積みされてるぞ!」
怒涛のような人波が、あっという間に新店舗の前へと押し寄せる。
CEOの手によって完璧にトレーニングされた現地のスタッフたちが、精緻な手つきで商品を次々と裁いていく。事前に搬入されていた膨大な在庫は、圧倒的な供給量となって市場の需要を一瞬で満たしていった。
――そして、その隣で繰り広げられたのは、目を覆うばかりの残酷な現実だった。
「な……なんだと……!? 冗談だろ、おい!?」
買い占めたばかりの大量の在庫を前に、特注の露店で高みの見物を決め込んでいた転売ヤーたちの顔から、一瞬で血の気が引いていく。
「ぜ、全財産をはたいて……高利貸しから大量の借金まで重ねて買い占めたんだぞ!? なんでこのタイミングで本物の直営店が、しかも半額で開店するんだよ!?」
彼らが十倍のプレミア価格で売り抜けようとしていた商品は、すぐ隣の直営店でその二十分の一の価格で無限に供給されているのだ。買う人間など世界に一人もいるはずがなかった。
「ま、待て! こっちはその半額のさらに半額で売る! 頼むから買ってくれ!」
焦り狂った闇商人たちが血眼になって投げ売りを叫んだが、集まった民衆は冷ややかな視線を送るだけだった。完璧な品質保証と美しい接客がついた直営店の正規品と、道端で怪しげな男が叫んでいる抱え落ち在庫。どちらを選ぶかなど、比べるまでもなかった。
ほんの数分前まで「市場の独占」と「巨万の富」を確信していた男たちは、一瞬にして返済不能な破産宣告と、誰も買わないクッキーの山と共に市場の真ん中に取り残された。
雑踏の陰からその崩壊劇を冷徹に見下ろしながら、アレンは静かに思考を巡らせる。
(自己資金と借入金の100%を在庫という固定資産に変換させた直後での、急激な供給過多による価値の暴落……市場における最も古典的で、最も効く一括排除手法だ)
投げ売りすら失敗し、頭を抱えて地面に突っ伏す転売ヤーたちの前に、やがて重厚な金属音が響いた。
広場の入口から進み出てきたのは、白銀の甲冑を纏い、胸元に聖印を刻んだ一隊――先ほど鑑定で確認した身分階層、③ 中層『神聖騎士団』の警備隊だった。
「――不当な買い占めによる市場流動性の阻害、および無許可の高利貸付けに関与した容疑だ。全員身柄を拘束する」
「ひっ……!? き、騎士様! 俺たちはただ商売を――」
「教義と法律において、社会の調和を乱す悪質な投機行為は重罪である。言い訳は裁判で立て」
隊長の冷徹な一言と共に、膝から崩れ落ちていた転売ヤーたちが次々と拘束されていく。
彼らが買い占めた在庫と不当な資産はすべて没収。法皇国の秩序を著しく乱した「害悪」として、彼らは身分を剥奪され、制度上の保護を受けられない⑤ 階級外『無宿者』へと格下げされた上で、最下層の強制労役施設へと送られることになる。
一方で、正式な手続きを踏み行い、適正な関税を納め、民衆に安価で高品質な品を提供したバルツァー・ラボの直営店には、騎士団の隊長から「健全な市場の維持に貢献された」と丁寧な感謝の言葉すら贈られていた。
(不当な割り込みを行った悪徳業者が瞬時に検知され、システム側の自治機能によって速やかに消去されたか……)
『理と秩序の神』が構築し、法皇と神聖官僚機構が運用するこの社会システムは、ルールを守る「正当なユーザー」にはどこまでも手厚いが、秩序を乱す不具合に対しては徹底して冷酷だ。
「完璧な後処理だな、CEO」
アレンは通信用の魔導具へ短く労いの言葉を吹き込むと、平和な熱気を取り戻した市場を背にして歩き出した。
第一都市における市場の正常化はこれで完了だ。買い占め業者が一瞬で消滅したことで、この街の経済システムは正常な循環を取り戻した。
「さて……次は法皇国の心臓部――『理と秩序の神』の教義が最も色濃く反映された、聖都レムリア・グラードの中央魔導市場を目指すとしよう」
アレンの足取りはどこまでも軽やかで、その視線はすでに、次なる目的地、聖都の白亜の街並みへと向けられていた。




