第106章:路上でのトラブルと、極めて効率的な応急処置
翌朝。
宿の窓から差し込む朝日に目を覚ましたアレンだったが、やけに外が騒がしいことに眉をひそめた。窓の外からは、商人の慌てふためく怒声や、群衆のざわめきが波のように押し寄せている。
「……朝からノイズの大きい環境だな」
小さく舌打ちをしながら階下に降り、宿の目の前の路上へ目をやると、一機の荷馬車が立ち往生しており、その脇に一人の少女がぐったりと横たわっていた。
どうやら、荷物の積み下ろし中に不手際があったか、あるいは足元を掬われたかで、荷馬車に脚をひかれてしまったらしい。荷馬車の持ち主である男は顔面蒼白になり、どうしていいか分からずただおろおろと汗を流している。
周囲の野次馬は遠巻きに見守るだけで、誰も手を出そうとしない。
この辺りの地方都市ともなれば、高度な治療を行える医者や、治癒魔法の使える神官が常駐するような教会など存在しない。下手に動かせば障害が残るか、最悪の場合は壊死して命に関わる。
かといって、荷卸しのタイムリミットが迫る中でこのまま放置するわけにもいかない――男が冷や汗を流して絶望しているその現場に、アレンは無言で歩み寄った。
――全人類を救うほどの慈善精神など持ち合わせてはいない。
だが、自分の目の前で不条理なトラブルにより発生している非効率な苦痛や、処理不能な事態を放置するのは、前世の記憶を持つ日本人としての倫理観、そして何より「目の前のエラーを放置して先へ進むのは美しくない」というエンジニア的思考に反する。
アレンは倒れた少女の傍らにしゃがみこみ、的確に患部を観察した。
「……ふむ。腫れの度合いと変形からして、脛骨の開放骨折、あるいはそれに準ずる複雑骨折の可能性が高いな」
本来であれば、長期間の安静とギプス固定が必要なフェーズだ。しかし、一刻を争うこの路上でそんな悠長なリソースを割くわけにはいかない。このままでは現場の交通も滞るし、何より自分の朝のスケジュールに狂いが生じる。
「仕方のない。最小限の工数で、物理的に修復するか」
アレンは淡々と呟くと、即座に応急処置のプロセスを脳内で構築した。
まずは、周囲に落ちていた手頃な硬さの木片――その辺にあった枝を適切な長さに削り、骨折しているであろう患部を挟み込むための「副木(接ぎ木)」を瞬く間にこしらえる。
「痛むかもしれないが、構造計算通りの位置に戻すだけだ。じっとしていろ」
少女のわずかなうめき声を無視し、アレンは正確無比な力加減で骨の位置を元の座標へと整復する。
次に、患部の消毒。不衛生な路上での処置による感染症(バクテリアの侵入)を防ぐため、アレンは指先を軽く掲げ、精製された【水魔法】を微細な高圧ジェット状に放出して傷口の泥や汚れを完璧に洗い流した。
「最後に、これか」
ポケットから取り出したのは、この世界の特異な魔素を蓄えた「不思議な薬草」のエキスを染み込ませた包帯代わりの布だ。それを患部に巻きつけると同時に、アレンは自身の魔力を一定の周波数でその中へと流し込んだ。
――【生体組織の結合・加速プログラム(治癒魔導の簡略応用)】。
パアァッと淡い光が包帯の下で明滅し、すさまじいスピードで細胞分裂と骨の癒合が引き起こされる。
数秒後、アレンが手を離すと、先ほどまで骨折して動かなかった少女の脚は、接ぎ木された副木の支えと薬草の相乗効果によって、すでに自重を支えられるレベルまで急速に再生・固定されていた。
「……よし。骨の結合コードは正常値に復帰した。これなら自重歩行に支障はない」
呆然と一部始終を見ていた荷馬車の持ち主と、起き上がり自分の脚を恐る恐る動かして信じられないといった表情を浮かべる少女を尻目に、アレンは汚れを払うと、何食わぬ顔でその場を立ち去り。飯を食いに行くのだった。
この時、株式会社バルツァー社の軌跡のポーションという標品が誕生するとは思いもしないのであった。




