第七章:新しいお仕事にはまだ慣れません(2)
クライブはひょいと眼鏡を取り返した。
「あ~う~」
するとマリアンヌは、またクライブの眼鏡に手を伸ばす。
「マリーはクライブの眼鏡が気に入っているのだな」
やっとエーヴァルトが口を開いた。
「クライブ。もう、眼鏡を外したほうがいいのではないか? 邪魔だろう?」
エーヴァルトもクライブが、視力が悪くて眼鏡をかけているわけではないのを知っているようだ。昔からの馴染みのような関係であるから、この二人の間には隠し事もないのかもしれない。
「それに、これからイリヤ嬢のお披露目パーティーだ。君がエスコートするのだろう? クライブ」
その予定である。契約とはいえ、イリヤはクライブと夫婦なのだ。そしてクライブは、これを機にイリヤとの婚姻関係を知らせると言っていた。だからクライブほど、エスコートに適している人間はいないのだが。
イリヤはちらりと隣に顔を向けた。マリアンヌはまだ頑張って、クライブに手を伸ばしている。
「クライブ様。やはり眼鏡を外しましょう」
イリヤの言葉に、クライブは眉根を寄せる。
「なんだ? 眼鏡は不満なのか?」
「そうではなくて、ですね。マリーが、ほら。また、眼鏡をつかんで投げますよ? そのうち、マリーが眼鏡を壊すと思うんですよね」
そう言ったところで、またクライブが眼鏡を外した。たったそれだけなのに、彼の雰囲気ががらりと異なる。
「う~」
マリアンヌは眼鏡のないクライブに不満な様子。
そうやってクライブの眼鏡で盛り上がっていると、王城に着いた。
クライブは眼鏡を上着の内側にしまい込み、マリアンヌを片手で抱き上げた。空いている手をイリヤに差し出す。
イリヤはためらわずにその手を取る。
これから相手をするのは、クライブもエーヴァルトも口うるさい奴らと幾度となく愚痴っていた相手である。
召喚の儀のときにイリヤもちらっと目にしたが、顔を見ただけでも一癖も二癖もありそうな人たちであった。
王城に入ると、すぐさま控え室に案内される。そこには幾人もの侍女たちが待ち構えていた。
「あ~だ~だ~」
マリアンヌが手足をばたつかせながら、おろせと騒いだ。
クライブも困ったように顔をしかめたものの、マリアンヌに弱い彼は、すぐさまその主張を受け入れる。
ソファの上におろされたマリアンヌは一人でおすわりをした。
「聖女様、お召し替えを。閣下とお嬢様は、こちらでお待ちください」
「クライブ様。マリーをお願いしますね」
イリヤはこれからパーティー用のドレスに着替えるのだ。その話を聞いたときは、うへぇと思ったものの、これも周囲に聖女の存在を知らしめるためなので、仕方ないとわりきっている。
「まんま~まんま~」
マリアンヌがソファの上で暴れ始めた。
これはもしかして、後追いというようなそんな感じなのではないだろうか。
クライブがすかさず眼鏡を取り出す。眼鏡をかけたクライブが、早く行けとでも言うかのように首を振る。
「では、聖女様」
侍女の言葉に従い、隣の部屋へと移動する。
先ほどまでの白いドレスを脱がされ、今度はコルセットをつけた。今度は、深い緑色のドレスを身につける。
マホガニーの髪も結い上げられ、先ほどまでの清楚なイメージががらりとかわった。
「お美しいです、聖女様」
姿見にうつる自分を見て、イリヤ自身もほぅとため息をついた。
さすが、毒婦とか悪女とか、悪意ある噂が立っただけのことはあった。このようにきっちりとコルセットをつけてドレスを着たのは、いつ以来だろう。
先ほどの部屋へと戻ると、マリアンヌはクライブに抱っこされてお菓子を食べていた。どうやら、もので釣ったらしい。
「まんま……?」
さすがのマリアンヌもイリヤの変身ぶりには戸惑いを見せた。それよりも、クライブだ。人をじっと見つめたまま、口を開けて呆けている。そして、眼鏡はかけていない。
「クライブ様?」
「す、すまない……」
眼鏡がないせいか、彼の顔がみるみるうちに赤く染まっていく様子がよくわかる。
「では、閣下も」
「は?」
侍女に立つように促されたクライブは、何も知らないというように首を振る。
「陛下からは、閣下もとうかがっておりますが?」
してやられたと、クライブの顔は言っていた。
「聖女様がこのようにお美しいのですよ? お嬢様も」
「だぁ?」
にかっとマリアンヌが笑顔を向け、クライブはしぶしぶと席を立った。
イリヤのドレスは、色は華やかであるが、胸元の飾り付けは派手ではない。だから、マリアンヌを抱き上げることもできる。
「お嬢様も、少しだけお直ししましょうね」
マリアンヌも、イリヤのドレスの色と同じ深緑のリボンで髪が結ばれた。
「あ~う~」
「マリー、かわいいわね。よく似合っているわ」
褒められてマリアンヌも悪い気はしないのだろう。さらに愛嬌を振りまいている。
マリアンヌと戯れていたら、クライブが戻ってきた。
「え?」
思わずイリヤがそう声をあげてしまったのにも理由はある。
彼は眼鏡をかけていない。さらに、いつも後ろにすっとなでつけている髪も、前にたらしている。
「誰?」
「だぁ?」
とにかくいつものクライブではない。前髪をおろしたことで、一気に幼くなった。眼鏡がないことで、知的さよりも顔の造形のよさが際立つ。
「な、なんだ。笑いたければ、笑えばいい」
視力が悪いわけでもないのに眼鏡をかけていた。
昔は女の子と間違われるほどのかわいらしい顔立ちをしていた。
そして、今のこの態度。
イリヤには、ピンとつながるものがあった。
彼は、自分の顔を好きではないのだ。だから、眼鏡をかけてごまかしていたにちがいない。
眼鏡をはずし、前髪をおろしたクライブは、冷徹な宰相閣下から、一気にやさしげな王子様に化けてしまったのだ。
「い、いえ……その、驚いてしまって。クライブ様も雰囲気がおかわりになりましたね」
マリアンヌがクライブに向かって手を伸ばしている。
「ぱ~ぱっ、ぱ~ぱ~」
「なんだ? マリーはこっちのほうがいいのか? いつものオレでは駄目なのか?」
「だっだっだっ」
抱っこをせがんでいた。
「イリヤではなく、オレに抱っこしてほしいというのは、珍しいな。たまにはこういった姿も悪くないな」




