第七章:新しいお仕事にはまだ慣れません(1)
イリヤが神殿のバルコニーから手を振ると、広場に集まった人々からは大歓声が沸き起こる。
彼女を聖女の身代わりにと望んだのはクライブ自身であるのに、こうやって大勢の人の目にさらされると心の中にもやっとしたドス黒い何かが沸き起こる。
「聖女様~」
「聖女さまぁ」
イリヤの後方には近衛騎士が睨みをきかせて立っているし、クライブもエーヴァルトと並んでイリヤを見守っている。神官長も近くにいる。
「あばばばばば~」
イリヤは、マリアンヌを抱いて皆の前に立ちたいと口にした。それは、マリアンヌが本物の聖女であるから、彼女と共に立つことで後ろめたさから逃れようとしているのは、クライブにもひしひしと感じ取れた。
酷なことを頼んでしまった。
それでも今、この国には聖女が必要なのだ。それを理解してくれた聡明な彼女だからこそ、今のこの状況が、クライブには許せなかった。
この気持ちを表す適した言葉は、間違いなく嫉妬である。
イリヤを見つけたのはクライブだ。そして、聖女の代理を依頼したのもクライブ。
「あば、あば、あばばばっ」
賑やかさにあてられたのか、心なしかマリアンヌが不機嫌なようだ。
クライブはそっと前に出て、イリヤの耳元でささやく。
「……イリヤ、そろそろ」
たったそれだけの言葉であるのに、彼女は理解してコクンと頷く。
クライブはマリアンヌを預かった。イリヤはスカートの裾を持ち上げると、広場に集まった人々に対して、深く腰を折る。
真っ白いドレスとローブは、無垢な彼女によく似合っていた。空から降り注ぐ陽光によって、スカート部分の重なり合っているレースがきらきらと輝く。
彼女がくるりと百八十度向きを変えると、マホガニーの髪がパサリとひるがえった。
ほぅと感嘆の声が下から聞こえてきた。イリヤはこうやって、無意識に人を惹きつけるのだ。それの自覚すら持ち合わせていない。
隣に立ち、彼女を促すようにしてクライブも室内へと向かう。
「まんま~」
腕の中のマリアンヌは手を伸ばして、イリヤを求めていた。
「クライブ様、預かります」
バルコニーから室内に入ったところで、マリアンヌをイリヤに渡す。彼女の手に抱かれた途端、マリアンヌはこてんと頭を預ける。
「やっぱり、眠くなったみたいですね」
今日はマリアンヌも朝から準備に追われていた。
「イリヤ様、どうぞこちらでおやすみください」
神官長の声に従い、イリヤは応接室のソファにゆっくりと腰をおろす。
「……ふぅ。うまくいったようで、安心しました」
先ほどまでの神々しい様子とは異なり、いつものやわらかな表情が戻る。マリアンヌはぷぅぷぅと鼻を鳴らしている。あと少しで、完全に寝入るだろう。
「だが……これでイリヤ、君は聖女としてこの国に周知された。これからは、イリヤではなく、聖女としての振るまいが求められる」
クライブの言葉に、エーヴァルトも大きく頷く。
「はい……覚悟はできています」
そう答えた彼女は、マリアンヌの背を優しくなでる。マリアンヌの鼻は先ほどからぷぅぷぅと鳴りっぱなしだ。完全に眠ったのだろうか。
「イリヤ嬢。迷惑をかけるが、よろしく頼む」
悔しそうに言葉にしたエーヴァルトが、やけに印象に残った。
イリヤが聖女であった。それはマーベル子爵家にも伝えてある。だけど、代理であるとは伝えていない。
彼女の母親は、権力はないが聡明な人だった。
マーベル子爵が亡くなったのは、こちらの落ち度であるとクライブは思っている。それでも子爵夫人はクライブを責めなかったし、イリヤのことをしきりに気にかけていた。
前マーベル子爵の弟と再婚したのも、家族と家を守るため。
イリヤにもその母親の血が流れているからこそ、今回の聖女代理という役目を引き受けてくれたにちがいない。
「イリヤ様。次は、お披露目のパーティーがありますので、王城へとの移動となります」
神官長の言葉に、イリヤはにっこりと微笑んではいるが、口の端はひきつっていた。彼女がそのような場所を苦手としているのは、クライブも重々理解しているつもりだ。
この日のために、二人でこっそりとダンスの練習もした。
「……あっ」
そイリヤが小さく声をあげると、腕の中のマリアンヌがビクンと大きく身体を動かした。イリヤは慌ててマリアンヌを包み込むように抱き直す。
「イリヤ、どうかしたのか?」
クライブが小声で尋ねると、彼女は顔をしかめた。
「え? このあと、お披露目パーティーですよね。つまり、クライブ様とダンスが……」
何をいまさらとも思うが、彼女の視線はマリアンヌに注がれていた。
さすがにダンスとなれば、マリアンヌを抱いたままでは不可能だろう。誰かに預けなければならないが、練習のときはナナカがみていた。
しかし今日のパーティーでは、そこまで考えていなかった。
目の前のエーヴァルトがニコニコしていたが、気づかぬふりをした。
*~*~*
神殿から王城への移動は、馬車を使う。腕の中にマリアンヌはいるものの、隣にクライブはいるし、目の前にはエーヴァルトと神官長もいるし、そしてこの馬車の周囲は近衛騎士とか王宮魔法使いとかに囲まれている。
いつもの移動とは異なる。
それだけでも、イリヤの気持ちはピリリとした。
聖女として皆の前に立った。これでもう、後戻りはできない。
「……あばぁ」
マリアンヌが目を覚ました。彼女がまたたくだけで、この場が和む。
「まんま、まんま!」
伸びてきた小さなふくふくとした手が、イリヤの頬に触れた。
「おはよう、マリー」
マリアンヌはきょろきょろと周囲を見回している。
「どうした? マリー」
クライブもマリアンヌの顔をのぞき込む。
「ぱ~ぱ~」
腕を伸ばしたマリアンヌが狙っているのは、クライブの眼鏡である。
「マリー、めっよ、めっ!」
マリアンヌはすぐにクライブの眼鏡を狙うのだ。
クライブはすかさず眼鏡を外して、マリアンヌにかけた。
「あ~あ~?」
マリアンヌも眼鏡をクライブからもらえるとは思っていなかったようで、ぶんぶんと首を振っている。
その様子を見て、笑いをかみ殺しているのはエーヴァルトである。
マリアンヌの行動一つで、緊張に包まれていたこの場がやわらいだ。




