第七章:新しいお仕事にはまだ慣れません(3)
マリアンヌのおかげでクライブの機嫌も直ったようだ。
「では、イリヤ。そろそろ、いこうか」
クライブの腕をとったはいいが、口から心臓が飛び出るのではないかと思えるほど、緊張していた。
ここからまた、イリヤの一世一代の大勝負が始まる。
先ほどは遠目からのお披露目であったため、にこやかに笑って手を振っていればよかった。だけど、今回は違う。
聖女としての立ち居振る舞いが求められるのだ。クライブやエーヴァルトは、適当に相づちでも打っておけと言っていた。
それでもイリヤを聖女として疑う声があがったらどうしたらいいのか。はったりしかないだろう。
その緊張のあまり、イリヤには周囲の声が頭に入ってこない。ただクライブにうながされるまま歩き、大広間へと入った。
わっとした歓声と熱気が、イリヤを襲う。マリアンヌも今までと違う雰囲気を感じ取ったのだろう。クライブにひしりとしがみついた。
「聖女イリヤ様」
神官長がそう張り上げた声だけは聞こえた。
「あれが聖女様……」
「あの毒婦か?」
「聖女様、お美しい」
「悪女じゃないのか?」
感嘆の声と悪意のこもったささやきが混じり合って聞こえてくる。
「隣の男は誰だ?」
「あの赤ん坊は?」
さらに、イリヤと共にいるクライブやマリアンヌに対する興味の言葉も耳に入る。
クライブと共にエーヴァルトに挨拶をし、案内された豪奢な椅子へと座った。ここから大広間の全体が見渡せるものの、やはり好奇の視線がイリヤに向けられている。
イリヤはマリアンヌを預かった。クライブはエーヴァルトの補佐へと入る。
エーヴァルトの凛とした声が、大広間に響き渡る。
イリヤも侍女から飲み物を手渡された。マリアンヌがいるため、お酒ではない飲み物を頼んでいた。
エーヴァルトがグラスを掲げる。
わっと声があがり、皆、グラスを傾けた。イリヤもそれを真似してグラスをあげて、一口だけ飲む。
「あ~あ~」
膝の上のマリアンヌも飲みたそうにこちらを見ているため、一口だけ飲ませた。
「んまんま」
どうやらお気に召したらしい。
楽団によって華やかな音楽が奏でられ、広間の中央ではエーヴァルトがトリシャと一緒に踊り始めた。
パーティーといえばダンスである。聖女お披露目パーティーであるが、一曲目はエーヴァルトたちにお願いした。
普段はあんな感じのエーヴァルトであるのに、トリシャが言っていたことが納得できるような気がしてきた。
一応、立場はわきまえているようだ。
あんな悪ふざけをして、マリアンヌに対して気持ち悪いくらいの執着をみせているのも、そこにクライブがいるからだろう。エーヴァルトとクライブの関係もふざけ合いながらも、悪いものではない。むしろ羽目を外したエーヴァルトをクライブが止めることで、うまく執務がまわっているように思える。そしてエーヴァルトはときどき羽目を外すことで、重圧をうまく分散させているようにも見えた。
「イリヤ……」
「ぱ~ぱ~」
「陛下たちが終わったら、次はオレたちの番だ」
「マリーは?」
残念ながら、近くにナナカの姿は見えない。
「トリシャ様にたのんだ。だから、問題ない」
マリアンヌはエーヴァルトよりもトリシャに懐いている。だけど、クライブとトリシャは犬猿の仲だったはず。
そうも言っていられない状況なのだろう。
クライブに促され、マリアンヌを抱っこしながらトリシャのもとへと向かう。
「クライブ、マリーを預かる」
「え~、や~」
すれ違いざま、エーヴァルトが手を伸ばしてきたが、マリアンヌはぷいっとそっぽを向く。
「マリアンヌ。お利口さんね。パパとママは少しだけお仕事があるのよ」
「あ~い~」
トリシャに向かって腕をあげたマリアンヌを、ひょいっと抱き上げた。
「懐かしいわね。アルベルトもこんな感じだったのよね」
離れた場所で侍従と一緒にこちらの様子をみていたアルベルトに視線を向ける。
「あ~う~」
「マリアンヌ。アルベルトのところへいきましょうね」
トリシャとマリアンヌのやりとりを、エーヴァルトは少し悔しそうに眺めていた。
これでマリアンヌの心配はなくなった。
クライブと共に大広間の中央へ向かい、一礼する。
デビュタントのとき、父親と踊ってから誰かと踊ったという記憶がない。
「緊張しているのか?」
クライブが顔を寄せ、耳元でささやく。彼の吐息は頬をなでる。
「え、えぇ。そうですね。この状況で緊張するなっていうほうが無理ですよ」
「いつものイリヤでいればいい」
クライブの手が腰を支えた。
三拍子のリズムに合わせてステップを踏むと、嘆美の声がちらほらと上がり始める。
「クライブ様。みんな、クライブ様だとは思っていないのではないですか?」
先ほどから、聖女様の相手の男性は誰だと、そういった声が聞こえてくるのだ。
「どうせ、あとで顔見知りには挨拶しにいかねばならないからな。そのときに、いやでもわかるだろう」
唇の端を引きつらせるクライブに、イリヤは微笑んだ。
曲が終わって二人がその場を去ると、次から次へと他の人たちが中央に集まってくる。
「イリヤ。とりあえず、面倒くさい奴らを紹介する。顔だけ覚えておけ。名前は覚える必要はない」
イリヤも気が重いように、クライブもその気持ちは同じようであった。
「聖女様」
クライブと共に、お目当ての場所へ向かおうとしたところを、呼び止められた。
「どうか、私とも一曲踊っていただけませんか?」
三十歳前後の男だろう。聖女に取り入ろうという気持ちがまざまざと感じられた。
「聖女様は忙しい」
クライブが冷たく言い放つ。
「先ほどから話題になっております。聖女様の隣にいる男性はいったい誰なのかと。あなたは聖女様に相応しい身分をお持ちなのでしょうか?」
「ほほぅ。ルーフス侯爵はご子息にどういった教育をしているのか?」
男は驚いたように目を開ける。
「父を……ご存知でしたか?」
「そうだな。王城で毎日のように顔を合わせているが?」
「……クライブ様」
イリヤがクライブの名を呼ぶと、男の顔からさっと血の気が引いた。
「クライブ……? ファクト公爵? 宰相閣下ですか?」
「そうだが、何か?」




