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第五章:それは追加契約になります(1)

 クライブが知る限り、イリヤの寝相がいいとはけしていえない。クライブが寝るときには寝台の隅で眠っているのに、こうやってクライブが横になるとごろごろとすり寄ってくるのだ。

 そして毎朝、目覚めると驚いて声をあげる。クライブのせいではないというのに、まるでこちらが悪いとでも言うかのような冷ややかな視線を投げつける。


 だがそんな朝も悪くはないと思っているし、できるのであればこの関係を続けていきたいと願っている。


 今の関係を続けていくためには、イリヤと心を通わせる必要があるのだが、これがなかなか難しい。これ以上の関係に進みたいと思っているのだが、それはもっと難解な問題のようだ。


 出会ったときから目が離せない女性ではあったが、共に暮らしていくうちに、もっと気になるようになってしまった。これがエーヴァルトに仕組まれた契約結婚であったとしても、それすら忘れることもある。


 いや、結婚してから数日の間に、クライブはすっかりとそのようなことを忘れた。イリヤが頑なにその言葉を口にして「ああ、そうだったな」と思い出すのだ。


 そのせいか彼女は、未だにクライブを名前で呼んでくれない。人がいる前では旦那様であるが、二人きりになれば閣下である。呼び名からも、二人の間には重たくて高い岩があるような、そんな感じがした。この岩が壊れる日はやってくるのだろうか。


 だから仕方なく、そう仕方なく、エーヴァルトに相談したところ「甘い雰囲気を作って、そこで愛をささやけばいいだろう。私はトリシャに……」と、のろけ話が始まったので、そこから先は聞いていない。


 とにかく、甘い雰囲気を作るのが重要らしい。


 そう思って、チャールズにはイリヤと二人きりのときには、甘い菓子を準備してほしいとお願いしておいた。実際に出てきたのは、個装されたチョコレートである。


 あれで甘い雰囲気になったのかどうかはわからないが、昨夜はタイミングが悪かったかもしれない。甘い雰囲気になったところで愛をささやくどころか、イリヤに聖女の身代わりになってほしいと言ってしまった。


 これは、前々から言われていた聖女不在の件――聖女はいるが赤ん坊で力がうまく使えない件と関係している。


 西のミルトの森に時空の歪みが確認されてから、そろそろ一年半になる。魔物の数は確実に増えている。

 人が住む場所の近くに魔物が現れたときは、騎士団を派遣し、その町の自警団と共に討伐を行っているが、終わりのない討伐にそろそろ不満が出始めている。

 聖女が現れたという事実を公表できれば、彼らだって希望を持つだろう。今はそれすらできない状態なのだ。聖女が現れた、それは赤ん坊だったと発表すれば、逆に彼らの士気も下がりかねない。


 マリアンヌを元の世界に戻し、新しい聖女を召喚するという案だけは前々から出ていた。それを実行に移せないでいるのは、次の聖女召喚が必ずしも成功するとは限らないからだ。


 また、エーヴァルトが一度召喚した聖女を、こちらの都合で勝手に返すというのは、聖女を崇めるマラカイト王国の民としてどうなのかと、それっぽいことを言い出したためでもある。

 今すぐではないが、時間をかけて聖女の成長を見守るか、成功保証のない聖女返還と召喚の儀を行うか。

 まして、前回の召喚から時間も経っていないこともあり、二度目の召喚は慎重に行うべきだという考えもあった。それは、召喚の儀を行う魔法使いたちの魔力のためでもある。


 四か月ほど前の聖女召喚の儀に立ち会ったのはエーヴァルトとクライブ。それから実際に儀式を取り仕切る神官長、儀式を行う魔法使いが四名。その七名だけが、マリアンヌが聖女であることを知っている。そしてその儀式を行った魔法使いたちですら、マリアンヌの力には太刀打ちできないと根をあげたのだ。


 その結果、マリアンヌをクライブの養女とし王城で世話をしていたのだが、彼女の世話をしていた者が一人、また一人と弱音を吐いていく。


 さまざまな伝手を使って、魔力が高く、赤ん坊の世話をできるような者を探したが、見つからなかった。職業紹介所にも求人を出した。ただし、魔力の高いものだけがわかる方法をとって。


 その結果、見つかったのがイリヤである。彼女の噂はちらほらと耳には入っていた。それを信じていたかどうかと問われると、何も気にしていなかった。そういった噂があると知っていただけ。


 もちろん本物のイリヤは噂とは異なる女性であり、クライブは彼女と結婚までしてしまったが。それも、初めて会ったときに興味が沸いたからだ。


 門番の騎士に啖呵を切り、あれだけ手を焼いたマリアンヌを手懐けている。魔力も申し分なく、魔法を容易く使う。

 これだけ能力のある魔法使いを、野放しにしてはならないという想いもあったのかもしれないが、それよりもイリヤという女性をもっと知りたいと思ったのだ。だから、彼女と一緒になったのが、それも悪くはない。


 ただ、結婚生活の流れというものがわからず、初日から大失敗してしまったわけだが。


「……んっ」


 毛布を引き寄せて、彼女が身じろいだ。これはそろそろ目が覚める動きでもある。

 彼女との結婚生活を続けるためには、心をわかり合わなければならない。その心が難しい。

 彼女の瞼がひくひくと動いて、ラベンダー色の瞳が現れた。


「おはよう」

「……っ」


 目が覚めると、すぐに人の顔を見て驚くのだ。けしてクライブが寝込みを襲ったとか、そういったことをしたわけではない。イリヤが勝手に寄ってきて、勝手にひっついて眠っているだけだというのに。


「……おはよう、ございます。えぇと、私は今日も?」

「今日もというか、ほぼ毎日だろう?」

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