第四章:新しいお仕事ですか?(1)
クライブは、何度目かになるかわからないため息をついた。原因は目の前のエーヴァルトにある。
「明日は、マリーが来る日だよな」
そう言って、うへへへへと不気味な笑みを浮かべるのだ。
これを朝から何度も何度も聞かされているクライブは、ため息しか出てこない。とにかく、書類を確認しているときに「うへへへへ」「ぐへへへへ」と変な笑い声が聞こえれば、集中力も途切れてしまう。
ベルを鳴らして侍従を呼び、お茶を淹れるように指示する。
こんなエーヴァルトは、話を聞かないと永遠に不気味な笑みを浮かべるに違いないからだ。となれば、クライブの仕事が進まない。その結果、帰れないという羽目になる。
近頃は、夕食時には屋敷に帰れるようにと仕事を調整していた。それはイリヤとマリアンヌがいるからで、彼女たちと共に過ごす時間は悪くないと、そう感じている。
「陛下。少し、休憩をなさったほうがよろしいのではありませんか?」
クライブも、こういった声かけができるくらいの余裕はある。
エーヴァルトは、ぐへぐへと怪しく笑いながらも必要な書類に目を通して、必要な判断ができているからだ。これがもうしばらくすると、涎を垂らしてへらへら笑って、手元の書類が動かなくなる。となれば重症。そうなる前に彼の話を聞いて気分転換させる必要があった。
「そうだな。今日は真面目に執務をこなしたからか、少し疲れたな。明日、マリーに会えると思うと、頑張れる気持ちになる」
そう思っているのはエーヴァルト本人だけである。クライブから見たら、だらしない顔で仕事をしているようにしか見えない。それでもまだ、この場にクライブがいるからいいのだ。
エーヴァルト一人にしておいたら妄想に耽ってしまい、今日中に目を通してもらいたい書類すら、山になるだけ。
「それで、最近のマリーはどうなんだ?」
毎日、聞いてくる。クライブからしたら、昨日と今日でマリアンヌの大きな変化があったとは思えない。おすわりがしっかりしているし、ずりばいしながら部屋中を動き回っている。成長したなとは思うのだが、毎日、見ているためか昨日と今日の小さな変化には気づきにくいのだ。
だが、昨日はできなかった拍手ができるようになったとか、昨日は食べなかった果物を食べたとか、そういったことであればわかる。
「相変わらず、ずりばいしながら部屋を動いてますね。何か見つけると、口に入れようとするから、目が離せないようです」
「あぁ。私もずっと目を離したくない」
そうやってうっとりするエーヴァルトを見ると、何度も「お前の子ではないだろ!」と声を荒らげたくなるというもの。
「クライブ、君は毎日マリーと一緒に風呂に入ってるのか?」
「ああ、そうですね。イリヤに言われて一緒に風呂に入るようになりましたが、悪くはないですね」
マリアンヌを抱きながら広いバスタブに入ると、彼女は喜んで手足をバタバタとさせる。頭や身体を洗っても、泣くようなことはない。ほかほかとマリアンヌがあたたまったところでイリヤを呼ぶと、彼女は顔を背けながらマリアンヌを預かってバスタオルでくるむ。そのときのイリヤの表情を見ていると、自然と顔がほころぶのだ。
「うわ、クライブ。気持ち悪い。そうやって、マリアンヌと一緒に入っている風呂を思い出しているんだな? この、変態。エッチ」
お前だけには言われたくないわ、と心の中で呟くものの、顔だけはニッコリと笑みを浮かべてごまかす。
むしろマリアンヌというよりは、イリヤを思い出していたのだ。心をわかり合いたいとよく言う彼女だが、どうやったら彼女と心がわかり合えるのかが、目下のところの悩みでもある。
「あまりそういうことを言いますと、明日、マリアンヌを連れてこなくていいと、イリヤに言いますが?」
「うわぁ、ごめんなさい。ごめんなさい。変態、エッチだなんてもう言いません」
――こいつ、やっぱり重症だな。
そんな冷たい視線を送りつつ、クライブは金で縁取られた白磁のカップを手に取った。
マリアンヌが召喚されてからというもの、エーヴァルトが酷い。これはそろそろトリシャに告げ口をすべきかと思いながらも、クライブとトリシャが犬猿の仲なのだ。
「それで、クライブとイリヤ嬢の仲はどうなのだ?」
飲んでいた紅茶を噴き出しそうになった。エーヴァルトが真面目な口調で、イリヤとクライブの仲を問いただすとは。いったい何を考えているのか。
「オレとイリヤの仲がどうであれ、あなたには関係がないのでは? マリアンヌにしか興味がないと言っていたと記憶しておりますが?」
「だが、私は思ったのだよ。マリアンヌの両親の仲がよいほうが、マリアンヌにとっても幸せではないのかと。だから、マリアンヌのためにもクライブとイリヤ嬢の仲は良好であってもらいたい」
クライブは黙って紅茶を飲み直した。
「それで、どうなのだ? イリヤ嬢との仲は。初夜のやり直しはできたのか? 卒業できたのか?」
今度はとうとう紅茶を噴き出した。どうして人が飲んでいるところを狙って、話しかけてくるのか。確信犯としか思えない。
侍従が慌ててかけつけて、濡れた箇所をいそいそと拭いてくれる。
「陛下のおっしゃっている意味が、私にはわかりかねます」
「うわ。白々しい。てことは、まだなんだな? マリアンヌにも弟か妹がいたほうがいいのではないか?」
「そうなりますと、マリアンヌだけのけ者……」
「にするわけがないだろう? 君たちが。君たちであれば実子もマリアンヌも、同じように愛してくれる。そう思ったから君たちに預けたのだ」




