第三章:お仕事はきっちりとこなします(3)
イリヤはチャールズに目配せをすると、彼は黙って首を縦に振る。これは「準備は整っている」という意味だろう。
「陛下。私たちは、これから夕食をいただくところなのですが。よろしければ陛下もご一緒にいかがですか? お城の料理人には及ばないかもしれませんが、公爵家の料理人も腕がよいのですよ?」
イリヤが言うと、クライブはぎょっと目を見開く。その際、眼鏡が少しずれたようで、すぐに人差し指で押し上げた。
「さすがイリヤ嬢。この堅物毒舌宰相よりも話がわかる。クライブには、ちょっともったいなかったかもしれないな」
イリヤとクライブの関係がどのようなものであろうと興味がないと言っていたくせに、この手のひらの返しよう。
「では、陛下。食堂に案内いたします。クライブ様はお着替えを。チャールズ、お願いね」
イリヤがにっこりと微笑むと、チャールズは一礼し、渋るクライブを部屋へと連れていった。
「なるほどなるほど。イリヤ嬢はすっかりと公爵夫人が板についている」
そう言いながらもエーヴァルトはマリアンヌの頬をつんつんつんとつついている。つつかれた彼女は、ぶぶぶぶぶと涎を出しているのだが、やはりエーヴァルトは喜んでいた。
ようはマリアンヌから何かしらの反応があることが嬉しいのだ。親馬鹿を通り越しているし、そもそもエーヴァルトはマリアンヌの親でもなんでもない。ただの赤の他人である。将来は、息子のアルベルトと結婚させようと企んでいるようだが、今はまだその段階でもない。
エーヴァルトを食堂に案内し、飲み物を用意する。
クライブのことだから、すぐに着替えてやってくるだろう。ついでに浄化魔法を使えばよかったなと思ったけれど、魔法は信頼のおける者の前でしか使ってはいけないと注意を受けたばかりだ。エーヴァルトもイリヤが魔法を使えるのは知っているが、だけど彼の前で魔法を使えばクライブに叱られそうな気がした。なんとなく。
「あ~だ~」
マリアンヌは手足をばたばたとさせているのだが、これはお腹が空いたときの動きでもある。まだ二日しか一緒にいないが、なんとなくわかってきた。なんとなくだが。
「もうちょっとでパパが来るからね。パパが来るまでお利口にしていましょうね」
「だ~だ~」
「あんなやつのこと、待つ必要ないだろう? マリアンヌがしたいようにすればいい。お腹が空いているのでは?」
「そうなのですが。今日から離乳食を始めようかと思いまして。初めての離乳食ですから、せっかくならクライブ様も一緒にいたほうが、家族らしくていいですよね?」
ひくりと、エーヴァルトのこめかみが動いた。
「離乳食? マリアンヌが?」
「はい。正確な月齢はわからないのですが、生後半年は過ぎているのかなと思いまして。おすわりはまだ不安定ですが、腰はしっかりとしてきていますし。よく見たら、歯も生えそうなんですよね。涎もいっぱい出ているようですし」
「なるほど。それで今から離乳食を? 私がそれに立ち会えると?」
エーヴァルトはマリアンヌの初めての離乳食の場にいられることに、喜びを感じているようだ。
「待たせたな」
着替えを終えたクライブがやってきた。
「クライブ様。今、陛下にもお伝えしたのですが、今日からマリーは離乳食を始めます」
「昨日もそんなことを言っていたな。ジムには今朝、伝えておいた」
ジムとは料理長の名である。イリヤがマリアンヌの離乳食について相談しにいったところ、クライブからも話があったとのことで、彼はすでにメニューを考えていたようだ。
「では、食事にしよう。陛下のお口に合うかどうか、わかりませんが」
クライブの眼鏡が、シャンデリアの光を反射させてきらりと光った。
「それとも、マリアンヌと同じ離乳食のほうがよろしいでしょうか?」
「クライブ、冷たい」
「オレが帰ろうとしたところを勝手に着いてきた人は誰ですか? お前だろ? マリアンヌと同じ席で食事ができるだけでも、ありがたく思え」
クライブは相手が国王であろうが動じない。だが、今までのエーヴァルトの様子を見ていると、クライブのこの態度も納得できるような気もしないでもない。
「あ~あ~」
テーブルの上に料理が並べられると、マリアンヌは楽しそうに手足をばたつかせる。
「マリー。今日はご飯を食べてみましょうね」
初めての離乳食は、オートミールを水で煮て裏ごししたもの。イリヤの妹たちもこれを食べていたし、ジムもこれがいいだろうと言っていた。
エーヴァルトは料理に手をつけず、じっくりとマリアンヌを見ている。
「マリー、あ~ん」
イリヤ自ら離乳食を与えるのは、イリヤの希望でもある。妹たちにもこうやってあげていたし、何よりもマリアンヌを自分の手で育てたいと思っていた。
「あ~」
マリアンヌが口を開けた隙に、スプーンを口の中に入れる。上顎にこすりつけるようにしてスプーンを引くと、マリアンヌはもごもごと口を動かしている。
「マリアンヌが食べた。これは、感動ものだ」
親より馬鹿になっているエーヴァルトは、瞳をきらきらと輝かせている。
「だ~」
だが、マリアンヌのお口に合わなかったのか、口から少しだけ出した。
「その顔もかわいい」
「いいいから、お前は黙って食べろ」
そう言ったクライブの手も動いていなかった。みな、マリアンヌの食べる様子を、固唾を飲んで見守っていたのだ。
「奥様、お預かりします」
ナナカの手には哺乳瓶がある。
「あ~あ~」
哺乳瓶に手を伸ばそうとしているマリアンヌを、ナナカが抱き上げた。
今日は一匙だけ。少しずつ、食べる量を増やしていく。
ナナカの腕の中で、マリアンヌは哺乳瓶に手を添えてごくごくと勢いよくミルクを飲んでいた。




