第25話 双月に叢雲花に嵐 1
夜の森は暗い。
明るさが減るにつれ、一部の獣たちの声や動きが活発になり、決して静かではないのだけど。
僕は、ヴァスカルカの家の前にある、この辺りでは一番背の高い一本杉の上にいた。
幹に持たれながら、枝の上に立つ。
山林の木々の上は、明るい。
光源を見上げる。
欠けた双月が離れて浮かび、彼らを引き立てるように星々が所狭しと瞬いていた。
夜半過ぎ。
この時間に起きている者はあまりいない。
けれど、ヴァスカルカの家にいる全員は、懸命に動き、願い、ただ横たわる少年を想っているのだ。
※
「手は尽したのだヨ。身体はこの通り、縫合痕はあるけどネ、顔も腕も内蔵も元通りなのだヨ。魂もまだ還っていないのだヨ。と言ってもネ、魂が旅立つまでの時間は個人差があるのだけどネ、一度死んだ者が蘇ることなど、普通はあり得ない事……なのだヨ」
魂がそこにいてもネ、と念を押すように、ヴァスカルカは仮面の下からくぐもった声で言う。
「ありがとうヴァスカルカ、それにルノも」
急造した手術台の下でうずくまっているルノにも声をかける。
彼女はやつれた顔で僕を見た。
『たぶん、脳に血が送られなくなって相当時間が経ってるからさ……』
ルノが念話で話しかけてくる。
前世の知識からの会話だからだろう。下手に聞かれて質問をうけても面倒臭いだけだと判断したのだと思う。
『だから無理かも』
『……わかった』
血液型を判別することの出来ないこの世界には、当然輸血という概念が無い。
そしてそういった知識を持っていた僕らでも、アランや、血を分けることの出来る僕らの血液型を知る術がないため、輸血はまず無理だった。
なので、ヴァスカルカとルノが作り上げた自分の血を増やす魔術式を魔方陣として刻んだ白い敷布を、手術台にかけ、その上でアランの治療を行った。のだけど、結局手遅れだったと二人は言う。
僕は僕で、反転魔法を使い、アランの損傷を反転させることを必死に考えたのだけど、その甲斐も無く。
母さんの時にも感じた、死者は生き返らせられないという〝事実〟のみを、思い知らされた。
父さんはその後、村の人達に事の事態を伝えに行った。
チコも同行し、万が一に供えての準備をするのだと言う。
孤児院の面々は、全員がチコに連れられこの場に集まっていて、最初こそヴァスカルカに驚いてもいたけれど、彼に礼を尽し、皆がそれぞれに、アランへ思いの丈を伝えていた。
ルノは、精根尽き果てたと言わんばかりに、僕との念話を終えるとその場で倒れて寝てしまった。
ルノを抱き上げ、いつもヴァスカルカとお茶をするソファーに、彼女を寝かせると、僕は家を出る。
不沈城塞へ向かうために。
※
二つの月明かりの下、遠くに望む〝不沈城塞〟には、煌々と明かりが灯されているのだろう。
周囲から切り取ったみたいに、ぼんやりと輝いて見えた。
父さんと母さんの生まれた城。
今は人が住んでいない城には、王子一行が滞在し、僕らの襲撃に備えて護衛兵を待機させているに違いない。
あんなことをした馬鹿王子にも、月はその光を惜しみなく注いでいる。
そんなことを考えていると、ふと、月の二つともに雲がかかった。
不沈城塞は受ける光を無くし、当たり前のように、それは僕も同様で、周囲の明るさが落ち着いた。
「そろそろ行こう」
枝にかけておいた背嚢を背負う。
不沈城塞までは馬で半日。急いで二から三時間半。
けれど、僕やルノの足だともっと早く、オーラを纏えばさらにその時間は短縮され、オーラを推進力に変換させ爆発させればより速くなる。
足を踏み出すのと同時にオーラを爆発させる移動法は、ただオーラを循環させるだけとは違い、そこそこの魔力が消費される。魔力の自然回復の量を釣り合わせながらの高速移動で、不沈城塞を目指そう、と僕は考え、一本杉を蹴った。
※
「本当に攻めてくるのか……?」
「どうだろうな。少なくとも、カーライルは王家と事を構えたいとは思わんさ」
「だよなぁ。でもまぁ攻めて来ても、こっちには〝黒狼〟に、〝狂い鮫〟がいるんだ。いくら〝白狼〟が相手にいようと、二対一でこっちが負けねぇだろ」
「ヴァレンティーノ様はまた出掛けられたっておい、声を落とせ。聞こえるぞ」
石橋に配置された見張りの兵士二人が黙る。
この橋は城で一番高い塔へと出入りできる唯一の通路のようだ。
見張りの一人が、塔の階段を誰かが降りてくる足音でも聞いたのだろう。
橋の幅は大人十人が並べる程で、中央がせり上がった形をしている。
塔に向かって右側、方角でいうと北側は、切り立った絶壁に沿っていて、その下には、鏡のように夜空を映す大きな湖があった。
この位置から見ていると、まるで星空の上に城が浮かんでいるように見える。
橋で、塔の門番件見張りをしている二人の兵士の背後。
塔の出入り口から、〝狂い鮫〟の巨体がのっそりと出て来た。
等間隔で焚かれた篝火と、月明かりに、髪の無い頭頂部が照らされる。
夜風が、奴の頭部をぐるりと囲う、疎らな長髪を撫でる。
その様は異様だった。
狂い鮫の頭に髪が少ないのは、傷跡からも見て取れたけど、おそらく頭皮を剥がれた拷問か何かの跡だろう。
「グスタフ様、ご苦労様です」
兵士二人が拳で胸を叩き、敬礼する。
二人を無視し、狂い鮫は隆起した橋の中央まで進むと、そこで止まった。
奴は僕らの村の方を見る。
きっと、僕の襲撃を今かと待ち構えているのだろう。
僕はその光景を、この城で一番高い所から見下ろしていた。
城の尖塔。城主の部屋がある塔の天辺だ。
円錐形の屋根は、天然石を薄くスライスしたものが一面に張り付けられている。その塔の先端部分に、背負ってきた背嚢を引っかけておいた。
さて。
今回は始めから奥の手を使うと決めていた僕は、その場にジャックからもらった衣服を脱ぎ、下着も全て取り去った。
集中しているからか、寒風にも全く寒さを感じなかった。
「反転」
僕の身体はみるみると成長し、やがて、男性のそれとなる。
魔力糸で背嚢から黒装束を取りだし、着込む。
僕は後ろを向いたままの狂い鮫を見る。
魔力糸の先端を尖らせるように練り、
それを三本用意する。
念入りに気配を抑えた僕は、一息に三本の魔力糸を放つ。
後頭部、頸椎、腰椎を狙う。
魔力糸の先端が奴に触れる、寸前。
何か、〝防護膜〟のような物に阻まれた感触が伝わった。
それでも僕は魔力糸を突き込もうとする。
けれど、すぐに身を翻した狂い鮫の抜刀により、魔力糸の全てが断ち切られた。
「来たな……、どこだ」
不意打ちは失敗。
魔道装具とやらの性能ときたらとんでもないな、という感想を抱きながら僕は尖塔から飛び降りた。
着地の寸前、一人の兵士の首に手刀を落とす。
あっけなく、そいつは石畳の上に倒れた。
「誰だ!?」
もう一人の兵士が僕に槍を向け叫ぶ。
「あの娘と似ている。姉……いや、兄か?」
「答える必要あるか?」
僕が言うと、グスタフはにたりと笑った。
「なんでもいい。さあ、殺し合おうか」
「死ぬのはお前だ」
「死……? て、敵! で、であえぇ! 襲撃だぁぁぶへっ」
叫ぶ兵士を殴り飛ばし、僕は彼の腰にあった剣を抜く。
さて、厄介な《全属性耐性》が付与されているという魔道装具への対処に、僕はもう一度《雷属性》の紫電を剣に付与させようと思う。
と言っても、
「纏え、紫電」
バキイィィ、バチィィ! と、紫電が放つ威力は、見た目も含めて河原で使ったものの数倍。
あの時の紫電が《中級》だとすれば、今回の紫電はおそらく《真位》程度はあるだろう。
《導位》から上を総称して〝高位〟と呼ぶのだけど、この高位付与は、まだ元の姿では出来ない。
男に戻った時のみの魔法だ。
「その魔道装具の属性耐性。高位の属性魔法も防げるのか、試させてもらう」
「何……」
狂い鮫は、切り傷で途切れた肩眉を微かに動かした。
試すまでも無く、効く。
そう確信した僕は、帯電させた剣を振りかぶり、走る。
僕は、自分が放った紫電の一閃を見た。
奴のすぐ横から。
狂い鮫の正面、つまり、僕の残像が振るった剣に、奴は防御の剣を合わせている。
僕はがら空きになった狂い鮫の脇腹へ、逆手に持ち替えた剣を当てにいく。
紫電の二閃。
しかし、その二閃目は、奴の剣に防がれた。
そしてそのたった一振りで、兵士から奪った剣は、中程からぽきりと折れる。
けど、
「ががっ、がああぁ!」
叫んだ狂い鮫は右手の剣を落とした。
当然それを、僕は魔力糸で奪い取る。
見た目はごく普通のブロードソードだけど、重たい。
剣の素材については詳しくない。でもこの剣に使われている鉱石は良いものなのだと、手にしただけでも分る程で、所謂名剣だろう。
さぁ、変身していられる時間は限られている。
手っ取り早く、もう一本も手放してもらおう――、
「かぁ!」
再度《真位》クラスの紫電を付与させ、僕は奴の喉笛目がけて剣を突き出す。
汗を浮かべた狂い鮫が、必死の形相で上半身を仰け反らせる。
そして、バランスを崩した。
追撃だ。
僕は、突き出した剣を離し、すぐに逆手に持ち替え即、喉を狙う斬撃を放つ。
そのとき、奴の濃い口髭の端が、じわりと持ち上がった。
狂い鮫は仰向けに倒れ様、分厚いブーツの踵で僕の拳を蹴った。
手にしていた奴の剣を、僕は取り落とす。
橋の下の湖へそのまま落ちていき、どぷんと剣が吞まれる音だけが聞こえた。
バランスを崩したのはわざと、か。
僕はすぐに次の行動へ。
伸ばした魔力糸で、もう一本の剣を鞘から奪い取り、三度目の帯電。
「はっ。よくもまぁその若さで、淡々とした攻めをしやがる……」
当然だろう。最も効率の良いやり方なのだから。
それにおそらく、僕の前世はそのような戦い方を、それこそ刷り込みレベルで叩き込まれていたのだろうと、此までの八年間にわたる父さんやルノ、チコ達との修行で、実感していた。
やつに答えるわけでもなく、内心で自答していると、塔の中と、城門の方から兵士たちが集まってきた。
八人、狂い鮫を入れて九人か。
反転魔法と高位紫電の常時発動により、魔力も相当量減らしている。
この姿のまま、せめて狂い鮫だけは殺しておかなければならない。
剣を逆手に構える。
足裏にオーラを集束。
そして、解放。
急加速による風圧を、いつも通り、風魔法の僕オリジナルのやり方を用い無効化。
奴の腹目がけて、剣を振るう。
重量のある剣が、肉を切り裂き、いとも容易く骨を断つ。
けれど、上半身と下半身が分かれたのは、狂い鮫ではなく、隣にいた兵士。
狂い鮫は、兵士の頭を片手で鷲掴み、自分の盾としたのだ。
兵士の切断面は、紫電に触れた熱でぷすぷすと煙を上げ、下半身がどちゃりと倒れた。切り離された上半身を狂い鮫が僕目がけて投げつけてくる。
難なく避け、狂い鮫を視界に捉えようと、僕は奴がいた周囲を見回す。
狂い鮫の姿が消えていた。
そのことに気が付いた時には、下の方からどぶん、と水が跳ねる音がする。
逃がした……?
「……くそっ!」
瞬間閃光で兵士の目を眩ませた隙に尖塔へ飛ぶ。
これ以上変身しているのは無意味だ。
魔力糸で衣服を脱ぎ捨て、反転を解き、着てきた服を一瞬で身体に纏わせる。
狂い鮫の王子への対応から、忠誠心というものは感じなかった。
そして、王子を守る為の戦いから逃げたあいつは、再び王子の元へ戻るとは考えにくい。
「せっかくのチャンスだったのに……」
このまま僕も湖へ飛び込み、あいつを追うべきか。
でも、そうすると、王子を殺す機会をも逃してしまうかもしれない。
どっちを殺したい?
「決まってる。けど……」
失意の中、僕は、尖塔の端から後ろへ倒れるようにして、落下する。
「うあぁぁぁぁ!」
落ちながら、憤りをぶつけるように仰向けで叫ぶ。
ここでも、二つの欠けた月が僕をあざ笑うかのごとく、漫然と輝きを放ち続けている。
石畳にぶつかる直前で、僕は身体を回転させ、跪くように着地した。
怒りで鼓動が早い。
僕は立ち上がり叫ぶ。
「カーライルへ下る意思がある者はいるか!」
全員が槍や剣を構え僕に向けたまま、顔を見合わせた。
やがて一人が口を開く。
「カーライルのお嬢さん。さっきの黒ずくめの男はグスタフ様を追ったのか?」
質問に答えろよといらつきながらも、都合の良い解釈をしてくれていたので、
「そうだ」
と僕は言う。
「ぷっ」
と別の一人が吹き出した。
笑いはすぐに伝播し、僕を取り囲む八人全てが、腹を抱えて笑い出す。
「こんなちんけなど田舎の眉唾もんの伝説領主様に下る? そんな奇特な奴、一人としているわけがないだろう? それよりお嬢さん。俺らとイイ事しないか?」
「なに……?」
下卑た笑みを浮かべた兵士が、近づいてこようとしたその時、塔からあいつが出て来た。
「貴様一人か」
顔と身体を包帯でぐるぐる巻きにした馬鹿ミイラが言う。
「ああ」
「聞いたか皆の者! 敵は此奴一人! 捕えて犯すも良し、殺すもよし。偽物娘を蹂躙した者には、褒美として貴様等の給金一年分をそれぞれに取らす! 敵前逃亡者グスタフの取り分も山分けにしてやろうではないか!」
うおおおお! と、石橋を振るわせるほどの雄叫びと、足踏みによる振動が起こった。
「ちなみに……」
ジェイフィスは言いながら、口を歪めた。
「貴様の命乞いをしていた伯父上も今は居ない。カーライル家へ、貴様を引き渡すよう伝えに向かったのでな。でなければ、戦争になるぞ……と添えて、な?」
「戦争……?」
「ああそうだ」
包帯の隙間から覗く目と口が、気色悪いくらい歪な笑みを浮かべた。
「カーライル領の兵はどれくらいおる? 領土全域から集めても、せいぜいが一万といったところであろう。だが、余が王より授かることの出来る兵の数は、優に十万は超えるであろうな。この意味は無学な貴様でも解ろう?」
最後にジェイフィスは「けひっ」と不気味な笑いを漏らす。
「いくら貴様が歳の割に強くとも、ネルザールが伝説の剣士だとしても、圧倒的な数の力の前には、カーライル領などひとたまりもなかろうなぁ」
悔しいけど、その通りだ。
もし、戦争になれば……だけど。
というか、こんな馬鹿の言に、一国どころか属領を束ねる王が、戦争することに首を縦に振るのだろうか。
いや、今考えることじゃない。
万が一本当に戦争になれば。
不沈城塞を以てしても、耐えられるのだろうか。ここまでの兵力差なんて想定外だと思う。
父さんの愛したカーライル領は滅びる。
母さんの生まれたこの美しい大地が汚される。
ルノと僕、それにチコ。孤児院の皆。村の人達。それぞれがそれぞれを支え合い、懸命に生きてきた小さな歴史そのものが、蹂躙されてしまう。
無理だ。
耐えられないよ、そんなの。
「僕は、どうすれば、いい……」
「あー?」
ジェイフィスが、間抜けみたいに口を大きく開き、手を耳に当てて僕の方へ顔ごと突き出してくる。
「聞こえんなぁ?」
「僕はどうすればいいんだ!」
「それが竜の子であり、王子である余への口の利き方なのか。その不敬が、貴様を育てたネルザールの余への真意であるか?」
僕は唇を噛みしめ、跪く。
「私は、どうすればよいのでしょうか……」
手が石畳に触れた。
「脱げ」
石畳と同じくらいジェイフィスの声音はぞっとするほど冷たく、全身に鳥肌が立つ。
「なぜ――」
「余は脱げと言った!」
「はい……」
立ち上がり、僕がポンチョに手をかけると、回りの兵士達は不気味な笑い声を圧し殺すような息を漏らした。
気絶させた二人も叩き起こされ、僕が与えた痛みと怒りを、性欲にすり替えたのが目の色から分った。
ポンチョの下は、ルノが編んでくれたハイネックの深い赤色のセーターだ。
これも脱ぎ、シャツのボタンを上から外し、脱ぐ。
「月明かりの元とはいえ、やはり其方も、美しいな……。おい、下着も脱げ、いや、その前にスカートだ。次ぎに、上の下着を脱げ」
僕は言われた通りにするしかない。
「おい、返事は!」
「……、はい」
スカートを脱いでポンチョの上へ置き、ニーソックスに手をかけようとして、また「おい!」と怒鳴られる。
「それは穿いたままでよい。次は、上を脱げと言ったであろうが、この阿呆めが!」
周囲の笑いはやがて、遠慮のないものへと変わる。
ブーツを鳴らしたり、槍の柄で石畳を叩いたり、口で「早くしろ未来の淫売」と罵ってきたり。
ついさっき、仲間を一人斬り殺されたばかりだというのに。
こいつら全員、狂ってる。
悪態をつけない僕は、情けなくも、内心でそう呟くのみ。
こうして、僕は、腕で胸を隠しながら、半裸を奴等の面前に晒した。
ジェイフィスは塔の入り口にある浅い階段へ腰かけ、足を組み、頬杖を着く。
「さて、質問をしようではないか。次は、きちんと答えられることを、カーライルの平和の為にも余は祈っておるぞ」
カーライルの平和の〝為〟だと?
僕は、奥歯を噛みしめる。
「貴様は今から何をされる?」
にやにやと笑いながら、質問が始まった。
「わかりません」
僕は八歳という年相応の答えをする。
「きちんと答えろと余は言ったな? わからぬなら、考えてみよ」
ジェイフィスが顎をしゃくり上げ、見下ろしてくる。
「サーシャ姉がされたような事を――」
「たわけが!
余はあの娘へ寵愛を授けたのだ! 偽物風情が同じことを望むだと!? 不敬なるぞ!」
「寵……愛……?」
ジェイフィスに聞き取れないくらい小声で呟く。
寵愛って、なんだ。
あいつは、サーシャ姉にしたことをそんな風に解釈しているっていうのか。
僕は気が遠くなる。
「答えを今から教えてやろう。よいか、貴様は余の言に逆らうな。さもなくば……、分っておるな」
「……はい」
「よし。胸を隠す腕をどけろ」
「はい」
「はいしか言えぬのか?! あと余の名も言え!」
「わかりました……ジェイフィス、さま」
高笑いをするジェイフィスの舐め回すような視線を浴びながら、僕は言われた通りにする。
途端、兵士達が一歩、二歩、僕へ近づいてきた。
僕の正面にいるジェイフィスの前だけが開かれ、その周りを九人の男に囲まれた。
奴等の荒い息が、体臭が、血走った目が、僕の匂いを嗅ごうとする鼻が、涎をたらした口が、唇を舐める舌が、気色の悪い全てが、僕に触れるすれすれの距離にあった。
兵士達は、僕とジェイフィスを交互に見る。
その様子は、餌を前におあずけをくらった飼い犬のようで、まさに言い得て妙だなと、冷めてきた頭で考えた。
僕はここで犯される。
このことはもう、変えられないだろう。
でないと、領民が殺されてしまう。
事の発端は、王子の非道だとしても、それを怒りにまかせて襲った僕の責任なのだから。
その時、僕は不意に否定してしまう。
こいつら全員、狂ってる。
ついさっき思ったことを、僕は否定してしまう。
これはありふれた普通の事なのだ、と。
多人数が命のやり取りををする場において、極当たり前の事なのだと、僕は身をもって知っていたじゃないか、と。
今生でも、こんな初体験か。
人肌や相手の想い、そして自分の想いや体温を重ね合わせ、解かして混ぜ合わすみたいな初体験が良かったな。
ふと、そんな夢のような機会が、それでいて手を伸ばせば届く場所にある飴みたいに気安く安心できた機会が、僕にも一度だけあったような、そんな既視感にとらわれる。
「ヤれ」
王子の声で、現実に引き戻された。
今、自分が何を考えていたのかすら、思い出せない。
霞がかったその〝何か〟へ、僕は懇願するように、情けなく、必死に、泣きたくなるのを堪えながら手を伸ばした。
その手を兵士に取られ、指を咥えられ、ねぶられる。
一人が股の間へ滑り込み、僕の下着を剥ぎ取ると、王子がまた「おい!」と叫ぶ。
「偽物の身体全体を余が見えるようにせい。いいか、余の前に一人として立つでない」
はっ! と兵士全員が一斉に叫び、僕の身体を引きずるようにして回転させた。
裸にされていた背中が痛い。
回された顔の横には、脱がされた下着が落ちていた。
「良い」
王子が鷹揚に頷くなり、周囲からカチャカチャとバックルや剣の柄、短刀が当たる音がした。
僕は、顔の横で腰を下ろしてきた男のアレとは別の物を握る。
「ひぎっ!?」
「んぇ?」
「ぎぃやぁぁああ」
顔の近くの男の、睾丸から下っ腹まで切り裂かれ、僕の口に顔を近づけようとしていた男は喉が裂けていた。
血を浴びる間もなく、僕の股の間に顔を埋めようとしていた男の額に短刀を突き立て、抜く。
溢れた血が、少しだけ頬にかかった。
おい。
僕は短刀なんか持って、何をしている。
こんなことしたら、戦争じゃないか。
戦争になれば、いくら僕が戦ったところで、到底この広い領地に散らばる皆を守ることなんてできないというのに。
僕の意思に反して、僕の身体が勝手に動く。
兵士たちの装備は、例の魔道装具ではないようで、あっさりと薄い刃で切り裂くことができる。
足に一際大きく纏わせたオーラを駆使し、僕は生きている兵士と死んだ兵士の間を縦横無尽にすり抜ける。
立っている者。
うずくまっている者。
死んだ者。
例外なく全員の目と鼻、唇を削ぎ落とす。こいつらの一人として、僕の姿や匂いを残したくなかった。僕を見て涎を照らしたその口が忌々しかった。その後、切れ味の鈍くなってきた短刀を捨て、狂い鮫から奪ったブロードソードで、例外なく、平等に、全員の腹を横一文字に捌いていく。
兵士たちは皆泣き叫び、のたうち、暴れ回る。
何人かが、石を凸凹に組み上げた橋の淵から身を乗り出すのを、僕は魔力糸で橋の中央へ引き戻す。
その時、引き上げた一人の腹から腸が溢れ、角張った石の淵に引っかかった。
僕は気にも止めず、他の奴等と同様、中央に並べる。
引きずり出された腸がだらしなく地面を這う。
「しぇしぇしぇ、しぇぇぇんそぉぉだぞおおおぉぉぉ!?」
立ち上がった王子が叫ぶ。
「わわ、わわわ、分っておりゅのか!?」
戦争? もう今がまさに、そうじゃないか。
首を傾げる僕を見た王子が、塔内へ逃げようとするのを、僕は魔力糸を絡めて封じる。
「にゃにをすりゅ!?」
「何って、見たがっていただろ。人を壊すところ」
彼に、橋の中央が見えるよう身体を正面へ向かせてから、足を階段ごと氷漬けにし、顔を背けられぬよう、蔦で額と胴体を縛り、最後に、目を閉じられないよう、針状にした魔力糸を使って、綺麗な二重瞼を、解いた王子の包帯の糸で縫い付ける。
手の自由は、両手を大の字に開くようにして蔦を橋の淵へ括り付けて奪った。
「ぎぃやぁああぁぁあああ」
「騒がしいですね、何事ですか!」
香水臭い。
騒がしいって今更なにを。
胸元が大きく開いた薄いネグリジェに、ファーの付いた豪華なローブを肩にかけた場違いな格好で、王子の母親が現れた。
「は、母上えぇぇ」
「ひっ」
愛息子の異様にやっと気付いた母親を、僕はまたも蔦で拘束し、王子の隣で、彼と同じように顔を正面へ向かせた。
「ジェイフィス様が望まれた人を壊す光景を、お后様にもご覧頂きましょう」
息も絶え絶え、もしくは既に死んでいる九人の兵士全員の首に魔力糸を巻き付け、僕の頭上へ吊り下げ、一列に並べる。
全員一様に、鼻と唇を無くし、鼻骨の断面に歯茎、それに歯が露出している。血に染めた眼窩を添えられ、完成した顔は、まるで血まみれの髑髏だ。
そんなことを考えながら見上げていると、三人ほどが身じろいだ。
まだ生きてる。
糞尿にたかるウジ虫みたいに、しぶとく、もぞもぞと、ときには、びくんっと、動く。
「はは、お前らウジ虫にたかられた汚物は、僕だ」
我ながらお似合いの例えだなと思いつつも、一つだけ譲れない事がある。
「でも、ただ貪られるだけの汚物じゃない」
九人全員の内臓を、一斉に引きずり出す。
みるみる伸びる九本の糸を、王子と后の前へ撚り集めていく。
頭上には、王子を頂点に、僕の方へ三角形を描くように九列の赤い糸が広がる。
その糸から、染料が滴り落ち、橋の上に同じ形を映し出す。
「ひええあああああ」
金切り声を上げた后が、かくんと頭を下げ、気を失った。
そのすぐ隣で、びちびち、とか、びちゃびちゃとか、水っぽい音が立つ。
王子は嘔吐し、涙は途切れる気配もなく、だらしなく鼻水と涎を垂らし、挙げ句の果てに糞尿も垂れ流しだった。
ぜひっ、ぜひっと、おかしな呼吸をしていた。
過呼吸か。
腸を口に押し当てて、ペーパーバックでもさせてやろうかと思ったけど、止めた。
「じゃあもう、死ね」
こいつを殺して、モンスターにでも襲われたことにすれば、領地を攻撃される本当の戦争にはならないだろうという打算が働いた。
というより、最初からこうしておけばよかった。
僕は自分の欠点と思慮の足り無さを知る。
己の身を守るということに関して、無頓着すぎたのだ。
とはいっても、過ぎた事は仕方がない。
戦争を起こさせないプランはとりあえず固まった。
思考の寄り道はこれくらいにして、先へ進むべく、僕は王子を見る。
王子の足は氷漬けのまま石階段に張り付けられている。
なら、手軽に、首を吊り上げよう。
ロープの代わりになる適当な物もあることだ。
九本の真ん中の腸を、王子の首へ一回りさせてから、上へ引く。
「んげ」
一息には殺さない。
じわじわと、釣り上げる力を強めていく。
「げっ、げっ……」
王子の目が虚ろになってきた。
その時。
風の刃が王子を吊り上げていた腸を切断した。
「何してんの……」
背後を振り返る。
頭上に吊った九人の遺体を吊す魔力糸も切られ、丁寧に地面に降ろされていた。
そして――、
「なに……を……、なにを……された……の」
――月明かりに照らされた人影があった。
僕はその人影に、血と贓物に塗れた裸体を晒した。
~to be continued~




