第21話 恋と剣
日暮れ前。
帰宅した僕らの嫌な予感が的中していた。
屋敷の塀に沿って、三台の馬車が停められていたからだ。
「あの馬鹿、やっぱりここに泊まるのかな……」
「きっとそう……」
はぁぁ、と僕とルノは同時にため息をつく。
すると、両開きの玄関扉が、乱暴に開け放たれた。
「魔法修行を終え、はるばるダルターシャから帰還した余をこのような貧相な家に泊めるだと!?」
一人だけ声の大きいのがいる。
言うまでもなく馬鹿である。
この家が貧相って、普段どんな暮らしをしているのだろう。
父さんが何やら言っているが、聞き取れない。
馬鹿の声が大きすぎる。
「ここにはかの名城〝不沈城塞〟があるではないか! それに使用人が一人しかいないだと? 夜伽の相手もおらぬとはもてなす気がないと見えるな、ネルザール殿! それに言訳はもう良い! 今すぐ村人総出で寝所を整えて来い! 当然女も用意しておけ!」
使用人って娼婦なの?
という僕の疑問を他所に、有無も言わさない様相で、馬鹿はやはり馬鹿を発揮していた。
その後ろで、父さんとチコが思案顔で何やら話し合いをしていた。
「あの馬鹿、明日八歳になるアランと本当に同じ年なのかよ……。女おんなってさ」
「ほんとだよね。まぁ私たちも同い年なんだけどさ」
僕とルノで用意したアランへの誕生日プレゼントのことを思い出しながら、同月生まれであるはずの馬鹿王子との違いに愕然とする。
馬鹿王子なら誕生日に女をよこせと言いそうまである。
普通なら精通もまだだろうに。
王族ともなれば、小さな頃から異性をあてがわれ、性交を教わるのだろうか。
「深夜には馬を飛ばし城へ入る。わかったら御者共は馬車を城へ進ませろ! おいグスタフ、馬を出せ。夜まで散策でもして暇つぶしだ」
〝狂い鮫〟グスタフ・アレンネスが、僕らの横を通り過ぎる。
歩きながら狂い鮫は、横目で僕らを見た。
暗い目だった。
人の命を刈り取ることに何の躊躇もしない、人殺しの目。
狂い鮫の異様な雰囲気に当てられたのか、ルノが僕の手をぎゅっと握り締めてきた。
僕も、ルノの手を握り返しながら、彼女の緊張をほぐすよう、ゆっくりと指で撫でる。
〝狂い鮫〟は、大きな図体の割に、オーソドックスなサイズの剣を二対、左右の腰に下げていた。
ヴァレと同色のマントは薄汚れ、その下には動きやすい上下の衣服。そしておそらく衣服の内側には、鎖帷子を着込んでいる。服の生地の揺れ方や、たまに聞こえる軽い金属音からそう予想した。
「おい」
馬鹿王子が近づいてきて、言う。
「なに」
僕は応える。
「偽物ではない、人猫族、其方だ!」
「え、私?」
ルノの目の前までずかずかと来たかと思うと、顎をしゃくり上げた。
「今宵、余に同行し、同衾しろ」
「え、絶対やだ」
間髪入れずルノが言う。
言いながら、僕の腕を取りつつ影に隠れてくる。
「ぐっ……、竜の子であり、イルディア王国第五王子である余に言い寄られ、戸惑うのもわかる。だが、何も畏れることはない。なぜなら、其方は美しいのだから」
美しいと畏れないでいいらしい。
そんなツッコミを内心で入れていると、本当に吹き出しそうになったので自重したほうがいいかもしれない。
「ごめんなさい。私、心に決めた人がいるので」
「え、誰」
反射的に僕が尋ねるなり睨まれた。
ですよねすみません。
「この偽物を竜の子だと信じてしまっているのであろう。それ故の不幸か。其方、名は?」
「……、ルノルーシュです。あと、ノアが竜の子であろうと、なかろうと、関係ありませんから」
僕の後ろに隠れながらだけど、でも強気に言い切ったルノの台詞は、やはり後ろ半分が聞き流されていたようで、
「なに! 其方、まさか竜の子ルノルーシュ・エリュシオンの生まれ変わりやもしれんな。王都へ戻り、鑑定しよう。明日にでも発とうぞ! もし本物なれば……いかに人猫族といえど、余の正妻になることも出来よう!」
馬鹿の発言に、流石のルノも、怒りからだろう、身体を震わせだした。
「あの、はっきり言いますけどっ! 私はノアが好きなの! 証拠見せますから! 私の初チュー、もっとロマンチックなのがよかったけど仕方ないから捧げるし!」
「仕方ないっておま――」
言いかけた僕の両頬を、ばちこん! と手で挟み込んできた。
たぶん今僕、タコみたいな口をしてる。
さらに目を閉じたルノがすごい勢いで迫ってくる。
ちょっと待て!
キスって、もっとこう顔を斜めにしないと!
せめて僕が顔を斜めに、いや、無理だ。
ルノの万力のような力で、僕の頬は無惨にも潰され抑え付けられている。
ああ、もう、唇と、唇が、触れ――
――るわけない。ごちん、と当然のようにヘッドバット。
「いった!」
「いたぁい!」
ついでに鼻もぶつけた。
涙が出てくる。
額と鼻を押さえうずくまる僕らを、馬鹿が見下ろしてくる。
「妹への義理を捨てるのと同時に、今宵、其方は処女を捨てるのだ。では、寝所で待っておる。
グスタフ!」
馬鹿は狂い鮫に抱きかかえられ、馬上へ。
巨漢の前に腰を下ろし、去って行った。
消えゆく蹄の音が、馬鹿らっ、馬鹿らっ、にしか聞こえないくらい、僕は馬鹿に侵されてしまったようで、そのことを自覚し、どっと疲れが出た。
馬鹿を見届けた護衛団と后たちが、次から次へと敷地の外へ。三台の馬車も屋敷を後にした。
「台風一過……」
「ああ、疲れた……。二度と会いたくない」
僕らは同時にうずくまると、父さんとチコ、それにヴァレが駆け寄ってきた。
「二人ともすまんな。不愉快な思いをさせた」
や、父さんは何も悪くない。
「ルノ様、ノア様。熱いお茶を煎れましょう。さぁ、室内へどうぞ」
チコがいつもより優しい。
ああ、チコのお茶……、はやく飲みたい。
そんなことを考えていたら、にやにやとした笑みを張り付けたヴァレが僕の目の前でしゃがむ。
「何だよノア、お前もう良い人がいるのか」
「あー?」
「照れるなよ。同性愛なんてそこら中に溢れてるぞ。平民は知らんが貴族では近親同士も多い。堂々としてりゃいいのさ」
おいヴァレ、子供に喋る内容じゃないだろう、それ。
でも僕は何も答える気力が湧かず、そのまま仰向けに寝転がった。
ヴァレは、僕とルノを交互に見ながら、まだ笑っている。
「やっ、その、私……、あ、そうだ! ヴァレ×ノア(♂)描いてくる!」
何ヴァレノアカッコオスって。
言うなりルノは立ち上がり、屋敷に向かって猛ダッシュで消え去った。
父さんとチコも、ルノの後について屋敷へ戻る。
「ねぇヴァレ……」
庭と通じる正門前には、僕とヴァレの二人だけとなった。
「なんだ?」
僕らの間を、冷たい風が吹き抜ける。
「早くあの馬鹿連れて王都へ帰ってよ……」
「はは、酷いな。だがそうだな。カーライルの平穏をあいつのせいで崩すのは俺も忍びない。早急に旅立つよう進言しよう」
ふう、と僕は溜め息一つ、空を見つめる。
雪を降らしそうな雲は無くなっていた。
「ん、何だこれは。ノアのポンチョからこぼれたぞ」
ヴァレが小瓶を拾い、僕に見せてきた。
「あ、それ。ジャックの胡椒だ」
僕が最後に使って、そのままあの騒動に巻き込まれたとき、ポケットにでも入れてしまっていたのだろう。
高価なものだし、届けに行こう。
でもどうせなら、色々お礼とお詫びに、満タンにして返そ。
「ヴァレは今夜どこに泊まるの」
あっ。
あまりにも疲れていて、つい呼び捨てにしてしまっていた。
けれど、当のヴァレは気にした風でもない。
「ジェイフィスの護衛の一人だからな。あいつの寝る場所付近だよ」
「そっか。んじゃ、とりあえず今日はさようなら、かな」
僕は言いながら立ち上がる。
キッチンで胡椒を補充してから、あの小川へ行こう。
まだ皆いるかもしれないし。いなければ孤児院へ向かえばいい。
「ああ。俺はまだネルザールと話があるから、ここにいるよ」
「そっか。それじゃ」
「おう、またな」
僕はヴァレに別れを告げ、キッチンへ向かう。
※
「う~、さっぶいなぁ。いきなり冷えてきた」
僕は両手で二の腕を抱きながら、一路小川へ向けてひた走る。
この程度の運動ではなかなか体温は上昇しない。
僕の足で、この速度だと小川まで十分もかからない。
胡椒を蓋まで詰めた小瓶を握り締め、僕は走り続ける。
⇔
「アラ~ン、そろそろ帰ろうよ~」
サーシャが暇そうに、三つ編みを弄りながら言う。
「もうちょっと!」
「もうちょっと、もう五度目だよ!」
アランは一心不乱に、さき程目にしたノアの動きを真似ようと、身体を動かしていた。
「確か、足におーらを出して、こう、ひゅんっ! て、こう……ひゅんっ!」
もう何度同じ動作を繰り返したのか、サーシャは数えるのを止めていた。
「自分のカラダ置き去りにしてたもんなぁノアの奴。これ、めちゃくちゃむずかしいぞ!」
アランは同年代では当然、年上の子らでも彼の相手になる者はいない。大人になったジャックや、今は村民として暮らしている元不沈城塞の騎士連中でやっと相手が出来るほどの腕前だった。
剣の天才児。
これがラービット村の皆の、アランに対する認識である。
しかし、この天才児をもってしても、《竜の子》である二人には到底及ばない。
アランはカーライル姉妹と同い年ということもあり、例の葬儀での一件を知らされておらず、当然、姉妹の正体も知らない。
自分達の村を統べる領主様のご息女、という認識でしかないのだ。
そんな姉妹に、天才と持て囃される自分が太刀打ちできない事実に、アランは、
「だから剣って、楽しいんだよなぁ!」
気後れや嫉妬心などおくびにも出さず、いや、微塵も無く、ただ追いつき、追い越したいが為、ひたすら努力を重ねていた。
もっとも、当のアラン本人が努力だとは思っていないのだが。
一つ、補足しておこう。
オーラや魔法抜きの、純粋な身体能力と剣術だけで戦えば、アランはルノに肉薄する腕前だということを。
⇔
ただ強くなりたい。
そんなアランの気持ちを理解しているからこそ、サーシャも何だかんだ文句を言いながらも、こうして彼の特訓に付き合うのである。
それに、強いとはいえ八歳のお子ちゃまを一人で放置させとくなんて、無理だもん。
はぁ。
と、白い息を吐きながら、サーシャはこんな時の為に持ち歩いている編み物セットを革袋から取り出した。
すいすいと、マフラーの続きを編む。
数日後、また旅立つジャックへプレゼントするのだ。
でも、私がこんなのあげたら、迷惑かなぁ……。
明日が誕生日のアランには、猪の革を鞣して作った手甲を、孤児院の皆で用意してある。渡すのが楽しみだったのだが、今のサーシャの心はマフラーのことで一杯だった。
この織りかけのマフラーには、サーシャの様々な想いが込められている。
赤ん坊の頃から面倒を見てくれた、兄としてのジャックへの親愛。
自分が成長するにつれ、親愛が変化してしまった恋心。
旅立つジャックを、泣きじゃくりながら追いかけた悲恋。
成長し帰ってきたジャックへ意を決して尋ねた、
好きな人はいますかという問いからの失恋。
その相手は、自分も慕っていた、今では孤児院の母親的存在である、綺麗な赤茶色の髪をしたミカ姉。
そして先日のことだ。
ミカがサーシャにだけに知っておいてほしいと、伝えてきたことがあった。
「あたしね、ジャックの赤ちゃんできたかも……」
一年ぶりに帰ってくるジャックを迎えるため、孤児院の皆でミカを片道一日の隣町まで送り出した時に出来たのだろう。
送り出してから二週間以上が経過し、連れ立って帰って来たミカから報告をうけたのだ。
サーシャは純粋に、ミカの妊娠を喜んだし、喜べた。
失恋はまだ多少引きずってはいたけれど、大好きな兄と姉、二人の子供が生まれてくることを、心の底から祝福できた。
だからこそ、サーシャは〝多少ひきずっていた自分〟を清算するために、再び旅立つジャックへマフラーをプレゼントすることに決めた。
ジャックは、ミカの妊娠を知らない。
それ以前に二人は夫婦ですらないのだ。
その事を不満に思い、ミカに言ったこともあるのだが、ミカは、
あいつはまだまだやりたいことだらけの糞ガキだもん。もうちょっと自由にさせた後、目一杯甘えさせてもらうから平気なの。だからね、赤ちゃんのことは二人だけの秘密ね。
と言って、笑った。
「ふー、けっこう出来たなぁ」
完成まであと一割といったところで、サーシャは手を止め、アランを見た。
「何か、もうちょい、あと、ここでおーらを、こう……」
何分ほどこうしていたのだろうか。
辺り一帯はアランに踏みしめられ、雪は掃け、土すらも抉れていた。
「ちょっとアラン~! 靴が底抜けかけてるよ!」
「げ、ほんとだ。やっべぇ、またミカ姉に怒られる……」
「ば~か。あれは本気で怒ってるんじゃないよ?」
「うっそだ。ミカ姉の顔、こ~んなオーガみたいに凄いんだぜ」
言いながら、絵本で見たオーガのように両手で目尻を吊り上げて、がみがみ文句を言うふりをする。
「あはは、けっこう似てるかも」
「だろ!?」
「って、また来た……。アラン、帰るよ!」
街道は小川より少しだけ高いところを通っており、そこそこ先まで見通すことができる。
馬に跨がる巨漢の前に、例の王子がいた。
「来たって、ああ、またあいつか。偉いけど馬鹿な、えっと、王子?」
「しっ! 聞かれたらまずいから、アランは家まで喋るの禁止!」
「へいへい、ふけいざい、ふけいざい」
アランの手を取り、サーシャは考えた。
孤児院は王子たちが向かっている方にある。
街道を行けばすぐなのだが、彼等と鉢合わせたくはない。
まずは小川の先の森へ隠れようと決めたサーシャは歩き出す。
しかし。
馬を走らせたのか、背後から蹄音が迫ってくる。
「おい、女。余と共に城へ来い」
「えっ。いえ、その……、家に戻って晩ご飯の仕度しないといけないので、すみません……」
振り返る余裕すらなく、サーシャは足早に歩きながら答える。
「余が誰なのか、先に伝えたであろう? 竜の子であり、この国の王子である余の命が聞けぬと申すのか」
すると、アランが立ち止まった。
手を引いていたサーシャも、当然止まってしまう。
「なぁ、王子、さま?」
「何だ」
見ると、アランは馬上の王子に怯むことなく、話しかけていた。
サーシャは動転してしまい、ただ見ていることしかできない。
「何歳?」
「は? ああ、年齢か。八歳だ」
「まじかぁ。オレも明日で八歳」
何となく、普通に会話をしていたからほっとしていたサーシャだったが、次第に顔色を変えていく王子に身震いした。
「貴様……、余に対してその口の利き方。不敬罪に値するぞ」
「なんで?」
「ちっ、これだから田舎者は……。良い、此度はそこの女に免じて許してやる。さあ女。余の前に乗るが良い。竜の子であり王子でもある余と相乗りなど、愚民には到底適わぬことであろうが、怖がることはない」
馬を下り、サーシャの腕を掴んだジェイフィスの手を、あろうことかアランがはたき落としてしまう。
「あっ、アラン!」
「貴様……!」
「嫌がってんじゃん、やめろよ。女の嫌がることをする男は、男じゃねぇよ」
躾の一環としてジャックがアランに垂れたご高説を、そのまま得意げに繰り返す様を見たサーシャは目眩を覚えた。
「余が男じゃない、だと? 竜の子を舐めるな!」
ジェイフィスが装飾華美な剣を抜く。
身の丈に合わない、大人用の得物だ。
反面、アランは自分が振りやすいと思える木剣を、その都度自作しており、何より手に馴染みすぎるほど振り回した木剣を構えた姿は、ジェイフィスを威圧するには十分だった。
⇔
「い、良い度胸だ。だが、戦いとは何も剣だけで決まるものではないと知れ!」
喚きながら距離を取るジェイフィスに、アランは〝?〟を浮かべたみたいに首を傾げる。
「傲慢なる炎の精霊よ。我が魔力を糧とし顕現せよ。我が意を汲み取り舞い踊れ! 《炎弾乱舞》!」
おおー、魔法だ、これ! すげぇ!
ジェイフィスが掲げた剣を中心に、十数個の火球が宙に浮いた。
「ふははは、余は魔法修行のために遙か遠い異国の地へ赴いていたのだ! 見よ! これが導位魔法、竜の子の力だ!」
そして、ジェイフィスは、虚空で剣を振るう。
振るう度に、炎弾が一つ、また一つと、アランへ襲いかかる。
ジェイフィス自身、剣よりも魔法が得意なことを自覚していた。
それに、周囲からの竜の子であれという期待と、自分自身も竜の子であろうとした重圧がのし掛かったうえで、多額の金を投じられての異国留学である。
彼は彼なりに必死の努力をし、若干七歳にして一角の炎魔法の使い手にまで成長した。
そんなジェイフィス最高にして、渾身の炎弾の数々を、
「うおー! これ楽しいな! うおおー!」
アランはただの木剣で次ぎから次ぎへと撃ち落とし、または弾き返していく。
「ば、ばかな……」
渾身の炎弾を全て、無邪気にはたき落とされ、そのうちの一つが自分の足元へ着弾したたジェイフィスは混乱する。
つま先から数センチ先の地面は抉れ、細い煙が上っていた。
「あり得ない、ありえないありえないありえなぁぁぁぁい!」
ジェイフィスが駆け出した先には、怯えた目をしたサーシャ。
ジェイフィスは彼女を後ろから羽交い締めにし、その剣を喉元に当てた。
力加減を誤り、刃が彼女の首へ切れ込み、血が滴り落ちる。
「お前ええ!」
大好きな姉が傷つけられた。
これまでのアランの短い人生で、初めての修羅場だった。
本来ならば、姉を人質に取られたアランは動きを封じられるべきなのだろう。しかし、彼にはそのような知識も、知恵が働くこともなく、感情の赴くままに突進する。
助けなきゃ、サーシャ姉をオレが助けなきゃ!
男じゃねぇよっ!
「ひぃっ! と、止まれ! これが目に見えぐぼぉぉぉ」
ほぼ全身をサーシャの背後に隠したジェイフィスへ放った全力の突きは、サーシャの脇の下を抜けジェイフィスに突き刺さった。
「サーシャ姉!」
「大丈夫、ちょっと切れただけ……、それより、逃げよ」
「何でだよ!? こいつ、やっちゃいけない事をしたんだ! 死んだ父ちゃんや母ちゃん、ジャックやミカ姉がオレ等にするみたいに怒ってやんなきゃ!」
駄目な事は駄目だと、時には殴られ育ってきたアランにとって、ジェイフィスのしたことは許せなかったこととはいえ、きちんと怒ってやるべきだと姉に訴えた。
けれど、サーシャは首を縦に振らない。
「逃げなきゃ危ないの、お願いだから、お姉ちゃんの一生のお願いだから、言うこと聞いて……ね?」
歯軋りさせながら、サーシャを睨む。
けれど、ここまで懸命に説得してくるサーシャを見たことのなかったアランは、頷く。
一度納得するとアランの行動は早い。
サーシャの手を引き、駆け出す。
しかし、方向は家とは真逆だった。
「え、どこ行くつもりなのよ」
「ネルザール様んち!」
「あんたって、以外と賢いときあるよね……」
走りながらアランはまたもや〝?〟を点滅させる。
逃げなきゃ危ないとサーシャは言った。
孤児院で一番強いアランがいても危ないのなら、現在帰郷中で孤児院にいるとはいえ、自分より少し強いだけのジャックでもまだまだ危ないのだろうと考えたのだ。
それなら、自分より遙かに強いカーライル家の面々が集う場所へ逃げた方が、確実だと判断しただけのことである。
これのどこが賢いのか、アランには理解できなかった。
オレ、数字とかべんきょー嫌いなんだけどなぁ。
的外れなことを考えていることも知らず、走っていると、背後で叫び声がした。
「グスタァァァァアフ! 逃がすな! 半殺しにしてでもそいつらを逃がすなぁぁ! げへっ、げほぉっ」
叫んだジェイフィスがむせ返っていた。
直後、膝裏に激痛。
隣を走るサーシャの脚も折れ、二人して転けてしまう。
立ち上がろうとするが、痛みが走ったところが痺れていて上手く立てないでいると、巨大な影が迫ってきた。
アランは寝そべったまま身体を回転させ、巨漢の手元を見る。
「おっさん……石投げたのかよ」
「そうだ」
グスタフと呼ばれた男は、巨大な手の平の上で小さな石を二つ弄んでいた。
「すげぇな……、小石ってそんな風にも使えるのかぁ……」
迫る脅威に対して、アランはまだ平常心を保っていられた。
それは偏に、孤児の身でありながら、皆に愛され育ってきたが故である。
自分の身に災いが降り注ぐ事など、露程も思うことができないのだ。
「はぁ、はぁ……、良くやった。グスタフ、女を昼間こいつらが座っていた丸太に拘束しておけ……。余はこいつを……」
アランが突いた右胸を押さえながらやってきたジェイフィスは、彼の元へ辿り着くなり、アランの顔面を蹴り飛ばす。
「んがっ!」
歯が折れた。
ぶっ、と吐き出すと、血に塗れた歯が砂の上を転がる。
子供の歯で良かったぁ。
意識を抜けた歯からジェイフィスへ移し、這いつくばりながらも立ち上がろうとする。
「や、止めて下さい! 私、何でも言うことききますから! 弟だけは助けて下さい!」
「グスタフ」
ジェイフィスはサーシャに何も答えず、素早くアランの背後へ回り、後頭部を固いブーツのつま先で蹴る。
蹴る、蹴る。
うなじ、背中、転がって上をむいたことで頬、身体の至る所へつま先が突き刺さる。
「止めて、降ろして!」
グスタフの肩の上から、必死に身を乗り出させ手を伸ばす姉の泣き顔を、アランは廻る景色の中、おぼろげに捉え続けていた。
~to be continued~




