ブランク
コウに触れなくなったっていうのが正確な表現なのかわからないけど、とにかく触りたくなかった。
手紙とかブツを渡すときに少しでも触ったらすぐトイレに駆け込んで手を洗ったこともあった。
そのくらい、私は全身でコウを拒絶してた。
そんな中で、私が一番まいってしまったのは、倉本家に泊まりに行かなきゃいけないときだった。
ちょうど私の中学への入学と同時に母は仕事を始めた。
もともと母は父と結婚するまでバリバリ働いていたのだが、寿退社して畑仕事に転職した。
しかし引っ越してからはその畑仕事もなくなり、非常に暇だったようで、ついに我慢できず前の職場の同僚の紹介を経てもう一度働くこととなった。
その仕事には月に1度くらい夜勤の日があり、そのときちょうど父も出張だったりすると、私は倉本家に預けられることになっていた。
「私は一人でも大丈夫だよ」と何度も訴えかけたのだが、隣町で空き巣や強盗の被害が相次いだ時期だったため、女子中学生を一人で家においておけないという両家の親の満場一致の結論で私は渋々倉本家にご厄介になっていた。
正直泊まりにいったりするのは大丈夫だったのだけれど、問題はコウだった。
私はコウが触ったものに触りたくなかったから、コウの部屋がある2階には近寄らなかった。
手すりにコウが触ったかもしれない。
段差に躓いてコウが階段に手をついたかもしれない。
そう思うととてもじゃないけど上がる気にはならなかった。
…今振り返ると非常にひどい話だが、当時の私にとってはとても重要なことだったのである。
だから私は倉本家にいったらずっとリビングに入り浸り、久美子さんのまわりをうろちょろしてた。
お料理を手伝ったり、掃除を一緒にしたり、編み物を教えてもらったり。
私は自分の家にいるときよりも働き者だったし、ずっと女の子になれた気分だった。
女神さまレベルの美しさの久美子さんはやはりその女子力も非常に高く、不器用な私でもできるように優しく教えてくれた。
コウはもともと自室にいることが多かったし、最初は本当に勘弁して欲しかった『預かり保育(母命名)』だったが、始まってから1年すぎる頃には私はわりと充実した倉本家ライフを送るようになった。
久美子さんはよく、私にコウの話をした。
「あの子、昨日ティッシュ入れたまま洗濯機の中に服入れたからね、洗った時に大惨事になったのよ。私、わざわざ二階から呼び出して『浩太のせいでこんなになっちゃったわよ!』って怒ったの。そしたらね、なんていったと思う?『花びらみたいで綺麗だね』ってにっこり笑っていってきたのよ?正座でもさせようと思ったのに毒気抜かれちゃったわ」
「浩太ね、この間茶色い液体を飲んでたの。でも私、麦茶のお茶っ葉切らしてちょうど買い物に行って帰ってきたところだったからおかしいな、って思って『それめんつゆじゃない?』って聞いたの。そしたらしばらく瞬きしてから『なんだか味が違うなって思ってたんだ』って笑ってまた飲み始めたのよ?私思わず絶句しちゃった」
「先週浩太が絵をくれたの。私が誕生日だからってわざわざ描いてくれたみたいなんだけどどうみてもお父さんの似顔絵なのよ。それで不思議に思って「なんでお父さんなの?」って聞いたら「母さんは父さんが一番好きでしょう?」って照れもしないでいってきたの。こっちが赤面しちゃったわ。あのキザなところは誰に似たのかしら」
その話を聞いている時、私はとても不思議な気持ちになった。
久美子さんの話すコウはまるで昔とまったく変わっていないようだった。
学校ではあんなにふしだらなのに、家の中のコウは子供の時と一緒で、いってることがチンプンカンプンで人とズレててそれなのになんだかキザなコウのままだ。
私は久美子さんからコウの話を聞くたびに、自分がよくわからなくなっていた。
コウが『汚い』から私はこんなに毛嫌いしているけど、久美子さんの話すコウはとてもキラキラしていて綺麗だった。
学校でコウが女子に囲まれたり抱きつかれてキスもされてるっていう噂は何度となく聞いてる。
でも実際に見たことがあるのは囲まれてるところくらいだった。
基本避けてるわけだから遭遇するのなんてたまにだし、そのたびにいちゃいちゃにゃんにゃんしてる姿を見るなんてなかなかないとは思う。
私はまだ自分の目で『今のコウ』を確かめてない。
きっとこの頃の私は少しずつ大人になってきて、自分の行動を冷静に見れるようになってきた。
あの日の私は感情的になりすぎてた。
混乱しすぎて、今まで溜まってたものを吐き出し尽くさないと気がすまないくらい、怒ってた。
多分あの『代用品』のことも、あのときいわれたからすごく怒ったけど、普通の状態でいわれたら呆れて聞き流すくらいのことはできたと思う。
そうだ。昔の、コウと遊ぶのが生活習慣だった頃はコウの発言を真に受けることなんてなかった。
蟻に例えられたりとかしたら普通の女子ならもっと怒る…と思う。
私はもうしかしたらあのとき『ブランク』のせいであんなに怒ったのかもしれない。
コウと会話をしてない『ブランク』。
私はやっぱりコウのことを何一つわかってなかったのだ。
久美子さんの話すコウと、学校の噂の中心のコウ。
どっちを信じるかなんて、自分の目で見極めて決めなければわからない。
その結論に至ったとき、私は中学3年生の秋を迎えていた。




