拒絶
とにかく、このどうしようもない怒りをコウにぶつけなければ気がすまなかった。
雨が降ってるのもお構いなしに私は走って帰り、びしょ濡れのまま倉本家のインターホンを押した。
しかしそのときは久美子さんも留守で、誰もいなかった。
冷静に考えれば、美術部に入っているコウに天候なんてものは関係なく、その日も普通に部活をしていたんだと思う。
でも私はこのまま家に帰ったらもう一度出るのが面倒になり、この怒りを有耶無耶にしたまままた運び屋をしてしまう気がして、どうしても帰宅する気にはなれなかった。
不審者と思われてもいいや、という結論に至り、私は倉本家の前に座り込んでコウの帰宅を待つことにした。
雨が降っていたのはとてもよかったと思う。
おかげで家の前の道路も人通りが少なかったし、暗いおかげで私のことに気づく人もおらず、そのまま雨の音だけが響いてた。
雨の音は私の怒りのゲージの音みたいだった。
静かなのに、鳴り止まず、ずっと途切れない。
私は目をつむってずっと雨の音を聞いていた…と思う。
そうして怒りをずっとためてた。
それに終止符をうったのは頭上から降ってきた「ミヨ?」っていう声だった。
まだ声変わりしていない、小鳥のさえずりみたいな声。
よく知ってるコウの声。
ゆっくり見上げるとそこにはこの曇天の中でも神々しい天使みたいな顔があった。
今私が一番殴り飛ばしたい顔だった。
コウは私と違って全然濡れてなかった。
傘をさしていたわけだから当然といえば当然なのだが、なんだかそのときはそれすら癪に障った。
私はずぶ濡れでこんなに惨めなのに、こいつは全然綺麗なままだ。
中身は…汚いくせに。
もっとひどいことを考えてたようにも思うけど人にいえないような言葉だった気がするので割愛させていただく。
とにかく、そのときはコウのすべてが気に入らなかったのだ。
何もいわない私にコウはふんわり笑って「いらっしゃい」といって家の鍵を開けた。
それは昔と同じような笑顔だった。
毎日遊びに来ていたあの頃と何も変わらない、天使の微笑み。
私は昔みたいにお邪魔します、とはいわず無言で倉本家に入った。
昔はなんの遠慮もなくコウの部屋に直行していたのだが、さすがに濡れた姿でお邪魔するのはためらわれ、入るのを躊躇していると、コウが「タオル持ってくるね」といってパタパタと風呂場へ向かっていった。
私はこのとき少なからず驚いていた。
昔のコウなら絶対私が濡れていようといまいと気にせず部屋にあげていただろう。
信じられないかもしれないけれど、コウはそういう人間だった。
人間としてどこか抜けてる、そんな人間だったのだ。
一体誰にこんなふうに気を使うことを教えてもらったのだろうか。
あの取り巻きみたいな女の子たち?
そう考えると鳥肌がたった。
寒さもあったんだろうけど、なんだかそれはとても不埒なことに感じたからだ。
考え過ぎだろう、って今では思うんだけど、当時の私はやっぱりコウに対して『汚い』って感情が抜けなくて、とにかく嫌だった。
だからタオルを持ってきてもらってはい、って渡されても、絶対に手が触れないような位置から奪うようにタオルを受けとった。
私がある程度拭き終えたのを確認すると、コウは何もいわずに自分の部屋に向かっていった。
その姿は昔と変わらなくて、私は自然と靴を脱いでその背を追っていた。
「ミヨが来るなんて久し振りだね」
「今日は母さんと父さんは結婚記念日だから二人で夕食を食べに行ってるんだ」
「雨はなかなか止まないね、明日も降るんだって」
その日のコウはとても饒舌だった気がする。
私は返事も何もしないのに、ずっと話しかけてきた。
私の知ってるコウはこんなにおしゃべりじゃなかった。
黙ってニコニコしながら私の話に適当に相槌を返すだけだった。
それなら、この目の前にいるのは一体誰なのだろう?
そんな疑問が頭に浮かんだ矢先、コウはゴソゴソと鞄の中をあさり、スケッチブックを取り出した。
その表紙には綺麗な字で『1-2 倉本浩太』と書いてあったので、多分部活で使っているものだったのだと思う。
コウはそれの新しいページを開いたかと思うと、「ミヨを描いてもいいかな?」って聞いてきた。
私はその行為を断ったことはなく、そのときも怒りはあったが不思議と断ろうという気はしなくて、でもなんだかすんなりと受け入れるのは癪だったから、皮肉を込めて「今度は私の代わりに何を描くの?」と聞いた。
「んーと…名前忘れちゃった」
嫌な予感しかしなかった。
頭が良くて、だいたいのことは記憶力のいいコウが覚えるのが苦手なものなんて、1つしかない。
絞り出した私の声は震えていた気がする。
「私の代わりに、誰を描くの?」
普通の人にしたら意味のわからない質問だと思う。
でも私には確信があった。
案の定、コウは天使みたいに微笑んで、「同じクラスの女の子だよ」と答えた。
そのとき私は全てを悟った。
きっとコウはそれが悪いことなんて1つも思ってなくて、素直に質問に答えただけなんだと思う。
でも私にはひどい屈辱だった。
コウにとっては私なんて、珍しく名前を覚えていて、その辺の人間よりも少し知ってることが多いって程度の人間なのだ。
そして私がいなくても、私の代用品なんて彼の周りにいくらでもあったのだ。
枕だって、カーテンだって、クラスの子だって。
私なんて、いなくたって、いつだって彼の生活は変わらない。
私には生活習慣みたいにコウが居着いていたのに、コウは私がいなくてもいい。
代わりがいくらでもあるのだから。
もう、私は我慢の限界だった。
気づいたら私はコウの白い肌に平手打ちをカマして喚き散らしていた。
そのときの言葉の支離滅裂具合といったらひどいものだったけど、要約すると確か「ふざけんな。あんたのせいで私がなんで苦労しなきゃいけないんだ。なんか知らないけど私は悪者にされるし、しかもあんたには私の代用品なんていくらでもあるのに、私だけが苦労してるなんてそんなの理不尽にも程がある。今後一切触るな近寄るな!」…みたいな感じだったと思う。
私の暴言にしばしコウは目をぱちくりさせ、またいつもみたいにへらっと笑って「そっか、わかったよ」といった。
私はそれがまた腹ただしくて、コウの布団をぐっちゃぐちゃにした。
そのあとは飛び出すように倉本家を去って向かいの自分家に帰宅した。
まぁ、もちろんヘタレな私がすぐに登場して「あああああやってしまったあああああご近所に聞かれたらどうするんだあああああ」なんてマイナス思考になったけど、結局雨のおかげで私の罵倒が閑静な住宅街に響き渡るという黒歴史は避ける事ができた。
ともかく、この日は私がコウに手を上げたという後にも先にもないような大事件だったのだが、ヘタレな私が運び屋を頼まれて断れるはずもなく、1週間後にはまたコウを尋ねることとなる。
そのときのコウはまるで何もなかったかのように「ありがとう」と手紙を受け取ったので唖然としたのは今でも忘れられない。
普通こういうときは気まずくなるものだと思うのだが、やっぱりコウはコウだった。
しかし私には決定的に変わったことがあった。
私はこの日から、コウに触ることが出来なくなった。




