雪と冷たい唇
前の話が短かったのでもう1話上げます。
陸上部で長距離を走っていた私だが、あのときはさすがに息が切れた。
ブランクもあったし、急いでたし。
正面玄関の近くの花壇のブロックに座る憎たらしい姿を見つけた時には、白い息を何度も吐き出していた。
憎むべきバカはなんとも薄着だった。
きっと一度帰宅したのだろう、その手に荷物はなくて、見慣れた制服姿のままだった。
外はやはり痛いくらい寒くて、こんな中で一時間あそこであんな格好で過ごすなんて本当にバカの所業としかいえない。
「コウ!」
私は思わず大きな声で名前を呼んだ。
その後に「このバカっ!」って付け加えるような怒声だった。
そんな私の怒りにまったく動じずふんわり笑って「ミヨだ」なんていうコウの頬は真っ赤で、形のいい唇はすでに紫色だった。
「何してんの、あんた」
「ん?ミヨ待ってた」
コウはなんでもないことのようにニコニコしながら答えた。
私は絶句した。
なんで待ってるのとか、いや、待つにしたってどこでもいいから校舎の中入ってなさいよとか、外で待つならもっと厚着してきなさいよ、とか言いたいことがたくさんありすぎてパンクしてしまい、脱力した。
「コウ、こっち」
「うん?」
「ここだと目立つから、こっち」
ここだと校舎から丸見えだ。
あらぬ噂がたったら困る。
そう思って私はコウの手を引き、校舎の窓から見えなくて風避けにもなる園芸用具入れの裏に回った。
そのとき私は、1年ぶりにコウに触れることができた。
鳥肌も立たないし、手を洗いたいとも思わなかったその肌は、氷みたいに冷たかった。
「…あんたいつからあそこいたの」
「ん?時間はわかんないかな」
「…夕日見たりした?」
「ああ、そういえば花壇に座った時、ちょうど日が落ちてたかな」
校舎が紅葉みたいに真っ赤になって衣替えしたみたいだったよ、なんて気取ったセリフを嫌味なくいってくるバカに、私は呆れて物もいえず、とりあえず手に持っていたマフラーを巻いた。
「なんで中に入らなかったのよ」
「ああ、寒い日は空が綺麗だってこの間テレビで見たんだ。今日、寒いでしょう?」
「…窓からでも外は見れるでしょう?」
私の返答にコウはぱちくりと瞬きをし、「それもそうだね」とにっこり笑った。
…やっぱりこいつは馬鹿だ。
「久美子さんに待ってろっていわれたの?」
ため息をつきながら聞いた私に、コウは小さく首をかしげて「母さんにはいわれてないよ?」と答えた。
予想が外れて私は少なからず動揺した。
「へ?それじゃなんで待ってたの?」
「ん?おでん買いにきたんだよ?」
「は?」
「おでん買いに、近くまで来たら、電光掲示板で今日はこの後雪が降るってなってたから、待ってた」
「…雪?」
「うん、雪。ミヨ、雪苦手でしょ?」
そのときの私はすごくマヌケな顔をしていたと思う。
だって、雪が苦手だなんて、親にも話してなかったことだったのだ。
雪は苦手というか、嫌いだった。
今でもそんなに好きではない。
大好きな祖母が亡くなった日は、雪が降っていた。
祖母が最期に私に、「綺麗な雪ね」といいながらそのまま窓の外眺めて目を閉じた。
幼い私には、まるで雪がその美しさを使って祖母を遠くへ連れて行ったかのように思えて、それ以来雪が嫌いになった。
ちょうど引越し先は温暖な地域だったためほとんど雪は降らず、降ったところで積もったりもしないようなところだったので私は年に2度くらいしか嫌な思いをせずにいた。
…いたのだけれど。
「私あんたに雪が嫌いだなんていったっけ?」
「ふふ、ミヨが俺に苦手なものなんて教えるわけないでしょ」
「…それもそうだけど」
笑い方が久美子さんに似てきたな、って思いながら恥ずかしくなって俯いた。
久しぶりの天使の微笑み直撃はちょっと心臓にきて、それを認めるのも非常に癪だったため目を合わせられなかったのだ。
「じゃあなんで知ってたの?こっち来てから雪降ったのなんかそんなにないでしょ?」
私の質問に、コウは「んー?」とかなんとか間の抜けた相槌を打って、「雪が降ってる時だけ、ミヨは俺にお願いするから」といってきた。
「お願い?」
「うん。昼寝の時は『手握ってもいい?』とか、ピアノ弾いてたときは『一緒に椅子に座ってもいい?』とか、あとは…」
まだあるのか、と思って私は慌てて「もういい!」と叫んだ。
微妙に覚えがあるだけに非常に照れくさかった。
そうだ、雪の日はまた雪が誰かを連れ去っていってしまうんじゃないかと不安になって、とにかくそこに温かいままそこにいてほしくて、コウにベタベタした…気がしないでもない。
「なんでそんなこといつまでも覚えてるのよ…」
「ふふ、どうして忘れるの?」
「普通忘れるでしょ…そんな子供の頃のこと…」
私は相変わらず俯いたままだったが、「そうなの?」と頭上から声が降ってきて、きっと心底不思議そうな顔で首かしげてるんだろうなぁ、と思って顔を上げたら想像通りの姿のコウがそのままそこにいたのでため息をつかずにはいられなかった。
「雪の日には、ミヨは俺が必要でしょ?」
ふわっとコウが笑った。
こんなキザな言葉、コウくらいしかきっといえないんだろう。
そういえば、コウと距離を置くようになってからは雪が降ってなかったと思う。
もしも、一度でも雪が降ってたら私はコウを求めていたのだろうか。
今となってはわからない。
でも、このときは素直に心にその言葉がストン、と落ちてきて、「そうかもしれないね」と笑って答えた。
コウは、私のことをちゃんと知ってくれてた。
私はコウのことを何一つ知らなかったのに、いつも私のことなんか一切気にせずに遊んでたくせに、それでも、きちんと見てくれてた。
私もちゃんとコウを見ないといけない。
「コウ」と名前を呼ぶと、「ん?」と首をかしげて澄んだ瞳が私を見つめた。
その瞳は、あれだけいろいろな人を傷つけながらキスしてるくせに、まだファーストキスも済ましてないあたしより全然綺麗だった。
何か言いたいことがあったのに、私はその瞳に吸い込まれそうになり、ただじっと見つめるだけだった。
するとコウが、「ああ、」と呟いて。
それから私の頬に手を添えて。
あれよあれよと流れるように冷たい唇を私のそれに押し付けてきた。




