約束
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
だってさっきまでファーストキスもしたことない私、なんていってたのにそのファーストキスはそれから5分とたたないうちに無くなってしまったのだから。
「…何してんの、あんた」
「ん?あれ、違った?」
「は?」
「女の子が自分を見つめてきたらこうするんだって、この間聞いたんだけど」
「…あんたいつも女の子とこんなことしてるの?」
「ん?うん」
にこにこと笑うその顔に『邪気』とか『魔』みたいなものはなかった。
これだから現代社会から離れた人間は困るのだ。
「あんたね、ここは外国じゃないの!こんなんこと日常茶飯事だなんておかしいに決まってるでしょ!」
「うん?そうなんだ」
「そうなんだって、あんたね…」
なんというか、殴る気も起きなかった。
そうだ、昔からコウはこういうやつだった。
どんな嘘とか冗談でも全部真に受けて、信じて、それでその後きちんと訂正するまで間違いに気がつかない。
だから私はいつだってコウに嘘はつかなかった。
「コウ、もうこんなことしちゃダメだよ。キスは特別なものなの」
「え?」
「傷つくのはあんただけじゃないんだからね」
「そうなの?」
「そう。だから、もうしちゃダメ」
きょとん、としてから「うん、わかった」って微笑むコウの仕草は、昔と変わらなかった。
伸びた身長とか、少し低くなった声とか、いつのまにか自分のこと「俺」って呼ぶようになったりとか。
私と離れてる間に変わったものもたくさんあるのに、私の目の前にいるのは昔の、天使みたいで人とズレててキザなこととかさらっといっちゃう雲みたいにふわふわしたコウだった。
誰がこんな変な常識をコウに教えたのかはわからない。
でも、こんなひどいことってない。
コウがなんでも信じるって知っててこういうことをするなんて、ひどすぎる。
このままだとコウはいつかきっと自分を傷つけてしまう。
『嘘』も『本当』も正しく判別できないような、そんな天使ってどんな間抜けだ、まったく。
私は、ある決意を持ってコウの右手をとって、それからその小指に自分の小指をからませた。
「コウ、約束しよう」
「約束?」
「うん。もう『特別じゃない女の子とはキスしない、抱き合わない』って約束」
「ふふ、昔『もうミヨを虫に例えない』って約束したときみたい」
「…そんなこともあったね」
繋ぐ小指を外す気配はなかった。
私はそれを了承と捉えて、「ゆーびきーりげーんまーん…」と歌った。
コウは、人として何かが足りない。
人よりたくさん持ってるものがあるのに、その代わりに人が当たり前に持ってる何かが確実に不足している。
いつか、それをコウに教えてくれる人が現れるのだろう。
それはきっとコウの人生で一番大切になる人だ。
だから、それまでは私が代わりコウを繋いでおかないといけない。
ふわふわと雲みたいに飛んでいかないように、鎖みたいに頑丈に。
そんなことを真剣に考えていた私は、今思えばちょっとおかしかったのかもしれない。
でも仕方ないと思う。
こんなおかしなやつと長いこと時間を共有してきたのだ。
ちょっとズレててもおかしくない。
「…まだちょっと待ってられる?」
「うん」
「委員会終わったら、すぐ来るから」
わかった、といって手を降るコウを振り切り、私は再び走って教室に戻ると、「先輩おそーい!」と一緒に準備してた後輩たちがスネた表情でこちらを見た。
「倉本先輩大丈夫でしたー?」
「へ?」
「え?倉本先輩のとこいってたんですよね?窓からちろっと見えましたよ、花壇のとこ」
「あ、ああ…」
風よけになるとこ案内してたんですねー、とかいって作業をすすめる後輩たちの様子を見て、どうやらあのファーストキスは見られていなかったんだとほっと胸をなでおろした。
「倉本先輩なんであんなとこで待ってたんですか?」
「んーと…なんか家の鍵忘れて入れないから両親たち帰ってくるまで私の家に入れて欲しかったらしくて…」
「あー、なるほど、幼なじみの特権だ」
「えー!それじゃここ連れてくればよかったじゃないですか!寒くないですよ!」
「そんなことしたらみんな作業が手につかなくなるでしょ」
それもそうだー、なんて笑う彼女たちの顔に心底ほっとしたのを覚えてる。
何しろヘタレな私であるからこんな堂々と嘘をつくなんて心臓が飛び出るくらいドキドキものだったのだ。
幸いその日はそこからすぐに片付けに入り、私はすぐに園芸用具入れ裏の天使様を迎えに行くことができた。
その日の帰り道、私達はたくさん話しをした。
コウの背が伸びて見上げて話すと首が痛いって話とか、あんたは人をたらしこむ才能があるから注意しろって話とか、今日の約束は私の命が危うくなるから人に話しちゃダメだって話とか。
家につくまで、ずっと話し通しだった。
その間、雪が降っていたと気づいたのは家の前についたときだった。
「…コウ、今までごめんね」
「ん?どうして?」
「…わかんないならいいや」
珍しく素直になったのに目の前の男はまるで状況がわかっていないのだと思うとなんだかちょっとドキドキしてる自分が馬鹿みたいだった。
「コウがいなかったら、雪の中きっと仏頂面で歩いてたかな」
「ん?ならよかった。ミヨは寂しがり屋だから」
「…そんなことないし」
「ふふ、そうだね。ほんとに寂しかったのは俺かもしれない」
ダメだこりゃ、って思った。
こんな美しい顔にこんなタラシ言葉いわれたら勘違いしない女子なんてほとんどいないだろう。
冷静にこいつの本質を見極められなくなる。
「コウ、私、これからコウにいろいろ窮屈なことをいうかもしれない」
「うん?」
「『良くない』って思ったことはそういうし、治せって口うるさく言うかもしれないけど、それでも私、コウには絶対嘘はつかない」
「うん」
「だから、私のこと…」
嫌いにならないでっていいたかったけど、いえなかった。
私はコウのことを散々悪くいってきたのに、自分のことは嫌いにならないでほしいなんて虫が良すぎるし、コウは「嫌だ」なんていわないってわかってるのだから、ずるい。
そう思い何も言えなくて俯いていた私の頭上に、「ミヨ」って柔らかく私の名前が降ってきて、自然と視線が上がる。
「ありがとう」
「え?」
「俺のこと見捨てないでくれて、ありがとう」
俺のこと怒ってくれるのは両親とミヨだけだから、なんていうコウが寂しそうに見えたのはきっと雪のせいなんかじゃなかったと思う。
そのとき、コウが今までで一番近く感じた気がした。
「じゃあね、コウ」
「うん、じゃあね」
そういって家の前で別れて、自室に戻り、すぐベッドにダイブした。
冷えた枕に頬の火照りを押し付けて、ファーストキスのフラッシュバックを抑えようと試みたけど、それはまったく無意味だった。
なんか普通に指切りしたり一緒に帰ったりお話したりしたけど私と彼、接吻しましたよね!?しかも私ファーストでしたよね!?
ちがう、コウのことが他の女子と同じように好きなわけじゃないのだ。
だがキスとかそんな非日常的なことされたら普通に誰もがときめいても仕方ない。
仕方ない…はずなのだ。
ぐるぐる頭の中で考えまくり、なんとか「あれは供物。私は天使に供物を捧げたのだ。だからまだ私は清い娘だ」といい聞かせることで落ち着いた。
まぁ、この約束のせいで私の青春は目に見えて道を外れていったのはいうまでもない。
とりあえず第一部終了って感じです。




