絵画
北見さんに連れられて訪れた放課後の美術室は、いつもの授業との時とはまるで違うものだった。
静寂に支配されていて、どこか厳かな雰囲気すら感じる。
しかし、窓から射し込む陽の光が温かみも感じさせるから不思議なものだ。
その美術室には先客が居たようで、陽射しに照らされたその姿はまるで絵画の一部のようであった。
「先輩、見学希望者の方を連れて来たのですが」
しかし、先輩と呼ばれたその人物は全く気が付いていない。
よほど絵に集中しているのだろう。
私は北見さんに向けて唇の前に人差し指を立てて『静かに』という意味のジェスチャーを送った。
彼女も無言で頷き、二人とも静かに先輩が一息つく瞬間を待った。
結局、先輩が私達の来訪に気付くまで30分もかかったのだが。
「私のクラスメートの沖島さん」
先輩に向けての私の紹介が北見さんによって行われた。
「沖島 夏樹です。よろしくお願いします」
「……」
しかし、全く返事はない。
しかし、その瞳は私を見据えていて、まるで『捕食者』と呼ぶべき視線を感じた。
「倉田先輩?」
倉田先輩と呼ばれた人物は、北見さんの問いかけでハッと我に返ったようだった。
「あぁ、ごめん。つい、絵になりそうだったものだから」
「先輩……、私の話聞いてました?」
「聞いてた、聞いてたから。ごめんて、そんなに睨まないで」
ヘラヘラという言葉がピッタリ似合うような笑みを浮かべた先輩と、胡乱な目を向ける北見さん。
これだけの様子を切り取るならまるで、姉と妹のようだ。
「新入部員はいつでも歓迎しているから、期待しているよ夏樹君」
『君』という呼び方に背筋が凍る。
まさか……
「杏奈君が誰かを連れてくるなんて……。安心したよ」
そのとてつもない冷や汗と背筋が凍る感覚は次の言葉であっさりと打ち消された。
『君』という呼び方は別に、私を見透かして言った訳ではなく、彼女の癖なのだろう。
「先輩、まるで親みたいなこと言わないで下さいよ……。それに私、友達だってちゃんと居ますから!」
「ホントに?」
「ホントです!」
「そう、それはよかった」
ほっと一息つく倉田先輩。
先程は、姉妹に見えていた関係性が、今度は親子に見えてきた。
「それはさておき、夏樹君は絵を描くことはあるかい?」
「絵、ですか?最近はあまりないですね」
最近は、作戦を実行することと、ボロを出さないように心がけることばかりに気を取られていて好きなことをする時間はほぼ無かった。
「そうかい、ならば今、久々に描いてみるといい。それが君のこれから体験していく毎日の部活動になるかもしないのだからね」
ニヤニヤと笑顔を浮かべる倉田先輩の口元に、ギラリと光る八重歯がどこか吸血鬼を彷彿とさせた。
一言に絵といっても様々だ。
人物画、風景画、抽象画など多くの分類があり、一枚の絵で様々なジャンルを跨いでいることも珍しくない。
私は基本風景画を描いていたので、一番慣れ親しんだ風景画を描くことにした。
描くのは他でもない、この美術室の風景。
様々な雰囲気を持つこの場所と、その世界を塗り替え続ける筆とパレット。
感覚が研ぎ澄まされていく感覚が私を包み込む。
「完成しました」
倉田先輩はキャンバスに描かれた世界に飛び込むように身体を前に乗り出して見つめた。
「いい絵だね。特に、この菫色は特にお気に入りのようだ」
「ありがとうございます。でもどうして菫色が気に入っていることが分かったんですか?」
菫色を使った場所は僅かだ。
「筆の先、パレットの真ん中。この絵で特に書き込まれているところにはこの色が使われているからだよ」
使った頻度より、使った場所を見ていたのか。
納得と共に、絵を評価された嬉しさが込み上げてくる。
「……凄い」
北見さんが感嘆の声を挙げた。
その目はキャンバスに釘付けになっている。
自分の居場所を見つけたような気がして、気持ちが高揚する。
私の美術部デビューはこうして始まったのだった。




