晴れの日。
目覚めるとそこは革張りのテントの中だった。
「ああ、そうか」
簡素なテントを抜ける。まだまだ日の光は入らず、炎樹だけが煌々と輝いている。
「みんな起きろ!清めから炎樹までの道のりは長いぞ。日が出てくるまでにたどり着かなければ炎樹の実が落果してしまうぞ」
ごそごそとテントが揺れ動き、3つのテントから3人の10歳の少年少女が出てくる。
彼、彼女らは昨夜最後の清めを受け、無事その身に火を灯した。後は炎樹までの道のりを日の出までに歩み、炎樹の実をもぎ取るだけだ。
「フォルテさん、おはようございます。準備はできています」
「そうです!すぐ行きましょッ」
闇夜でも元気いっぱいな声を聞くと安心する。
いくつになっても、炎樹までの道のりを過酷だと感じるのは俺だけかもしれないな。
清めから炎樹までの道のりは、町から清めまでのように鬱蒼とした森の中を走る道を辿るだけだ。
そもそも、煌々と輝く炎樹を見失うことなんて絶対にありえないから、道などいらないのだが。
「それでは行こう」
これから歩く道、そしてこの森は不思議だ。炎樹の影響を多大に受けた植物が繁茂し、住み着く生物は膨大なエネルギーを蓄える。
火を灯したばかりの子どもたちは今まで感じることの無かった炎樹の放つ独特な空気を吸い、その身に灯した火の特性を学んでいく。
ただ道をひた歩くだけ。
どんなにお喋りで、どんなに落ち着きのない子であっても、この道を晴れの日に歩くこの道だけはみな一様に静かに、ただただ炎樹まで歩いていく。
それは心の中との対話がすべてであり、心の中ではそれぞれの火がそれぞれの役割を話し、聞かせているからであり、俺ももちろん火の話を聞いた。
こうして俺が夜の人をやるのも、俺が受けた役割だ。
本来は東の森砦の守人が、夜の人をやる。俺の晴れの日には“日の出”のキノが夜の人だった。
この道を歩く間、晴れの日の子どもたちは一様に静かに、ただ炎樹まで歩いていく。
その間の記憶は火との会話のみであり、炎樹までたどり着いた時はじめて意識を取り戻す。
驚くことに、この意識のない間に、この森に棲む様々な生き物が子どもたちを襲ってくる。火を灯した子どもというのは炎樹の森に住む生き物たちにとって最高のご馳走なのだ。
俺の役割はこのすべての生き物から、道を歩む子どもたちを守ること。
『汝の役目は、導き。始まりの火を灯す者はみな、すべての始まり足りえる素質の持ち主なり』
この言葉を聴いたとき、俺は悟った。俺は炎の守人にはなれないと。
この森と生き、炎樹の庇護の下、そこに住まうすべての生き物と共に歩むのが俺の役目だ。
だから、俺は決めた。
晴れの日に現れるすべての生き物を、灰にせず追い返す。子どもたちは傷一つ付けず、炎樹までの道のりを、火との対話のための大切な時間を守る。
「やぁやぁ、今年も来たんだね。君は今年も灰の誓いを守るのかい。それとも、今年は思う存分殺すのかい。どっちでもいいけど、そのおいしそうな子どもたちをくれないかい」
「本当におしゃべりだな。というか、昨日も清めで会っただろ」
惑わし虫は小さな光る球体だ。フワフワと漂い、耳元で囁いて来る。しかし、掃えばすむだけでとはいえないのが難しい。
簡単に灰となってしまう。
しかし、この惑わし虫は大切な森の循環の一部だ。炎樹の火粉を運ぶことができるのは惑わし虫などの小さな生き物たちだ。
彼らなしにはこの森は支えられない。
「長い長い時間を生きる君たちとは違って、一瞬を生きるんだよ。お喋りなのもいいじゃないか。お喋りしなくてもいいじゃないか」
「それもそうか。せいぜい短い生を満喫してくれよ」
「それは虫に対して失礼じゃないかな。失礼じゃないかもしれないけどね」
フワフワ、フワフワ、顔の周りを飛ばれるとかゆい。
緊張感が崩れる。
「そうそう。言い忘れてたかも知れないけど、今日はサラマンダーが来るかもしれないよ」
「サラマンダーッ!! あの川の主は何年ぶりの起床だ」
「そうだね~、たぶん君が見たときからだから8年ぶりだね。お腹ぺこぺこかもしれないし、もう何か食べてるかもしれないし……」
ガゴゴゴッ!!!!
「タイミングが、悪かったか」
炎樹の森のサラマンダーは巨大な肉体を支えるため川に棲む。
その巨体は炎樹の暖かさと豊かな生態系によって生れ落ちた瞬間から育ち続け、その体が灰へと変わるまで肥大する。
大きければ大きいほどそのサラマンダーは強大なエネルギーを溜め込み、自身が眠る川を蒸発させてしまう。
そうして川を蒸発させると目を覚まし、次の住処を求めて移動を開始するのだ。
「移動だ♪移動だ♪サラマンだー!粗方食べたら眠りについて、川が枯るまでおやすみダー♪」
惑わし虫はサラマンダーには攻撃されない。というよりも認識されないというべきかも知れないが。
だから幾らでものんきでいられるのだろう。
「偉大なる炎樹の森に住む同胞よ。言葉は交わせずとも、この身に宿る火がわかるだろうか。願わくば、道を外れ住処を探してはくれないだろうか」
左手を掲げ、火を灯す。
始まりの火は物を生き物へと変えた火だ。その火は始めるための火だ。終わらせるための火ではない。
「難しいかもしれないし、難しくないかもしれないけれど。とにかく子どもがおいしそうだよ」
「無理か。惑わし虫、離れてないと燃えるぞ」
炎の民は言の葉を持って自身の火をイメージし、その力を操る。
灯した火は操ることで様々なことができる。
それは万物をも生み出す力だ。未熟な我々炎の民ですら、想像を超える力を具現化することができる。
「爆ぜろッ」
一撃。サラマンダーがなぎ倒した木を爆破する。
飛散した木がサラマンダーの滑りとした熱い皮膚へ当たり、ジュウジュと焦げる。
「爆ぜろッ」
もう一撃!
ダメか。追い払うために加減していてはサラマンダーには通らない。
高温の皮膚によって物理的なダメージもほとんど与えられない。周囲の水分が凄まじい速度で蒸発していくことで空気の層ができるため、間接的なダメージはさらに通らない。
「きゃー、怖い。君の目は火に飲まれた目かもしれないし、火を飲み込んだ目かもしれない。危ない目はメッ」
「うるさいぞ惑わし虫ッ」
「惑わし虫だからしかたないかもしれないし、惑わし虫だから許されるかもしれないし」
くそ、切断しかないか。しかし、このレベルのサラマンダーであればこの辺り一帯の主だ。主を痛めればその下の生態系が崩れるのは必至。
こうしている間にも、子どもたちは道を進んでしまう。
「子どもたち、いったいどんな対話をしているのだい。その火を大切に育めよ」
この手しかないか。
サラマンダーはその強大な体躯を維持するために川に棲む。その理由は諸説考えられているが、重い体重を支えるための他に、余りにも高くなる体温を冷ますために川へ入るのではないか。
俺はそう考えている。
このことから干上がった川から次の住処を探すとき、サラマンダーはより温度の低い方向を目指して移動するのではないか。その移動先には川があるのではないか。
ならば、誘導すればいい。
熱を奪うことは簡単だ。それこそ始まりの火で操ることのできる分野だ。
「吸え、熱変換!」
辺り一帯の熱をおれ自身の体に蓄積する。
熱エネルギーを奪われた周囲の物体たちは、さらにその周囲から熱エネルギーを奪う。
こうして連鎖的に温暖なこの辺りに冷気を作り出す。
「ほら、サラマンダー、川は……、こっちに、あるぞ」
膨大な熱量を取り込むのは容易なことではない。
ましてや空間に対して閉じ込めている先が自身の体のみだ。
グゴガガガアッ!!
びくともせず行進していたサラマンダーが体の向きを変えた。
子どもたちが歩く方向から少しでも逸らすことができればそれでいい。それにやりすぎればサラマンダーは次の川へたどり着く前に、その体から発せられる火を抑えることができずに灰へと還ってしまう。
「君きみ~、フサフサが燃えてるよ!火事かもしれないけど、これは火事かもね」
惑わし虫がかもねなんて、少しはこいつらに馴染むことができてきたのかな。
膨大な熱エネルギーを消費するためには何かを燃やすのが一番だ。体全体が紅蓮に包まれているのは百も承知。
「さぁ。こっちだ、もう少しだけ、言うことを聞いてくれ……」
来たッ。完全に子どもたちから進路がそれた。
「吐き出せ!熱変換ッ」
左手を天空へ向けて溜め込んだ熱を放出すると閃光が走り、遅れて冷えた空気が爆発した。
水蒸気が一瞬にして辺り一帯を覆う。
「ふぅ……。くっそ、きつ過ぎるな」
「サラマンダーが怖いのかい」
「いいや、惑わし虫。この森が終わることが怖いんだ」
「そうかい。本心かもしれないし、本心じゃないかも知れない。けれど、君がやっていることはとっても効率が悪いね」
よくもまぁ、ここまでおちょくる言葉が出てくるもんだ。
「さぁ行かなければ。夜明けが近い」
「おそいッ!なぜ夜の人が遅れるのだ」
「申し訳ありません。サラマンダーを逃がしていました」
巨大な炎樹の根元、ここまで来るとあまりの大きさに幹の端は見えないし、その燃え上がる葉によってとんでもなく熱い。
そこに用意されているのは晴れの日に向けて炎の民が用意したご馳走だ。
そして多くの炎の民と、3人の子どもたちが俺のことを待っていた。
「フォルテさん、遅いですよ。私たちもこれで炎の民です」
「全く、サラマンダーなど灰に還してしまえばよかったのだ。いずれ炎樹の元へ戻るだけなのだからな、それが早まろうとも、晴れの日がどれほど重要か」
軽蔑の目が向けられる。
刺さる多くの視線を避け、3人の子どもへ最後の言葉を伝えなければ。
「みんな、ここまでの道のりで火との対話ができたことと思う。これが我ら炎の民の意思であり、炎樹の意思だ。与えられた役割を今一度考え、そして日の出に備えてくれ」
「おいッ夜の人!無視するのか。私は守護文官であるぞ」
肩を掴まれ無理やり振り向かされる。
「離してください」
「なにを、それは答えを出してからにッ「これこれ、落ち着くのだ。」」
炎家様だ。炎樹の森を守り、炎の民を導き、炎の守人の長。
唯一炎樹と対話し、その力を行使することができる方。
「フォルテ・フレイムが言うことは正しいぞぃ。この森は廻る森じゃ、炎樹様を中心とした廻る森の廻る生き物たち。彼らもまた我ら炎の民の仲間じゃ。その者らを守ることこそ、始まりの火に与えられた役目なのじゃ。そして、今日晴れの日にまた一つ廻るのじゃ。ほれ、日が昇るぞぃ」
火とは違う、眩い光が差し込む。
木々の隙間をぬい、熱い蒸気が吹き上がる。植物たちはその蒸気を受け雫を湛える。
ヒクイドリがギャアギャア喚き始めれば日が昇ったこととなる。
「ほれほれ、清めで役割は知っておろう。早速炎樹の実をもぎ取り、食べるが良い」
炎家様が促すと同時に、各々が炎樹の実をもぎに行く。
3人が3人、迷うことなくそれぞれの炎樹の実へと向かう様はいつ見ても本能なのだと感じる。草食動物が生れ落ちたときより走る術を知るように、魚が泳ぎ方を知るように、鳥が空を飛ぶように、我ら炎の民はその炎樹の実をもぎ取る。
「炎樹様と共に、我らこれからも歩みを止めることがないように、皆で祈ろうではないか」
「「栄誉のため、灰とならん!!!」」
宴が始まった。
いつもは食べる機会の少ない炎樹の森の肉を食べることができる。
大人たちは酒を飲み、子どもたちはホムラウサギの発酵乳を飲むことができる。
日が上れば夜の人の役目は終わりだ。日に役目を引き継ぎ、森へ戻る。
「フォルテよ、少しよいかのう」
「はい、炎家様。なんでしょうか」
炎家様は炎樹から直接火を灯された炎の民がなる名称だ。誰もが炎家様になる資格を持ち、しかし誰もがなれるものではない。
炎家様の言葉には誰もが耳を傾ける。なぜなら、その語る言葉はすべて炎樹とつながる言葉だからだ。
「此度の清めでおぬしの暦が10年となった。つまり大戦終結から10年じゃな。おぬしらの晴れ世代がまだほんの子どもであったのに、ひどい大戦じゃった。おぬしはラーゴンの息子じゃ、守人としての役目を望んだことだのう。だが、炎樹様が与えた役目は始まりの火じゃてな」
「はい。ですが、今は私の役目を理解しています。そしてこの役目が今は楽しいのです」
「ほうかのう。では森と生き、炎樹様の廻りとなるのじゃぞぃ。それもまたモリビトじゃ」




