~雪原~ 進まなければならない
ネーミラ族の政府は『ノア』と『月の民』が軍事協力になったことを強く危険視した。ネッズたち、第四戦車大隊と〔アル・スカイ〕の共同戦線でようやく敵部隊を全滅にまで追い込んだ。
それでも、陸戦部隊しかないネーミラ族には現状物量戦を仕掛けられれば、間違いなく自分たちが殲滅されてしまうだろう。
武官たちは桜たちの提示する同盟に参加することを決めた。ネッズの軍事戦略も考慮されての話だ。
そして、戦闘から一日が過ぎてネッズ・リペットを中心とした使節団の早々に決定されたのだった。その準備は彼の意思とは関係なく着々と進められ、止めることはかなわない。
「どう話したものか……」
ネッズは玄関先に立ってぼやいた。髭は垂れ下がり、汗でべとつく体毛がツンとする臭いまではなっている。その不安と不快感に彼は自宅に踏み込む勇気が出なかった。
しかし、彼の逡巡を遮るようにして玄関扉の鍵が開錠された。
「お帰りなさい。お疲れ様」
妻のミランダがドアを開けて、心底安心した表情を見せる。
「いや――」
ネッズはそんな妻の嬉しそうな顔に気おされながら、おずおずと帽子を取る。
「着替えを取り来たんだ。荷造りもしなきゃ、ならない」
「あぁ、そういう話になったんですね」
ミランダはしょんぼりと俯いて、ネッズをホールに通した。あらましは電話で聞いていたが、詳細は聞かされていない。それでも、ネッズのぶっきらぼうな物言いや言葉に詰まった感じを思うに、重大なことだろうと察した。
「昼食は済んだのか?」
「いいえ、まだ。モリソンとアリーシャもそろそろ……」
ミランダが玄関先で通りを見渡すと、ちょうど学校から帰ってくるモリソンとアリーシャの姿が見えた。
二人の子供は母親とその後ろに立つネッズの姿を見て走り出す。二日ぶりに返ってきた父親の姿が新鮮に感じられて、何よりも誇らしい父親の帰りが嬉しくてたまらなかった。
瞬く間にネーミラの兄妹は玄関の小さな石階段を上ってホールへと駆けこんでくる。
「お帰り、二人とも」
ネッズが優しくそう言うと、モリソンとアリーシャも返事をして浮き足立った様子で家に入る。
「お父さん、敵をやっつけたんだろ? 学校でもすごい噂になってた」
「そうか。はやくカバンを置いてきなさい。お昼にするぞ」
ネッズの口からそんな言葉が出ると、モリソンは目を輝かせて元気よく返事をして階段を駆け上っていく。その後ろを妹のアリーシャがついていく。
「あんまりバタバタするんじゃありません!」
ミランダがしかりつける。
「家族でご飯を食うのはいつぶりだ?」
「一週間ぶりよ。あの子たちとあなたは時間が合いませんもの」
ネッズはミランダの呆れた言い方に気まずそうに鼻を引くつかせる。それでも久々に家に帰ってきた。その感覚が彼を満たして、軍部の制帽と外套をポールハンガーにかける。肩の重荷が取れたように感じられる。
ミランダが足早に食堂に移動する。
「あ、もうお食事の用意できますよ」
「そうか」
ネッズは静かに答えると、爪先を食堂の方へ向ける。足取りはきちっとして、食堂に顔を出す。家族四人が囲うテーブルと台所回りのごちゃつき、食器棚の壁を見ながら歩調を緩める。
「皿はどうする?」
食事の準備をミランダが進めるのを横に見ながら、ネッズはテーブルを一瞥して食器棚へと足を進める。
「四枚お願いします」
久々に家族がそろって食事をする。
リペット家にとっては珍しいことであり、嬉しいことである。帰る家と食事がある。そんな些細なことがミランダとネッズには心地よい。使節団のことがなければ、今日をもっと楽しく過ごせただろう。
ネッズが皿の用意をしていると、廊下の方から子供たちのはしゃぐ声とどたばたと階段を駆け下りる音が響いた。
「ご飯、まだ?」
「まだ?」
降りてきたモリソンとそれを真似するアリーシャ。二人はすぐにそれぞれの席についてしまう。迷うことなく、いつもの定位置を取って鍋の火加減を見るミランダの背中を見つめる。
「もうすぐですよ」
「手は、洗ったのか?」
妻のやんわりとした声に続いて、ネッズは皿を配りながらいった。
「もちろん」
「お父さんこそ、どうなの? なんだか臭い」
アリーシャは皿を配るネッズの服に鼻先を向けると、その汗臭さに全身の毛を逆立ててむせる。
これにはネッズも顔をゆがめる。
「そんなに臭いのか?」
「臭い!」
アリーシャのずけずけとした言葉遣いは父親を悩ませた。
「戦車乗りはみんな汗臭いのよ。お風呂に入らないからね」
ミランダは茶化すように言って、パンを入れたバスケットやオーブンで焼いた魚のグリルなどをテーブルに置いていく。
「さぁ、ご飯にしましょう」
ミランダが大きめの鍋をテーブルに置くと、自分の席に着こうとする。
ネッズは素早く彼女の後ろに回り、椅子を引いて見せた。
「どうぞ」
「ありがとう。なんだか、気持ち悪いわ」
そう言いながらも、ミランダはほほ笑んだ。
ネッズもぶっきらぼうに小さく頷いて、隣の席に着く。自分の席がわからない、というのが心にのしかかる。疲れているから、という言い訳は聞かない。自分が仕事一筋であることを痛感させられる。
それは所帯持ちには辛いことだ。
その辛さついで、という感じにネッズは口を開く。
「食事の前に三人に伝えたいことがある」
ミランダは鍋のふたに手を伸ばそうとして、静かに引っ込める。子どもたちは何か良い知らせがあるのでは、と目を輝かせている。
久々に家族が集まったのだ。こんな良いことには、良い結果がついてくると思っているのだろう。
「しばらく家を空ける」
端的な言い方を子どもたちがすぐに理解できるはずはなかった。
ミランダだけは事の大きさに気持ちが揺れたが、その不安を顔に出すことはなかった。ただ黙って、止まっていた手を動かして子どもたちの前に配膳されているスープ皿を取って、鍋のふたを開ける。
そら豆とキャベツのスープが湯気を上げて、コンソメ仕立ての芳醇な香りが広がる。
「どういうこと?」
アリーシャは小首を傾げる。
「少し、出張に出てくる。わかるな?」
「ああ、うん。遠くにお仕事に行くんでしょう?」
ネッズはアリーシャから笑みが消えるのを目にして心が痛んだ。
「けど、お父さんのことだ。またすごいことをして、帰ってくるんでしょう?」
モリソンも気丈にふるまいながら、父親の仕事について自分なりに理解をしているつもりだ。
「そうだな。今度の仕事はとても素晴らしいことだ」
ネッズはこれだけは嘘ではない、と力強く言った。
「戦争になるの?」
ミランダはネッズの分のスープを渡しながら言う。
「……残念なことだがな。そのために導師様が計画している同盟軍の視察も必要になる」
ネッズの重たい言葉にミランダも息をのんだ。同盟軍という言葉に喉の奥から何かが湧き上がってくる不快感を覚える。これまでにない、巨大な動きであると彼女は感じていた。
「そういえばお姉ちゃんたち、もう出てっちゃったんだよ。もっと遊びたかったな……」
モリソンはミランダの様子を窺いながらおどけた風に言う。しかし、両親は答えない。不味い話題を振ったと長男は思うとすぐに別の話題を振った。
「ご飯、冷めちゃうよ。食べていい?」
「ああ、食べなさい」
ネッズが優しい声音で許した。
「…………いただきます」
アリーシャは不安そうに両親の顔を窺いながらスプーンを手に取ってスープに一口。難しい言葉を使っていても、何か重要なことを話している、と両親の顔から幼い妹は感じ取っていた。
「しかし、他のヒトたちの生活を見るいい機会だ。それに将来のことを思うと必要なことなんだ」
「将来のこと?」
ミランダは問いかけて、子どもたちの方に視線を移す。
ネッズも食事をしているモリソンとアリーシャを見ながら、スプーンでそら豆のスープをすくう。
「平和な世界を築いていくためには必要なことさ」
それに、と言いつつホクホクのそら豆を口に入れてその味をかみしめる。コンソメの芳醇な味わいと柔らかく、味の染みたキャベツは格別だ。そら豆の甘さを引き立たせるスープの塩梅はネッズが知る限りミランダしかいない。
この味だけは忘れなかった。忘れようもない。
ネッズは鼻を一度すすり、顔を上げる。
「平和になったら家族旅行もしたいからな」
「お父さん、それ本当!」
モリソンがパァッと満面の笑みを浮かべて問う。
リペット家は家族旅行とは無縁であった。まして、軍人の父親からそんな言葉が出てくることは奇跡のような出来事である。アリーシャも目を輝かせた。
「ああ、海外旅行というものだ。その下見に行くと思えば、気楽な任務だ」
ネッズはミランダを一瞥して、茶化すように言った。
しかし、現実はそう簡単な任務ではない。政治や軍事について長期にわたる調査をしなければならない。まして異文化の中に放り込まれるというのは相当のストレスを覚えるはずだ。長年の戦車乗りとして鍛え上げた忍耐力を試される気分だ。
「大丈夫なのですか?」
「問題ない。こうして、君の料理も満足に食べたいからな」
ミランダにはそれで十分だった。家に帰ってきて、食卓を囲う。ほんの些細なことで心は満たされる。
「モリソン、肘をつくな。アリーシャも」
と、ネッズは厳しい口調で子供たちをしかりつけた。
これにはモリソンとアリーシャも恐縮して、姿勢を正した。
ミランダは苦笑する。
「あらあら、戦車乗りとしての癖が出ているのではなくて?」
「そうか?」
「うちの父もそうでしたからね。迫力がありますよ」
そんな会話をしているうちにネッズも恥ずかしさを覚えながら食事を勧めていく。
凍土の下の家庭。雪にもめげないその温かみはきっと良き未来を創造する糧になる、とネッズは心底思うのであった。
* * *
〔アル・スカイ〕は追い風を受けて空を跳躍していた。眼下には東と西を氷でつなぐ海峡が見える。マントがはためき、夕日を浴びた機体の頭部は深い翳りを帯びてどこか悲しげであった。
「挨拶もほどほどに、出発してよかったのか?」
「向こうには向こうの都合があるんだし、わたしたちは先を急がないと」
ミュウと勇子はそんなことを離しながら、水平線の彼方に沈む夕日を一瞥する。
「あんまり長居してると、リペット夫人にも迷惑だろうから」
勇子の切なそうな声に桜は操縦席にもたれながら正面の景色を見据える。赤と青、夕方と夜の狭間の景色は幻想的だ。
しかし、今〔アル・スカイ〕は暗闇に進んでいる。
「はい……。『ノア』と侵略軍が手を組んだのは以上、こちらも相応の対処が必要となります。早急に問題を解決できなければリペット家の皆様にも申し訳が立ちません」
「他のヒトたちの出方も気になるしな」
ミュウは重たいため息を吐いて、目をとろんとさせる。急に眠気が襲ってきて身体が重く感じられた。
「戦争か……」
その事実が重くのしかかる。これまでの小競り合いとは違う。
武力衝突が激化するのを予感すると、身が震える。
「それをとめなければ、どちらも滅びるだけです」
「歴史は繰り返されるというが、ろくなものではないな」
桜とミュウは自分に言い聞かせるようにつぶやく。
『ノア』も『ファルファーラ』も戦争の歴史を歩み、その過去を繰り返してはならないと戒めてきたはずだ。しかし、あくまでも戒めでしかない。長い時を経てしまえば、記録として残る歴史は人の忘却と共にその解釈を変えていってしまう。
争いを正当な手段として認可してしまう恐ろしさ。
少女たちは自分たちが経験した戦闘が常に正しいとは思っていない。そう思う心があるうちは正気であるのだろう。
そして、争いを否定することで戦っている。その意味、結果が出たとき、この世界は平和の道を歩めているだろうか。
「宇宙に帰ることも考えなければなりませんね……」
桜は雲一つない真っ暗な空を見上げてぽつりとつぶやいた。
星を蹂躙する脅威は宇宙にある。このまま防戦一方では埒が明かない。
桜は『導師』としての役割を思いながら、自分が生きてきた漆黒の世界を思い出す。星を導く存在の名を借りて、鳥かごのような世界を救うことが出来るのか。
その答えはまだ彼女の胸の内にはなかった。
* * *
一番星が輝く。
〔ガム・ガラン〕一番機の操縦者、ゲム・ブラッヘは操縦席のハッチから出てヘリに腰かけていた。長い腕を天に突き上げて伸びをしつつ、暗い波を見据える。
「まったく、随分と流されたな」
機体は戦闘で中破されて、ほとんど使い物にならない。だが、各所に仕込まれていたエアバックが作動して、海の底に沈むことはなかった。
ゲムは戦闘から離脱するために、恥を忍んで死んだふりをしたのだ。
事実、それによって〔アル・スカイ〕の索敵網から外れることが出来た。そして、機体は海流に流されて、西海岸沿いへと流れている。
「人工衛星とかいうのがこちらを見つけてくれるらしいが、どうなんだかな。救難信号もまだ出すのは危ないか」
ゲムは赤く染まる夕日を眺めて冷静に判断を下す。
日が出ている間は信号の発振も不安定になる。夜の間に出せば、もう少し安定して地上に潜伏している部隊にも届く可能性は上がるのだ。
戦闘から二日がたって、漂流していても彼が冷静さを失うことはなかった。命の危機にさらされながらも、ただ一つの物事だけを考えていた。
「ここまで――、ここまでして生き残ったんだ。必ず汚名は返上させてもらう」
ゲムは静かに野心を燃やす。
部隊を失い、死んだふりまでして生き残った。戦場で死ぬのが兵士の華、と教えられていても現実はそう美談で締めくくれるものではない。
ゲム・ブラッヘは自身の貪欲さに呆れながらも、それが無ければ生き残れないことを痛感させられた。
べとついた潮風が彼の体を打つ。波は穏やかに上下していく。
その感覚に不快感を覚えながら、ゲムはこの状況を耐えるしかなかった。
すべては〔アル・スカイ〕と再び戦うために。




