~雪原~ 傍にいるヒト
地下都市の中を辻馬車が走る。馬車をひくのは、どっしりと力強い重量級の馬。その大きな足が舗装路を叩き進んでいく。
地下都市は僅かに暗く、夕時に近い明るさである。天蓋にぶら下がっている球根が氷や雪に透過する光を葉っぱに受けて光りを地下にまで運んでいるのである。淡い光が立ち並ぶレンガ造りの家々に独特の翳りをつけ、ノスタルジックな雰囲気を醸し出す。
「この町の他はトンネルで繋がっている。天井にぶら下がっている球根は外の光を取り込んでいる」
「へぇ。面白いですね」
「発電装置も兼ねている。そのせいで以前は戦争もあった」
「果実電池のようなものですか?」
「自分には畑違いのことなのでわかりません」
ネッズは向かいに座る桜にそんな話をしていた。
ミュウは分厚い外套に首をすぼめ、身を固くする。馬車の中には暖房器具はなく、勇子から借りているカイロも冷えてきて口数も自然少なくなっていた。
「みんな、おしゃれをしてる」
勇子は馬車の車窓にかかるカーテンを少しずらしてその景色を盗み見る。街頭を歩くネーミラ族は帰宅ラッシュなのか、外套を羽織った紳士淑女の姿が目立つ。その落ち着いた足運びは気品が漂う。
そして、馬車は一軒の家の前で止まった。
「到着したようだ」
ネッズは桜たちに言って、御者がドアを開くのを見た。
桜たちはネッズが先に降りるのを見送り後に続いた。御者の手を借りて、急なタラップを降り立つと、とんっと石畳が小気味よい音を立てる。
「地下にテラスハウスだなんて……」
勇子はサングラスを外して、正面の家屋を見上げた。
縦長のレンガを積み上げて作られたテラスハウスは十八世紀イギリスのお向きを感じさせるものである。それだけに裕福な家庭にあると推察できる。
天蓋の照明も相まって本当に映画のセットのようで、逆回りした時間に迷い込んだかのようだ。
ネッズは石段を上がって地下へと続く階段を一瞥するとポケットから鍵を取り出す。
「立派な家ですね」
「古いワイナリーの友人から譲ってもらった。住み心地も悪くない」
ネッズは背後につく桜の声に淡々と答える。
開錠して入るとすぐには小さなホールが待ち構えていた。少し寒々しい部屋の壁には家族写真が飾られて、傘立てやポールハンガーがひっそりと玄関の隅に立っている。
桜たちも小さく会釈しながら玄関をくぐって、ホールの内装に小さな感嘆を漏らした。
「おかえりなさい、あなた」
「ああ……」
ネッズが帽子を取っているところに、リビングに続く扉から一人の女性が顔を出した。
桜たちもホールに並んで、その女性の姿と声に目を見張った。同じようにネズミのような顔をしているが、楚々とした衣服に物腰の柔らかい声音は優しかった。頭にはボンネットと呼ばれる頭巾をかぶっており、甘栗色のかわいらしい毛色はふっくらした感じがする。
「電話でも伝えたが、今日は来客が泊まる」
ネッズは彼女にそういって、桜の方に手を差し向けた。
「導師の桜と付き人の勇子、ミュウだ。それから、こちら家内の……」
「はじめまして。ミランダ・リペットと申します。どうぞ、お見知りおきを」
すると、ミランダ・リペットは手を前で組んで深々とお辞儀をした。
「あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
「――します」
勇子に続い桜もお辞儀を返した。ミュウもぼそぼそと挨拶をしながら硬い会釈をする。いまだ寒さで体が動かないのだ。
「間もなく、お食事の用意が出来ますのです。リビングでおくつろぎください」
リペット夫人は顔を上げてほほ笑むと、三人をリビングへ続く扉に促す。
「はい。そうさせてもらいます」
桜たちは外套を取って、ポールハンガーにかけるとリビングの方へ歩んでいった。
リペット夫人は三人の背中がドア向こうに行ったのを確認すると、帽子をかぶり直すネッズに向きなおる。
「今晩のお帰りは遅くなりそうで?」
「ああ。会議が押すと思う。苦労を掛けて、すまない」
「いいえ……」
リップルトン夫人は言いたいことを飲み込んで、笑みを絶やさなかった。
「今晩はあなたの大好物のそら豆とキャベツのスープです。お早いお帰りを」
「善処する」
ネッズはそう言って、夫人を抱擁する。それは五秒とかからない短いものであった。
「子どもたちも待ってます」
「ああ。行ってくる」
リップルトン夫妻は離れ際にそう交わした。
ネッズは待たせている馬車へと歩いていった。夫人はそんな夫の背中を静かに見送って、そっと玄関を閉める。夫婦関係が冷めているわけではない。ネッズが軍人として忙しいのを承知しているリペット夫人は何も咎めることが出来ないのである。
彼女の頭には幾度目かの出兵を見送る光景が脳裏をよぎった。そのことが胸に重くのしかかり、ネッズがまた戦場に行くものだと覚悟しなければない。
夫人は小さくため息をついて、肩に力を入れると振り返る。桜たちの出迎えがまず第一である。彼女は素早く気持ちを切り替えて、歩き出した。
その瞬間、甲高い笑い声が響いた。
「いけないっ。あの子たち!」
その笑い声にリペット夫人は髭を逆立たせて、急いでリビングへと飛び込んだ。
「ああ、リペット夫人」
桜が困った表情を浮かべて、すり寄ってくるワンピースの子どもに手を引っ張られていた。笑顔でグルグルと桜を中心に走り回り、笑顔を振りまく。
「ほら、怖くないよ」
一方で勇子がサングラスを外して、中腰になりながらソファーの陰にいる男の子に呼びかけていた。少しぶかぶかのセーターを着た男の子はネッズ譲りの厳しい視線を射ながら、まだ幼い髭を震わせて威嚇する。
すると、その男の子もリペット夫人の姿を見るなり風を切るように素早くソファーの裏を回った。母親の横についた。それにまねするようにして、桜の手を放した女の子もリペット夫人についた。
「こら、お客様に失礼でしょうっ」
「だって、変なんだ」
「白い、赤いっ」
男の子の高い声に合わせて、妹のキィキィ声が言った。
桜はその場でよろつきながら、軽く頭を振って改めて親子の方を見る。ミュウと勇子も同じようにした。
「すみません。うちの子です。飛んだご無礼を」
「ああ。かまいませんよ。お名前は?」
桜はリペット夫人のスカートを引っ張る女の子とずっと睨み付けてくる男の子を見渡して言う。
「アリーシャッ」
「も、モリソン」
二人の子供は明暗対照的に答えて、桜に応答する。女の子のアリーシャは何が嬉しいのかその場で跳ねて、男の子のモリソンは警戒するばかり。
すると、リペット夫人が手を叩いて場の空気を一転させる。
「さぁさぁ。お食事の準備があるのだから、二人はお手伝いね。導師様はここでお待ちください」
そういって、この場の空気は収まったのである。
* * *
侵略軍母艦二隻が『ノア』を出て、小惑星帯へと進行していた。
その一隻には月の民、モートンの宰相ウッグリン・シェルミナートは格納庫に移動して、最新機の〔ガム・ガラン〕の様子を視察していた。
「あれが月の人間?」
「随分と時代遅れ。あれでいいの」
「エスパーなんだとよ。だから、宇宙服もぞんざいなんだよ」
宙を浮く『ノア』の宇宙服の面々が秘匿回線で囁きあう。
それに気づいたのか、ウッグリンは宙を浮く宇宙服を流し見て鼻を鳴らした。
「フンッ。宇宙人というのは、まったく――」
ウッグリンは自分の立つキャットウォークに足を押さえつけながら中央に浮かぶ機体に視線を戻した。
推進装置、動力装置が外壁と内壁の合間に作られている母艦では、中身が空洞であり、そのすべてが格納庫として機能している。内壁に固定されている〔アルファ・タイプ〕が整備員の手の下で調整が進められる中、中央に牽引策で繋がれた〔ガム・ガラン〕一号機は飛行形態で最終調整を行っていた。
〔ガム・ガラン〕の飛行形態はデルタ翼を採用した形状で鋭角なシルエットに仕上がっている。その主翼を果たす部分は脚部であり、さらに電気信号の伝達によって翼を変形させ、たわみ翼の機能をも搭載されている。
そのぐにゃりと変形する主翼はウッグリンの目には奇怪に映った。
「宇宙人の技術か……」
「宰相。テストパイロットのゲム・ブラッヘ大尉をお連れしました」
付き人の軍人がキャットウォークを蹴りながらウッグリンの前に着地する。
その後ろから流れるようにしてパイロットスーツを着た男が来た。モートン族は念動力を大なり小なりつえる種族であるから、宇宙のような重力の低い場所でも自身の体を押し出すことができる。また、無意識化にその力を体内の循環機能の調整にも使用することが出来る。
宇宙に適応してきた種族というべきだろう。
「ご苦労」
ウッグリンは隣につく付き人にねぎらいの言葉をかけてから、正面に立つゲムに視線を移した。操縦者にしては高身長の男であった。武人らしい気骨のある風体はそれだけで場の空気が張りつめる。
「大尉。先発の任務、支障はないな?」
「ハッ。〔ガム・ガラン〕は自分に合った機体であると感じております」
ゲムは慇懃に答えながら、ウッグリンの訝しむ瞳からわずかに視線を逸らした。
「随伴機を伴う大気圏再突入にも対応できる、でしょう」
「そうしてもらわなければ困る。今回は――」
ウッグリンは声を潜めて言う。
「宇宙人の戦力をはかるいい機会だ。貴公の働きは重要なものだ」
「その旨は聞いております。似たり寄ったりの軍事組織というのは扱いやすいようではありますが、判断に時間をいただけたらと思います」
ゲムの感想にウッグリンも小さく頷いて、頭上を見上げる。
モートンと『ノア』の外見的な差異はほとんどないが、こうして無重力にさらされれば宇宙服やパイロットスーツに身を包んで推進装置で不便そうに移動する人は『ノア』の人間である。
「宇宙であのような醜態で、地上戦をやりますか?」
ゲムはウッグリンの視線を察して『ノア』の人間を嘲笑する。自分の力で動くことも忘れたようで、歩行器を扱う赤子のように彼の目には映るのだ。
そこで、ウッグリンは視線をゲムに戻した。
「技術的進歩をしたことで自らを進化させる必然性がなかったのだろう」
ウッグリンは『ノア』の人間をそう評価する。
「知恵の付け方がおかしいのだよ」
「宇宙に適した種族ではない、と」
「だから、地上戦で真価を問わねばならない。奴らの目と兵力は吸収しておきたいからな」
ウッグリンは神妙な顔つきでつぶやく。
「ええ。星を見渡せるカメラは必要ですからな」
「頼むぞ……」
『ファルファーラ』を囲う人工衛星の索敵網の性能や減った兵力の補充する意味で今回の作戦は前哨戦である。条約締結したのもそのためである。
ゲムも小さく頷いて〔ガム・ガラン〕へ視線を移す。
「善処いたします」
それが月の民たちの腹のうちである。
* * *
食事を終えた桜たちはリップルトン家でのびのびとしていた。
「父さんはすごい戦車乗りなんだぞ。お前たちなんかいなくても、敵をやっつけてくれるっ」
「それで君が憧れるのもわかるけど……。この手のゲームで勝てないようじゃ、まだまだね」
勇子は長男のモリソンとカルタに興じていた。それも初心者である勇子の優勢で。手加減すればいいのだが、モリソンがふくれっ面をすると頬袋をいっぱいにしたハムスターのような顔をするのでついつい勇子も意地悪をしたくなるのだ。
「お姫様なの?」
「うむ。海の見える国の第一皇女である」
「海って冷たいところでしょ?」
「何を言う。温かいところだぞ?」
「そうなの。どうして? ねぇ、どうして?」
ミュウは暖炉の前で暖を取りながら、長女のアリーシャを横に置いて話し相手を務める。幼いアリーシャには冷たい雪と寒い風にさらされたこの場所しか知らないから、ミュウの話す南国の国はまさにお伽噺で興味をそそられる内容であった。
一方で桜は長袖を腕まくりして、食堂にいるミランダ・リペットと皿洗いを手伝っていた。タイル張りの流し台や木製の戸棚に囲まれ、中央には一家が座れる長テーブルが陣取っている。食堂は小さなレストランの厨房を連想させた。
「本当によろしいので?」
「はい。おいしい食事のお礼に少しでもお手伝いしたくて」
桜はリペット夫人が洗い上げた皿や鍋を乾いた布巾で水気をふき取る仕事をしていた。単調な作業であるが、桜には懐かしい感じがしてよかった。『ノア』での雑用経験がそう思わせるのである。
「特にそら豆とキャベツのスープは、とてもおいしかったです」
「そう言ってもらえるとわたしも光栄です。主人の好物なんですよ」
リペット夫人はほほ笑みながら言う。
「ああ、ちょっと意外です」
「ええ。結婚を申し込まれたときも、大真面目にそれを理由にする人ですから」
リペット夫人の話に、桜も思わずくすりと笑った。
「そんな風ですから、何か不敬を働きませんでしたか?」
「いいえ。とても紳士的でしたよ」
桜はリペット夫人に言いながら、綺麗な柄の描かれた皿を拭く。陶器のつやがどこか落ち着く。『ノア』の食器に似ているせいかもしれない。
「近々戦争があると、ラジオで言っておりましたが……」
リペット夫人はおずおずと口にする。自分たちの身の危険よりも、夫であるネッズが一番危険にさらされることをわかっているのだ。
桜も夫人の危惧するところを察して言葉を選ぶ。
「宇宙からくる侵略軍は力をつけています。止めなければ、どこかの種族は服従を余儀なくされるか、根絶やしにされてしまいます」
「そこまで――」
「町を焼き、ヒトが焼かれる光景を見ました。あのようなことはさせてはいけないのです」
桜は重たい口調で言いつつ、横で皿洗いをするリペット夫人の深いため息を聞いた。
リペット夫人は髭と耳を垂れて、小さく顔を振った。寂しげな瞳をじっと手元に注ぐ。
「きっと主人も同じように感じることでしょう」
「中佐は聡明な方です。対応する力もあると思います」
桜はネッズの第一印象をよく思っていた。
指揮官としての気概は十分であろうし、何よりヒトを見る目があると感じた。
「導師様も主人をそういうのね……」
リペット夫人は残念そうにつぶやく。
桜はハッとなって夫人の顔を除くと、大粒の涙をその丸瞳に貯めていた。
「リペット夫人?」
「すみません。本当に、申し訳ありません」
リペット夫人は目元の涙を指先で払いながら、鼻先を引くつかせるようにして話す。
「主人は軍にそう言われれば、わたしたちを置いて戦場に行ってしまいます」
「ですがそれは――」
「わかっています。わたしや、子どもたちを守るためだとおっしゃるのでしょう?」
桜は息をのんだ。
家族がいる兵士の姿。これまでいくつも見てきた。しかし、彼らはすでに戦いの渦中にあり、その中で生き抜こうと精一杯に生きていた。
だが、ネーミラ族はまだその境遇に立っていない。戦争の前夜に等しく、じわじわと戦争の兆候に怯えだすばかりなのである。回避できるかもしれない場所にいるのだ。
リペット夫人はとつとつと語る。
「軍人として立派に務めを果たす主人をわたしたちは誇りに思います。ですが、軍籍を上げるたびに肩身が狭くなっていく。閑職の生殺しもそれは酷いものですが、真っ先に陣頭指揮に駆り出されるのを思うと……」
桜は背後でこれほどまでに心配をする人を見たことがなかった。
それぞれに戦場に立つ人を支え、頑張っていた。しかし、リペット家の事情は複雑なのだろう。彼女の口振りは幾度となく戦場に行く夫の背を見送っているものであった。
今度の戦いに参加するようになれば、それはリペット夫人が知る中でも最大規模のものになるのだろう。
桜はリビングの方から聞こえてくる子供たちの声に一瞬振り返って、再びお皿に視線を戻す。
「リペット夫人、それでも戦わなければならない時もあるのです」
「導師様。しかし、あなたは偽物かもしれない」
リペット夫人にはそのことが不安で、何を信じていいのかわからなかった。気持ちはもやもやするばかりで、ラジオが流す暗いニュースに胸は締め付けられるばかり。
ミルク色の肌と純白の髪、そして、緋色の瞳は確かにお伽噺の通りの姿である。だが、容姿云々だけで信じられるほど彼女も純粋ではない。猜疑心を抱かずにはいられない。
「例え、偽物であったとしても――」
桜は静かにリペット夫人を見上げる。
「わたしは誰かが死ぬのを眺めているのは嫌です」
幼い記憶。きっと年月に換算したら、何百、何千の時が流れてしまったかもしれない。
宇宙に放り出された桜の両親はその命と引き換えにたった一人の娘の命を守った。
彼女の一番古い記憶。きっと鮮明に覚えている家族との思い出なのかもしれない。
だからこそ、思うのだ。
「みんなさまを守る力をもらい。その力はよい方向に使う。間違っていますでしょうか?」
冷たく、暗い記憶一つが桜を優しくも、強くもした。誰かが無慈悲に殺される瞬間を嫌い、同時にその身を挺して誰かを守ることを両親は最後の瞬間に伝えた。
リペット夫人は皿を洗う手を止めて、桜を見下ろした。
「そうする義務があるのですか?」
「義務ではありません。ただ、そのほうがずっと素敵だと思うのです。そのための努力をやめたくない、だけです」
桜は自分の言っていることが正しいと確信しながら、つらい道を選んだと痛感させられた。
自分の言ったことは裏を返せば、世の苦しみをすべて背負う覚悟がなければならない。
ネッズはそれを盲目の愛といった。
だとしても、桜は自分の中に宿る信条を貫くだろう。
それが正義と信じて。




