~雪原~ 地下都市の中佐
桜たちは多脚式戦車の平べったい砲塔の上に座って目的地につくまで寒さと周囲の眩しさに耐える。銀色の輝きを放つ雪原に冷たい風が吹けばダイヤモンドダストが舞い散り、風が光を纏う。
その光景は幻想的である。だが、なだらかな勾配があるばかりの雪原はどこを見渡しても、似たような景色ばかりである。
と、キューポラからひょっこりとネーミラ族が顔を出した。
それは紛れもなくネズミの顔であった。少し出っ張りながらも丸みを帯びた鼻先と硬そうな茶色の体毛、つぶらな瞳に丸っこい耳、そして、長い髭。それに軍人のように立派な帽子を被り、防眩用のゴーグルをしているのだから妙に愛嬌がある。
「すみませんね。冷たい装甲の上で」
ネーミラ族の車長は申し訳なさそうに言った。
「いいえ。お構いなく」
桜はそう言って姿勢を正した。
「何かあったら言ってくださいね」
「はい」
勇子はとろけたような表情で車長が引っ込むのを見送っていた。
「かわいい……」
「大きすぎやしないか?」
ミュウは多脚式戦車の後部にある排気ダクトから上がる白煙に当たりながら、遠ざかっていく山麓を見る。氷結している森が日光に溶けていくようで、距離感がわからない。
「失礼じゃないの。いい人たちなんだから」
勇子が背中を丸めているミュウを怒鳴りつける。
そうしていると多脚式戦車は塹壕に似た窪地を歩いていき、氷雪の壁が左右を塞ぐ。冷蔵庫に放り込まれたような感覚。風がないぶん芯に響く寒さが三人をさらに縮こまらせる。
今度は砲塔の左右側面にあるハッチが開くと、別のネーミラ兵が顔を出して氷の壁との車体間隔を確かめる。装填手と砲手だ。
「ちょい右に寄せろ。足がぶつかるぞ」
「こっちもギリギリだ。ちゃんと整備したのか、この道はよ」
そんな声が飛び交うのを、砲塔の上で聞く桜たちは恐縮して大きく弾む車体に耐えるしかない。
多脚式戦車が凍結した地面に差し掛かると、スパイクのついた爪先を地面に突き刺すようにして進んでいく。鋭い衝撃が乗り手たちを襲った。
桜たちの小さな体がゴムまりのように弾む。冷え切った鋼鉄にお尻を打つたびに、お尻の皮どころか肉までそぎ落とされるのではないかという痛みが走る。
「門が見えた」
左の砲手が正面を見て言った。
曲線を描いた塹壕がさらに深まっていく直線の傾斜を進んでいく。正面には雪の天蓋の下に潜む鉄扉が見える。それはさながらネズミの巣穴をほうふつとさせるものである。
「地下シェルター?」
「いいえ。我々の町への入り口です」
耳のいい右の装填手は勇子のつぶやきに嬉々として答えた。
左右が氷の青く澄んだ色から土の黒く重たい色の壁になると、外気の冷たさはなくなった。しもやけ気味の鼻先が思い出したようにヒリヒリしだす。
桜は悴む指先を揉みながら、頭上を見上げる。
「うわぁ……。綺麗……」
青白く光る氷雪の天蓋に思わず吐息を漏らす。もう口から白い煙も出ない。しかし、透過した光が幻想的に揺らめいて自分たちを照らす光景に心が洗われるようだ。
「何が。寒いだけだ……」
いつにもなく調子が低いミュウは桜の発言に文句をたれて、排気ダクトから出てくるガソリン臭い熱風に当たる。そうでもしないと本当の本当に気を失いかねない。車体が上下に揺れるせいか、寒さのせいか、鐘の音のように響く頭痛までひどくなる始末。
勇子は正面の鉄扉が開かれるのを見てから、ネガティブなミュウを見た。
「姫様を黙らせるには寒いところに放り込むっていうのがわかったわね」
「冗談言う出ない。死活問題である」
ミュウは心底震えて、勇子の冗談を突っぱねる。
多脚式戦車が鉄扉をくぐると洞穴の中に巨大な裸電球が頭上に並んでいた。しかし、よく見ればそれは球根とか玉ねぎのようなもので発酵ならぬ発光をしているようである。
すると、多脚式戦車の前部にあるハッチが開かれ今度は通信手が頭をひょっこりと頭出した。主砲の砲身に一度目を配りながら、耳に当てているヘッドセットを手で押さえる。
「接触のあった『導師』を名乗るニンゲンを運んできた。誘導願う」
勇子は砲塔の端っこについている発煙弾発射気に手をかけながら、下の通信手の頭を見た。
桜たちは地下深くに潜航しているせいか、耳の奥が圧迫されているような感覚を覚える。そうしていると、ふと右手の壁が吹き抜け構造になり光が溢れた。
「わぁ……」
「地下都市よ。姫様」
「見えている」
桜たちは吹き抜けになった壁の向こうに見える街並みに目を輝かせる。
レンガやむき出しの鉄骨が織りなす古風で発展途上な街並み。天蓋には舞台照明のように光る球根がならび、クラシックな家屋を照らす。イギリス産業革命期のジオラマを眺めるかのような俯瞰の風景に、桜は胸をときめかせえる。
* * *
地下都市のはずれには軍事施設がある。ちょうどそれは地上との通路と繋がるエレベーターの下に存在し、関所的な役割も担っていた。
数々の多脚式戦車が格納庫で砲塔やミサイルサイロなどを背負ったまま眠りについている。
その施設、レンガ造りのクラシックな社屋に一人のネーミラ族の男がいる。チョッキにズボン、ワイシャツに手袋と紳士風な出で立ち。灰色の体毛と鋭い瞳は凛々しく、ピンッと張った髭も雄々しい。
「それでは将軍。先ほど受信したという放送を信じるのですか?」
「口を慎みたまえ、リペット中佐」
ロココ調のインテリアに木製の家具が並ぶその私室で男、ネッズ・リペットは送話器と受話器が分離したろうそく型電話を持って部屋の中を練り歩いていた。彼の苛立っているときの癖である。
「しかし、これから会うというのにその言葉はあんまりではありませんか?」
「君のこれまでの功績に敬意を払って、この重要な任務を与えたのだ。疑いを持たないのは寝首をかかれることになる」
「承知しています。しかしこれは、小間使いがすることです」
「だから、君がするのだよ。中佐」
コップのような受話器の向こうでしゃがれた声は呆れ気味に言った。
ネッズはそこで立ち止まり、長い髭をピンと逆立てる。それから、短く息をついてデスクに踵を返した。その足取りはきびきびとして、革靴が絨毯を痛めつける。
「わかりました。本会議までには報告の旨を提出しましょう」
「中佐のヒトを見る目には期待をしている。かつての功績に恥じぬようにな」
「はっ。では、失礼します」
ネッズはロウソク型の送話器に受話器をかけると、それをデスクの上に置いた。その横に写真立てがあり、家族の写真が飾られていた。彼はそれを一瞥してから、両手で顔を洗う仕草をする。
「まったく、お偉いは――。まったく」
皮肉と軽視ばかりで現場のことを何も考えていないのだ。
ネッズは自分の肩書にある中佐階級が肩身の狭いものに感じられて嫌になる。豪奢な部屋に閉じこめられて、愛玩動物のようにされている感覚は愛想が尽きる。
ほどなくして、ドアをノックする音が響いた。
「お出ましか?」
ネッズは顔を洗う仕草をやめると、一つ息をついてドアの方へと歩む。絨毯の床を革靴で踏みしめ、ドアの前にあるポールの外套かけに目をやる。私服と軍用の外套と帽子がかけてある。
「誰だ?」
「はっ。オットー・マルダナ一等陸曹であります。客人を三名お連れしました」
「わかった。すぐ開ける」
ネッズはドアの前に来ると、外套をひったくるように腕に抱えてからドアを開けた。
すぐに目に入ったのは雪上迷彩を着たネズミ顔である。制帽と厚ぼったい服は先ほどまで外にいたようでかすかに冷気を感じた。
「ご苦労。客人は?」
「あの……」
オットー陸曹は鼻を引くつかせて、言いにくそうにつぶやく。
と、ネッズは顔を下に向けると純白の肌と髪、野イチゴを思わせる赤い瞳が見上げていた。その両隣には異邦人の付き人が彼と同じように外套を抱いて立っている。
「初めまして」
桜は肩を上下させて愛想のいい笑顔を浮かべる。ワインレッドのタートルネックと灰色のパンツ姿は少しだけ大人びて見える。そのために彼女の白い肌や髪の毛が際立っていた。
「これは失敬。どうぞ」
ネッズはドアを背にして、少女、桜たちを部屋へ促す。特に桜の容姿には注意を払って観察した。
「外套はこちらのポールにかけるように」
「はい。失礼します」
桜たちはそれぞれ手にしていた外套を広げて、ポールハンガーにかけていく。
ネッズは三人の少女の様子をうかがいつつ、ドアの前にいるにオットー陸曹に視線を向ける。
「ご苦労だった。待機任務に戻ってくれ」
「はっ。失礼します。中佐殿」
軍曹は緊張した様子で敬礼をすると、硬い動きで立ち去っていく。
「中佐……」
勇子は自身の耳当てをポールハンガーにかけながらつぶやいた。ジャケットの襟を正し、パンツの裾を引っ張りつつ、ネッズの顔を窺う。
これまでのどの種族よりも近代的軍事組織を形成しているように思える。同時に、佐官がわざわざ出迎えてくることが不思議だった。
ネッズはドアを閉めるとデスクの方に歩いていく。
勇子はその背中をなおを目で追って、ふとデスクの上に写真立てを見つけた。綺麗なデスクであったから、すぐにわかった。
「そこにかけたまえ。お茶でも入れよう」
ネッズは革張りの椅子に外套と帽子を乱雑に置くと部屋の隅にある給湯器具の前に立つ。三脚の上にある陶器のやかんのふたを開けて、そばにある真鍮製の水筒から水を灌ぐ。それから、下にあるアルコールランプを引っ張り出す。それから、ポケットにあるマッチ箱を取り出すと素早く火をつけ、元の位置に戻す。
桜たちはその鮮やかな手際に目をやりながら、中央の対面ソファーに腰掛ける。
ロココ調のインテリアは鮮やかで温かみがある。外の厳しい寒さとはえらい違いだ。
「へぇ……」
「ハーブティでいいだろうか?」
「は、はい。ありがとうございます」
桜は緊張しつつも、ワインレッドのタートルネックの首元に指を入れる。着なれない服だが、防寒対策にはちょうどいい。
ミュウももこもこのセーターの袖を伸ばして手先を隠すと、身体を丸めるようにした。口元を手で覆って息を吹きかけるので、微々たる暖の恩恵に預かっていた。
「寒い……」
「外よりはずっといいわよ。カイロ、いる?」
勇子はジャケットの内ポケットからカイロを出すと、ミュウの方に渡した。電池式のもので巾着に入ったカイロは温かい。
ミュウはそれを大事そうに両手で包んで肩をすぼめた。それからまた合掌した手を口元に運ぶ。赤くなった耳と鼻先はまだ冷たそうだ。
「うむ。温かい」
そうしていると、ハーブティーの下ごしらえを終えたネッズが向かいのソファーに腰を下ろした。
「お初にお目にかかる。自分はネッズ・リペット。あなたがたを『導師』の一行と聞いている」
ネッズの鋭い視線と研ぎ澄まされた髭の張り方に桜は背筋を伸ばす。
「はい。わたしは桜・マホロバと申します。こちらが勇子・星許様、そしてこちらがミュウ・ミュレーヌ・レルカント様でございます」
「様をつける?」
ネッズが桜の態度に眉をひそめる。
そこにすかさず勇子が割って入る。
「色々と事情がありまして、このようなしゃべり方をなさっているだけです。深い意味はないんですよ」
「偽物だからではないのかね?」
ネッズの飾り気のない言葉に桜たちはびくりと肩を震わせる。
「宇宙からの放送というのを聞いたのか?」
ミュウはカイロを持ったまま尋ねる。
ネッズは特に気にした様子はなく、膝元で手を組んだ。
「ええ。しかし、それを全面的に支持するつもりもない。自分の意見ではあるが」
「…………」
桜は俯いて口籠る。
やはり『ファルファーラ』にとって『導師』の存在がいかに根底に刷り込まれているのか考えさせられる。偽物であると明かしても、目の前にいるネッズにしろ、これまで出会ってきたすべてのヒトに対して申し訳が立たない。本物と主張してもそれを実証できるものなどはない。
コトコトとやかんの水が煮えてくる音が聞こえる。
ネッズは肩の力を抜いて話す。
「我々は近く地上に出て、漁業や林業を再開しなければならない。が、地上で戦闘が行われているとあればこちらも無視するわけにはいかない。軍部も近々動くだろう」
「侵略軍の存在を知っているのならば、彼らに味方してもただ蹂躙されるだけです」
勇子が言った。
「根拠はないのだろう?」
「これまで、わらわたちは侵略軍の悪行を目にしてきた。そして、同盟締結を呼びかけてすでに数種族が結託している」
「ふむ……」
「彼らとの通信の機会を与えてくだされば、すぐにでも証明します」
桜の両隣がけたたましく言う中で、ネッズは髭をさすりながら立ち上がるとやかんの方へと足を進める。
「そちらの事情は了解した。だが……」
ネッズはアルコールランプにふたをして、沸かしたお湯をポッドに注ぐ。芳醇なハーブの香りが湯気に乗って彼の鋭い鼻を突いた。髭が引くつく。
「宇宙人との全面戦争を想定している。そうだろう?」
勇子とミュウは言葉に詰まって押し黙る。
同盟に参加するということは宇宙の脅威と戦うことになる。被害がどこまで拡大するかわからない。平和的な解決を講じている間にも、『ノア』と侵略軍は攻め込んでくるだろう。
それ以前に彼らには判断する材料が少なすぎるのだ。
宇宙では『導師』を大義にして軍事力を増強した人々がいて、一方地上でも『導師』を名乗る少女が同盟締結に奔走している現状はどちらもきな臭い話である。
「中佐殿は宇宙での条約締結をどのようにお考えでしょうか?」
「目の前で拳銃を突き付けられて脅された心境だ」
ネッズは端的に言って用意していたティーカップにお茶を注いでいく。
「武力を押し出されては、こちらも対応しなければならない。降伏か、対峙か。考えあぐねいている」
それから、ティーカップとシュガーポッドを載せたトレーを持って、ソファーに戻った。
桜たちの表情は困惑の色を見せていた。
「ご迷惑だったでしょうか?」
「いや。あなた方から情報が提供されれば、善い指針になると考えている」
「こちらにある情報はすべて開示します」
勇子は冷静に言って、自分の前に出されるティーカップを目で追った。
ネッズはティーカップを配り終えると、静かにソファーに座り直した。ハーブティーの香りが部屋を満たし、緊張している空気がほどけていく感じがした。
「それはそうだろう。しかし、我々の社会もそう簡単ではない。情報と時間はもらいたいな」
「そんな悠長なこと言ってられないわ。すぐにも先発隊が宇宙からくるというのに」
のんきにお茶をすするネッズに勇子は焦る気持ちを抑えて発言する。
「敵の動きについて、黒髪のお嬢さんの見解はどうなのだ?」
ネッズはしかし冷静に対応してティーカップを置いた。冷徹な面持ちで知的な雰囲気を帯び始める彼の瞳は厳しくも澄んだ輝きを持っていた。
勇子は思わず桜とミュウに視線を配った。
二人は小さく頷いて言うべきだと視線で訴えかける。自分たちは試されているとも考えられるからだ。
勇子は息を吸ってネッズに向きなおる。
「星との時差や距離はありますが、『ファルファーラ』の時間で換算すれば三日とかからないわ」
「ここを襲撃されるとは限らない」
「でも、他の場所が攻撃を受けてしまいます」
桜は発言した。
「だから、何だというのだ」
ネッズが鋭く言い放つ。緩んでいたはずの空気が一転張りつめた。
「我々のように軍事力を持つ種族ならば対応もできよう。軍事力が無ければ、それまでのことだ」
「そうしたヒトビトを助けるための同盟でもあるのです」
桜の発言に思わずネッズはため息をつく。それは深く、落胆の色を見せるものであった。
「ヒトを救済するための同盟。高潔、尊貴と讃えよう。ならば、我々ネーミラの民は『導師』の夢想の友を救うために命を投げ捨てろと申しますか?」
桜はネッズの気迫に押されて背筋が凍り付いた。思わず視線をそらして俯く。
天秤にかけるのもおこがましい少女の夢のために、彼らは命を燃やすことなどしたくはない。桜たちには寄って立つ土地はない。だからこそ、旅ができるし、種族の里から里へと移動できる。言い換えれば、根無し草の放浪だ。
そんな流浪の生活をする彼女たちがどんなにフットワークを軽くしたところで、すぐに星の裏側まで行けるものではない。桜の発言はこれまでの自信と増長の表れでもあった。同盟を結び、『導師』と持ち上げてくれたからこそできていたことだ。
それが今は宇宙での放送を切っ掛けに揺らぎ始めている。
「確かにこの世界には様々なヒトビトが暮らし、生きては死んでいく。しかし、それは彼らの生活の範疇で収まっていること。侵略軍との戦闘で血を流し、滅びようともほかの種族のライフサイクルには含まれていない」
ネッズは手厳しいことを言っていると思いながらも目の前の少女に問わずにはいられなかった。
『ファルファーラ』の長い鎖国の歴史は簡単に崩せるものではない。同盟を締結するのも、参加種族にとって有益であったからだろう。もしくは侵略軍の戦力をわかっていたからか。
勇子とミュウも押し黙ってネッズを見据える。
「無償の愛で他人を利用しようというのは、おかしな話ではないか?」
「リペット中佐。もうそのような種族内での範疇に収まる話では――」
「強い者が生き残り、弱い者が死に絶えていく。我々も元来、その循環の中にいる。それでも、他者のために命を投げ捨てるあなた方の有様は異常だ。それを自覚しているか?」
割り込もうとした勇子の言葉すら踏みつぶしてネッズは言い切った。
これは規模や現状の話ではない。覚悟の問題を言っているのだ。ネーミラが近代的社会を築いて単純な損得だけでは動くことはできなくなった。桜たちのこれまでの行為、これからの行動がいかに正しくとも、実行する勇気はヒトビトにはないのだ。
超えてはならない境界線を踏み越えようとしている。ネッズは理性で危ういことであるとわかっているのだ。
そして、それを踏み越えた桜たちは如何な想いを胸に秘めているのか。
風にさらわれる木の葉のように流れに身を任せているのか。それとも、周りを巻き込んでいく一陣の風のように突き進む身であるのか。
「盲目な愛など誰も欲しくはないのだ」
ネッズは念を押すように言った。
しばらくの沈黙。
するとハーブティーが冷めようとしたころ、桜は俯いていた顔を上げた。
「そのように言われても無理はありません」
「桜……」
ミュウは開き直ったような彼女の言葉に眉をしかめる。
しかし、桜の怯えながらも真正面にネッズの視線に向き合う。肩肘に力が入った格好でそれでも自分を奮い立たせて背筋を伸ばす。
「しかし、ヒトはとても弱く一人では生きてはいけません。種族単位、家族単位……、傍に大切なヒトがいるからこそ生きていけるのです」
「それを自衛できる最大の単位が社会なのだ。しかし、桜・マホロバ。あなたは世界を守ろうという」
「それほどの危機に直面していると、わたしは思っております」
ネッズは慎重に桜の瞳を見据える。
燃えるような赤い瞳。その神秘的な色艶。
「かつての導師がヒトを束ねたのは、手を取り合い、ヒトビトがともに歩む世界を作りたかったからではありませんか? 痛みも苦しみも喜びも安らぎもみんなで分け合い、乗り越えようと」
「お伽噺の解釈だ。人類学的見地を自分は見出している。歴史がある」
「お伽噺でも、過去の歴史でも、平和を願う信念は違います」
その言葉に桜は強く胸元を掴んだ。心臓が破裂しそうなほど高鳴り、否定される怖さと受け入られたいという願いが心中で渦巻く。
ネッズもまた静かに顎を引いた。
「ヒトは過去から学び、それを未来の悲観としましょうか? いいえ。そんなこと、あるはずがありません」
「リペット中佐。あなたはヒトを救済するための同盟と言ったわ」
そこに勇子がバトンを引き継ぐようにして続いた。
「わたしたちは何も、〔アル・スカイ〕一機とたった三人で世界を救えるだなんて思っていないわ。だからこそ、この星の色んなヒトたちに出会って助け合っていこうって呼びかけてる」
「…………」
「哲学や心理学でヒトは測れない。理性だけで生きているわけではないのだもの。それはあなただってわかると思いますよ」
勇子は透き通った声で言って、デスクにある写真立てに目をやった。
ネッズはその視線の意味を理解しながら、ミュウの方に視線を向ける。
「そちらのお嬢さんは何か言うことがあるか?」
「二人が言ったことすべて、わらわも同じである。それから、こうして話をできるのも、わらわたちがかつて歩み寄ろうとした証拠でもあるのではないか?」
ミュウはカイロを掌で包んだままそう言った。
「子供の理想に、大衆はついていかないぞ?」
「だから、わたしたちは少しだけ前を行きます。わたしたちはただの水先案内人みたいなものですから」
「理想を実現するための?」
「幸せな未来のための目印なだけです。作るのはこの星の皆さまです」
桜は凛とした表情で言った。
どこにも所属しないからこそ空を駆けて、様々な土地を巡り、協力を呼びかける。それはほんの少しだけ道を示すために先を行っているだけに過ぎない。
世界を作るのはたった一人ではない。神様ではないのだから。
「ネーミラの方々も他の国のヒトビトと交流をしてくだされば、わかるかもしれません」
ネッズは桜のセールス文句のような言葉に瞼を下ろして黙考した。
「導師の意味。考えねばならないな」
ネッズは瞼を上げると、桜たちを改めて見据える。
「時間はかかります。ひとまず今日のところは私の家に宿泊願おう」
そういって、ネッズは彼女たちのと対談を切った。




