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スカイ・レコード  作者: 平田公義
特別編
90/118

~低軌道上~ いざこざの男女

 今回はスピンオフです。三篇構成で行こうと思っています。

 時系列的には十一章と十二章の間の物語。十二章で補給物資が落ちた場所が変わってしまう理由がわかる程度のものです。楽しんでもらえたら幸いです。

 シャントッド・コーディルが所属する〔アーク・フォース〕は外交官を故郷に送り届ける任務を終えて、赤道から高度を上げて宇宙に出ようとしていた。


 艦体は反物質流体によって風船のように緩やかに上昇を続けている。ゆるやかな弾道軌道に乗って大気圏を超えると低軌道へと上がった。


 第二宇宙速度まで加速して、重力を振り切るような荒療治を必要としない。だが、『ファルファーラ』の引力圏を脱するのにも推力は必要であり、メイン・ノズルの光が弧を描くように残っていく。


 高度三五〇キロを過ぎると艦内では宇宙航行へと切り替わって、クルーたちは軽くなった重力の中ですいすいと移動していく。慣れた親しんだ無重力であるが、『ファルファーラ』の滞在が長かったからか少しばかり頭痛や腹を下すクルーも少なくかった。


 トリス・カロリもこめかみに手を当てて、ため息をつきながらある場所へと向かっていた。


「ご苦労様です」


 トリスは独房代わりになっている一室の前に到着すると、当番兵に愛想よく挨拶する。


 そこに艦内に微振動が走って、空気が震えるがわかった。


 当番兵が大きくため息をついて、肩にかけていたカービン銃のストラップを握り締める。


「ようやく、お許しが降りたのかい。おや、頭痛か?」


 当番兵は目ざとくトリスの異変に気づいていった。


 トリスはその気遣いを喜びながらも、顔には出さず軽く手をかざした。


「平気よ。宇宙にはすぐになれるわ。それよりもそういう空間にこそ、熟練の操縦者の目は必要だから、彼を出してあげて」

「こいつには同情するが、こっちの身にもなってほしいな」


 当番兵は無重力の中で辟易した表情を浮かべる。彼は操縦者候補として入ってきた男であったが、地上戦への投入はなく、少しすねているのだ。おまけに退屈な任につかされたことも面白くなかった。


 トリスは彼の不満を聞きながら、ボブカットの髪を軽く撫で付ける。


「艦長には言っておきます」

「どうも。それでは、ゲルーナ・リヒター伍長は〇九三二をもって、問題兵の身柄をトリス・カロリ少尉に引き継ぎ、準待機に入ります」

「引継ぎ、受理いたしました」


 二人は形ばかりの敬礼をして、引継ぎを終える。


 当番兵のゲルーナはカービン銃を担ぎ直すと、さっと無重力の中を流れていった。すると、艦内に艦長であるダイジロウ・シューキの放送が入った。


『各員へ、本艦は高度四〇〇キロメートルを突破した。艦内クルーは空気漏れのチェック。アーム・ウェア操縦者、準操縦者は甲板に上がって対空監視』


 トリスは繰り返される艦内放送を耳にしながら、目の前の部屋のロックを解除する。


 扉が開くと、シャントッド・コーディルが簡易ベッドに腰掛けた状態で顔を向けてきた。


「放送聞こえたでしょう?」


 トリスは挨拶を省略して、シャントッドに切り出した。


 シャントッドも状況を承諾しているようで、床を軽く蹴ってトリスの前に流れた。扉のへりに手をかけて、トリスを見下ろす。


「謹慎はおしまいなんだな?」

「ええ。あなたの独断専行はあまり褒められたものではないって艦長からの伝言も受けたわ」

「そうかよ」


 シャントッドはトリスの肩を押しやって、部屋から強引に出ると更衣室を目指した。パイロットスーツや宇宙服があるのだ。


 トリスは身勝手なシャントッドにムッとしながら、その背中を追って肩を掴んだ。


「ちょっと。少しは優しくしなさいよ」


 トリスの身勝手極まりない言葉に、シャントッドは驚きの声を上げた。この女は何を言っているのだろうか。怒りよりも不気味さを感じた。


「その癇に障る言い方。ムカツクんだよ」


 シャントッドは肩で細いトリスの手を払う。それから、手すりを使って上の通路へと上昇する。


「何、何様!?」


 トリスはカッとなって艦橋に向かう通路を外れてシャントッドを追った。


「謹慎食らったからって八つ当たりするの! さっきの当番兵さんは優しかったわ」


 シャントッドは横続きの通路に出ると天井に手をかけて、止まった。上がってくるトリスを睨み付ける。


「ズケズケと物を言って、そのくせ、自分を可愛がれっていうのが女々しいんだよ。だったら、そいつに可愛がられればいいだろう?」

「まぁっ」


 トリスは面食らった。


「まぁって――、なんだよ?」


 シャントッドは呆れた。彼女が自身の身勝手さと理解していないなおたちが悪い。


「なんでわからないの?」


 トリスは天井に手をつくと、身体をシャントッドの前に突き出す。彼女からすれば男を試しているつもりなのだが、その論点は飛躍していてわかるものではない。彼女にはシャントッドが器量の小さい男にしか見えなかった。


「わからないのって――。そういうのこっちは迷惑なんだよ」


 シャントッドは怒鳴ると顔を近づけてくるトリスから目をそらす。彼女から漂ってくる天花粉の柔らかい匂い。その子供っぽい感じがトリス・カロリに似合っていたし、象徴している気がした。


 トリスもシャントッドに急接近して、彼の綺麗な顔つきを見とれた。


 無重力の中で二人は急接近したが、互いが触れることはない。それでも互いの心音が相手に聞こえてしまうのではないかというくらい、鼓動が早なった。


 トリスは広がるボブカットの髪を撫で付けながらシャントッドの横顔をにらみつける。


「器量の小さい人ね。操縦者っていつもそうなの?」

「これでも繊細なんだ」

「神経質なんだ」


 トリスは自分の解釈を口にした。


 シャントッドにとってそれは図星であったから、口元をゆがめて黙ってしまう。


 そうなるとトリスの口は滑らかになって矢継ぎ早に言葉が吐き出される。


「あたし、よくわかんないけど、あなたに興味があるわ。だから、こういう面倒な役もやって見せるし、意見交換もする。けど、あなたったら、卑屈なことばっかり言うのね? それこそ女々しいって言うべきね。昔のセンスだわ」

「ああ、うるさいな!」


 シャントッドは辛抱耐えかねて、トリスの肩を押しやった。


「ちょっと!」


 トリスは無重力の中でくるりと回転したが、天井に手をついて止まった。


 しかし、シャントッドは押しやった反動で反対側の通路へ流れていた。彼の怒りの形相が目に映る。


「その視野の狭い物言いをする女なんか、見ていて気持ち悪いね。自分勝手、わがまま放題じゃないか。オペレータをしていたときのほうがよっぽどかわいいね」

「それは仕事でしょ? ビジネスよ!」

「だから、そのほうがいい」


 シャントッドは壁に手をついて方向転換すると、さっさとトリスから離れていってしまう。好き嫌い以前にウェットな関係など持ちたくもなかった。ドライなビジネスの方が気楽であったし、信頼も置けた。


 トリスは追って文句を言うべきだという衝動に駆られる。だが、シャントッドが自分を相手にしていないことを冷静な頭が悟って行動には移らなかった。


「脈がないんだ」


 その実感にトリスは胸が締め付けられるような苦しみを味わった。挫折感以上に、むなしさがこみ上げて激しく頭の中をかきむしる。


「ビジネスじゃダメなのにさ」


 トリスは小さくはき捨てると艦橋のほうへと体を流していった。


 シャントッドもトリスも互いに言葉を選ぶようなことをしていない。それが互いを突き放しもしたし、互いを理解させようとしている。同時に理想の押し付け合いでもあったが。


                  *     *     *


〔アーク・フォース〕の更衣室では〔AW〕操縦者たちがパイロットスーツを着込んでいた。男ばかりのむさ苦しい空間である。


「宇宙に上がってみれば、雑用かよ」


 ゲーセラック・ガラックは悪態をつきながら、お腹がつっかえそうになりながらもパイロットスーツのファスナーを上げる。


 更衣室には個人のロッカーが並ぶばかりの殺風景な場所であるが、肌で感じる空気の震えは消えない。


 ゲーセラックの取り巻きたちはロッカーを閉じながら親分の機嫌をうかがう。


「しかしですね、やっと宇宙に戻れたんですから、喜びましょうや」

「それにですよ、曹長。コロニーじゃ、戦争しようって話が持ち上がってるみたいじゃないですか?」


 その言葉にゲーセラックは下卑た笑みを浮かべる。


「本当か?」

「はい。トップが代わって、精鋭攻勢の軍隊が新設されたっていう話なんですよ」


 取り巻きの一人もニタニタと笑って言う。


「そいつはいい。また戦争時代が来るなら願ったりかなったりだ。偵察だけじゃ、もの足りないものな」


 ゲーセラックは同僚がいる中でも声を大にして不謹慎なことを言った。


 彼に言わせれば、今回の偵察はお遊びのようなものだ。もっと危険で〔AW〕を際限なく使える環境が欲しくてたまらないのだ。


 着替えを済ませた同僚たちは彼らのズレた考えに嫌気がさして、ため息をこぼす。危険な思考の持ち主がいる。破壊衝動にかられただけの人間は見ていて面白いものではない。


 と、そこにシャントッドが入ってきた。


 ゲーセラックはここぞとばかりにシャントッドに絡んだ。彼にとってはおもちゃのようなものだ。


「少尉殿。ようやくお仕置きは終わりかい」

「ああ。今日から復帰する」


 シャントッドは自分のロッカーを開けると、制服の上着を取りながらほかの同僚たちを見渡す。


「先日は迷惑をかけた。またよろしく頼む」


 同僚たちが軽く返答。可もなく不可もないドライなものである。


 それが普通であり、ゲーセラックのような陰湿に絡んでくるのはやはり異常と言えた。


 ゲーセラックは彼らが少尉待遇のシャントッドに遠慮しているように感じられた。裏を返せば、自分よりも階級が上であることが気に食わないのだ。


 嫌味の一つでも言おうとしたとき、彼は鼻の穴を大きく膨らませてシャントッドから漂う天花粉の匂いをかぎ取った。


「おいおい、無視すんなよ。女の匂いをさせてさ」

「女?」


 シャントッドは目元を引くつかせて、上着に匂いを嗅いだ。


「クソッ!」


 シャントッドは怒りのままにロッカーの中に投げ込んだ。無重力の中で上着が浮かぶ。


 ゲーセラックの無遠慮な言葉遣いというよりも、トリスの匂いがあの短時間で移ったことが気持ち悪かった。頭の隅っこで別れ際のトリスの複雑な顔が思い出されて、むしゃくしゃした。


 神経質になっているのがわかっていても、唾をかけられたように他人の匂いが纏わりつくのは嫌だ。


「少尉殿も隅には置けませんな、ヘヘッ」


 ゲーセラックはシャントッドが何も言い返さないのをいいことに饒舌になる。


 取り巻きたちとつるんで彼を囲った。


「任務が終わってむしゃくしゃしてるのはわかるがね」

「そいつは抜け駆けってもんでしょう?」


 シャントッドは耳障りな男どもの声にイライラを募らせながら、ワイシャツとズボンを脱いでロッカーからパイロットスーツを取り出す。それに素早く足と腕を通して、ブーツに手を伸ばす。


 シャントッドの乱暴な手つきがゲーセラックには不快であった。豚のように鼻を鳴らすと、シャントッドの肩を強く押しやった。


「ん――っ」


 シャントッドの体が狭い更衣室に浮かんで、同僚の一人に背中を支えられた。彼はさせてくれた男に謝罪の言葉を口にした。


 その様子を見てゲーセラックは言う。


「文句があるならはっきり言いな。その態度、ムカつくな!」


 シャントッドはそこまで言われても怒鳴り返すこともない。言い返すだけ無駄であったし、ゲーセラックと取り巻きたちを相手にしていても疲れるだけだ。


 女を嗅ぎ取る鼻はなおも膨れ上がって興奮していた。


「どうなんだよ!」


 耳元で叫ぶゲーセラックに耐えて、シャントッドはブーツを穿く。


「うるさいぞ、曹長」


 すると、一人の男が怒気を含んだ声で仲裁に入る。


 二十代後半くらいだろうか。短髪で愛嬌のある丸い顔や小柄な体格で、若いというより幼く見える。それでも、はっきりとした男の声は脳みそを震わせる力強さがあった。


「いちいち突っかかるな。見苦しい」

「な、何だよ」


 ゲーセラックはそう言いながらも、男の気迫に押された。取り巻きたちも身を転じて、われ関せずといった風体で眺めていた。


 しかし、今度は別方向から壮年の男がゲーセラックたちににらみを利かせて言う。太い眉毛ともみあげが印象的で強固な意志の持ち主に見えた。


「準備が出来たら、さっさと持ち場へ行け。無駄話で時間をつぶすな」


 壮年の男の強い言い方にゲーセラックはぐうの音も出ず、ふてぶてしく自分のロッカーからヘルメットを持ち出すと更衣室から出ていった。


 シャントッドは息をついた。それから、助け舟を出した二人の男を見た。


「ありがとうごさいます」

「お前もその態度を直せよ。士気にかかわる」

「はい……っ。マーゴット中尉殿」


 小柄な男、ソマリー・マーゴットの意見は正しい。


 それでもシャントッドは胸の内にあるモヤモヤ感が払えぬままで、ふて腐れた返答をしてしまう。


 ソマリーが何かを言おうとしたところで、もう一人の男が間に入った。


「そうカッカするなよ、二人ともよ。仕事が先決だ」

「……そうだな。エイハンス」


 ソマリーは壮年の男、ファゴット・エイハンスに同意する。それから、すぐに気持ちを切り替えて更衣室を出ていった。


 シャントッドは彼の背を見送りつつ、また一つため息が出た。と、力の抜けた肩に重くファゴットの手がのしかかった。


「お前も、うまく立ち回れよ」


 ファゴットはそれだけ言うと、シャントッドの肩を押して更衣室の出入り家へと体を流した。


「わかってるなっ」


 ファゴットは出る間際にそんなことを言う。


「わかってる。俺はバカじゃないっ」


 シャントッドがそういい返すとファゴットは聞いたか聞かずか、通路を流れていった。


 シャントッドは一人焼きもちした気分を抱いて、着替えを急いだ。


                  *     *     *


「弾道軌道はしばらく続く。宇宙での作業には慣れてると思うが、気を抜くなよ」


 艦橋のキャプテンシートに座るダイジロウ・シューキは宇宙服を着込んだクルーを見ながら、艦内放送の受話器を肘掛に納めた。


「現在の高度は?」

「高度五五〇キロメートルです」


 航海士が手元のモニタをにらんで言った。


「星を一周して、その弾みで『ノア』の航路を取ります」


 航海士はさらに予定の航路のことを言って、速度計算に入った。〔アーク・フォース〕は地球の引力圏からの脱出を想定された弾道計算はインプットされている。


 が、『ファルファーラ』の質量と運動速度に関する情報は少ない。適宜調整が必要なのだ。


 ゴゴッと微振動が艦内に走った。今までの上昇に伴うものではない。


「まったく、荒い動きだ」


 ダイジロウは艦橋の特殊ガラスの向こうに流れる〔カムシャリカ〕の挙動をにらみつけた。その機体は不用意に装甲を蹴飛ばして、後方へと流れていった。後部の警戒のためである。


「誰の機体だ?」

「所轄の奴がいません」


 火器管制士が隣の空席を見ながら言った。


 ダイジロウはため息をついて、肘掛に保持してある飲料パックを口にした。


 と、艦橋の後ろの扉が開いた。


「遅れて申し訳ありません」

「遅いぞ。何をしていた」


 ダイジロウはトリスのだぼったい宇宙服姿を見送りながら言った。シャントッドの件は承知していたが、出遅れているのをすぐに許すほど情を入れ込んでいるつもりはない。


 トリスはシートに手をかけて、ヘルメットを座席後ろに固定する。それから、短く息を吐いて座席につく。


「宇宙服を着るのに手間取りました。弾道飛行中は揺れるものですから」

「言い訳は余計だ」


 ダイジロウは飲料パックを戻すとぴしゃりといいつけた。


「雑用させておいて……っ」


 トリスはシートにつくと愚痴りながら、モニタを起動させて各クルーの持ち場を把握する。


「出ているアーム・ウェア、表示しろ」

「はい」


 しかし、ダイジロウの催促が飛ぶと、トリスは私情を忘れることに努めた。通信回線を開いて、左右の甲板に出ている〔カムシャリカ〕を見据える。


「こちら、ブリッジ。船外作業中のアーム・ウェア各機は搭乗者名、作業状況を知らせ」


 凛とした声。


 その声は宇宙の中で作業をする人たちには心強い響きに聞こえた。


 艦のブリッジ後方に回っている〔カムシャリカ〕はゲーセラック・ガラック曹長が動かす機体だ。


「こちら、〔カムシャリカ〕四番機、ゲーセラック・ガラック曹長。現在、後部装甲の補強を実施中」

「了解。周辺警戒を忘れずに」

「問題ねぇ。へへっ」


 ゲーセラックは笑って、機体を宙に流す。〔カムシャリカ〕には命綱がされており、後部の鋭い閃光を放つノズル近くでも振り落とされるようなことはなかった。


 だが、機体は噴き出す推進剤の余波でガタガタと不穏な音を立てる。そして〔カムシャリカ〕は姿勢制御スラスターを小刻みに使って、後部の凹みにマニピュレータの狙いをつける。そこから、トリモチ状の装甲剤を発射する。


 着弾するとトリモチ装甲剤は真空の中ですぐにも効果を始めた。


 そこへ、宇宙服と一回り大きなパワードスーツを着込んだクルーたちが慣らしに入る。スーツにあるパワーアームは強靭で熱をおぼているために装甲剤は粘土のようにほぐれて既存の外装に馴染んでいく。


〔アーク・フォース〕の推力に揺れがあるも、彼らは手慣れた様子で作業を遂行していく。


 作業は艦全体で行われており、艦底に出たシャントッドの〔カムシャリカ〕六番機も機銃の固定に協力していた。


「よぉし。ありがとうさん」


 シャントッドは砲塔の溶接作業に入った逆さまの作業員たちを見て、軽く操縦桿を振った。


〔カムシャリカ〕六番機は艦底から離れるとマニピュレータを軽く振って挨拶をすると甲板を滑るようにして艦首へと移動する。


「こちら六番機、艦底の機銃座固定、終了」

「了解。では、艦首スタビライザーの補修作業に回ってください」

「了解」


 シャントッドはヘルメットのヘッドフォンから響いたトリスの声に違和感を感じた。


 先ほどまで理不尽な感情を向けていた娘とは思えないほど、冷静であったからだ。公私混同をしないのは好感が持てるが、少し小賢しいとも思える。


「……上っ面だけはいいんだから」


 そのボヤキはブリッジで作業をしているトリスにも届いた。


 ムッと口元をゆがめるも、不満を口にしなかった。そこまで幼くはないし、仕事の時くらいは不平不満は抑えるべきだと思う。


 すると、観測に出ているクルーの一人から連絡が入った。


「ブリッジ。月の方位から何か近づいてくる。確認を願う」

「了解。艦長」


 トリスは一度ダイジロウの方を振り向いて報告しようとしたが、すでに彼は肘掛けのコンソールを操って天井のスクリーンを呼び出していた。


「通信の内容は聞いていた。作業中のクルーにはまだ伝えなくていい」


 トリスは返事をすると、索敵に入った。指向性レーダーや望遠カメラ、光学センサの複合捜索が始まる。


 ダイジロウは天井のスクリーンに映し出された双子月の片割れと小惑星帯(アステロイドベルト)を眺めつつ、顎に手を添える。


「どういう手合いだ……」


 彼がすぐにも警戒態勢を引かなかったのは、その正体が敵とは限らないと感じたからだ。


現在の〔アーク・フォース〕は『ファルファラー』の自転に沿って航行している。いずれは双子月を通過して、反対側にある『ノア』のスペースコロニー船団へと合流する算段だ。


 宇宙での戦闘を仕掛けるにはこの場所はまだ不安定である。一概に侵略軍と決め付けるわけにもいかない。


 しばらくしてトリスの解析結果が通達される。


「結果出ました。『ノア』の新設人工衛星ポッドのようです。画像、回します」

「頼む。しかし、人工衛星?」


 ダイジロウはなんでまた、と下唇を噛んでスクリーンの画像を見た。


 シリンダー型のポッドで全長五〇メートル。推進装置がついた簡易ポッドである。型番号や参加企業のロゴのがいくつもあった。


 そこに通信士が冷静な声で報告を入れる。


「ポッドから自動発信されている信号からです。ノイズが多くてテキストは文字化けしてますが……」

「ポッドの位置は?」


 ダイジロウは航海士を向いた。


「本艦より約二四〇〇〇キロ。小惑星帯(アステロイドベルト)を抜けたばかりです」

「あそこを抜けてきたのか?」


 ダイジロウにはそのコースが奇怪に思えた。


 わざわざ小惑星帯(アステロイドベルト)の中を行かなくとも、もっと簡単かつ燃費のいいコースはいくらでもはじき出せたはずだ。


「侵略軍を警戒してのことか?」

「本艦との最接近まで一〇分ほどですが、いかがいたしますか?」


 トリスは艦長に判断をゆだねた。


 最接近距離になれば、〔AW〕でも『ファルファーラ』の重力に引き込まれる危険性はなくなるだろう。


「……。ま、上には上の考え方があるんだろうな」


 ダイジロウは一人納得して、姿勢を直した。


「ポッドは無視して構わない。互いのコースに影響がなければ、このままの針路でいく」


 その言葉に操舵士や航海士、機関長が反応して計算をはじき出した。


「問題ありません」

「進路そのまま、ヨーソロー」

「機関出力、維持」


 彼らもようやっと〔アーク・フォース〕の癖をわかってきて、自信をもって言った。


 ダイジロウもクルーの技術には信頼を置いていたから、その声は頼もしかった。


 トリスはそんな先輩たちの働きに感動した。言われたことだけをやっている自分よりも自発的でしかも腕に自信がある。それを信頼する艦長の在り方はなるほど頼もしいと思える。


「どこかの奴とは違うわ……」


 トリスが正面を向くと、艦橋の前ガラスに宇宙服を着たクルーが流れてきて、下へと姿を消した。


「もうちょいと丁寧にやらんのかい!」


 その宇宙服は便底眼鏡に無精ひげの中年男、ビンゾコ・フッサーであった。追加装甲(オーバー・ウェア)の整備を終えれば、艦の修理にも顔出して甲板要員たちをいびるのだ。


「やってるでしょう。こっちと、そっち。バリアーの発振装置をつければいいだけでしょう?」

「いいだけでしょう、じゃないわい」


 ビンゾコは装甲に足をつけて、パワードスーツを着ている宇宙服を見上げた。今は放射線防止用の黒いバイザーを下ろしており、お互い顔などわからない。


「艦全体のケーブルは稼働しておるんだ。間違って切断してみろ、落ちるぞ!」

「そんなヘマはしねぇよ。ったく」


 ジジイに言われなくても、と宇宙服の甲板要員はせっせと仕事に取り掛かった。


 ビンゾコはそれでも鬱屈した気持ちを発散させたくてうずうずいた。


「何だその態度は! 目上にゃぁ気を使わんかい」


 艦首から回ってきたシャントッドの〔カムシャリカ〕がビンゾコの怒鳴り声を聞いた。浅からぬ付き合いがあるだけにいちゃもんをつけられている甲板要員の気苦労はすぐにもわかった。


「あの中年は……」


 シャントッドは仕事が滞るのではないかと危惧して、音声の発信元を頼りに機体を流す。


〔カムシャリカ〕は艦橋の側面に回り込んで、器用にマニピュレータをビンゾコの前に差し出した。


「フッサー整備士、仕事の邪魔はご法度だろうに」

「おお、若造か?」


 いうなりビンゾコは新しいおもちゃを見つけたとばかりに〔カムシャリカ〕の掌に乗った。


「命綱だってあるんだから、動かしにくい」


 シャントッドはビンゾコの宇宙服に繋がっている命綱を目にしつつ、機体を甲板にはわせるようにして反対側へと移動させる。彼の距離感は抜群で、艦橋の顎下を軸にして脚部の先が弧を描いて反対側へと移った。


「ほう、うまくなったじゃないか。ガッハッハ。これも俺のおかげかぁ?」

「調子に乗るんじゃない。あんたはハンガーに下がるんだよ」


 シャントッドは操縦桿を軽く握るようにした。


 それに連動して〔カムシャリカ〕のマニピュレータがビンゾコを包み込むとゆっくりと甲板の方へと降りていった。


 モニタには絡まれていたパワードスーツが軽く手を振り、感謝を示した。


〔カムシャリカ〕も甲板に着地する間際に、空いている腕部を上げて親指を立てて答えた。


「何だと! お前は俺の自由を奪うのか?」


 ビンゾコの怒鳴り声にシャントッドは彼に視線を戻して、相手にも聞こえるように盛大な溜息をついた。


「人をいびり倒して、何が楽しいんだか。あんたはアーム・ウェアを全機稼働状態にするようにしておけよ」


 う、とビンゾコが呻く声が聞こえた。


 それはあまりにも気が遠くなるような延々と続く作業に近かったからだ。同じ機体ばかりいじっているのに彼は耐えられなくなったのだろう。


「艦の修理を口実に逃げるんじゃない」

「そういうがな――」


 ビンゾコが言い訳しているところで、シャントッドは広域センサに強いノイズを見つけた。続いて、ヘッドフォンに響いているビンゾコの声がいつも以上に掠れて聞こえた。


「何だ……?」

「何だって?」


〔カムシャリカ〕はビンゾコを巨大なエアロックの方におろしつつ、センサの範囲を狭める。『ファルファーラ』の大きなシルエットとその曲線に照準を合わせる。


〔カムシャリカ〕が甲板の上で反転して、艦のななめ横に見える『ファルファーラ』を見下ろした。巨大な蒼穹の球体はゆっくりと回ってみえ、宇宙との狭間に目を移せば雲の動きが緩やかに流れた。


 シャントッドはセンサのノイズの大きさに顔をしかめつつ、艦橋との回線を開いた。


「ブリッジ。『ファルファーラ』の方角から何か見えないか?」

「星の方から……? 観測班に確認を取ります。六番機はそのまま待機」


 応答に出たトリスも一瞬困惑の声を上げた。


「了解……」


 シャントッドはその声も相まって緊張する。そうしながらも望遠カメラで索敵を行い、『ファルファーラ』の絹のように滑らかな雲を見送った。


 と、今度はダイジロウのオープン回線での無線が飛んだ。


「総員、第一警戒態勢。『ファルファーラ』側から侵略軍と思われる機影を感知」


 その一言は〔アーク・フォース〕を緊張させた。

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