~大樹~ 木陰の下、落ちる雫
〔アル・スカイ〕が木々に攫われて、桜たちはとにもかくにも機体の下へと行かなければならなくなった。それ以外の方法などありはしない。
大きな力を失ってしまって、これまでにない桜たちは焦燥感と不安に駆られる。
暗がりの続く世界で、自分の足で進まなければいけない。
頭上には九分九厘の光を遮る枝葉の天蓋。その下に広がる暗闇の木陰では、菌類や虫たち、苔が群生して生体発光を淡々しくともしている。虫たちの光るテールライト、キノコ類の不気味な街頭、シミのような苔の道路標識とでもいうべき、光と闇の道筋は幻想的であった。
その中を桜たちは行く。彼女たちの足元を照らすのは半球状の傘を持つキノコである。傘の裏にある細かいひだの間から青白い光を降らしている。和傘のように薄い傘、強かな柄は持ち運びに便利であった。
「暑いですね……」
先頭を進む桜は額の汗をぬぐいながら、つぶやく。
行く道は朽ちた極太の木々のハイウエー。眼下には腐葉土と染み出た水の土壌が闇の中で潜んでいる。外円に見える白銀の山脈は壁のようで、ここが北の冷たい土地だとは実感できない。
「ムシムシする……」
ミュウは気だるい顔をして、最後尾を歩いていた。
山脈から流れ込んでくる風はフェーン現象などで気温が抑えられている。だが、それだけで亜熱帯のような気候が、光も届かない北の大地に形成されるわけがない。
「我慢してちょうだい」
中間を行く勇子ははんなりと振り返る。目元をしばたたかせるのは、いつもしているサングラスがないからである。
「ここは北の大地のはずだっ」
ミュウは地団太を踏むが、苔に足を滑らせる。盛大にしりもちをついて、苦痛に力んだ声を出してしまう。
「もうっ。これだ!」
それから、力の限り叫んでミュウはその場に座り込んだ。
「今日に限って何なの?」
勇子は呆れかえって、ごねるミュウの下に移動する。
先行していた桜も立ち止まって二人の下に引き返す。
「考えてもみろ。今、わらわたちはどこにいると思っておる?」
「暗い、腐葉土の森にいるけど?」
勇子は改めて周囲を見渡しながら、滔々という。
「周りには?」
ミュウがむすっとしながら勇子を睨み付ける。
「虫、かしらね……」
勇子は宙を舞う光の筋を目で追いながら言った。せわしない羽音が耳に入るのはあまり心地の良いものではなかったが、遠くで見る分には赤や緑、時に黄色の光跡が引かれる様は悪くはなかった。
「綺麗じゃない?」
「何を言っておる。虫だぞ? あの、おぞましく、うねうねと、わさわさとする生き物。それも巨大な!この世の醜悪の集大成のようなものを!」
ミュウはキノコの柄を握りしめて、顔面蒼白になる。
虫。ミュウにしてみれば甲虫にしろ、羽虫にしろ、歪に特化された形態は生理的に受け入れがたいものがあった。特に幼虫のようなものは…………、語るもおぞましい。
「わたしも苦手だけど、機体を取り戻すために我慢するしかないでしょう。わがまま言わないでよ、お姫様」
「だって、だって!」
ミュウは声を張り上げて抗議する。
すると、桜が二人の合間に入って小さく告げる。
「静かに。何かきます……」
桜の声にぞっとして、ミュウは口元を覆った。
だが、桜はミュウの手を取ると、自分のキノコをその場に捨てて木の幹から引きずりおろした。
勇子もそれに倣って、ミュウのキノコ傘の光を追って幹から飛び降りる。
四、五メートルほどの高さだっただろうか。苔の生えた樹皮を滑って、微生物が群生する腐葉土に三人はお尻から落っこちた。それがクッションとなってくれて、少女たちは素早く木の下に身を隠した。
「何をするっ」
「声を出さないで」
桜の鬼気迫った声にミュウは押し黙る。キノコ傘を前につきだして壁を作るようにしつつ、三人は息をひそめた。
カタカタ、カタカタ。頭上でリズミカルな音が響いた。
硬いものが樹皮を打つ音だ。その姿は桜たちの位置から見えなかった。
「何なのだ……」
「シッ」
ミュウが不安そうにつぶやくと勇子は短く叱責した。
桜はミュウのグローブ越しの手をぎゅっと握りしめながら、耳を澄ます。今はそれだけが頼りであった。
少女たちの頭上にいるのは強靭なあごをもった節足動物である。桜が捨てたキノコのあたりに触角を走らせて、痕跡を探している。そして、左右に分かれた顎の牙を動かすたびに、ギッギッとばねがはじけたような音を奏でている。
「……」
桜たちは息をひそめ、身体をこわばらせた。
何が引き金となって居場所を知られるかわからない。息を殺し、祈るように三人は体を寄せ合う。
節足動物は頭にある退化した目をわずかに発光させて、暗闇の中を探る。鋭い爪を樹木の朽ちた樹皮に引っ掛け、重たい腹を引きずって前進する。
その際、節足動物の体がわずかに桜たちのいる側面に降った。
桜たちの目の前にガツンと樹皮を噛む武骨な足が現れた。鋭い鉤爪状で、それひとつで顔一つ抉ってしまいそうなほど巨大であった。
「――――っ!?」
桜たちは震えあがった。キノコ傘の明かりで浮き上がる体毛や生々しい艶やかさに全身の毛が逆立つ。
緊張のさなか、勇子は注意深く聞きいていた。地面から沸き立つ落葉の発酵した臭いに頭まで腐ってしまいそうだ。だが、目の前をのそのそと、幾度となく消えては現れる巨体な足から目を離すことが出来ない。
やがて、節足動物は顎を鳴らすのやめると、さっさとその場を去っていった。
桜たちはそれが十分に遠ざかったても、鳥肌が収まらずしばらくそこでじっとしていた。
「はぁ……。森の中に一体何が潜んでいるのか、わかったものじゃないわ」
勇子は震えた声でようやく言葉を絞り出す。足がすくんで立ち上がるのもままならなかった。
ミュウに至っては半べそ気味に桜に肩を抱きしめられていた。
「せめて、道が明るければよかったのですけど……。ミュウ様、もう大丈夫ですよ」
「う、うむ。本当か?」
桜は優しく答えながら、ミュウをエスコートするようにして幹の下からはい出る。
「気を付けないといけないわね。目印があるだけ、まだ気は楽かな……」
一足先に出ていた勇子は暗がりに茫洋と輝く微生物の発光の数々を目にしながら、大樹の城塞のような幹へと顔を向ける。そこはイルミネーションでも施したかのように輝きが強く、木漏れ日の夜空に向かって伸びているのがわかる。
まるでスペースコロニーが縦に突き刺さっているかのような強大さと荘厳さを宇宙育ちの勇子は感じていた。
次いで桜たちのほうに振り返って、キノコ傘の柄を肩にかける。
「姫様。いつまでも泣いてられませんよ」
「わ、わかっておる。泣き言はもう言わん。本当だぞっ」
ミュウは目元をこすりながら、胸を張っていった。食われる側に立たされていることを嫌でも認識させられた彼女は虫の好き嫌いを言っている場合ではない、と痛感させられた。
三人は柔らかい腐葉土の上を進んで、大樹の幹へと歩む。
朽ちた巨木の段差を乗り越えて、今にも折れてしまいそうな丸太の一本橋を渡る。下に目に見えない暗闇の水たまりが広がっているのだろう。激しい水飛沫の音が聞こえては、静まり返り、生々しい骨を砕く音や肉をすりつぶす音が耳に入り込んでくる。
「ん。足跡……」
桜は途中で拾った提灯のような植物を地面に向けながら言う。
綿帽子の先が揺れて、そこについている発光胞子が苔の生えた樹皮に落ちる。そこには動物たちの足跡が残されていた。二股のフォークのような足跡。それもまだ小さく、新しい。
「大樹の方へ向かっている……」
桜はそうつぶやきながら、蹄のつま先が大樹に向かって行進しているのを読み取った。
巨大な虫が生息する場所に哺乳類がいるのだろうか。素朴な疑問が胸をついた。
一方、後に続く勇子たちは横手に壁となっている大木を見上げながら歩いていた。
「これ、まさか、大樹の枝じゃありません?」
「枝?」
ミュウは目を凝らして、光る苔に覆われた樹皮の壁を後ろから前へと眺めた。苔の光だけでは全体像ははっきりとしない。それでも見上げるほど高く、これまで見てきたどんな樹の枝よりも巨大だ。
「まさか……?」
シニカルに笑ってみせるが、ミュウの表情からは不安な色がにじみ出ていた。
「この辺りは、光が届かないのよ?」
勇子は桜の手を借りて、段差を上がると今度は後に続くミュウから灯り代わりのキノコ傘を受け取る。
「普通の木々が光合成ができる環境じゃないわっ」
続いて、ミュウの体を引っ張り上げ、勇子はしりもちをつく。
「落っこちてきたって考える方が自然でしょう?」
「枝でこれだけの大きさだぞ? わらわたちはいったいどれほどの木登りをさせられるのだ?」
ミュウは立ち上がりながら、額に浮かんだ汗をぬぐう。
「はぁ……」
ミュウは喉の渇きまで覚えて、気分もむしゃくしゃしてくる。
そういう気分をため込みたくなくて、パイロットスーツのファスナーを下ろして上着の部分を脱ぐ。素肌が湿った空気を感じ取る。それでも、圧迫されていた胸が楽になって幾分か体も動きやすくなった。
「サバイバルは覚悟の上でしょう? 虫に刺されるわよ?」
「余計なお世話だ」
勇子の物言いにツンとミュウは答えると、キノコの柄を肩にかけて上着の袖をへその前で結んだ。それから、近くの樹木を調べている桜の横につく。
「なにか、あるのか?」
「あ、いえ。この辺りは虫たちが多いなぁと思いまして」
ミュウは言われて、はたと自分の周りを見渡す。目に見えるだけでも羽虫は暗闇の中をヒラヒラと飛んでいる。蝶のように羽がかすかに光る虫もいれば、ホタルのように体の一部を発光させて飛行する虫もいる。
だが、どれも生体発光するキノコや苔に進んで寄り付くようなことはしていない。何かしら、虫を寄せ付けない器官が働いていると思った。
「多いのは今に始まったことではあるまい。何をいまさら……」
桜は目の前の樹皮を伝うようにしながら進み、隣を歩くミュウを見る。
「虫というのは樹液や花の蜜を吸うらしいのですが――」
「なるほどね」
ミュウが小首をかしげていると、後ろから勇子が追い抜いて桜の言葉を遮った。
「虫いるところは大樹の活動する器官が伸びているというわけね?」
ミュウは気難しそうな顔をして逆方向に小首を傾げる。
勇子は立ち止まると振り返って、得意げな顔を見せる。
「うまくすれば、大樹の中に坑道のようなものが出来てるかもしれないってこと。樹液を運ぶのに使っていた大きな器官とか……」
勇子の後姿を追って、ミュウは眉をひそめる。
「裏を返せば、それだけ馬鹿でかい木ということでもある。それに何の助けにもならんぞ。それに……」
ミュウは次の言葉を思い出して、口を閉ざした。考えたくはないことだ。また全身に鳥肌が立ってくる。
見上げても空を覆い尽くす枝葉の夜空。目指す大樹の幹は山ひとつはあろう規模。もし大樹の一部が自分たちの場所にまで来ているとしたら、それはようやっと根元が見え始めてきたということか。
それも大きすぎて自分の視界には収まりきらないほど大きな根っこに。
「わたしはそんなつもりで申したつもりはございません」
桜は勇子を追い抜いて先頭に立つ。
「樹液があれば、少しは体力回復になるかと……」
「飲ませるつもりだったの?」
勇子はぞっとした。
「なにか、不都合でも……?」
「そんなの飲めるわけないでしょ!」
前を行く桜は足を止めて、振り返ると小首を傾げた。
その無知な反応に勇子は首を横に振った。後ろのミュウも勇子の横について肩を上げる。
「そう大声を上げるな」
ミュウの警告に勇子は一瞬気を向けるが、すぐに桜に戻した。
「虫がたとえ、摂取しているからって人間が飲めるものじゃないのよ」
「でも、シロップ……とか」
桜の弱腰の反論に勇子はため息をつく。
「そういう品種で、採取方法もあって加工されてるの。表面に浮き出たものを水あめ感覚で食べてみなさい? ばい菌だらけで身体を壊すわ」
「すでに、ばい菌をふりまきそうな植物を手にしているがな」
ミュウは自分の傘キノコを揺らした。微かにひだの間から胞子が舞い落ちてきた。
「余計なことしないっ」
勇子はぴしゃりと言いつけた。
「サバイバルの覚悟はできておるのだろう? いざとなれば、背に腹は代えられぬぞ」
「それでも安全性は守ります」
「長生きしそうにないな」
右も左もわからない未開の土地でよくも都会っ子のようなことが言える、とミュウは内心思った。
つい数分前までは勇子がいさめる立場であったのに、その豊富すぎる知識故に安全策を講じしてしまう。策士策に溺れる、といったところか。
桜は肩を落としながら、行くべき道に提灯草を回した。
「ここから先、虫が多いということはそれを捕食する生物もいるともいえます。先ほどの巨大な――」
「ああ、やめてくれ。思い出したくもない」
ミュウは待ったをかけた。みなまで言わなくとも、命の危機に面していたことはよくわかっている。
桜は口を閉じて、ナーバスな二人を見比べる。
どうあれ、ここは『ノア』ほど清潔な場所でもなければ、レルカント領に見る透明感は皆無である。ひたすらに大地に沈んでいく腐敗と寄生。暗闇の中で動植物たちの怪しいだまし合いと捕食が跋扈する。
人間が住めるような場所ではなかったし、生理的に長居したい場所ではない。
「ともかく、先へ進みましょう。夜になる前にはどこか休める場所を探さなければなりません」
桜はそういって、足を進めようとした。
その瞬間、頭上で飛び交う羽虫が騒がしく羽ばたく。耳障りな甲高い音ではなく、低音の空を叩くような羽音だ。それが大きな虫の羽音だと直感した。
桜たちはとっさに上に視線を巡らせると、虫たちの光が何かに群がっていく。決して大きくはない。雫がしたたり落ちてくるかのような些細なものである。
「何か落ちてくる」
勇子は虫たちが作り上げる光の塊に息をのんだ。ずっと上を滞空しているだろう低音の羽音が気にもなったし、何より光を頼りに動く彼女たちにはその光は異質であった。
まるでミツバチが作り出す蜂球のような生々しい塊。そこから放たれる光には凶暴なものが感じられた。
「助けて!」
闇の中で悲痛な声が響いた。その一声はさらに別の虫たちをひきつけることになったが、桜たちにも聞こえた。
「今の声は――、桜っ」
ミュウがその声に反応したとき、桜はすでに光の塊が落ちる場所まで駆け出していた。勇子とミュウがそのあとに続く。
朽ちた木の坂道を上り、落ちてくる光にさらに虫たちが集まっていく。その軌道は球体を描くようにして渦巻く。
「わわっ」
桜は足元が真っ暗になったのを見て、急停止。枝先の上で大きく腕を振って、どうにか一歩下がる。
あと少し、あと少しで届く。落ちてくる光の塊は目前にまで迫っていた。
「勇子様、ミュウ様。わたしを支えてください」
桜は近くで飛び回る虫を払いのけながら、駆けつける勇子とミュウに言った。
「ちゃんと受け止めなさいよ」
勇子は腕で顔を覆いながら、虫との衝突を防ぐ。それから、桜の差し伸べる手を見据える。
虫たちが巻き起こす色とりどりの光の旋風が幻想的に桜の白い顔を照らした。
勇子はキノコ傘を放り棄てると、その手を取って次に来るミュウに片腕を差し出す。
「足場がちゃんとせぬぞ」
ミュウは勇子の腕を抱きしめるようにしながら、体重を後ろにかける。
「あなた、重いんだから。体重かけて」
「やっている。うっ」
ミュウは体を縮ませながら、虫との衝突を避けるようにした。
それから、桜は体を半分中に投げ出すようにして、ハンチング帽を受け皿に腕を伸ばした。片足は枝から離れ、体重を勇子とミュウに支えてもらう。
光が少女たちの肌を照らした。
「来ます!」
その掛け声と同時に、帽子の中に重たいものが落ちた。光がわずかに上昇する。
衝撃に三人の体が暗闇の底へ傾く。
「う、がぁあ!!」
ミュウは呻いて必死に踏みとどまる。これまで周りを飛んでいた虫たちが一斉に散って、光が飽和していく。
「もうちょっと……っ」
勇子はミュウの柔らかい胸の感触を頼りに、上体をのけぞらせてその方向に体重をかけていく。
桜は片足と片腕でバランスを保っている状態でただ重くなった帽子を落ちないように握りしめるので手一杯であった。メガネがずれていようと気にしてられなかった。
重力との攻防は一分とかからなかった。
三人の体は暗闇から離れて、湿った樹皮の上に転がる。大きく息を吐いて、冷汗が今になってどっと沸き立つ。心臓も高鳴りっぱなしだ。
「な、何とかなった……な」
ミュウは仰向けにって胸を大きく上下させながら言った。
「腕を締め上げないでよ」
その上にかぶさるようにしている勇子は自分の腕を締め上げるようにして抱いているミュウに言った。
桜は胸の上にある帽子の重みに気づいて、ゆっくりと体を起こしていく。
「何が入っているのだ?」
ミュウは勇子に肩を小突かれながら、四つん這いになって帽子の中の茫洋とする光に注目する。
「わかりません……、けど」
桜もぺたんと座り込むと、投げ捨てていた提灯草を取って帽子を淡く照らした。
三人が帽子の中をのぞき込むと、ふわりと残っていた羽虫たちが舞い上がる。つぼみが花開くように飛散していく虫たちの光。そして、花弁の中央に浮き上がってきたのは――。
「妖精、さん?」
桜はそうつぶやいて、目を丸くした。
ハンチング帽の中でうずくまっているのは翅を生やした小人。勇子もミュウでさえ、その小さな人の存在に目を奪われて嘆息する。
虫たちに食われたのか、着ている服はボロボロであった。それもキャベツの葉のようなスカート生地や背中の大きく肌蹴た花弁の胸当て、頭にはカールをした二本の触角らしきものと眩い黄色の髪がふたつのお団子型にまとめられている。手首や足首には綿毛のシュシュまである。
「う、うぅ……」
その妖精は帽子の中で呻いて、体を丸めるようにした。
そして、ゆっくりと綺麗な金色の瞳を開き、目をしばたたかせるとのぞき込む桜たちの顔を見上げる。静かにその妖精はほほ笑んだ。




