~帰郷~ 王との会食
『ファルファーラ』の昼時になると、桜の疲労感もピークにあった。一日の時間が違うための時差はいまだになれないところだ。
そんな時間帯に取る昼食は少しお腹に重たいものである。メニューは魚介を中心としたさっぱりしたものであったが、桜が直面しているのは精神的な圧迫感である。
「…………」
「…………」
そこは領主が抱える部屋の一つで、来賓を特別に招くための個人的な食堂。海を一望するガラス壁と樹の床、小さなテーブルと一組の椅子は高級感を漂わせる艶があった。
桜は領主であるディード・リック・レルカントと向かい合って座り、彼が黙々と職の手を進めるのをおっかなびっくりに眺めていた。
「どうかなされたか?」
「い、いいえ。なんでも、ありません……」
ディードの丁寧な言葉遣いにも違和感を拭いきれず、桜は一層を肩をすぼめて顔を赤く染めるばかり。白い肌に降り注ぐ日光もまた容赦がなく、日焼け止めをしていても肌がほんのりと赤み座していた。
ふと視線を横に向ければ、帽子掛けに揺れる赤い花を装飾した帽子がある。
「ハイビスカスの花が気になりますかな?」
「え、はい。そういうことにお詳しいのですか。えっと、閣下?」
桜は男の人の口から花の名前が出たことに驚きながら、彼への敬称をどうするべきか模索する。
ディードは堅苦しい顔のまま、一度ナイフとフォークを皿に置くと口元をナプキンで拭いた。その一連の所作からも彼が礼法や作法に通じていることが明瞭にわかる。
桜はそうした作法など知らないから、高貴な美しい手さばきに見える。
「ディードで結構です」
「でも、わたし、導師として認められるようなこと、しておりません。恐れ多いのです」
「フム……」
ディードは顎を引いて一度海の方へ視線を逸らしたが、すぐに桜に戻す。
「まだこちらも、あなたを『導師』様として迎えることに疑問を抱く者がおります。自分もその一人ですので、お気遣いなく」
「では、なぜ、こうも……」
桜はぎこちない言葉運びでディードの真摯な眼差しを受け止める。
彼らが抱く懸念や疑義は確かだ。桜としても『導師』のなんたるかを心得たつもりも、なり切れる自信もない。だから、腰が低くなって食事の手も進まない。
すると、ディードが眉間にしわを寄せる。
「敵ではない、と認識しているだけのことです。その上で、ミュレーヌを送り届けたことへの敬意と受け取ってもらえればよろしいかと」
桜は彼なりに気を使っていることがわかり、息苦しさが和らいだ気がした。
「姫様がいてくださったから、ここまで来ることができました。それに、いろんな花を見ることもできました————」
と、そこで桜は思い出したように続ける。
「あの、ここに私と同じ名前の樹はありませんか? サクラ、というのですけど?」
食い入るようにいう桜の声に、ディードも気を緩めていてから目を見開いて驚きを露わにする。
「いいや、初耳だ」
思わず丁寧口調が崩れた。
ディードは目の前にしている女の子の、あまりに稚拙で幼い質問に動揺を禁じ得なかった。花を愛でる感性を持ちながら、堅牢な機械を操って見せる気概を併せ持っていることが不思議でならなかった。
桜は彼の態度の変化に気付いて、顎を引いて自粛する。
「すみません。変なことを質問いたしまして……」
「構いません。しかし、樹と同じ名前でありますか? 何とも変わってらっしゃる」
「この国では違うのですか?」
習慣や風習が違えば、名づけ方も違う。
彼らがミドルネームに父母の名を継ぐように、名前にも継承される意志や言葉があるのだろう。
ディードは静かに滔々と語る。
「ええ。我々の名はそう……、習慣や願望から取るのです。私は“冷静”の意味を受けました」
「ああ。なるほど……」
桜はディードの静かな物腰を思うと納得の吐息を漏らした。
しかし、と脳裏には彼が名前に縛られて窮屈そうにしている風にも取れる。名前が常に意識させる自制の力が名前にあるのだろう。
「象徴のようなモノです」
ディードが付け加えて、皿に残る料理を口に運んだ。
桜はそれを目で追いながらも、ふと思いつく。
「では、ミュウ様はどのような意味を贈ったのですか?」
「贈る?」
ディードは咀嚼した魚の白みを飲み込んで問い返した。
桜は小首をかしげる。
「何か、おかしなことでも?」
「いいや、名前とは与えるものでありましょう? 贈る、と表現されたのはあなたが初めてです」
「名前は、両親からの最初の贈り物ではないのですか?」
桜はおどおどと言って、確認を取る。
「ミュウ様もそうおっしゃっていましたが?」
「何?」
ディードの顔が一瞬訝しんだ。
名前というのは存在定義をするうえで重要なものだ。そして、名前の由来には親の願望、こうあってほしいという希望が託される。ここまでは双方の認識は同じである。
桜にとって自身の名前は両親が残してくれたものだ。ハッキリとした形で残った素晴らしい贈り物だと身に染みている。ミュウからの受け売りでもあるが、今ではそう思える。
しかし、ディードは眉をひそめて苦々しく口元を歪める。
「なるほど……」
噛み締める様な声音に彼の心境の変化が窺えた。
「そうするとやはり、樹の名前は変わっているのではないでしょうか?」
「花言葉————、あ。ここではお花に様々な意味が込められていませんか?」
「花、言葉? いいや、そのようなことは……、少なくともわが領土にはありません」
ディードは桜の妙なイントネーションの合体語句を聞いて眉間のしわをさらに重ねる。
桜は機嫌を損ねた、と不安な気持ちになって早口なる。
「えっと、桜の樹には“純潔”や“優美”とか、ありまして……。ああ。何て恐れ多いことを——」
桜は自身の名前に込められた意味を口にして、思わず恥ずかしくなる。もじもじと指をからめて、口をとがらせてぶつくさと独り言を繰り返す。
「ああいや、なるほど。こちらと大差ない。そうか。花にも願いが……あるのですね」
ディードは静かに桜の帽子に飾られている真っ赤なハイビスカスを見て目を細める。今までにない安らかで、口元に柔らかさが宿る。
「とても不思議な感受性をお持ちのようだ。だから、ミュレーヌとも息が合うのでしょう」
桜はその他人事のような口ぶりに耳を疑った。
実の娘に対してどこか距離を取って客観的に見てきた風の言葉である。棘をはやした茎に咲く花を遠くから見ているような、触れることなく、その花弁の美しさだけを評しているように。
「あの、ディード王。なぜ、ミュウ様をミュレーヌと呼ぶのですか?」
「娘をどう呼ぼうとこちらの勝手だと思うが?」
急にディードの口調が厳しくなり、桜に向ける顔をも明らかに不機嫌な色を持っている。
桜はその迫力に首筋を流れる汗が凍りついたように冷たく感じた。
「家庭……、の事情です。問題はないです」
家庭という言葉が、ディードの喉に小骨が引っ掛かったような違和感を持って出てきた。
桜はその拍子に気が抜けて、彼の抱えている問題が何か知りたくなった。父親としての顔を見てみたい。そのような欲求が胸中に浮上したのは、ひとえにディードを領主として見過ぎていると感じたからだ。
それに、ミュウのことがあって会食に誘われたのだと思い出す。真意だろう。本心で話してみたいことのはずだ。
「ミュウ様が宇宙に上がられた理由をご存知でしょうか?」
「そんなもの——。知る必要はない」
「あなたに認めてもらいたくて、一人危険な宇宙に出たのです。今は亡きお母様のためとも……」
桜は本当はミュウの口から直接ディードにぶつけるべきだと強く感じる。
今、目の前にする男の顔には何か堪えた様子はない。不安を煽られているかのような、不機嫌な顔をしている。
ディードがグラスに入っている果実酒を一口、音を立てて口に含んだ。ワインの飲み方と同じようで、それが流儀なのだ。
「その話、どこまで聞いた?」
急にディードがどすの利いた声で言う。
桜は怯えながらも、膝をきゅっと合わせながら膝元で手を丸める。
「ミュウ様のお母様が幼いころにお亡くなりになったと聞きました。それ以外は何も」
「…………」
ディードの鋭い眼光が桜の緋色の瞳を見据える。
潤みながらも、しかし、決して逸らさない芯の強い瞳が彼の獰猛な眼を見つめ返す。
「王家の問題で、わたしのようなものが意見するものではないと思います。しかし、ミュウ様はずっと苦悩しているのです」
桜は誠実な気持ちで彼に向かい合った。領主といった権力者にではなく、四人の子をかかえる父親に向かって言い放つ。
ディードには彼女が『導師』の子孫であるかないか見極めようという、業務的な意思が働いていた。だが、それも次第に薄れる。
「義理のお兄さんのことや、自分の立場を憂いても行動を起こされたのです。そうしなければならない、と心に決めておられているのです。それを、ディード様はお気づきになられましたか?」
桜の続く言葉。先ほどまでよそよそしかった桃色の唇が快活に動く。
ミュウのこと。そして、何より父子の間に溝があるのは悲しいと思う心が彼女を突き動かす。王様と皇女の間柄で成立する関係は機械的で、温もりを感じる様なものは一切ない。
言葉を交わして短くとも、その冷めた様子は伝わってくる。
ディードは黙ったまま、しばらく何かを思案するように瞼を閉じる。
桜はそうなっては何も聞こえないだろうと緊張したまま、返答が来るのを待った。
「娘には娘のやり方があるようです。どうやら、私にできることは何もないようだ……」
「そんな勝手に——」
「桜導師、としておきましょう」
桜の言葉を遮って、ディードが語気を強めて言い下す。
「導師としての振る舞いに期待します。では、私はこれで。食事を終えましたら、外におります使用人に申しつけください」
ディードはそう言って逃げるようにさっと席を立った。
「そんなに嫌いですか、ミュウ様のことが?」
桜は背を向けて歩いていくディードに言い放った。
歩みを止めることはなかった。だが、一言。野太くずっしりとした王の声が返ってきた。
「愛してはいないのでしょうな」
それだけだ。
桜はぐっと固唾をのんで、全身の毛が逆立つ。怒りを覚えた。領主という人を束ねる立場にありながら、彼の目にあるのはとても虚しい権威への執着に思える。
桜が恐怖からではなく、怒りから丸めていた手に力を込めて肩を張る。そして、彼の背中を恨めし気に見送る。




