~帰郷~ 思惑が動き出す
「それは本当か?」
「はい。確かだと思います」
ディードが会議から席を立ってしばらく、ジルバードは一人の人物と接触していた。
会議に参加している各長官がホールで食事を楽しんでいるのを背中にしながら、慎重に声を潜めて他の兄弟たちに気を向ける。
「作り物ではないと言い切れるのか? あの雲のような髪をだぞ?」
「手触りなどからは染めた感じはありません。瞳の方も間違いなく。それに、殿方に言うのも、その、憚られるところも……」
ジルバードはにんまりと口の端を上げて、なるほどと小さく口にした。
彼が相手にしているのは、若い女性の給仕。同時に風呂で桜を担当していた湯女であった。
彼女は果実酒の注がれたグラスを彼に渡して小さく会釈をすると何事もなかったかのように立ち去る。
「ご苦労っ」
ジルバードは表向きは給仕に対する労いを込めて、スカートに隠れた張りのあるお尻を軽く触った。
給仕は嫌そうな目を向けて、そそくさと歩調を早める。
「いやらしい人。お金はまだ貰ってないわ」
ちろりと舌先を出して、嫌悪感を吐き出すようにする。
彼女は湯女としての職を持ち、さらに臨時で給仕をすることもある。たまたまジルバードに目を掛けられて、桜の身体について色々と調べるように言いつけられていた。
そのことがスパイ行為だとは思はない。ちょうどいい小遣い稼ぎ程度の認識であったから、軽い気持ちで引き受けたのだ。
ジルバードは若い給仕が年老いた各長官の中に紛れていくのを確認すると、一口渡された果実酒を口に含んだ。
「本物と言うは本当なのだろうな……」
ジルバードはますます桜の事を想像して、気分がよくなる。これからの国の繁栄を司り、象徴する自分と言うのが毎夜見る妄想で終わらない、という自信がついた。
と、長兄のガルダード、弟のボルバルジードがほんのりと頬を赤らめて、酒気を含んだ口を開いた。
「どうした? 粉でもかけてるのか?」
「まぁ、そんなところさ」
「兄貴は年下好みだからなぁ。へへっ。成人もしてない子を手にかけるなよ?」
二人の下卑た話にも、ジルバードは鼻で笑う余裕を見せる。
「問題はない。何も無理やりに、というのは男として恥ずべきことだろう? 食い散らかすわけではない」
「健気な話だが、面白くないな」
ガルダードはジルバードのへらへらした顔を見ながら、ぐっと股座に手を引っ掛けてやる。ぐっと力を込めるだけで大きさと言うのはわかる。
ジルバードがぞわりと全身の毛を逆立てて、長兄を突き放す。脂汗がじわじわと滲み出る。
「兄上――、っつ。場を考えてほしい」
「ハッ! そうかいそうかい」
ガルダードはジルバードのいきり立った感触を思い出して、愉快そうに笑った。
「どうだった?」
ボルバルジードだ。
酒の勢いか、幼稚な振る舞いを見せる三兄弟。周りはただ仲のいい男兄弟程度の認識で気に留めることはなく、男、とくに老体のほとんどが綺麗な女性給仕に眺めていた。
ジルバードはこういう気の抜けた感じを見せるから、馴染めなくなっていた。
「ああ、何か企んでいるな? そうだろう?」
ガルダードが末弟に目を配らせて、次にジルバードへ鋭い視線を射た。
どうも直感にさえるのが長兄の取り柄である。もちろん、すべてが当たりとは言い難い。
「やれやれ……」
「兄貴は女のことを考えているが、あの白い女のほうだったりしてな」
「…………」
言葉を続けようとしたジルバードはボルバルジードの鎌をかける口調に口を閉じる。
「あざといな」
ようやく絞り出した言葉は皮肉を込めていたが、兄弟を出し抜くのは難しいと悟るしかなかった。
お互いがライバルで家督を競り合う仲。互いが互いを牽制している。
ガルダードは静かに手を上げて、お酒を運ぶ給仕を呼んだ。
「抜け駆けは今回はなし、という話だろ。侵略軍のことではお互い協力して見せて、親父からの株を上げるのが目的だ」
「その後でどうこうしようと勝手、とは言ったけど。白い女の子、何かあるのか?」
兄弟に詰め寄られては、ジルバードも黙っているわけにはいかない。
「わかった」
言いつつ、果実酒をぐいっと煽る。
そして、給仕が運んできた新しいものを三人が受け取る。空になったのものは給仕に任せる。
「一応、話しておこう。これも紳士協定と言うやつだ」
ジルバードはグラスを軽く傾けて、二人に目配せする。
そして、三人のグラスが乾いた乾杯の音を響かせる。互いの了承を意味する合図であった。
* * *
「桜、遅いわ」
「いいもの食べてるんだ。そういうことであろう?」
ミュウは表面が固いパンをちぎって、カップに入っているコンソメスープに軽くつけると口の中に放り込んだ。不機嫌そうに咀嚼しては、パクパクと口に運んでいく。しなやかになった食感とコンソメのピリッとした味には満足であった。
勇子は彼女の苛立った顔を向かい合うようにして食事をしているためか、口に運ぶ白身魚の刺身も味気なく感じてしまう。洋風の酸っぱいソースがどうにも舌になじまない。内心で醤油が恋しくなっていた。
彼女たちがいるのは、来客室である。テラスへと続くサッシから眩しい日光と涼やかな風が吹き込んでくる。白いレースのカーテンがふんわりと膨らんではしぼんでいく。
広い間取りに光沢を放つ石材の床、天蓋つきのベット、豪奢な彫刻がほられた机、化粧台、額に飾られたミュウの母親らしき肖像画。部屋は綺麗に整っており、乳母のジェムや使用人たちが日頃から綺麗にしていたのだろう。
彼女らが腰かけている足の細いテーブルとイスは、ミュウが持ち込ませたもので部屋の雰囲気とかけ離れている。
「しかし、姫様。状況はともあれ、領主とお話をしているのですから、うまく桜は取り成してくれるわよ」
「何をだ? あの男相手に一筋縄でいくものか」
ミュウはフォークの先を勇子に突き付けて言う。
肉親の事はミュウ・ミュレーヌ・レルカントが一番よく知っている。堅物のディード・リック・レルカントが『導師』云々の伝説で簡単に動かされる人物である。むしろ、それを逆手にとって利用するのが彼のらしいやり方であろう。
勇子はビキニ姿で食事をして、その上フォークの先端を向けてくる姫君に肩を竦める。
「姫様。あなたのお父様嫌いはわかりました。しかし、その無作法なのはどうなのかしら?」
「今は関係ないであろう?」
ミュウはむくれて、瑞々しいサラダにフォークを突きたてた。
「そのような乱暴な振る舞いをしてはいけません」
勇子が目を吊り上げて注意する。
「口うるさいなぁ」
ミュウはもしゃもしゃとサラダを頬張りながら、勇子の生真面目さに辟易する。
どうすれば、こうも真面目一辺倒に生きられるのか不思議でならない。
「おまけに、服装も地味だな」
「貞淑なだけよ。あなたほど、あけっぴろげではないの」
勇子は自身の洒落っ気のなさに、喉が引き攣るも言葉を返す。言い訳がましく、苦し紛れの返しであるのは自覚している。それでも、どうにも服のセンスはわからない。
ミュウが得意げな顔をする。
「勇子は自信がないだけだ。わらわはどのような服であろうと、着こなして見せようぞ?」
上体を軽く逸らして、胸に手を当てる。
勇子はげんなりした表情で少し失望する。
「初めて会ったときは威厳があったのに……。ドレスを着ていらしたら、きっと品がついてくるわ」
「ドレスは胸もきつければ、お腹もキツイ。コルセットは大っ嫌いだ」
ミュウは勇子の願望を粉砕するようにして言い放った。
「気を抜くと食べたものも戻しそうになるし……、ヒールも歩きにくい……」
加えてそんなことをぼやいた。
勇子はミュウの露出の高い格好はそうした縛り付けるものが嫌いな心情の表れなのか、と内心で膝を叩く。お伽噺のお姫様が俗世に憧れるのは、そういう縛りから解放されたいが故なのだろうとも。
「昔からそうなのですか?」
「当たり前だ。可愛い服を着せられて、屋敷に閉じこもりっきりの生活をしてみろ。屈辱だ」
ミュウはミネラルウォーターを一口飲んで、ほっと一息。
「それもこれも全部、王のせいだ」
「けど、宇宙には特使として出してくれたのでしょう?」
「あれはわらわががなり立てて、適当に判を押したに過ぎない。死のうが、生きようが関係ないのだ」
「そこまで卑下しなくても……」
勇子は不機嫌な顔をするミュウに呆れながら自分も冷たいミネラルウォーターを口に含んだ。
そこへ来客室のドアがノックされた。
「誰だ?」
ミュウが問うた。
「桜です。よろしいでしょうか?」
「自分の部屋だろうに……。入れ」
ミュウの許可が下りると、桜は申し訳なさそうに部屋へと入ってドアを丁寧に閉める。ポールに帽子を掛けるろ、きょどって部屋を見渡しながら、ミュウと勇子がついているテーブルへと足を運ぶ。
「まだ緊張しているの?」
勇子がおっかなびっくりに椅子を引いて腰かける桜に言った。
桜は肩を寄せながら、上目遣いに勇子とミュウを交互に見る。
「このような立派な部屋は初めてで……」
「適当にくつろげでよい。汚したところで、ジェムたちが掃除をする」
「そんな申し訳のない事……」
桜はメガネの奥にある赤い瞳を困惑に揺らす。
「よいか? 貴方は『導師』様だ。それがおどおどと人様に気を使っているのは、さすがにみっともない。もっと胸を張れ」
「姫様はもう少し、大人しくなさった方がよろしいかと」
勇子が凛としてミュウをいさめる。
ミュウは高飛車なぶん、誰かが制さなければ、わがままがすぐにも表立つ。が、桜の態度を改めるのは賛成である。
ミュウが目を細めて睨む横で勇子は凛然として言う。
「しかし、姫様の言うことも一理あるわ。状況が状況なのだから、元気にしていた方がいいわ。いつ、また敵が来るともわからないし」
当面の懸念はそのことである。
ミュウも厳しい顔つきになって、腕を組む。豊満な胸を持ち上げるようにしながら、自然な雰囲気で話し出す。見栄を張っているわけでも、自慢しているわけでもない。
「対策会議が開かれているとは言え、わらわたちは蚊帳の外。やはり、独自に動くしかないか……」
「一休みしたら、近海の偵察に出てみましょうか?」
勇子は目元を擦りながら提案する。
桜は二人の堅苦しい戦術論に興味はなく、ひと壁に飾られている肖像画に目を向ける。椅子に腰かけて微笑む女性。ゆったりとした線はやわらかく、優しい感じがした。油彩画なのか、グラデーションが強い。
「この人がミュウ様のお母様、ですよね?」
「ん? そうだ」
勇子との話を区切り、面倒くさそうに答える。
「優しそうなお方ですね?」
「わらわが生まれる以前の画だ。このころは元気だったと聞く」
「そっくりです、ミュウ様に」
「当たり前だ」
ミュウは少し照れくさそうに肯定する。母に似てたおやかで、品のある容姿で優しい雰囲気を持っているとよく言われてきた。
その反面、内面は父親譲りだと同じように言われたのを思い出して気持ちがなえる。常に評価されるごとに父親のことが引っ張り出されて気分が悪い。
しかし、桜はそんな彼女の嫌悪感に気づく由もない。
「確かに優しそうな人ね」
勇子は羨ましそうにつぶやく。
ミュウは誇らしくなって、流暢になる。
「お母様は若い頃、弓で数百メートル離れたサメを射止めたと聞くし、銃では猛牛を一撃で仕留めたとも聞く。ああ、結婚以前は武道にも熱心だったそうだ」
「思った以上に、その、活発な人だったんですね……」
桜は話を聞いて、おしとやかに微笑む肖像画の女性が銃を担いで誇らしげにしている姿を想像する。
「姫様の行動派なのはお母様の影響ね」
「無論だ。お母様は、わらわの憧れだからな。いずれ、わらわもお母様のように立派になりたいものだ」
ミュウはしみじみ思い、小さく頷く。
その時、ドアが勢いよく開け放たれた。
「姫様、た、大変でございます」
桜たちは席を立って、ドアに寄りかかり肩で息をする乳母のジェムを凝視する。相当に急いでいたのか、ついに床に手を着いてしまった。
「ジェム、どうした!?」
ミュウが厚底のサンダルながら、素早く彼女のもとに駆け寄って背中を擦る。
「は、はい。姫様、おお、お伝えしなければ……」
「どうぞ」
勇子がグラスに注いだミネラルウォーターを差し出す。
ジェムは息を切らせながら、ゆっくりとそのグラスに手を掛ける。
「あ、ああ。申し訳ございません」
それから、一気に水を飲み干す。
「一気に飲んだら、体に毒だ。落ち着いて」
ミュウは彼女の背中を擦りながら、心配そうに瞳を潤ませる。
桜も跪いて、ジェムの様子を見守る。
「は、はい。ですが、大変なのです」
ジェムはゆっくりと深呼吸をしてこの場にいる三人の少女に目を配らせる。
「え、沿岸に侵略軍が接近との話を耳にいたしまして……」
「本当か!?」
ミュウは声を荒げて、ジェムの肩を掴んだ。
「はい。はい。この耳ではっきりと防衛長官殿の言葉を聞きました。ディード王は迎え撃つ準備を進めておりますゆえ、姫様は避難をと……」
ジェムが懇願するように言った。
しかし、ミュウも桜も勇子もその願いだけは聞けなかった。利益云々を考えるよりも、ここの〔マリーネン〕では太刀打ちできないと知っているからだ。
「すまない。ジェムはすぐに街の人たちの誘導に回ってくれ」
言うなり、ミュウはジェムから離れて部屋を飛び出していった。
「お待ちください、姫様! ああ、導師様も付き人様までも」
「申し訳ございません」
「ごめんなさい。お食事、ごちそうさまでした」
桜と勇子は後ろめたい気持ちもあったが、ジェムにそういうとミュウの後を追った。
彼女の言葉が真実なら〔アル・スカイ〕を出すほかない。
しかし、少し進んだところでミュウが立ち止り、遅れて桜と勇子が止まった。
彼女たちの前にはミュウの兄たちが立ちふさがっていた。
一色触発の雰囲気が立ち込める。対峙する両陣営はその視線を絡めて硬直した。
太陽を遮る厚い雲が流れて、昼間の明るさを奪っていく。




