~抵抗~ 民族の壁
大きな切り株の上にテントが一つあった。切り株は〔アル・スカイ〕が着陸時に切り倒した樹木のもので、テントを立てててもまだ余裕があるほど広い。
そして、切り株が根を張るのは苔、地衣類に埋もれた泥炭である。暗く、じめっぽい地質はとてもサバイバル用のテントなど組み立てられる環境ではない。
その周囲ではカエルのような鳴き声、鈴虫の奏でる音、加えて大きな羽虫の羽ばたく音。ゲコゲコ、リンリン、ブンブンと盛大に奏でている。
ミュウ・ミュレーヌ・レルカントは薄いテントの壁越しに聞こえる原生動物の大演奏に目を吊り上げて、寝袋から起き上がる。体中が痛み、頭は重く、気怠い。今だ抜けきれない眠気にあくびを一つして、固い床を撫でた。
「まったく……」
ミュウは一つ愚痴って、うなじに手を回して寝汗を拭う。むしむしとする気候で蒸れて仕方なく、身体もぐっしょりと汗でぬれている。
テントの壁にも朝陽の光があり、朝だということが理解できる。
ミュウは左右を見て、桜がいないことに気付く。それから、眉根を寄せて寝ている勇子を見つけてため息をこぼす。
「桜は先に起きたか?」
ゆっくりと伸びをするとほっと脱力する。しばらくぼんやりして、行動を起こすきっかけを探る。どうしても、起きてすぐに何かをする気にはなれない。
きゅぅ……。
ミュウはお腹が嘶くのを聞いて、ようやっと四つん這いで出入り口に進む。後ろの方で、勇子が何かうわごとを言っているのが聞こえる。
「あ、あう、重い……」
そんなわけのわからない寝言にミュウは肩を上下させて、出入り口のチャックを開けて外に出る。
ふっと鼻を突く青臭さに眠気がふっとぶ。ドブのような地面から湧き立つ強い臭いは、潮風に抱かれて育ったミュウからすれば酷いものである。
「がぅ……。虫が多い。あたりは臭いっ」
ミュウは愚痴りながら、外にあるブーツを履く。耳のあたりを羽虫が飛び交い、それらを手のひらで払いながら立ち上がる。
「……?」
ミュウはこれから向かおうとする個所に目を凝らして、首を傾げる。
薄い朝霧の向こうにある切り株の群。その一つに帽子をかぶった桜の姿を見つけることができた。朝食の支度をしているのか、機材の調整をしているように見える。
その後をちょこちょこと付けるさらに小さい人影があった。
「誰だ?」
ミュウは口の中でつぶやいて、つま先を軽く叩いてブーツの調子を合わせるとその切り株へと歩んでいく。テントと桜のいる場所へは樹皮を敷いて桟橋を作ってある。
昨日に〔アル・スカイ〕を使って置いたものだ。
と、桜はポータブルストーブにかけていたコッヘルを取ったところで、ミュウに気付いた。
「あ、姫様。おはようございます」
「うむ。それよりも、その小さいのは何だ?」
ミュウは切り株に足を踏み入れると、桜の陰に隠れる人影を指差した。
人影は特徴的な長い耳と二つの尻尾を立てて、毛を逆立てている。ゴロゴロと喉を鳴らして、にらみを利かせている。可愛げのない。
桜は眉間にしわを寄せているミュウに愛想笑いを浮かべる。
「あの、この子はこの近くに住んでいる女の子で、ニィ様というそうです」
ミュウは鼻を鳴らして、女の子、ニィから視線を外す。
折り畳み式のキャンピングチェアを一つ手にすると、ポータブルストーブの近くで展開して腰を下ろした。
桜はそれを見て、ボックスからカップを取り出し、コッヘルの中身を注いだ。滑らかな湯気が上がる。
そして、ミュウへと配給する。
「どうぞ、姫様」
「ふむ。スープかの」
ミュウはカップを両手で支えながら、空腹を誘う匂いを楽しむ。
「はい。ニィ様もどうぞ」
「ありがと」
そうしている間にも、桜はキャンピングチェアを用意して、ニィに座らせる。それから、彼女が大事そうに持っているカップにコッヘルの中身を注いだ。
ニィはその白くふんわりとしたスープに野菜の影を見つけると目を輝かせた。
ミュウはその様子を見つめながら、ぼそっとつぶやく。
「馴れ馴れしい。煮ても焼いても食えんだろうに……」
「ん。あいつ、嫌い」
ニィが長い耳を立てて、ミュウを睨みつける。
桜はボックスから非常食を二つ取り出して、二人に配る。おどおどとした様子でニィとミュウを見比べて、口を開く。
「あの、非常食ですけど、どうぞ」
ミュウは非常食のパックを受け取り、その逃げ口実を使う桜に問うた。
「桜、説明してもらいたいのだが?」
「えっと、作業機械が防衛行動に出てしまって、だから、お詫びもしなければいけませんし。朝食もまだのようで」
おずおずと桜は言いながら、ニィの方に回って非常食のパックを渡した。
「あいつ、導師様に酷いこと言ってるよ?」
「お姫様ですから」
ニィは不服そうに口をとがらせて、愛想笑いをする桜を見た。彼女からすれば、桜はもっと敬われる立場にあると思っていた。その容姿が英雄的であるからこそ、思わされることである。
ミュウは眉を吊り上げながら、スープを一口すする。野菜の風味とクリームの味わい深さ。チャウダーと呼ばれるスープで、口いっぱいに甘味が広がり、その中でほぐれる貝の肉がミュウには嬉しかった。
「良い出来だ」
「ありがとうございます」
桜はニィに非常食のパックを開けて、中の乾パンやピーナッツバターを出す。パックは広げて皿代わりに。そこへ束になっている乾パンをちりばめ、ピーナッツバターの容器のふたを開ける。
ニィはその手つきに興味津々で、二本の尻尾をゆらしながらチャウダーを口に含んだ。瞬間、電流が走ったように体が飛び跳ねる。
「あつっ」
「大丈夫ですか?」
「ちょっと熱かったけど、平気」
心配そうにのぞき込む桜にニィは舌を出しながら答える。ざらざらした舌に息を吹きかけて、冷ましている。
桜はそうですか、と案じながらも身体を引いて、ぺたんと切り株に座り込んだ。
ミュウが乾パンにたっぷりのピーナッツバターをつけて頬張りながら、鋭い目つきでニィを睨みつける。その容姿には聞き覚えがあったし、何よりこの樹海に生息しているのが妙に気に食わない。
「ファルフェンか? そこのお前?」
「ファルフェン?」
桜はミュウの聞き覚えのない単語を繰り返して、彼女に顔を向ける。
ニィはチャウダーのカップから口を離して、口の周りをひと舐めする。そして、ミュウに向けるのは敵意むき出しの鋭い眼光である。またゴロゴロと喉を鳴らす。
ミュウが一つ短い息を吐き出すと真剣な口調で言う。
「わらわたち同様この星に住む一種族だ。が、その誕生経緯はわらわたちの祖先と別の種族の祖先の、いわば混合種というやつでな。淫奔だともっぱらの言い伝えだ」
ニィは言葉の意味を正確には理解していなかったが、ミュウが高みから貶している風情を感じ取っていた。一族を侮辱されるのは、どこの種族とて怒りを覚えることである。
「そっちがそう思ってるだけ」
「あざとい子どもだ。導師にべったり引っ付いて、尻尾を振って」
ミュウは理性的に言い返した。ムキになっているところを見ると、やはり幼生なのだろう。
ニィはぴくりと長い耳を立てて、ミュウの言葉に反応する。それから座ってポータブルストーブにかけているコッヘルをかき混ぜている桜に視線を向けた。
「やっぱり、導師様……。だったら、どうして、ニンゲンがいるの?」
「案内役である。もう一人、導師の連れがいるのだが、そちらもニンゲンの形をしているぞ」
ミュウは勝ち誇ったように告げる。
ニィが悔しそうに口をとがらせて、乾パンを口の中に放り込む。パサパサするのが、どうにも気に食わない。かといって、ピーナッツバターのような濃いものをたくさん口の中に入れるのも下が変になりそうだった。
ミュウはその反応が『導師』に対する信奉があるからだと確信する。もちろん、『導師』なる存在が伝承でもニンゲンか、はたまたファルフェンのような混合種、多種族か明言されていない。だが、特徴である白髪や深紅の瞳、白い肌を知っていれば桜がそうであると確信が持てる。
ミュウが自信をつけるのは、自分たち『ファルファーラ』のニンゲンが『導師』と同じ種であることを誇れるからである。何の根拠もないことだが、それで優劣が決まると感じている。
その心情を察したかのように桜がミュウに少し怒った顔を見せる。
「姫様、大人げありません。もっと寛大なお心をお持ちください。わたしたちの目的をお忘れですか?」
「う、む……。言うようになったな」
ミュウは口の橋を吊り上げて、桜の態度に不満がこみ上げてくる。
一国の姫として見ながら、ニィの尊厳を守ろうとする姿。考えようによっては傲慢な話であるが、それゆえに彼女は自身の役割を自覚しているように感じられた。
『導師』という不確定の存在を体現するために。その動向には喜ぶべきところであるが、彼女をうまく制御できるようにしておきたいという欲があった。
桜はニィに向き直って、微笑む。
「わたしたちはあなたの暮らしを知りたくてこの地に来ました。正体不明の機械が各地を襲っていること、ご存知でしょう?」
「大人たちは何か知ってるかもしれない。けど、あたしは知らない」
「そうですか」
肩を落とすニィに桜は柔らかく答える。
しかし、その反応を含めてニィには凶兆を感じざるを得ない。『導師』の英雄譚を寝物語に育った子どもの想像力は、容易にこの土地に危機が迫っていると作り上げる。彼女が敵の存在を知って、この地に舞い降りた。そして、この地に争いが舞い込むのだろうと予期させる。
傍目からチャウダーを啜りながら見ているミュウも、ニィが何を考えているのか近い感覚を持てた。
「だから、わらわたちはこの地に来る厄災を取り除くために、あのマリーネンを使うというわけだ。諸々を含めて、お前の代表に会いたい。お目通り願いたい」
そのために来たのだろう、とじれったい桜を一瞥した。
桜はミュウに軽く会釈して、ニィに向き直る。
「姫様の言う通りなのです。どうか、あなた様が住む場所へ案内していただけませんか?」
ニィは困惑しつつ、チャウダーを最後まで飲み干して気持ちを落ち着ける。あれこれと考えて、ふと座っている巨大な機械〔アル・スカイ〕を見上げる。
水色の空と明るい日差しを浴びた顔。機械ながらに凛々しさと気風があった。
「アレは連れていけないよ?」
「はい。あの子にはここに残ってもらいます。綺麗な森をこれ以上切り倒したくありませんから」
その桜の言葉を聞けば、ニィも大丈夫だと自信がついた。
〔アル・スカイ〕を乗り回されては、生活範囲が脅かされて死活問題になってしまう。桜の配慮は正しいもので、お伽噺の『導師』を思い起こさせる。
ヒトの心を理解している、と感じた。
彼女は自然を愛している。この緑生い茂る場所を気に入ってくれている。
「だったら、導師様をあたしたちの村に招待する。みんな、きっと驚く」
「妙な騒ぎにはするなよ? 猫猿」
ミュウがキツイ口調でニィに警告する。
それにはニィも敵意をむき出しにして威嚇する。
「煩い、ニンゲン。口汚いニンゲンは嫌いだ」
「このくっさい場所でのうのうの暮らしているファルフェンが言っても説得力はないぞ」
ミュウとニィは互いに唸り声を上げて、牽制し合う。
桜は二人の間に入って咎めるも、その剣幕は目に見えて凄まじい。猫と犬が爪を突き立て、牙をむき出しにしているような威圧感があった。
『ファルファーラ』の種族間が閉鎖的なのが、桜にはわかる気がした。
互いの生活圏の違いを受け入れられないのだ。生理的なものかもしれない。知性をもってしても越えられない動物としての本能がそうさせるのなら、悲しいことだ。
「おやめください。口喧嘩なんてみっともないですよ?」
桜が気勢のある声を上げて、二人を制した。
それでミュウもニィも一応は唸り声をやめるが、恨みを宿した瞳は互いを寄せ付けない。
桜は自分が成そうとする目的の大きさを痛感させられる。民族同士の共存は多くの課題が潜んでいる。相互理解という言葉を達成するには、一つ一つ自分の目で見定めなければならない。だから、桜・マホロバは『導師』という立場を成した存在の偉大さを思う。
現地に足を運んで、それを知ることは彼女の身に余ることだとも。




