~抵抗~ 南の島の雲霧林
朝日が昇り始めた。地平線から上る太陽が、青々とさざめく深い森を照らす。
そこは『ファルファーラ』の赤道直下に位置し、四つの大陸に囲まれた群島の南端にある島。熱帯雨林らしい性格を持った土地で背の高い樹木がひしめき合っている。木々の間をつる植物や着生植物が渡り、まるで蜘蛛の巣のように四方へ張り巡らされ、絡み合っている。
その下は太陽の光をさえぎられ、ほの暗く湿っぽい空間、雲霧林となっていた。朽ちた木々を憑代にコケやシダ、藻が群生している。朝霧が立ち込めて、朽ちた草木の匂いが立ち込めている。昼間でさえ光が遠い世界。空から見た時の青々とした木々の大地とは裏腹な、じめじめと蒸し暑いばかりの異界である。
「…………」
枝葉が揺れる。複数の移動音が木々に伝播し連動する。
その環境で暮らす生き物はいる。
昆虫や鳥類、爬虫類には住み心地のいい場所であったし、何より天敵となる動物が少ない。とはいえ、この森を自由自在に行き交い、集落を形成している知的生命体は一種しかいない。
ザザッ。タッタッタ……。
木々の枝と枝を器用に飛び、つるや着生植物で作った天然の橋を渡る数人の影。姿勢を低くして、二本の足で歩き、二本の手で枝を支えにして体を押し出す。
人間の姿をしていた。
その人影は指先の爪を立てて地衣類、いわゆる菌類で滑りやすくなった樹皮を掴みながら軽快な足取りで進む。
と、彼らの目指す先に木漏れ日が見えた。木々をカーテンにして、その隙間から朝日が差し込む。どうやら森が開けているようだ。
「…………」
「…………」
差し込む光に目を細めながら、人影は小さく手でサインを送りながら進む。その誰もが体が小さく、まだ子供と言える未熟な体つきである。
中でも一番小さく、遅れていた人影は前を行く人たちについていくので精一杯だった。
そして、彼らは開けた土地の手前で集まり、枝葉で体を隠す。澄んだ朝露の香りが彼らの鼻をくすぐり、眠気を覚ます。
一番小さい人影がその中に割って入り、枝葉の合間からその先を覗き見る。
「————あ」
思わず、声が漏れた。
朝日を浴びる巨大な人。身体の半分を朝霧に浸している。四つの角を生やし、純白の兜で頭を多い、煤けたマントで体を隠して座っている姿は神々しさすら感じられた。光のない四つの瞳が木の葉に隠れる人影を見ているようでもあった。
周りには切り倒された木々があり、その暗い足元に目を向けて、人影は目を凝らす。
暗い日陰と朝霧で視界が悪い。だが、僅かに動くものを見逃しはしなかった。霧が波打って、移動しているのがわかった。
咄嗟に人影たちは頭を下げて、息をひそめた。気付かれたのだろうか、と心臓が早なる。
この土地に何かが降り立ったという噂が集落で流れて、彼らはそれを確かめずにはいられなかった。その正体を探ることを長や大人が咎めても、彼らは秘密の冒険に出かけて現在に至る。
恐る恐る顔を上げて、今一度地上を見下ろした。
動きはない。金色に輝く霧の草原が揺らめくばかりで、動いている者を見失ってしまう。
彼らは互いに言葉を交わすことを控えて、目配せして今後のことを模索する。残るか、立ち去るか。そもそも目の前の巨人が有害であるかどうかも、わからない。
「…………動いた」
短く小さい人影が言った。声を落としていても、その高い音域は皆の耳に届いていた。
シュルル……、と巨人の胸元から金属の綱が垂れて霧の中に浸された。
その様子に全員が固唾を飲んで見守る。幼い人影たちは全身の毛が逆立つのを感じた。ざわざわと頭から身体の先端まで駆け巡る緊張感。
そして、垂れ下がった綱が巻きあげられ、霧の中から何者かを引き上げる。
朝陽に照らされたその人物を目に入れた瞬間、茂みに身を隠す人影たちは呆然とした。
雲のような白く柔らかい髪、ミルク色の肌、深紅の瞳。小さいながらも女性らしい。まだ若いと感じられたのは、質素な服越しでもわかる張りや肌の艶やかさを確認できたからだ。
「導師様……?」
誰かがそうつぶやく。
お伽噺に出てくる白い救世主様。この世界を束ねたと言われる英雄。その特徴を兼ね備えた人物だ。彼らがそうまで思ってしまうのは、集落でも若く白毛をした女性はこれまで見たことはなかったし、何より熟した果実のように赤い瞳など誰が持ち得ようか。
白い少女は巨人の張り出した装甲をよじ登って、肩まで移動する。それから朝日に背を向けて、体で影を作り手のあたりで光るものを見ている。
幽玄な少女の佇まいを覗き見ている人影たちはそこでやっと思考が動き出す。
彼らが目にしているものが真実であるなら、早く集落の者たちに伝えなければならない。その使命感があった。
しかし、その美しい純白と胡乱な赤い瞳に魅入られていた。このままずっと彼女を見ていたい気持ちが沸き立つ。根拠のしれない胸騒ぎ。雌雄関係ない嫌な予感が、さっと頭の中をかけた。
その時、白髪の女性がまっすぐに赤い瞳を枝葉に隠れる者たちへ向けられた。
「にげろっ」
声を殺して、彼らは慌ててその場を離れる。あの赤い瞳は確実にこちらを捉えていた。枝が軋み、葉がこすれる。音が立つのも気にしていられない。
「あ、あう」
一番小さい人影は仲間に突き飛ばされて、枝葉にしがみついてそのせわしい移動が終わるのを待った。
「あの、誰かいらっしゃるので?」
背後から声。綺麗な女の子の声だったが、少しイントネーションが変な言葉づかいだった。
仲間が過ぎ去るのを待っていた一番小さい人影はびくっと体を震わせて、枝に体を乗せて走り出そうとした。だが、その正面に平べったい金属の塊があった。
「————っ」
悲鳴を上げそうになった瞬間、その金属の手先から閃光が走る。バチッと音を立てて、焦げ臭いにおいがふと鼻の奥を刺激する。
だが、その時にはその人影は細い枝葉のクッションに体を横たえて気絶していた。
「誰か倒れたのでしょうか?」
白い巨人、〔アル・スカイ〕の頭部に手を添えながら、白髪の少女、桜・マホロバは視線の先に目を凝らす。
ちょうど、〔アル・スカイ〕の肩部の延長線上にある枝葉の房が大きく上下して、止まるところだった。何かしらがいる気配は目覚めたばかりの桜でも感じ取れた。
まだ涼しい朝の気温。この時間に活動している動物を観測した覚えはない。
桜は手首にしているアクセサリ端末を操作して、バブルスクリーンを呼び出す。
「索敵の範囲内で、二六号が電気ショック?」
映し出されているのは、警戒態勢に入っていた作業機械の動作状況だ。今、桜たちのいる場所半径三〇〇メートル内に作業機械たちが配備されてバリアとなっている。センサによる索敵装置でありアクティブな迎撃装置である。
桜はバブルスクリーンと揺れていた枝葉を交互に見て、不安な気持ちになる。近くにまで何かが近づいていたという恐怖もあったが、こちらの様子を窺っていたと思うと攻撃的な性格ではないと感じている。
だから、作業機械二六号機の早急な防衛攻撃は気分が悪かった。
「もう少し考えなければ、いけませんね」
桜はそう言って、端末のスイッチを切り〔アル・スカイ〕の頭部にある出っ張りを利用して頭頂部のハッチから操縦席へ体を滑り込ませる。
コンソールを操作して、機体に火を入れる。静かに唸り、起動プロセス簡略化させて、簡単な操作を桜の手中に集約する。
「腕を上げるだけでいいの。お願い」
桜は左手に映し出されたウィンドーモニタの光景を見て、ゆっくりと操縦桿を握る。細かい動作をバーチャルコンソールで調整しつつ、フットペダルで出力を調整。
〔アル・スカイ〕はぎこちなく左腕部を震わせて、ゆっくりと上げていく。絹のようなしっとりとした霧を巻き上げて、左腕部が朝陽に照らされていく。その手先のマニピュレーターは樹木の枝をへし折って、バキバキと乾いた音を立ていく。そして、腕を肩と水平の高さに合わせる。反応のあった枝葉の房を持つようにしてマニピュレーターを固定する。
ウィンドーモニタに目を向けていると、茂みの中から作業機械が姿を現し、腕部の上でそのハサミのようなマニュピレーターを上げている。
「…………はぁ」
桜はその様子にため息をついて、シートを足場にハッチから上体を出す。〔アル・スカイ〕には火を入れたままで、手首のアクセサリで簡単な操作を行えるようにしておく。
高所の温かい日差しに一度体を伸ばしてから、足元に置き付けながら頭部を降りる。高い位置にいると地面の方が涼しいと一層実感できた。肌にねっとりとした汗が噴き出してくる。
桜は慎重に伸ばされている〔アル・スカイ〕の腕の上を渡って、高い木の枝にたどり着く。足元の作業機械が電子音を発して、警戒するように促している。
「あまり、音を立てないでください」
桜はできるだけ下を見ないようにして、枝葉にかき分けてそこに倒れている人物を見た。
「この子、ですか?」
ぽかんとして桜は網のように広がる細い枝に横たわる人物を言った。
木漏れ日に照らされて浮き上がる人型の姿態。だというのに、頭からは兎のような耳が垂れ下がっており、さらに猫のような尻尾が二本生えている。麻布らしい簡素なワンピースで、顔立ちも幼く見える。どことなく女の子っぽい、と桜は思った。
「この子なんですか?」
桜は足元を過ぎてその生命体のもとにつく作業機械にもう一度問いただした。
作業機械はそうだというようにハサミ型のマニュピレーターを上げて訴える。
桜は深くため息をついて、とりあえずこの子を介抱しようとその体を抱き上げる。触った感触からも人間の肌に近いものがあり、息遣いも安定している。
そのことが余計桜の中の動揺を大きくした。




