~跳舞~ 朝焼けの水遊び
周りは暗く、一つの二次元ディスプレイだけが発光している。オシロスコープ状の波形が流れて、声を解析する。
『そちらの位置は了解した。任務遂行に期待しているよ』
「はい……。ですが……」
勇子は〔アル・スカイ〕の操縦席で『ノア』でバックアップを取っているオリノ・ロンナスと交信していた。人工衛星による秘匿回線での通信なのだが、ノイズが激しい。それは決して『ノア』による妨害や傍受によるものではなく、この星が持つ特有の磁気の影響もあった。電離層が不安定で、周波数を合わせるのにも一苦労である。
ヘルメットをしたままとあって、顔が蒸れて仕方ない。バイザーを上げて、すっと頬の水滴を拭う。
オリノのため息交じりの声が歪に聞こえる。
『目的地から南西に数百キロ離れたくらいでクヨクヨしない。機体の損傷も大げさでないのなら、のんびり北上すればいい』
「しかし、『ノア』のアーム・ウェア部隊が降下するとなっては急がないといけませんでしょう?」
勇子はオリノからもたらされた最新情報を繰り返して、余裕がないのを実感する。『ノア』が侵略目的で降下してこないとはいえ、〔アル・スカイ〕を危険視していることに変わりない。
接触は避けて、早く原住民との交流を計らなければならないと勇子は焦る。早急に行動を起こさなければ、勇子たちと『ノア』の降下部隊との派閥形成が出来上がって対立状態を作りかねない。
オリノもその危険性を見抜いていたが、それは主題ではないと位置づけていた。
『気にするな。あわよくば、居座ろうとする連中のやることなんてたかが知れている。それよりは英雄様のご帰還をいろんなところで知らしめれば、問題はなくなる』
「それができるかどうかも、わからないんですよ」
勇子は英雄役をすることになっている桜に務まるのか、いまだに不安であった。
『ま、気長にやりな。せっかく、星に降りたんだろう? キミも外の空気を吸った方がいい。それじゃ、また連絡する』
勇子は慌てたが、すでにオリノとの交信は切断されていた。
一人狭い操縦席で大きく息をついて、ハッチを開いた。強い潮の香りが鼻孔を刺激して、眉間にしわを寄せる。
ほの暗かった内部に外の光が差し込んで、少し目を細めた。それから、重い体を持ち上げてゆっくりと外に体を出した。
その先には高い青空と果てしない水平線が広がっていた。勇子の知らない海の姿である。
「…………」
勇子は高揚感を押さえながら、ヘルメットを外した。まとめていた髪がはらりと梳けて、風に揺れる。
潮騒の音。潮風のべたつく感じは『ノア』の持つ清潔さとは程遠く、嫌悪したいものであった。だが、これが星の息吹なのだと納得できる。温室育ちであっても、星の持つ生命力が自分を包み込んでいると理解できた。
ふと視線を下げれば、海岸でぽつんと白い髪をなびかせている少女の姿があった。
「桜ぁ!」
「————はぁい! 何ですかー!」
勇子の呼びかけに、桜はのんびりした様子で振り返って〔アル・スカイ〕を見上げた。メガネの位置を直しながら、脚部を伸ばして座る〔アル・スカイ〕を見上げる。その胸部に勇子の姿を認めた。
「ああ……。何でもない!」
勇子の発言に桜は小首をかしげて、わかりましたと声を張り上げて返答する。
それから、機体のあちこちを動き回っている作業機械たちに目を配った。あのカニ型の作業機械はまるで壁を登る蟻のように機体に入りついて、修理作業をしている。戦闘の傷跡は小さいものの、彼らの小まめな整備は必要不可欠だった。
桜は一通り眺めてから、ゆっくりと海の方へ視線を戻した。
眩しい朝の陽ざし。水平線に引き込まれていく雲の流れや乾いた空気が持つ清々しさ、熱気に心が震える。
「まったく、ここはどこなのだ……」
と、そこに〔アル・スカイ〕の影からミュウがふくれっ面をして、桜のもとに近づく。自慢の甘栗色の髪をさっと払って、パイロットスーツのファスナーを下げていた。朝方の気温は涼しく、体中汗ばんでいる彼女にはいい清涼剤である。
「ミュウ様」
「うむ。海が面白いのか?」
「はい。こんなに広いだなんて、わたし初めてで————」
桜は横につくミュウを見てから、すっとひざを折ってグローブを外す。それからさっと砂浜を撫でて、指先で砂粒の感触を確かめる。
「暖かくて、さらさらしてて、こんな土を触るのも初めてです」
「なるほどな……」
ミュウは桜の言い分に返答して、水平線を眺めた。
見知らぬ土地から見る海の眺めに、何となくもの寂しさを覚える。ここには誰もいない。いわゆる無人島である。点在する無数の列島から切り離された、住んでいる生き物と呼べるものもいない砂の島。
蒼穹はどこまでも続き、紺碧の水平線とさざ波の揺らめき。深い青だけが支配する海の冷たさだけがあった。ここにエメラルドグリーンで彩られた浅瀬があったなら、ミュウは故郷を思い出していたことだろう。
「あそこには海も砂浜もないものな」
「はい。波というのも、不思議です」
そういって、桜は寄せては返す海水を追っては退いてを繰り返す。単純なものであったが、黒く染まった砂の固い感触やさざめきの音、塩を含んだ泡から逃れることは新鮮でならなかった。時折打ち上げられる海藻や流木にも目を光らせている。
「これが導師様を演じるのか……」
ミュウは波間ではしゃぐ桜を見て、重いため息をついた。戦闘を終えて、さらにこの島に着くのにも相当の体力を使った。もうへとへとだ。
だというのに、目の前の純白の少女ときたら子供のようでとても英雄の風格など持ち合わせていない。だが、彼女が何かに関心を持って喜んでいるのをミュウは初めて見た気がした。
少なくとも『ノア』にいた時の桜にこれほどの元気や好奇心はなかった。
と、背後から砂を踏みしめる音が近づいてくる。重々しい足音に誰であるかすぐに特定する。
「ご苦労だった、勇子。オリノはなんと?」
「ええ。気長にやれ、とのことです」
ミュウの横について、勇子は辟易した表情を浮かべる。その黒髪を撫でながら桜の様子を見る。
桜は波と戯れながら、時折跳ねる水しぶきに驚いている時だった。
「何をしているのです、彼女?」
「さぁ? 勇子は海に関心はないのか?」
「資料で見てはいましたが————、しかし、何とも臭い場所です」
「ああ、そういう感じ方もあるか」
勇子が辟易しているのは、海の匂いが苦手なのだ。海藻類が打ち上げられてもいたし、管理された空気の中で育った彼女には少し刺激的だったらしい。
同時に、ミュウが『ノア』の環境に落ち着きがなかったのは、清潔な空気にさらされていたからだと思う。水とか土の匂いに馴染んでいたからこそ、それらが取り除かれた空気に馴染めなかったのだろう。
ミュウは手を後ろで組んで、うんと胸を張った。肩のあたりが鳴る。
「これからどうする?」
ミュウが勇子に言った。
「今日はここで野営します。サバイバルキットはありますし、今日は休みましょう。ここの時間にも慣れないといけませんし」
「そうなるか……」
「お急ぎのところ、申し訳ございません」
勇子はミュウに向き直って、慇懃に頭を下げる。もともと彼女の祖国近くに着水する予定が、離れ小島になってしまったのだから。
「わらわは死んだ身なのだから、祖国で心待ちにしている者もおるまい。気長にやればよい」
ミュウは微笑んで、桜の方へと駆けて行った。
「桜っ」
「姫様、うわっ」
桜はミュウの蹴りあげた飛沫を手で防ぐ。そうしている合間にも、足元に波が打ち寄せる。
目を瞬かせて、桜は高笑いするミュウを見た。
「アッハッハ。どうした? 水遊びも知らないのか?」
両手で海水を救い上げると、盛大に桜に浴びせた。弾ける水玉が太陽に煌めいて、宝石のように舞う踊る。
「あう——。ちょっぱいっ」
メガネがズレて、さらに唇を舐めると塩辛い味が口の中で弾けた。
桜は海水の味がこんなにも辛いとは思いもよらず、口をすぼめる。
ミュウはニヤニヤと笑って、態勢の崩れた桜に連撃を浴びせる。水のはじける音が心地よく鳴り響く。
「こうするだけでよい。わらわの戯れに付き合え。楽しいぞ?」
「は、はい」
桜はミュウの気まぐれな性格に付き合って、へっぴり腰に水を掛け合う。遠慮がちなのは彼女が姫様であり、目上だと感じていてのことだ。
しかし、ミュウは容赦なく海水を掬い上げては桜に浴びせる。その勢いに押されて彼女が倒れれば、また大笑いする。海の冷たさも心地いい。
その二人の戯れを傍で見ている勇子は髪を撫でながら、ほっと息を吐いた。
「姫様も大変だ」
そうつぶやくのは、ミュウが帰国に対してあまり希望を持っていないように見えたからだ。一応、彼女は宇宙で行方不明扱いにされているが、死亡したというニュアンスの方がしっくりくる。
故郷ではどうなっているのか、という不安がミュウ・ミュレーヌ・レルカントにはあるのだろう。
戦いで疲労、抱えている不安。その重圧に押しつぶされまいと、何かで紛らわしていないと苦しいのだろう。だから、水遊びに興じているのだと勇子は思案した。
と、彼女がふと目を伏せた瞬間、びちゃっと顔に何かが叩きつけられた。顔に絡まるそれは、打ち上げられた海藻である。
「アッハッハ。ぼうっとしておるからだ、阿呆め」
腹を抱えてミュウが勇子を笑った。
「あの、姫様、これはちょっと……」
浅瀬で起き上がった桜は困惑して、盛大に笑い声を上げるミュウと絡まった海藻を払い取る勇子を見比べる。
そして、勇子が鋭い眼光でミュウを睨みつける。そして、海藻を砂浜に叩きつけるといかり肩でミュウに向かう。
「姫様っ。これは不躾ですよ」
「おお、こわっ。ぽつねんと一人しておるのが悪い」
「あなたって人は——っ」
勇子はざぶざぶと水に入ると、思い切り海水をぶちまけた。
「ほれ、反撃だ」
「は、はい」
ミュウと桜はその飛沫に身構えながら、応戦する。
真剣な顔つきで迫る勇子はそれに負けじと果敢に攻める。
三人は気の向くまま、風の向くままに水遊びを楽しんだ。戦いのことも、故郷のことも、『ノア』の動きのことも忘れて遊ぶ。そうしていることが幸せだと感じられる。
〔アル・スカイ〕はくたびれあように頭部を少し下げて、少女三人が戯れる波打ち際を眺めていた。あたかも彼女たちを見守るかのように。




