~勧誘~ 居酒屋話
「いやぁ、一度やってみたかったんだ。ああいうこと」
オリノは嬉々として、手に持っているジョッキを掲げる。ビールの黄金の輝きと雲海のように膨らんだ泡は彼女を祝福するように冷え切っていた。
その様子を対面の席で正座する桜と勇子は困った顔をして様子を窺う。
「あの、ロンナスさん……」
「ん? これからは所長と呼びなさい、星許」
オリノはへらへらと笑って、ビールをあおった。
「では、所長。なぜにわたしたちはこのような場所に……?」
「…………」
桜たちはあたりを見回してはさらに眉間を顰めてしまう。
木霊する歓迎の声、賑やかな談笑、木製の床、座布団、テーブル、壁に掲げられたメニューや色紙の数々、だるま、こけし等々。こぶしの利いた歌がスピーカーから流れている。
つまみを肴に酒盛りをする場所。空襲の被害を免れて、コロニーの修繕が忙しくなる中で憩いの場として夜の営業をしっかりとしている。来客のほとんどが建設業から解放されたとび職の人で、身の上話に花を咲かせて楽しんでいる。
桜と勇子は人生初めてこんな賑々しい場所にきた。驚きもあったし、どこか居心地が悪い。
対してオリノは半分を飲みきったジョッキをテーブルに置く。
「別に深い意味はないさ。お酒が飲みたかったし、ここのメニューは手頃だったし」
「はぁ……。いわゆる、居酒屋という場所ですか?」
「東洋の人なのに知らないなんて。どうせ、洒落たバーでウィスキー片手にかっこつけるのをお酒の飲み方とか思ってないだろうね?」
「そ、そんなことはありませんよ」
勇子は酒の席など一度だって出たことないし、十五年生きてきてアルコール類も口にしたことはない。だが、そういうのは大人の社交場としてもっと質素で格式高いものだと想像していたのは事実である。
桜に至っては外食そのものが初めてで、御座敷席がどうにも落ち着かない。さらにテーブルに並べれたつまみを見ては空腹が襲いかかる。
オリノは枝豆を一つとって慣れた手つきで粒を口に放り込みながら、料理に手を付けない少女たちを見る。
「遠慮しなくてもいい。うまいものは食べておけ。奢るからさ」
「あ、あの、わたしは————」
桜は緊張の面持ちで改めてオリノを見た。気持ちはもやもやして、どうしても彼女の行動が理解できなかった。
「あの、どうしてわたしを助けてくださったのですか?」
「わからない?」
オリノはそういうなり、テーブルに肘をついて手のひらを反して人差し指を向ける。悪戯な笑みを浮かべて、右目のモノクルが煌めく。
「所長、行儀悪いです」
「真面目だね」
オリノは箸を上手に使って、モツ煮込みを口にする勇子に軽口に返す。
桜は二人の様子を見ながら、遠慮がちにお冷を一口飲んだ。
「けど、狙撃の腕は微妙だったね。ちゃんと指示通り、ボンネットに当てなよ」
「過ぎたことです。いきなりレーザー兵器を渡されて撃てって言う所長の気がしれません」
勇子はへらへら笑う上司に厳しい視線を向ける。彼女が桜を助け出す決断をした時、自分はついていくべき人を間違えていなかったと確信していた。人助けのために動ける素晴らしい人だと疑いようがなかった。
オリノお得意のクラッキングを電気自動車に搭載した小型端末で行い、桜を連れ去った自動車を追跡するのは簡単なことだった。
だが、彼女の荒療治的な解決手段は手痛い筋書き。普通、拳銃もろくに扱えない少女に何百年と前に製造されたレーザー狙撃銃を渡して、五〇〇メートル先の自動車を撃てというのがそもそもおかしい。
訓練も受けていない勇子にとってその距離は遠い。肉眼では停車している自動車が米粒ほどの大きさ、遮蔽物のない直線コース、電子スコープの拡大映像ではっきりと見えてもトリガーを引くのが重々しく感じられた。
オリノはお酒に酔ったのか、目が据わっている。
「気がしれないのは幼気な少女を商売品に扱う連中だろう? あたしはまだまだ、その辺は良識があると思っているよ。桜もそう思うだろう?」
同意を求めらて桜はびくりと肩を跳ね上げて姿勢を正す。それから、体を引いて床に指先をついて頭を下げる。
「そのせつは、本当にありがとうございました」
「よしてよ。好きでやったことだし、君もああいうのは嫌だろ?」
オリノの言葉に桜はゆっくりと顔を上げて、躊躇いがちに口を開く。
「わたしには拒否する権利はございません。仕方のない、ことだったと受け入れます」
「…………はぁ。お酒の席で暗くならない。あと、頭上げて」
オリノは呆れた風に言って、ビールをさらに口に含んだ。
残り半分を一気に飲み干して、乱暴にジョッキをテーブルに叩きつけると身を乗り出して桜に顔を近づける。
顔を上げた桜は目を丸くして彼女を見つめる。
「自意識っての言うのを持ちなさい。誰かに言われたからやるだけじゃ、生きてるって言えるの? あんたは三歳にしてこう言ったんだよ」
勇子は咎めようとさし伸ばした腕を止めて、彼女の言葉を待った。酔った勢いとはいえ、桜の素性を知るいい機会だと思った。いや、オリノが彼女に対して特別な期待をかけている理由を知りたいのだ。
それは桜も同じで、三歳の自分が一体オリノに何を言ったのだろうか、と興味がわく。気がつけば心臓が高鳴り、頬が熱くなる。
オリノは垂れ下がった前髪を軽く払いのけて真摯な瞳を向ける。
「生きていたい。そういって、あんたは生き残ったんだ。なのにこの体たらく……」
桜は胸の内が冷えていくのを感じた。
生きていたい。ただ、この世界で『生きる』ということを望んだ。それは誰かの言いなりになって、道具のように扱われて終わる日々を夢見ていたわけではない。三歳のころに願ったのはそんな無感情な人生ではなかったはずだ。
固まっていた勇子が険しい目つきで二人の間に入る。
「所長、酔ったんですか? 口が過ぎます」
「本当のことを言ったまでだよ」
オリノは肘をつくのをやめて、体を正すと焼き鳥に手を伸ばす。
勇子は焼き鳥を頬張る彼女を一瞥して、隣で暗い顔をする桜の肩に優しく手を置く。びくりと桜が震えて、顔を即座に向けてくる。
雲のように白い肌とサクランボを思わせる愛くるしい瞳、生糸を思わせる白い髪が揺れる。
「気にすることはない。わたしは桜に意志がないだなんて思わないわ」
「あの…………」
桜が何かを言いかけて口を噤む。オリノの言うとおり、自意識など持ち合わせていない。そんな自分を勇子は違うと言ってくれる。
気持ちがわだかまるのは、感情的に肯定できても理性では否定しているからだ。どちらに傾くことなく、常にニュートラルに自我を守ろうとしている証拠だ。
それでも、この時ばかりはうれしくて、心臓が苦しくなるような不思議な暖かさを覚えた。
勇子は小さく頷いて微笑む。
「あの時、〔アル・スカイ〕が現れる直前、手をひいて飛び込んだのは桜でしょ?」
数時間前に起きた空襲でのことだ。
桜は勇子とミュウの手を引っ張って、奈落の底を思わせる大穴へと飛び込んだ。そこから〔アル・スカイ〕が出現するなど考えてなどいない。ただ、空から降り注ぐ光から逃れるため、手を握った人を助けたいと一心で飛び込んだのだ。
桜にとってそれは偶然の産物で、評価に値することとは思わない。
「ありがとう。あなたがいなかったら、どうなっていたのかわからないわ」
勇子は本心から彼女に感謝する。肩に乗せている手をのけて、静かにお冷に手を伸ばす。
「これで、二度目になるね。私の場合は」
そういって、勇子はお冷を一口飲んで、しみじみと染みわたるのを感じた。
桜と初めて出会った時のことを思い出して、自分の至らなさが招いた結果を悔やみながら、彼女の勇気ある行動を称賛する。
勇子は桜が誰かのために動ける、優しい子だと知っている。たった二回の助け。命を救われた大きな恩義である。
「あ、えっと……」
桜はなんと返していいの変わらず言葉に詰まる。先ほどまで悶々としていたものが、潮騒のように引いて胸のつかえが取れる。
それでも答える言葉は見つからない。
すると、オリノが含みのある笑みを浮かべる。
「フフッ。やはり、お似合いね。あとはお姫様だけか……」
「へ? お姫様って――」
勇子は目を見開いてオリノを見る。
お姫様、と言う単語には桜も心当たりは一人しかいない。
オリノは刺身を一切れ食べてから、真剣な顔で言う。
「そうだ。ミュウ・ミュレーヌ・レルカント皇女を引き入れる。あの子は見込みがある。特に狙撃主としてな。それに今後のことを考えると『ファルファーラ』人の協力も必要になってくる」
「何を企んでるのですか、本当に?」
勇子は辟易した様子で肩をすくめる。
確かにミュウの狙撃の腕は、偶然かもしれないが〔アル・スカイ〕のハープーンの腕を見る限り勇子以上の力を発揮できていた。
オリノは店員を呼びとめて、追加の注文をし終えると向き直って言う。
「三人そろったら話そうかと思っていたが、それだと納得しないか」
桜はおずおずと口を開く。
「わたしや、勇子様、姫様をロンナス様はなぜ集めるのでございますか?」
その言葉にオリノは勝ち誇った笑みを浮かべる。
「未確認勢力を打倒する。そのために〔アル・スカイ〕を『ファルファーラ』へ送り込もう、と考えている」
桜と勇子は信じられない言葉を耳にして目が点になる。この不安定な情勢で『ノア』から〔AW〕を送り込んでは余計な混乱を巻き起こしかねない。
だが、オリノには彼女たちが『ファルファーラ』へ降臨しても問題はないと考える。
特に桜は自身が至らない存在だと信じてやまないだろうが、〔アル・スカイ〕の操縦者として一番の実力者だ。そして、もっと隠された素養を持っている。
『ノア』にとっても『ファルファーラ』にとっても有益なものだ。
「驚くのは無理もないが、詳しいことはお姫様を迎え入れてからだ。とりあえず今日は二人の編入祝い、と言うことで」
オリノは店員が持ってきたビールジョッキを目で追いながら、楽しそうに受け取る。
「乾杯」
ジョッキを掲げて、また一気にあおった。
桜と勇子は目の前のスーツ姿の女性が道楽者のように思えて仕方なかった。
「わたしたち、大丈夫かな?」
「えっと…………、申し訳ございません。お答えすることは、わたしには無理です」
困惑する二人を差し置いて、一人ことがうまく運ぶことに喜ぶオリノであった。




