~勧誘~ 少女の価値
オリノと勇子、ミュウを乗せた電気自動車は何のあとくされもなく去って行った。
期待したつもりではなかったが、桜の心には不安と寂しさが停滞して、落ち込ませた。虫の知らせだったのかではないか、と今はそう思う。
勤め先の事務所に帰ってきたが、そこにはもう彼女の居場所はなかった。空襲による被害を受けたわけではない。むしろ、その被害のおかげで勤め先の建設公社は日光をより込む窓の修理から、都市の大改装までてんてこ舞いだった。
だが、その混乱状況を利用して儲けようとするものはでてくる。
桜はクビを宣告されると同時に次の身元引受人のところへ満足な身支度もなしに、黒塗りの電気自動車に押し込められた。
そそくさと逃げるように発進して、数分。
電気自動車は外壁のシャフトを降りて、薄暗い内層。まばらな照明と作業用の重機用の特別道路から外に繋がる小さなエア・ロック、俗にポートと呼ばれる場所へと続く道がアリの巣のようにめぐっている。
「あの……」
桜は車中で弱々しく運転席の男に尋ねる。しかし、バックミラーから見えた彼の高圧的な瞳に俯いてしまう。
手元にしている手錠がライトの光に反射する。重々しい黒塗りの手錠はがっちりと彼女の細い手首に巻きつき、束縛している。乗った時に施錠されて、逃げられないよう細工が施されている。
諦観しかなかった。自分が商品として売られていくことを理解して、この先にどんなことが待っていようと受け入れるしかなった。
しばらく桜を乗せた電気自動車は内層を走り、一軒の施設へと到着した。ひっそりと隠れるようにして佇むそこは寂れた外装をしていた。木の幹から飛び出したこぶのような外観からは光は一切なく、不気味な雰囲気を醸し出していた。出入り口らしいものはない。窓もない。ただのオブジェと勘違いしそうなものだ。
「…………」
「降りろ」
桜が茫然と車窓から見ていると、後部座席が先に降りた運転手によって開けられる。
彼女はおっかなびっくりに数少ない荷物が入ったトートバックを手にして降車する。ひんやりとした空気が頬を撫でる。モーターの静かな駆動音でさえ、この空間ではよく染みわたって聞こえる。
戸惑う桜を運転手の男は強引に腕をつかんで引っ張っていく。
すると、のっぺりとした施設の外壁に区切りができ、ハッチとなって開放される。
「おお、届いたか」
そこから一人の男が嬉々とした様子で足早に近づいてくる。私腹を肥やした中年男、というのがぴったりな印象。ボールのように出た腹や短い手足、どっぷりと垂れたのど元、淀んだ瞳、今にも張り裂けそうなスーツは自堕落を主張しているようなものだ。
「はい。こちらの白いのでよろしかったでしょうか?」
運転手の男が桜を放り出して確認を取る。
「あ……」
桜はバランスを崩して、肥った男の胸に飛び込む形となった。
男に受け止められると、水風船のようにはった贅肉の感触にぞわりと全身の毛が逆立つ。鼻に来る痛烈な異臭はこれまでに嗅いだことのない生臭さを持っていた。
肥った男はその短くも力強い手で桜の両肩を掴むと引きはがしてまじまじと観察する。ぎょろつく爬虫類のような眼が嬉しそうに歪む。
「ああ、これだこれだ。長いこと欲しくてたまらなかったんだよぉ。鑑定書は、あるかね?」
「こちらに」
そういって、運転手の男はスーツの胸ポケットから一枚の封筒を取り出した。
「おお、おおっ。いやぁ、なかなか手が出なかったんだが、今回の襲撃は実に好機だった」
それを受け取った肥った男は桜を掴む手に力を込めて、激しく揺さぶった。まるで新しい人形を与えられて喜ぶ子供のように。
桜は帽子とメガネがずれ落ちそうになるのを気にしながらも、ぼやけて見える男が買い取り人だと認識する。
「あ、あの……」
「あぁ。聞いたかい? この子の声を。何て弱々しい」
肥った男はとろける様な笑みを浮かべて、桜をまじまじと見つめる。
「しかし、ちゃんとエサを食べていたのかね? この体は?」
「うっ——」
震えのおさまらない桜にさらに掴む力が加えられる。骨が軋み、痛みが脳髄を貫く。
苦悶の表情を浮かべる彼女に、肥った男は呆れた風になって運転手の男を見た。
「こんなんじゃすぐダメになっちまうんじゃないのぉ? 髪も痛み放題で短い、目玉はまぁいいだろうが」
肥った男はおもむろに桜の帽子とメガネを捨て去って、訝しんだ顔を向ける。
酒臭い口臭がツンと鼻を刺激する。桜は目のまでぼやけてみるものが肉塊に見えて仕方なかった。今にも口腔を空けて、食い殺そうとする化け物に映って仕方ない。
男は鑑定書に目を通して、怯える桜に目を向ける。
「まぁ、処女だっていうんだからそれなりに価値はあるかぁね」
「風俗にでも出すので?」
運転手の男が呆れた風に言う。彼の仕事はこうして人を連れてきては、目の前の男から運送料をいただくこと。その後の拉致された人の行先は、不当に赤線にいられらるの常だ。
しかし、肥った男はしわくちゃな笑みを浮かべて言う。
「それもあるが、知ってるかねぇ? アルビノの髪や目玉とかはまじない品として高く売れるんだよ。髪はもう少し伸ばしてからにするとして、先にこの目玉はくりぬいておかなきゃぁな」
「あ、あ……」
桜は顔面蒼白になって言葉を失った。
殺される。それだけじゃない。弄ばれた挙句、身体をバラバラにされて剥製同然に扱われる。そんな死に方を誰がこの好もうか。
心臓が破裂してしまいそうなほど高鳴る。全身から冷や汗が噴き出す。喉の奥が引くついて、悲鳴も上がらない。
ああ、もうだめなんだ。
桜の頭の中で諦観がゆったりと降りてくる。これまで散々道具のように扱われて、最後は本当にただのモノに成り下がるだけ。これまでと何が違う。これからなどないのに、この先に何が起きようと希望は潰えていたはずだ。
いいや、あの時、オリノの誘いを受諾していたらあるいは。
桜は後悔と諦めで思考する気力も失せ始めていた。泣くこともなく、ただ力を抜いて何もかも彼らに任せるしかなかった。
せせら笑う声が聞こえる。運転手と肥った男に憐れみも慈悲もない、本当に出来の悪い粗悪品を嘲笑するような声音だった。
すると、この内層にあの声がこだまする。
「面白いことをいう。何なら、こちらで高く買い取ってやろうか?」
「え————っ」
桜は生気を取り戻して、周囲を見渡す。
男たちも警戒してほの暗い空間で目を凝らしている。彼らの目には、しかし何も見えない。わずかな照明とラインの引かれた舗装路、無機質で冷たい空気だけがまとわりつく。
「いや、いる……」
運転手の男が何かに勘付いて、懐から拳銃を抜き取ろうとする。拳銃と言っても、小型のレーザー照射装置だ。トリガーを引いたら最後、光の速さで標的は撃ち抜かれるだろう。
「動かない方がいい」
声が聞こえた瞬間、彼らがいる場所から遠く離れた暗闇がぱっと明るくなった。
同時に自動車のヘッドライトが風船のように膨れ上がって破裂した。轟音。車体が大きく揺れて、真っ赤に熱せられたプラスチックがはじけ飛ぶ。
空気が抜けて、傾く車体から離れて桜と男たちは施設の方へ身を引いた。
あたりが静まり返る。焦げ付いた強い匂いと熱量が彼らの肌を撫でる。
「妙な真似をすれば、この通りだ」
桜は背後から声がしたのに気付く。
その場にいる誰もがそのことに気付いて、視線を投げかける。誰もいないはずの場所。運転手と肥った男の合間に立つ人物。
「紳士的に頼むよ、お二人さん」
透明な空間から浮かび上がる雨合羽。それを身にまとい、同質の素材で顔を覆った人物がその両腕を男たちに伸ばしてリボルバー型の拳銃を眉間に突き付けていた。
その古びた銃のモデルは彼らは知らない。実弾など彼らは博物館の展示品しか見たことがない。
「偏光迷彩か?」
運転手の男が言った。
「あら、よく御存じで」
オリノは茶化すように返した。
雨合羽のような上着は骨董品もいいところのもので、光の屈折を利用して姿を消すことができる。もっとも彼女が来ているのは同じ繊維を使用した自前だが。
桜はその人物が誰かすぐにわかった。
「オリノ・ロンナス……様」
その呼びかけに雨合羽の人物、オリノはモノクルの瞳をウィンクして、微笑んで見せた。
男たちは驚愕し、まじまじと合間に立つ人物を見つめる。
だが、運転手の男が自分から視線が外れたのを見計らって突きつけられている銃口を弾こうと手を振り上げようとして。
銃声。男に向けられていた銃口から硝煙が上り立つ。
運転手の男は撃ち抜かれた左耳を押さえて、うずくまる。耳鳴りが止まない。足元がふらついて立ち上がることすらできない。
「余計な真似はやめてほしいな。飾りじゃないんでね」
オリノはせせら笑って、下がった撃鉄を起こす。
桜も耳鳴りに顔を顰めていると、肥った男は抱き寄せるようにして彼女を自分の近くに寄せた。
だが、彼も三半規管をやられたらしくそのまま腰を抜かして、桜ともども冷たい舗装路にしりもちをつく。
「お、お前、何のつもりだ?」
狼狽し、脂汗を滝のように流す肥った男に雨合羽を来たオリノは銃口を突きつけたまま告げる。
「だからさ、この子を高値で買い取ってあげようって言ってるんだ」
それからまだ発砲していない銃口を彼の眉間に突き付ける。
男はその冷たく、固い銃口感触にさらに頭が混乱する。このタイミングで、しかもアルビノの少女を追っていた。運転手が間抜けだったと言ってしまえばそれでおしまいだが、女の声をする目の前の人物はもっと変哲なものとみていい。
「ちょ、諜報員か?」
「あんな役人連中の子飼いと一緒にしないで欲しいな。それにわたしはタダでくれとは言ってないだろ?」
オリノは言って目元を細めて、拳銃の撃鉄を上げる。シリンダーが回る。
「こちらの鉛玉でどうだろう? レプリカだけど、かなりいいものだ? 一発で脳髄をぶっ飛ばせる。天まで行ける心地だろうとも」
どうぞ、と嫌な響きとともに彼女の細い指がトリガーにかかる。
すると、男は桜を突き出して後退る。その顔を恐怖に歪んで、懇願する声は豚の泣き声のように醜い。
「いや、タダで結構だ。こんな粗悪品くらい、くれてやるよ。イヒヒ……」
「おや、それじゃ遠慮なく」
にっこりと笑って見せるオリノは混乱する桜の腕と自分の腕を組ませて、立ち上がらせる。
桜は何を言えばいいのか咄嗟に思い浮かばず、茫然自失に彼女の顔を見上げるばかりだ。恐ろしさと感謝の気持ちが混ざって複雑な面持ちになっている。オリノから伝わる暖かさが唯一、桜を安心させる。
「こっちは済んだ。迎えに来てくれ」
オリノが耳元を押さえてどこかに指示を飛ばす。それから、桜を一瞥する。
安心しろ、と言いたげな目の配り方に桜は懐かしいものを感じた。これは、小さいころに物心がつく以前の気持ち。両親が時折見せていたあの眼差しだった。
それとも幼い日に彼女が向けてくれた眼差しだろうか。
二人は後退りながら、落ちた帽子とメガネを拾い上げて、肥った男から投げ渡された解除キーで桜にかけられた手錠を解く。
そして、二人の男を拳銃で牽制していると唸るようなエンジン音を響かせて一台の電気自動車が二人の前で停車する。タイヤが擦れる甲高い音が響き渡る。
「お早くっ!」
「すまない」
運転席の窓から勇子が顔をのぞかせる。
桜は息を飲んだが、彼女は早く乗って、と頭を振った。
二人が後部座席に飛び乗ったのを確認するや否や、勇子の運転で電気自動車は急発進する。後輪がスリップして、尻を振ったがすぐに発進した。
「クソッ! なんてこったい。せっかくのいい品がよぉ」
肥った男は電気自動車のテールランプを睨みながら愚痴った。
完全にやられた。悔しさに男たちは鬼の形相で走り去っていく電気自動車のテールランプを見送るしかなかった。




