95話 2人の目覚め
さらに数日後――防災対策課・医療棟。
窓から差し込む柔らかな光が、静まり返った病室を照らしていた。
ベッドの端に腰かけていた俺――橙真は、ゆっくりと立ち上がる。
「日向、本当に大丈夫か?」
開け放たれた病室の扉の前で、風宮さんが鋭い視線を俺へ向けている。
「はい、行けます」
「限界が来る前に、無理をせずすぐに言えよ」
「分かりました」
俺は短く答え、風宮さんのあとに続いて病室を出た。
向かう先は、蒼太と碧羽が入院している集中治療病棟。
長い廊下を、二人で足音を抑えながら進んでいく。
やがて、通路を挟んで向かい合う二つの病室が見えてきた。
その扉の前には、胸にファイルを抱えた花江さんが一人で立っていた。
「あ、橙真くん。風宮さんも」
「花江さん。二人の様子はどうですか?」
「まだ目を覚ましていません。ですが、今のところ二人とも状態はとても安定しています」
花江さんは安堵したような表情で、左右の病室を交互に見つめる。
「そうですか……」
胸の奥に溜まっていた重い息を、そっと吐き出す。
それだけで、強張っていた身体から力が抜けていくようだった。
***
二人の病室の前に着くと風宮さんが静かな手つきで、まず右側にある蒼太の病室のドアを開ける。
静まり返った室内へ足を踏み入れると、蒼太はベッドの中央で静かに横たわっていた。
顔色はまだ少し青白く、血色も戻りきっていない。
俺は足音を立てないよう注意しながら、ベッドのすぐ脇まで歩み寄った。
「蒼太……」
枕元で静かに名前を呼ぶ。
しかし、規則正しい心電図の電子音が響くだけで、蒼太が目を覚ます気配はない。
俺たちはしばらく、彼の寝顔を見守っていた。
すると――。
「……ん……っ」
布団の上に置かれた蒼太の指先が、ぴくりと動いた。
「……蒼太?」
俺が思わず身を乗り出す。
すると、浅い吐息とともに、彼のまぶたが重そうにゆっくりと開かれた。
「……あれ、ここ……どこだ……?」
「防災対策課の医療棟だ」
背後から風宮さんが静かな声で答える。
蒼太の焦点の定まらない瞳が、ぼんやりと天井を見つめている。
少し間を置いて、記憶を辿るように眉間へ皺を寄せた。
「……そうか。俺、邪神体と戦って……」
「ああ。倒れたあと、ここへ救急搬送された」
風宮さんが短く事実を告げる。
蒼太は重そうに首を動かし、ベッド脇に立つ俺へ視線を向けた。
「……橙真?」
「ああ、そうだよ」
「お前……無事だったのか」
「まあ、なんとかなった」
蒼太は少しだけ眉をひそめ、俺の顔をじっと見つめる。
「……もしかして、また俺たちのために無理したんじゃないだろうな?」
「いいや、そんなこと……ないさ」
「……それなら……いいけど」
蒼太は安堵したように、小さく息を吐き出した。
「……とりあえず、よかった」
「蒼太?」
「お前まで倒れてたら、どうしようかと思ったからな」
真っ直ぐなその言葉に、俺は一瞬だけ返答に詰まった。
「……俺は大丈夫だよ」
「なら……いいけど」
蒼太はまだ体力が戻っていないのか、重そうに再び目を閉じかける。
「蒼太、無理して喋らなくていいから。今は休んで」
「分かった」
蒼太の口元が、ほんの少し緩んだ。
その穏やかな表情につられるように、俺も小さく微笑む。
やがて蒼太の呼吸が深く規則正しいものへ変わり、再び眠りについた。
俺はそれを見届けてから、ベッドの脇を離れた。
***
風宮さんと花江さんに続いて、病室を出る。
今度は、真向かいにある碧羽の病室へ向かった。
ドアを開けると、碧羽もまた、蒼太と同じようにベッドの上で横たわっていた。
「碧羽もまだ眠っているみたいだな」
風宮さんが静かに呟く。
俺は彼女のベッドの横へ歩み寄った。
「碧羽……」
声のトーンを落として呼びかける。
数秒の静寂の後――。
「……ん」
碧羽の長いまつ毛が揺れ、まぶたがゆっくりと持ち上がった。
「ここは……?」
「防災対策課の医療棟だよ」
碧羽はゆっくりと首を動かし、窓から差し込む光をぼんやりと見つめる。
「橙真?」
「ああ」
「蒼太は……どこ?」
「隣の病室にいる。さっき目を覚ましたよ」
「そうなんだ」
碧羽は胸元へ手を当て、小さく安堵の息を吐き出した。
「二人とも……無事でよかった」
「なんとかな」
「本当に無事でよかった」
碧羽は疲れの残る表情で、静かに目を細める。
「碧羽、体調は大丈夫か?」
「少し身体が重いけど……まあ、大丈夫」
「あまり無理するなよ」
「それは橙真も、でしょ?」
「……」
図星を突かれ、俺は口をつぐむ。
そんな俺の反応を見た碧羽が、くすりと小さく笑った。
「橙真、また『俺は大丈夫』って思ってたでしょ?」
「……うん」
「やっぱり」
碧羽は可笑しそうに笑いながらも、温かな眼差しで俺を見つめ直した。
「でも、本当に無理だけはしないでね」
「分かってる」
「なら、いいけど」
二人の間に短い静寂が流れる。
俺は碧羽の穏やかな顔をじっと見つめた。
「目を覚ましてくれて、本当によかった」
「橙真も無事で、よかったよ」
大げさな言葉など、必要なかった。
互いの命が無事だったことを確かめ合えた。
それだけで十分だった。
ドア付近に立っていた風宮さんが、静かな声音で声をかける。
「二人とも、今はまだ患者だ。大人しく休んでいろ」
「はい」
碧羽が素直に頷き、俺もそれに合わせて頷いた。
***
俺たちは碧羽の病室をあとにした。
静まり返った廊下へ出ると、花江さんが二つの病室を交互に見つめながら、深々と息を吐き出した。
「これで、三人とも無事に目を覚ましましたね」
「ああ」
俺も足を止め、改めて二人が眠る病室を振り返る。
昨夜までは、二人の命が助かるのか、再び目を覚ますのかすら分からなかった。
だからこそ――。
「本当によかった」
誰に言うでもなく、俺は小さく呟いた。
風宮さんが、俺の横顔を見つめる。
「日向」
「はい」
「お前もまだ完全に治ったわけじゃない。病室に戻って身体を休めろ」
「分かりました」
「光莉、俺は日向を病室に送って行く」
「了解しました。私は先に仕事に戻りますね」
風宮さんと花江さんの会話が終わる。
俺と風宮さんは、そのまま廊下を歩き始めた。
これから俺たちに、どんな試練が待ち受けているのか。
神社の調査で新たな真実を知ることになるとは、その時の俺たちは知る由もなかった。




