79話 2つの戦場
「それでは、俺は先に三角州に向かわせてもらうとするよ。邪神体を倒したときは、またここに報告しに来る」
そう言い残すと、ガブリエルの身体はまばゆい白い粒子へと変わり、一瞬にして消えていった。
風宮さんは、その残光を静かに見送り、俺へ視線を戻す。
「日向、オフィス街に発生した邪神体の方は頼んだぞ」
「はい。街中の方は俺たちに任せてください!」
「日向、一応言っておくが……無理はするなよ」
「はい、分かってますよ」
そう答えると、俺はすぐさま会議室を飛び出した。
エントランスを抜け、防災対策課を後にする。
走りながらスマホを取り出すと、さっき蒼太と碧羽へ送ったメッセージに既読が付いていた。
『分かった。できるだけすぐ行く』
『それじゃあ、現地集合で』
短い返信だった。
だが、長年の付き合いになる俺たちには、それだけで十分だった。
言葉を交わさなくても、互いに何をすべきなのか分かっている。
***
夕焼けの赤が差し込む住宅街を、俺は最短ルートを駆け抜けていく。
その途中だった。
「あれっ……橙真先輩?」
「……!」
聞き覚えのある声に振り返る。
そこに立っていたのは、さっき別れたはずの咲だった。
「……咲」
「防災対策課に行ったんじゃないんですか?」
「ああ。行ったんだけど、この先に邪神体が出てさ。先にこっちを任されることになって」
「私もついて行っていいですか!」
「……どうせ、ダメって言ってもついてくるんだろ」
「はい、もちろんついていきます!」
咲は迷うことなく頷いた。
「今の橙真先輩を一人で向かわせるのも心配ですしね」
「……心配してくれてありがとうな」
俺は小さく笑う。
「それじゃあ、行くか!」
「はい!!」
***
咲と一緒に走り始めて数分後。
俺たちは、高層ビルが立ち並ぶ中央オフィス街へと辿り着いた。
そこは、すでに街としての姿を失い始めていた。
夕焼けの赤に照らされた道路は大きく波打ち、舗装の隙間から泥水が激しく噴き上がっている。
停車していた車は半ばまで地面へ沈み込み、道路の至るところで液状化現象が広がっていた。
「「橙真!」」
後方から声が聞こえる。
振り返ると、蒼太と、その隣に並ぶ碧羽がこちらへ駆けてきていた。
「蒼太、早かったな」
「部活の練習がまだ終わってなかったんだけど、顧問の先生に事情を説明して、途中で抜けてそのまま走ってきたからな!」
「私もだいたいそんな感じかな」
「……ていうか橙真、咲も連れてきたのか?」
「来る途中で会って、あとは成り行きでこうなった」
「え? 橙真、一緒に帰ったはずなのになんで途中で会ったことになるんだ?」
「それは……防災対策課に向かってる途中で呼び出されて、別れたんだよ」
「そういうことだったんだね」
「ちなみに、防災対策課に行ってなにしてたの?」
「そんなことより、今はあっちだろ」
俺が視線を向ける。
その先には、地面から噴き出す泥水と、大きく揺れる道路。
「それもそうだな」
「ふふ……こうやって四人で並んで邪神体と向き合うのって、なんだか久しぶりだね」
「はい、そうですよね!」
「最近は咲と一緒に戦ってなかったからなー」
「確かにそうですね」
ほんの一瞬。
昔と変わらない、穏やかな空気が流れた。
だが――その空気は、次の瞬間には崩れ去った。
***
――ゴゴゴゴゴ……!
地面の奥から、重低い地鳴りが響き渡る。
液状化した道路が激しく盛り上がり、大量の泥水を撒き散らしながら、巨大な黒い蛇が地中から這い出してきた。
その頭部には、禍々しく輝く一本角。
長大な身体を地面へ叩きつけるたび、道路が大きく揺れる。
「……久々の蛇型の邪神体だな」
「確かに、久しぶりな感じがするな!」
「咲と会ったときも、蛇の邪神体だったよね」
「そうでしたよね!」
碧羽が弓を構える。
蒼太も両手へ力を込め、咲は蛇の身体をじっと見つめた。
俺も一歩前へ出る。
「……行くぞ」
「ああ!」
「うん!」
「はい!」
俺たちは四人で、巨大な蛇へ正面から立ち向かった。
***
一方その頃――三角州。
夕闇が迫る空の上で、ガブリエルが静かに佇み、眼下を見下ろしていた。
「……ここか。発生した場所は」
次の瞬間、大地が大きく揺れ、川の水が一気に堤防を越える。
濁流が三角州一帯を飲み込み、その中心から巨大な影がゆっくりと浮かび上がった。
現れたのは――八つの首を持つ巨大な邪神体。
八つの口から、同時に不気味な咆哮が響き渡る。
「こいつが発生した邪神体ってやつか……」
ガブリエルは大剣へ手を伸ばす。
「やっぱり俺一人じゃ、倒すには少し苦戦しそうな奴だな」
そして、空を見上げた。
「みんな、この邪神体を倒すために力を貸してくれ」
その呼びかけに応じるように、周囲へまばゆい光の粒子が少しずつ舞い降りてくる。
一つ、二つ、三つ。
次々と光が集束し、人の姿へと変わっていく。
やがて――凛とした五人の天使たちが、ガブリエルの周囲に姿を現した。
それぞれが異なる武器を手に、静かに構える。
「……」
ガブリエルを含めた六人の天使が、眼下の邪神体を見下ろしていた。
八つの首が唸り声を上げる。
天使たちは、一歩も退かない。
夕焼けの赤と夕闇が交差する刻限。
人間と天使。
二つに分断された戦場で、これまでにない規模の戦いが始まろうとしていた――




