66話 白き天使たち
八月上旬の強烈な日差しが照りつける中、防災対策課を後にした俺――橙真は、一人で人気のない山道を目指して走っていた。
アスファルトから立ち上る熱気。
地面を激しく叩く足音。
走りながら俺の脳裏に浮かんでいたのは、かつて目の前に姿を現した、あの『大剣の天使』の圧倒的な力だった。
(きっとあの……大剣の天使だ!)
現場に残されていた『天』の血文字。
月影さんを殺したのは、あの天使に違いない。
(俺が引っかかっていた答えは……たぶん、これだ!!)
込み上げる怒りと焦燥感で、心臓が激しく脈打つ。
やがて山道の入口へ足を踏み入れると、木々が日差しを遮り、辺りは薄暗くなっていった。
俺はさらに森の奥へ進む。
そして、足を止めた。
胸の奥で渦巻く、強烈な違和感と怒りを確かめるように、ゆっくりと前を見据える。
「……出てこいよ。前に俺と会った大剣の天使!!」
低く抑えた声が、静まり返った山中へ重く響き渡った。
――突風が吹いた。
次の瞬間、空から眩い白い光が舞い降り、その光の粒子の中から、一人の人物がゆっくりと姿を現した。
背中に巨大な大剣を背負った、あの時と同じ天使。
俺はその姿を逃さぬよう、殺気を込めて睨みつける。
大剣の天使は穏やかな表情を浮かべながら、静かに口を開いた。
「……急に呼び出すとは、一体私に何か用があるのか?」
俺は一歩、力強く踏み込んだ。
「月影さんを殺しておいて……よくもまあ、そんな顔で言えるなっ!!」
「は……? そんなこと、私はやっていないぞ」
即座の否定。
それでも、俺の胸で燃え盛る怒りが収まることはなかった。
俺は大剣の天使を正面から睨みつけ、全身の力を引き出すように構え直した。
――カチッ。
俺は右耳に装着していたイヤホンを指先で外し、地面へ落とした。
その瞬間――世界から、一切の音が消えた。
八月の真夏に吹く風の音も。
木々の葉が擦れる音も。
響き渡っていた蝉の鳴き声も。
すべてが消えた。
息が詰まるような絶対的な静寂だけが、俺たち二人を冷たく包み込む。
俺の瞳から、生気も感情も完全に消え失せた。
そして――身体全体から、真っ赤な炎が爆発するように燃え広がった!
次の瞬間、大剣の天使の視界から、俺の姿が一瞬で消えた。
「!?」
大剣の天使が驚愕し、背中の大剣を素早く構える。
その時には、俺はすでに懐へ潜り込んでいた。
感情のない拳が、相手のみぞおちへ一直線に放たれる。
大剣の天使は間一髪、大剣の腹で受け止めた。
――ドオンッ!!
重い衝撃波が炸裂し、大地が激しく揺れる。
だが、俺の攻撃は止まらない。
左拳、回し蹴り。
さらに体勢を低く落としての踏み込み。
限界を超えた身体が、止まることを許さない。
大剣の天使は後方へ大きく跳び、一瞬だけ距離を取る。
しかし俺は炎を爆発させ、再び一瞬で間合いを詰めた。
拳と巨大な大剣が、火花を散らしながら何度も激しく交錯する。
衝撃が周囲の木々を激しく揺らし、辺りに深い土煙が舞い上がった。
大剣の天使は俺の攻撃を受け流しながら、炎を宿した瞳を静かに見つめていた。
「……なるほど。これは、完全に頭に血が上っているな。今は落ち着かせることも難しいか」
天使は小さく呟く。
「二人とも、手を貸してくれ」
その声に応えるように、白い光の粒子が新たに二つ、現れた。
一人は巨大な弓を携えた天使。
もう一人は、長大な杖を持つ天使だった。
「これは、どういう状況?」
「話を聞いてもらおうと思ったが、逆に激しく怒らせたみたいだ」
「つまり、暴走しているあれを落ち着かせればいいのね」
「そういうことだ」
短い会話が終わる。
直後、三人の天使が俺を取り囲んだ。
俺は無言のまま、炎を纏った拳を構え直す。
弓の天使が素早く矢を番えた。
――シュッ!
放たれた矢が、俺へと一直線に飛んでくる。
俺は身体を斜めに捻り、空中へ飛んで紙一重でかわした。
だが、その直後、杖の天使が俺の周囲へ光の結界を展開させた!
俺の全周が巨大な光の壁に覆われる。
突然、視界を遮られ、俺の動きが一瞬だけ止まった。
その隙を逃さず、大剣の天使が一気に間合いを詰めてくる。
俺もすぐに反応し、開いた手で迫る大剣の刃を力任せに掴み取った。
しかし――至近距離から、弓の天使の矢が顔面へ迫る!
俺は大剣の腹を蹴りつけ、その反動で後方へ飛んだ。
矢が、目の前を通り過ぎていく。
狭い結界の中で、激しい攻防が続く。
それでも俺は怯まない。
炎を纏った拳が、二人の天使へと容赦なく叩き込まれていく。
戦いが続く中、大剣の天使が静かに口を開いた。
「これ以上、力で戦ってもダメそうだな」
「じゃあ、どうするつもり?」
「言葉で、落ち着かせる」
「それができるなら、最初からそうして」
「……そうだな。二人は結界の外へ出てくれ」
「分かったわ。それじゃあ、頑張ってね」
弓の天使と杖の天使はそう言うと、結界の外へ脱出していった。
結界の中に残された大剣の天使は、俺のまっすぐな視線を受け止める。
「確かに……お前の焦りを見る限り、月影を殺したのは天使の誰かかもしれない」
その言葉が届いた瞬間。
俺の動きが、一瞬だけ止まった。
「だが……この場にいる俺たちではない」
その言葉が山道に響き渡る。
俺の全身を包み込んでいた炎が、大きく揺らぎ始めた。
そして――限界まで燃え上がっていた炎が、次第に小さくなっていく。
やがて、完全に消えた。
――カチッ。
俺は地面に落ちていたイヤホンを拾い上げ、右耳へ戻した。
黒い髪に、能力の強烈な反動によって白い色が混じり始める。
呼吸が激しく乱れ、意識が遠のいていく。
「ガハッ……!!」
口元から血がこぼれ落ちた。
俺は、その場に膝をついた。
大剣の天使は、結界の外で見守っていた二人を見て小さく頷く。
「……二人とも、先に戻っていてくれ――」
二人の天使は何も言わず、再び眩い白い光の粒子となって空へ消えていった。
一陣の風が、静かに山道を吹き抜ける。
その場に残されたのは、傷だらけで膝をつく俺と、静かに俺を見下ろす大剣の天使だけだった――。




