表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/72

65話 『天』の文字

 日曜日の防災対策課。朝から施設内は、どこか慌ただしい空気に包まれていた。


「現場の資料はすべてまとまりましたか!?」

「解析班は至急第三会議室へ向かってください!」

「鑑識からの続報はまだ上がってこないのか!?」


 廊下では職員たちが険しい顔つきで激しく行き交っていた。

 昨日までの平穏な空気とはまるで違う、異様な緊張感が施設全体を支配している。誰もが重く沈んだ表情を浮かべ、余裕なく動いていた。


***


 一方その頃。自宅の部屋で眠っていた俺のスマホが、振動した。

 着信音で俺は跳ね起きるように目を覚ます。画面を見ると、そこには風宮さんの名前が表示されていた。


 俺は嫌な予感を覚えながら、すぐに電話を耳に当てる。


「……はい、日向橙真です」

『おはよう、日向。急で悪いが、今すぐ防災対策課の会議室まで来られるか』

「分かりました、すぐ行きます」

『蒼太と碧羽にはすでに連絡を入れた。二人もすぐに向かうと言っている』

「……了解しました。俺も急いで向かいます」

『分かった。待っている』


 ツートン、と電話が切れた。

 俺は静かにスマホをベッドの上にそっと置く。


「……防災対策課か」


 胸騒ぎが消えない。昨日のミーティングや風宮さんたちの様子が頭をよぎる。

 俺はすぐに私服に着替えると、飛び出すように家を出た。


***


 防災対策課のエントランスに到着すると、ちょうど同じタイミングで蒼太と碧羽もやってきた。


「橙真!」


 蒼太が少し硬い表情で声をかけてくる。


「訓練の時間に遅れてるわけでもないのに急に呼び出されるなんて、珍しいな……」


 碧羽も不安を隠しきれない様子で周囲を見回した。


「何か良くないことでも、あったのかな……」

「……とにかく、行こう」


 俺たちは 、重い足取りで会議室へと向かった。


 会議室の扉を開けると、中では風宮さんと花江さんが待っていた。

 しかし、いつもならこういう緊急事態の場に真っ先にいるはずの、月影さんの姿がどこにも見当たらなかった。


 部屋の中には息が詰まるほどの沈黙が流れている。

 風宮さんは俺たち三人を見渡すと、重々しく口を開いた。


「……朝早くに急に呼び出してすまなかったな。とりあえず、来てくれてありがとう」


 俺たちは席へ静かに腰を下ろす。

 風宮さんは一度深く目を閉じ、小さく息を吐き出した。

 悲痛な現実を確かめるように、静かに、だが信じがたい事実を口にした。


「……今日の早朝、月影が亡くなった状態で発見された」


 その一言が放たれた瞬間、会議室の空気が一瞬で凍りついた。


「……え」


 俺の口から小さく声が漏れた。

 蒼太は信じられないといったように目を見開く。


「……嘘、だろ?」


 碧羽は顔を蒼白にし、言葉を失っていた。


「そんな……月影さんが……」


***


 風宮さんは表情を変えず、静かに説明を続ける。


「亡くなる直前、月影は俺に一本のUSBメモリを託していった」


 隣で花江さんが静かに補足する。


「現在、そのUSBメモリに入っているデータの解析を緊急で進めています」


 風宮さんは頷き、俺たちを見つめた。


「そして……もう一つ、報告がある」


 風宮さんはホワイトボードへ歩み寄ると、ペンを手に取り、大きく一文字だけを書き記した。


『 天 』


 風宮さんは振り返り、俺たちの反応を確かめる。


「これは、月影が殺された現場に、彼自身の血で書き残されていた文字だ。この『天』という一文字に、何か心当たりがある者はいるか?」


 蒼太は困惑したように首を横に振った。


「……いや、さっぱり分かりません」


 碧羽も悲痛な表情で静かに答える。


「私も……何も思い当たりません」


 俺だけは言葉を発せず、黙ったままホワイトボードに書かれたその文字を凝視していた。


(天、か……)


 胸の奥底で、小さく呟く。

 理由も分からず、激しい何かが胸に深く引っかかっていた。

 だが、それが一体何を意味するのか、今の俺にはどうしても分からなかった。


 風宮さんの鋭い視線が俺へと注がれる。


「日向」


 俺はゆっくりと顔を上げた。


「……いえ。今のところ俺も心当たりはありません」


 そう答えながらも、俺の視線はしばらくホワイトボードの『天』の文字から離れることはなかった。


 風宮さんは全員を見渡した。


「分かった。もし何か少しでも思い出すことがあれば、すぐに知らせてくれ」

「USBの解析が終わり次第、改めてみなさんにお知らせしますね」

「今日は以上だ」


***


 俺たち三人は、重い気持ちのまま会議室を後にした。

 防災対策課のエントランスに出て、蒼太が小さく溜め息を吐く。


「まだ信じられねぇよ……月影さんが殺されたなんて」


 碧羽も視線を落とし、悲しそうに俯いた。


「月影さん、いつも私たちを優しく見守ってくれていたのに……」


 しばらくの間、三人の中に重い沈黙が流れた。

 その時だった。

 俺はぴたりと足を止める。


「悪い」


 蒼太と碧羽が不思議そうに振り返る。


「少し、一人で考えたいことがある」


 蒼太は俺の真剣な表情をじっと見つめ、察したように小さく頷いた。


「分かった。無理はするなよ」


 碧羽も心配そうにしながらも、優しく微笑んでくれた。


「うん、また後で連絡するね」

「ああ」


 二人を見送り、蒼太と碧羽は防災対策課を後にして帰っていった。

 俺は一人、静かに反対方向へと歩き出す。


 向かう先は、誰もいない、人の気配が完全に絶たれた場所。

 そこで、確かめないといけないことがある気がして。


 俺は立ち止まり、静かに青空を見上げた。


「天使か」


 その言葉だけをポツリと呟き、俺は一人、人気のない暗がりへと足を進めていった――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ